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みなさま、こんばんは。ポスチャースタイリスト古谷維久子です。今日、奈良県御所市櫛羅にあるレストランに連れて行ってもらいました。まず、地名。『櫛羅』何と読むかわかりますか??くし・・・くしら??と思ったけど、正解は『くじら』幕末「旧高旧領取調帳」の記載によると、櫛羅藩という藩があったそう。そんな歴史ある場所に、ぽつんと素敵なレストラン大和四季旬菜とあるように、お料理には、こちらのお庭で取れたお野菜がふんだんに使われています。
○私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。つまり、最も大和三山を記録して書物が「万葉集」だと言うことになる。そういう肝心のことを多くの方は理解していない。◯そのことについて、これまで、当古代文化研究所は、何度も案内している。その中の一つを案内されば、次のようになる。・テーマ「大和三山」:ブログ『万葉集が記録する大和三山』◯香久山西側登山口には、舒明天皇の次の歌碑が存在した。天皇、香具山に登りて国を望み給ふ時の御製歌大和に
◯香具山の西麓から香具山に登り、山頂で国常立神社に拝した後、下りは北への道を下りて行った。もっとも、香具山は何とも小高い丘に過ぎない。50mほどしか上下しない。すぐに下ることができる。◯そう思って、下って行ったところ、案内標識に黄色い注意書きが貼ってあって、現在、登山道は工事中で、通行止めとあって、焦った。ここまで来て、今更、引き返すのも、大変である。◯それに、麓の天香山神社までは、もう2、30mほどしかない。見えているくらい近い。山の中を巻いて行けば、登山道を通らなくても行けるはずである。
◯香具山山頂に立ったのは、2022年12月19日の12時15分だった。近鉄の橿原神宮前駅を出立したのが8時35分だったから、ここまで、3時間40分を費やしていることが判る。まずまず順調な行程である。少し寒いくらいの気温が却って心地良かった。◯ブログ『香具山』から、少し話が逸れて、ブログ『大和三山とは何か』、『天降り付く天の香具山』、『邪馬台国の風景』、『邪馬台国は何処か』、『そらみつ・しきしまの・あきつしま』と、大和三山がどういう山であるか、あるいは、大和地名がどういうものであるかについて、言
地元のお不動さんが気になり、お参りに行ってきました☺️ここ2、3日、心優しい人たちに触れ、世の中捨てたもんじゃないな〜と思いつつ..何様なんだと自分にツッコミつつであります🤣ここからは降りてきた言葉を綴っています。↓↓三輪山を解放せねばならん。本来の力が出せておらぬ。皆、気付かぬのか。皆々集うて参るのは良いなれど、何を拝んでおる。我よしご都合主義さん多いなれど、何を思うておる。いま一度、考えてみなされ。問うてみなされ。我らの想いに触れたものから順に救うて参るのぞ。
3月になりました。忙しかったりしんどかったりで今月も1日に投稿できませんでした…。今月は畝傍山。大和三山の一つです。同じ橿原市にある本薬師寺跡からの眺めです。本(もと)とあるのは、現在奈良市にある薬師寺さんのもともとあったところだからです。当時の建物も低層だったでしょうから、藤原京の時代もこんな風に見えたのかなァ。などと妄想してしまいます。この画像のもとの写真は一昨日撮ったものですが、この日は底冷えのする寒さでした。今月も宜しくお願いいたします。
◯前回、ブログ『邪馬台国は何処か』を書いて、邪馬台国三山が存在するところが邪馬台国だと言う話をした。ちなみに、邪馬台国三山とは、次の山々を指す。うねびやま=霧島山(1700m)かぐやま=桜島山(1111m)みみなしやま=開聞岳(924m)◯この邪馬台国三山のレプリカが、奈良県橿原市に存在する大和三山だと言うことになる。畝傍山(199m)香具山(152m)耳成山(139m)◯前回のブログの最後に、こう書いた。・その邪馬台国には大きな山が三つ存在する。
こんばんは・・(^_-)-☆今日の奈良は目覚めるとー1℃と寒いが昼からは昨日より暖かうなりそうです。今の奈良はまた7℃と寒いです。マリア猫は、なぜか昨日から押し入れで寝ているようですね?だけど、私が布団から出ると布団の上で眠ります。腕の痛みで苦しんでいるので一緒に感じてほしいかったがそれは無理ですね。?・ただ注射の薬が効いる間はいいが、やっぱり昨夜から少し痛みが?・・薬で痛み止めしながら健康を守りますね。奈良まほろばソムリエ奈良通2級の1
