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「どうする家康」も残すところ後2回となりました。ネットニュースに、脚本家である古沢良治さんのインタビュー記事が載っていました。その中で、古沢さんは、今回のドラマを描くうえで史実を大事にしたそうで、その為に、資料探しに時間が掛かってしまい大変苦労したと述べています。歴史ドラマは、まず、ストーリーに合わせて史実を並べます。その次に、並べられた史実と史実の間にフィクションを入れていきます。そして、このフィクションの部分がどれだけ史実との関係において整合性が取れているか、及び、ドラ
お疲れ様です!大阪まで来て、どうする?と、云う訳で、、、大阪城へ案の定、どこを向いても、🇺🇸、🇨🇦、🇨🇳、🇰🇷、🇫🇷、🇬🇧、、、インバウンド外人だらけ、、、まるで、自分が外国人になった様な感覚に。(笑)写真撮りまくる!(笑)あるランキングの上位に入る大阪城は難攻不落の城🏯[どうする家康]豊臣秀吉の大阪城は、大阪夏の陣で焼失、落城、その上に盛り土して徳川幕府が大阪城を築いたそうです。家康の言葉から「戦とはこの世で最も愚かで醜いもの…」今、世界で起こっている
「どうする家康」も残り3話ですね。松潤が60代、70代の配役なんかでにないとになるなんて想像もできなくって「ありえない」なんて思っていましたが、老け顔もこの数話見て、慣れてきた感じがします「第45話二人のプリンス」徳川秀忠と豊臣秀頼のプリンスと徳川家康と今川氏真の新旧プリンスの対比でしたね。第1話の「どうする桶狭間」<今川義元がとく、王道と覇道>の中で今川義元が家康に義元「王道と覇道は知っておるかな?」家康「武を持って納めるは覇道」「徳を持って納めるは王道覇
土佐の戦国大名長宗我部盛親は、四国を統一し”土佐の出来人”と称された長宗我部元親の四男として天正三年(1575)に生まれました。長兄の信親が戦死したのち嫡子となり、慶長四年(1599)に元親が死去すると家督を継ぎ長宗我部家の当主となりました。しかし、翌慶長五年(1600)に起きた関ヶ原の戦いで西軍に加わって敗れ、長宗我部家は所領を没収されてしまいます。流浪の身となった盛親は京に移り住み、寺小屋で子供たちに学問を教えるなどしながら長宗我部家再興の機会を待ちました。そして慶長
真田太平記(歴史小説)大阪夏の陣にて徳川家康本陣にぶっ込み、家康に腹を切らせる覚悟までさせた日本一の兵(つわもの)真田幸村その真田幸村で有名な真田太平記読むのに2ヶ月半かかった久々の長編真田親子が描かれているが徳川家康の駆け引きに目がいってしまう
城塞司馬遼太郎子供の頃、関ヶ原はの全容はなんとなく知っていたけど、大坂の陣に関しては授業では徳川が豊臣を滅ぼすために行ったと、さらっとしか書かれてない。せいぜい真田幸村の活躍が美談として知っている程度。司馬遼太郎の本を何冊か読んでいたけど、この大阪冬の陣と夏の陣について書かれいる本が城塞としてあったので読んでみた。この本ね、正直言って現代にも通用するビジネス書だと思った。家康の心理戦の見事さと、家康側につく豊臣方の旧家臣の心理と、どうにもならない豊臣側。上巻は、小幡勘兵衛を中心に徳
次に向かったのは茶臼山。人口の山であることは確かですが、古墳かだったかどうか、評価が分かれているらしい。茶臼山(天王寺公園)大坂冬の陣・夏の陣で、豊臣家と徳川家による合戦の舞台となった。標高26mで、大阪五低山の一つとされている。osaka-info.jp階段上の山道を登っていきます。1分もしないで山頂に到着。標高26m。100円払えば、登頂証明書ももらえるらしい。茶臼山は大坂冬の陣で家康が、夏の陣では幸村が陣を張った古戦場。でも、山頂の看
