「貧乏の子だくさん」超少子化にあえぐ現代の日本とは逆に「人口過多」だった時代、八人兄弟の六番目として産まれた文吉(ぶんきち)は「口減らし」のため、当時有数の資産家である米問屋へと奉公に出された。文吉は朝から晩まで汗水を垂らし、身を粉にしてせっせと働いた。そこには先輩の奉公人も多数居て、「ずるい大人」「怠けてばかりの大人」や「先輩風を吹かす同年代」など「人間観察」をするには対象に事欠かなかった。文吉は報酬の大半を実家に仕送りし、残ったわずかばかりの出来の悪い鐚銭(びたせん)を小遣いにしていた。そん