◯畝傍山から香具山に辿り着いて、ブログ『香具山:西側登山口』から、『香具山』、『大和三山とは何か』、『天降り付く天の香具山』、『邪馬台国の風景』とあらぬ方向に向かっていると思われるかもしれない。しかし、もともと、邪馬台国三山の検証のために訪れたのが大和三山なのだから、この方向は、あながち、間違っているわけでも無い。◯ここまで来たら、どうしても『邪馬台国は何処か』と言う話に触れない訳にはいかない。多くの方々が、邪馬台国が畿内だとか、北九州だとか、佐賀吉野ケ里だとか、おっしゃって、枚挙にいとまがな
自分の目線より、少しでも地に近いところから撮るのが好きです😊どう見えているのか、ワクワクするんですよね🥰ここからは降りてきた言葉を綴っています↓↓何が本当で何が嘘か、わかりておるか。わからぬゆえ、いつまでも魔に使われておる。魔とは邪教ぞ。魔は思考を操るゆえ、正しき判断をさせまいとする。善悪の判断ができぬようにするのじゃ。いつまでも振り回されておってはならん。何が本当で何が嘘か、そなたの周りには正しきことをいう魔物はおぬか。善の仮面を被りた悪であるぞ。なかなか見抜け
畝火山口神社から、西の橿原運動公園の緑に向かって歩きだしてはみたものの、どうもそれは、天の香久山ではないような気がしてまたまた地元の人に尋ねることに。「あの、天の香久山に行きたいんですけど、こっちの方向でいいですか?」黒いビニール袋を持って、ちょっとご近所へ、といういでたちの三人目の地元の方は、「天の香久山は・・・その山の(と畝傍山を指さし)向こう側ですから・・・」と、我々一行に目を向け「近くまで案内しますから、ついてきてください。」というわけで、黒いビニ
2月21日(水)曇り後雨9時近鉄橿原神宮前駅に集ったのは、私たちと、川崎の友人夫妻と、橋本市からの友人で5名。この記事を書いている今!今になって、地図をにらみながら、深く反省しております。なぜ橿原神宮参道へ入らなかった!なぜ下山先をみんなで協議しなかった!なぜそこで磁石の方位,を確かめなかった!なぜ地図をちゃんと、ちゃんと、ちゃんと!山で下山道を一歩間違えると大変なことになるのは、重々承知の助。ただ、標高199mの低山で、大和平野の真ん中に
◯前回のブログ『天降り付く天の香具山』の最後に、こう書いた。・ただ、大和三山が二つもあっては、何とも紛らわしい。それで、当古代文化研究所では、本物の大和三山を、邪馬台国三山と呼び称している。もちろん、そこに邪馬台国が存在したと「三国志」が記録しているからである。次回は、そういう話をしたい。◯日本の三世紀の状況を、中国の正史「三国志」が1986字も記録している。日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」が八世紀のものであることを考えると、500年も古い。当然、「三国志
◯香具山に掛かる枕詞があるのをご存知だろうか。それが枕詞「天降り付く」になる。前回の最後に、こういうふうに書いた。・おまけに、香具山にだけ、「天の」と言う美称が冠せられる。それがどうしてか。大野晋の岩波古語辞典にしたところで、次のように説明しているに過ぎない。天降りつく[枕詞]香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。「天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば」(万葉二五七)・こんな説明では小学生だって納得しない。香具山には、
◯前回、ブログ『香具山』を書いて、大和三山の順序が、畝傍山・香具山・耳成山であることを案内した。それを国(文部科学省・文化庁)が、香具山・畝傍山・耳成山と並べていることが誤りであることを述べた。◯なぜなら、日本で、畝傍山以上の山は存在しないからである。日本で最も神聖な山が畝傍山なのである。そのことは、「古事記」や「日本書紀」を真面目に読めば判る。◯ただ、残念なことに、誰も真面目に「古事記」や「日本書紀」を読もうとしない。その証拠に、天孫降臨の世界山が何処であるかすら、規定でき
◯参考までに。畝傍山に付いては、次のブログを書いた。・テーマ「京都奈良大阪を歩く」:ブログ『畝傍山』◯ちなみに、橿原市のホームページが案内する香具山は、次の通り。香具山平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。標高152.4メートル。万葉集では「天香具山」(あまのかぐやま)と詠われて、山というよりは丘の印象が強い南から続く竜門山地の先端部分に連なる山です。山塊は、