天王寺歴史散歩①一心寺・安居神社|千世(ちせ)四天王寺では毎月22日に聖徳太子の一生を描いた壁画のある「絵堂」を開放しています。ちょうど2カ月前の8月に朝からチコさんと訪ねたのですが、その絵解き話が14時からなので、時間的に無理で断念した出来事がありました。それならば、いっそのこといつもの「レキジョークル」メンバーの参加を9月と10月のどちらかで募って出直そうと考え10月22日に決まり、行って…note.com
【後藤又兵衛】文春文庫【著】風野真知雄黒田官兵衛、その息子長政に仕え、最後は豊臣秀頼に仕えて大阪夏の陣で散った武将の話。豪傑にして爽やかな性格。その為、下の者に好かれる好漢として描かれている。父官兵衛と比較されることで功を焦る黒田長政との確執が、中盤以降かなり盛り込まれているが結構えげつない。長編小説ではあるが、大阪の役までは各章ごとの時間が飛んでいるので、短編的で読みやすい。文春文庫後藤又兵衛時は天下分け目の戦乱期。朝鮮出兵、関ヶ原の戦いで一躍勇名をはせた後藤又兵衛は
寺社No.6254御朱印No.6637忍陵神社(しのぶがおか神社)大阪府四條畷市大阪夏の陣徳川秀忠の本陣跡2023年7月15日子供の遊ぶ神社大阪夏の陣徳川秀忠軍の本陣跡
チナ3年女子クラス優勝🏆単独参戦頑張ってくれました!おめでとう🎵
秀吉のあだ名というと「サル」が有名だが信長は「はげねずみ」と呼んでいる「サル」は山の民「サンカ」のこと城作りの名人秀吉は秦サンカであり征夷大将軍になれなかったのはそれが理由という話があるサンカは焼畑農業をしていたという悠仁さまが「焼畑」の研究をしたというのは何かの暗示?そして徳川家康すり替え説宇野正美徳川家康もすり替えられた??という話#宇野正美#日本や世界のいろんな話テロップをつけて過去の動画を出し直しです誤字脱字があるかもしれませんがよろしくお願いします。よ
8/28(月)午後半休にて最近、相方さんが今村省吾の「幸村を討て」を読み始めたこともあって幸村ゆかりの地を一緒に巡ってみることに。私は最近、天王寺七坂巡る際に立ち寄って以来です。天王寺駅から、てんしば抜けて茶臼山へ七坂巡った時はさらっと立ち寄っただけでしたが今日は真田幸村の説明や大阪冬の陣、夏の陣の解説をじっくり読ませてもらいました冬の陣では徳川家康夏の陣では真田幸村が陣を敷いたのが茶臼山その後、安居神社へ真田幸村が戦死した場所銅像に触れることができるみ
岩見重太郎の武者絵大灯篭8月25日、「大浜流灌頂2023(おおはまながれかんじょう)」の夏祭りに寄って来た。コロナ感染予防の制限が解除されているので、例年よりも賑やかであった。大浜流灌頂と言えば、町内に掲げられる武者絵大灯篭が有名だ。武者絵は、明治中期の博多の絵師・海老崎雪渓(えびさきせっけい)によって描かれ、福岡県有形民俗文化財に指定されている。↓大博通りから会場に入ると、迎えてくれる最初の武者絵は「後藤又兵衛(大阪夏の陣)」だった。後藤又兵衛のことについては、
今日も打線湿りがち紅林弘太郎が15試合ぶり一発先制の8号ソロ【オリックス】(中日スポーツ)-Yahoo!ニュース◇19日オリックス―日本ハム(京セラドーム大阪)「7番・遊撃」で先発出場したオリックスの紅林弘太郎内野手(21)が、先制アーチをかけた。3回先頭の場面、日本ハム・伊藤の2ボールからの3球目、news.yahoo.co.jp【オリックス】紅林弘太郎がV弾山崎福也は7回途中無失点で自己最多9勝(スポーツ報知)-Yahoo!ニュース◆パ・リーグオリックス2―1日
やっぱり森とのコンビがいいオリックスが接戦を制す宮城が8勝目森が13号ソロなど全打点をたたき出す活躍(デイリースポーツ)-Yahoo!ニュース「オリックス・バファローズ2-1福岡ソフトバンクホークス」(17日、京セラドーム大阪)オリックスがソフトバンクとの接戦を制して、ソフトバンク戦の連敗を「3」で止めた。先発は宮城大弥投手news.yahoo.co.jp“限定仕様”の森が「亀みたい」上下グリーンの奇抜装備が話題に「珍しい虫かと」(Full-Count)-Yahoo