◯2022年12月19日、朝8時30分に近鉄橿原神宮前駅を出立し、橿原神宮参詣後、畝傍山山頂に立ったのが9時30分ころだった。その後、山を下りて、神武天皇陵へと向かう。10時15分ころに、神武天皇の御陵に参拝を済ませている。◯畝傍御陵前駅を抜けて、国道169号線に出たところで、餃子の王将を見付け、10時30分と、少々、早いけれども、昼食を取った。それから先では、昼食が取れるところが無いと判断したからである。また、朝から歩き詰めで疲れても居た。◯その後、本薬師寺跡や飛鳥川、藤原京朱雀大路跡、藤
◯前回、ブログ『畝尾都多本神社』を書いて、すでに、散々、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』を難じている。それなのに、改めて、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』を書くとなると、気の毒と言うしかない。◯しかし、どう考えても、香具山の麓、畝尾都多本神社の隣に、ああいう建物を建てたこと自体がまずかった。現在、『奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室』が存在するところは、大和三山の玄関先なのである。そういうところに、あんな近代的な建物はふさわしくない。当古代文化研究所は、これまで、8回、大和三山に登ってい
◯畝傍山から香具山までは、およそ3kmくらいある。道は平坦だが、途中、道路が狭い部分があったりするので、歩くには注意が必要である。近鉄の『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』では、飛鳥川沿いに、東へ行くようになっているが、当古代文化研究所では、毎回、藤原京朱雀大路や藤原宮跡などを経由するルートを選んで歩いている。◯このルートでは、香具山の西麓に突き当たるようになっている。そこに奈良文化財研究所飛鳥資料館が建っている。毎回、ここを通るたびに、寂しい気にさせられる。こんな古代の文化財の只中に、こん
◯畝傍山から香具山に至る道は、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、3280mほどである。それなのに、これまで、ブログ『畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)』、『奈良県立橿原考古学研究所附属博物館』、『餃子の王将で昼食』、『本薬師寺跡』、『飛鳥川・新河原橋』、『藤原京朱雀大路跡』、『藤原の古りにし里の秋萩は』、『池田源太「大和三山」』と続けて来ていて、なかなか先に進まない。◯それだけ、ここには、文化があると言うことなのだろう。どうしても、避けて通れないもののみを書いて
◯池田源太著「大和三山」と言う本がある。学生社から昭和47年(1972年)に発刊された本で、「大和三山」を案内する本としては、今でも、最高の史料ではないか。随分前に、古書店で手に入れ、愛読している。◯その池田源太著「大和三山」のまえがきに、次の文章がある。そのうち、私は、橿原発掘を主宰していた末永雅雄さんの勧めで、橿原調査報告の、文献の部を担当することとなり、さらにまた、どうしてめぐり合わせか、橿原文庫に転出することとなった。そして、偶然にも、藤原京址に近い旧鴨公村別所の古
◯前に、ブログ『本薬師寺跡』で、次の万葉歌碑を見付けた。わすれ草わが紐に付く香具山の故りにし里を忘れむがため大伴旅人わすれ草を自分の紐につける。香具山のあたりのあの懐かしい故郷をひとときでもわすれるために。という意味です。◯『藤原京朱雀大路跡』の先、別所池の畔にも、次の万葉歌碑が存在した。◯旅人の、わすれ草わが紐に付く香具山の故りにし里を忘れむがためもなかなか良い和歌だが、この、藤原の古りにし里の秋萩は咲きて散りにき君
ブログに大和三山についてあれやこれやとまとめている最中の数日前。信濃毎日新聞社の投稿欄の係の方から連絡が!「大和三山」載るって、ほほ、やったぁ!ブログアップはきのう、そして今日2月19日付での投稿が今朝。いいタイミング!かどうか、きのう拙ブログを読んだ方は…。せっかくの記念?と思っていただいて「昨日の今日、またかよ」とウンザリかもしれませんが。恐縮です。500字ほどでまとめて2週間前に投稿したものです。よろしかったら今一度お付き合いのほどを。▼遠くから眺めてもっとも山容が