8月16日は「五山送り火の日」。送り火とはお盆の行事の一つで、お盆に帰ってきた死者の魂を現世から再びあの世へと送り出す行事である。山の送り火としては、京都の五山送り火が有名だが、見た目の印象から「大文字焼き」と呼ぶのは誤りだそうだ。なお、この京都の行事にならって、高知県四万十市(旧中村市)間崎でも「大文字送り火」が行われている。応仁の乱を避けて都から四万十市中村地区に下向した前関白の一条教房らの精霊送りのため、息子の房家が京都五山の送り火にならって始めたと伝えられてきた。従三位・一条房
公式YouTubeよりすごくすごく楽しみにしていた、さくらサーカス🎪息子は初めてのサーカスですテントも小さめなのでボックス席になるとかなりの臨場感!!A席でも十分楽しめます動画や写真も自由に撮れます撮りたい、でも観たい!拍手したい!で大忙しでしたえーこわーすごーって私の語彙力全くなかったけど、すっごく楽しめました息子もキラキラ光る棒買って、一生懸命手を叩いて喜んでいました娘はポップコーン食べながら空中ブランコが一番カッコよかったって楽しんでいました私は団員の方と写真撮りたかっ
大阪夏の陣2戦目は、宮城大弥7勝目は今回もならなかった森友哉が戻らないと若月では相性悪いhttps://news.yahoo.co.jp/articles/2124f30d1f9ce15064149af6c870d1dd06809954宇田川が勝ち越しホームラン打たれたのはびっくりその裏チャンスhttps://news.yahoo.co.jp/articles/f937f94d772559776325fc2fbef8eced56e75ace最後はごめんなさい期待してなかった茶野
3年連続二桁勝利オリックス、8月快勝発進で2位ロッテと4差山本7回0封で12球団最速10勝目!(ベースボールキング)-Yahoo!ニュース○オリックス6-2楽天●<14回戦・京セラD大阪>首位・オリックスは8月快勝発進で3連勝。貯金は今季最多タイの「19」となり、日本ハムに敗れた2位・ロッテとのゲーム差を「4」に広news.yahoo.co.jpおとなりさんオリックス頓宮が10試合ぶりの12号ソロ特大弾は5階席へ先発・山本の「おとなりさん」が一発で援護(デ
月末の3連休…最終日の昨日は、彼とお出かけ〜和歌山で誕生したサーカスが、大阪へ来ているというので、見に行ってきました…さくらサーカス大阪夏の陣サーカスを見に行くのは、数年ぶり…彼も記憶にないぐらいの、期間ぶり…まだ誕生して3年の、新しいサーカス団、どんなパフォーマンスをしてくれるのか、ドキドキ・ワクワクしながら…周辺にたくさん出店されていたキッチンカーで、少しばかり腹ご
香水のイベントが豊富なデパートと言えば伊勢丹ですが、伊勢丹新宿店は毎年秋に行われる恒例かつ日本最大級のイベントであるサロンドパルファンの主会場ですし、京都の伊勢丹では以前から定期的にフレグランスイベントを行っています。では日本の第二の都市である大阪はどうかと言えば、避けて通れない事実として伊勢丹が撤退しその後はルクアイーレとなり、伊勢丹はフロアの一角に展開しており、しかもそこが伊勢丹エリアとはほぼ気づかない状況であります。そんな状況ではあったものの昨年は大阪でもサロンドパルファンが行