2月14日(水)☀4~5日前から、まだかまだかと枯草の上にしゃがみこみ、待ちきれないので、夫に水やりをお願いして、やっと出て来てくれたセツブンソウです。花咲か爺さん、すごい、すごい。たったの一輪そばの二本の梅の木は、満開です。二日後の16日(金)少し大人になった一輪目の左上に、うつむいたつぼみが見えますか?これは、もう少し成長したつぼみです。毎日春のように暖かいというのに、つぼみたちは、なかなか開きません。17日(土)
◯畝傍山から香具山へと向かう。途中に、本薬師寺跡を見て、更に東へ進むと、小さな橋に出会う。それが新河原橋で、流れる川の名は、飛鳥川だった。前回、その『飛鳥川・新河原橋』について書いた。◯『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』は、この『飛鳥川・新河原橋』から飛鳥川沿いに東へ行くが、当古代文化研究所は、そのまま、飛騨町の方へ真っ直ぐ北上する。これまで、7回、大和三山を訪れているが、基本、同じルートで歩いている。◯新河原橋から300mほど、北上すると、別所町へ行く道にぶつかる。それをそのまま突きっ
今冬、大和三山の一つ、畝傍山の頂を目指した。といっても200㍍足らずの山なのだが、昨夏は猛暑で麓にてダウン、しかも「まむし注意」の看板に怖気づいてすごすごと退散引きあげてきた。今回は登らねば。かつて飛鳥の里の甘樫丘から、奈良盆地に浮かぶように並ぶ天香具山・耳成山・畝傍山の大和三山を眺めた頃、登ってみようなどとは思わなかったのだが…。▼左端・畝傍山、中央・耳成山、右端・天香具山「衣干したり天香具山」の全景。山というより丘、高さは152㍍ほど。一昨年春、香具山の麓へ行
◯畝傍山から香具山へと向かう。途中に、本薬師寺跡を見て、更に東へ進むと、小さな橋に出会う。それが新河原橋で、流れる川の名は、飛鳥川である。川の流れも、それ程で無いし、それに清流でも無い。極めて、平凡な町中の川の流れである。◯しかし、これが有名な飛鳥川なのだと言う。ウィキペディアフリー百科事典にも、次のように載せる川である。飛鳥川飛鳥川(あすかがわ)は、奈良県中西部を流れる大和川水系の一級河川。奈良盆地西部を多く北流する大和川の支流の一つである。明日香川とも綴る。流域は古代より
◯2022年12月19日、国道169号線脇の餃子の王将で早目の昼食をいただいた後、いよいよ香具山へと向かう。『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、畝傍山の麓、神武天皇陵で4717m、香具山の登山口で7997mとある。◯したがって、畝傍山から香具山までは、歩いて、おおよそ、3280mあると言うことになる。道は平坦で、真っ直ぐ東へ向かっているので、のんびり歩く。道幅は狭いのだが、車が少ないので、それ程、心配は無い。◯『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』で、6050mのところに、本薬師
◯2022年12月19日は、橿原神宮前駅から橿原神宮へお参りした後、畝傍山へ登り、神武天皇御陵に参拝した。『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、橿原神宮前駅から橿原神宮までが931m、畝傍山山頂で2335mだった。◯その後、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』とは、少々、道が違うが、面倒なので、そのまま『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』の計測を利用して案内したい。大きくは違わないはずである。◯畝傍御陵前駅の地下道をくぐったところで、5525mとなっている。ここまで、一回も、ま
◯2022年12月19日は、橿原神宮前駅から橿原神宮へお参りした後、畝傍山へ登り、神武天皇御陵に参拝した。『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、橿原神宮前駅から橿原神宮までが931m、畝傍山山頂で2335mだった。◯その後、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』は畝傍山口神社へ降りるようになっているが、当古代文化研究所では、近道をして神武天皇御陵へと向かった。ただ、計算が面倒なので、案内は『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』の計測に従いたい。◯神武天皇御陵前の大きな県道を渡って東