明智光秀は実は亡くなっていなくて天海=明智光秀説は知っている人も多いでしょう実は織田信長も豊臣秀吉も本人は初期に亡くなっていて活躍したのは影武者だった🤔徳川家康も大阪夏の陣で亡くなり身代わりを(家康双子の弟)連れてきたのは天海家康の名を借りて実際天下統一したのは明智光秀春日局は明智光秀の縁者家光の乳母とされるが家光の実母で家光は影武者家康の子本当の支配者は陰に隠れているものとするとこの話は真実味があります信長協奏曲やブレイブ群青戦
今回の大阪訪問の目的は、故郷の墓参り、故郷の人たちとの楽しい時間、そして2月に亡くなった兄宅の弔問でした。墓参り翌日の兄宅弔問は午後の予定だったので、午前中は大阪の街歩きに出かけました。早朝の西梅田、通勤者の姿はありません。壁抜け猫、角を回ると上半身がありました。大阪駅から環状線で玉造駅へ昨年10月は天王寺界隈を巡り、大阪夏の陣で真田幸村が奮戦し倒れた茶臼山を訪ねました。今回は大阪冬の陣で徳川勢を翻弄した真田丸を訪ねることにしました。玉造駅近くにある真田幸村ゆかりの三光神社は中風病
2日目の朝になりました。今回泊まりたかったシェラトン都ホテル大阪は満室なので、美味しいブレックファーストもなし😭ネットで調べたらホテル近くで朝早くからやっているカフェはコメダ珈琲のみ。夫は関西ならではの、純喫茶に行って見たかったようだけど、仕方ない💦親戚と会うのはランチなので午前中どうしよう?ということで、大阪城へ右に見えるのが、スタバ!公園の中のスタバはとても気持ちよさそう💕ボーっとするのにもってこい!でも、観光客はそんな暇はありません💦地図で確認しててくてく🚶♀️桜
JR鴫野駅SHIGINO🔴総合版(💯点満点)2024年3月現在①交通利便性9点②治安8点交番⭕️③買い物環境7点④飲食店6点⑤子育て環境6点⑥公共施設1点⑦観光スポット2点⑧家賃価格など7点⑨商店街・SC5点⑩防災1点消防署⭕️合計52点🔴一人暮らし男性版合計64点※一人暮らし男性版は交通利便性と飲食店重視🔴一人暮らし女性版合計66点※一人暮らし女性版は交通利便性と治安重
一心寺にある大阪夏の陣屏風絵(複製)から天王寺口あたり真ん中の鳥居が四天王寺の石鳥居その下、茶臼山にいてる赤備えが真田信繁(幸村)隊、鳥居の向こうが毛利勝永隊右手から攻める徳川勢は手前から松平忠直隊、先陣の本多忠朝隊、井伊直孝隊・・・そんな大阪夏の陣最大の激戦地跡茶臼山、今回はじめて登ってきました。
いけ、です本日は、以前行った真田幸村終焉の地である安居神社について書きます。近年、信繁という正式な名前で書かれることが多くなり(おそらく父の昌幸は武田信玄の弟の信繁にあやかって命名したのではないか)ましたが、ここでは広く知られた真田幸村の名前で書きます。大阪の地下鉄谷町線「四天王前夕陽ケ丘駅」を出て大通りを南下し天王寺公園の方へ右折してしばらく行くと入口が見えてきます。真田幸村戦死の地としっかり書いてますね。細い路地を抜けていくと境内に出ます。まず目に入ってくるのは真田幸村公の銅像と
1月30日月曜日、大阪市まで走りました近畿道長原ICを降りて『志紀長吉神社(しぎながよしじんじゃ)』へ行きました。意外と静かな感じの神社でした※HPを見つけましたので御由緒など詳しくは➡志紀長吉神社さんHP【手水舎】「六文銭」が刻まれています赤い六文銭の幟も何本も立てられていました。赤って気分が高揚しますね境内はこんな感じ【狛犬さん】【狛犬さん②】【御朱印】志紀長吉神社はここそしてこのあと八尾方面へと走りました今回はこんなところで
大阪城行ってきた①こういうのだいすきなのでじっくりみたいのです12月の大阪旅行記です翌週京都だったのであとまわしになっていたがこれも木蓮の記憶の記録なので記事かいておかねば木蓮のいとおかし日記大阪おでかけ日記旅行支援発売時とれずあとから大阪が発売になりやけくそで押さえていきました払った税金つかって返して貰わねば(笑)大阪城天守閣大阪城天守閣は、豊臣時代・徳川時代に続く3代目のもので、昭和6年(1931)市民の寄付金によって