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◯畝傍山から香具山までは、およそ3kmくらいある。道は平坦だが、途中、道路が狭い部分があったりするので、歩くには注意が必要である。近鉄の『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』では、飛鳥川沿いに、東へ行くようになっているが、当古代文化研究所では、毎回、藤原京朱雀大路や藤原宮跡などを経由するルートを選んで歩いている。◯このルートでは、香具山の西麓に突き当たるようになっている。そこに奈良文化財研究所飛鳥資料館が建っている。毎回、ここを通るたびに、寂しい気にさせられる。こんな古代の文化財の只中に、こん
◯畝傍山から香具山に至る道は、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、3280mほどである。それなのに、これまで、ブログ『畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)』、『奈良県立橿原考古学研究所附属博物館』、『餃子の王将で昼食』、『本薬師寺跡』、『飛鳥川・新河原橋』、『藤原京朱雀大路跡』、『藤原の古りにし里の秋萩は』、『池田源太「大和三山」』と続けて来ていて、なかなか先に進まない。◯それだけ、ここには、文化があると言うことなのだろう。どうしても、避けて通れないもののみを書いて
◯池田源太著「大和三山」と言う本がある。学生社から昭和47年(1972年)に発刊された本で、「大和三山」を案内する本としては、今でも、最高の史料ではないか。随分前に、古書店で手に入れ、愛読している。◯その池田源太著「大和三山」のまえがきに、次の文章がある。そのうち、私は、橿原発掘を主宰していた末永雅雄さんの勧めで、橿原調査報告の、文献の部を担当することとなり、さらにまた、どうしてめぐり合わせか、橿原文庫に転出することとなった。そして、偶然にも、藤原京址に近い旧鴨公村別所の古
◯前に、ブログ『本薬師寺跡』で、次の万葉歌碑を見付けた。わすれ草わが紐に付く香具山の故りにし里を忘れむがため大伴旅人わすれ草を自分の紐につける。香具山のあたりのあの懐かしい故郷をひとときでもわすれるために。という意味です。◯『藤原京朱雀大路跡』の先、別所池の畔にも、次の万葉歌碑が存在した。◯旅人の、わすれ草わが紐に付く香具山の故りにし里を忘れむがためもなかなか良い和歌だが、この、藤原の古りにし里の秋萩は咲きて散りにき君
ブログに大和三山についてあれやこれやとまとめている最中の数日前。信濃毎日新聞社の投稿欄の係の方から連絡が!「大和三山」載るって、ほほ、やったぁ!ブログアップはきのう、そして今日2月19日付での投稿が今朝。いいタイミング!かどうか、きのう拙ブログを読んだ方は…。せっかくの記念?と思っていただいて「昨日の今日、またかよ」とウンザリかもしれませんが。恐縮です。500字ほどでまとめて2週間前に投稿したものです。よろしかったら今一度お付き合いのほどを。▼遠くから眺めてもっとも山容が
2月14日(水)☀4~5日前から、まだかまだかと枯草の上にしゃがみこみ、待ちきれないので、夫に水やりをお願いして、やっと出て来てくれたセツブンソウです。花咲か爺さん、すごい、すごい。たったの一輪そばの二本の梅の木は、満開です。二日後の16日(金)少し大人になった一輪目の左上に、うつむいたつぼみが見えますか?これは、もう少し成長したつぼみです。毎日春のように暖かいというのに、つぼみたちは、なかなか開きません。17日(土)
◯畝傍山から香具山へと向かう。途中に、本薬師寺跡を見て、更に東へ進むと、小さな橋に出会う。それが新河原橋で、流れる川の名は、飛鳥川だった。前回、その『飛鳥川・新河原橋』について書いた。◯『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』は、この『飛鳥川・新河原橋』から飛鳥川沿いに東へ行くが、当古代文化研究所は、そのまま、飛騨町の方へ真っ直ぐ北上する。これまで、7回、大和三山を訪れているが、基本、同じルートで歩いている。◯新河原橋から300mほど、北上すると、別所町へ行く道にぶつかる。それをそのまま突きっ
今冬、大和三山の一つ、畝傍山の頂を目指した。といっても200㍍足らずの山なのだが、昨夏は猛暑で麓にてダウン、しかも「まむし注意」の看板に怖気づいてすごすごと退散引きあげてきた。今回は登らねば。かつて飛鳥の里の甘樫丘から、奈良盆地に浮かぶように並ぶ天香具山・耳成山・畝傍山の大和三山を眺めた頃、登ってみようなどとは思わなかったのだが…。▼左端・畝傍山、中央・耳成山、右端・天香具山「衣干したり天香具山」の全景。山というより丘、高さは152㍍ほど。一昨年春、香具山の麓へ行
◯畝傍山から香具山へと向かう。途中に、本薬師寺跡を見て、更に東へ進むと、小さな橋に出会う。それが新河原橋で、流れる川の名は、飛鳥川である。川の流れも、それ程で無いし、それに清流でも無い。極めて、平凡な町中の川の流れである。◯しかし、これが有名な飛鳥川なのだと言う。ウィキペディアフリー百科事典にも、次のように載せる川である。飛鳥川飛鳥川(あすかがわ)は、奈良県中西部を流れる大和川水系の一級河川。奈良盆地西部を多く北流する大和川の支流の一つである。明日香川とも綴る。流域は古代より
◯2022年12月19日、国道169号線脇の餃子の王将で早目の昼食をいただいた後、いよいよ香具山へと向かう。『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、畝傍山の麓、神武天皇陵で4717m、香具山の登山口で7997mとある。◯したがって、畝傍山から香具山までは、歩いて、おおよそ、3280mあると言うことになる。道は平坦で、真っ直ぐ東へ向かっているので、のんびり歩く。道幅は狭いのだが、車が少ないので、それ程、心配は無い。◯『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』で、6050mのところに、本薬師
◯2022年12月19日は、橿原神宮前駅から橿原神宮へお参りした後、畝傍山へ登り、神武天皇御陵に参拝した。『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、橿原神宮前駅から橿原神宮までが931m、畝傍山山頂で2335mだった。◯その後、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』とは、少々、道が違うが、面倒なので、そのまま『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』の計測を利用して案内したい。大きくは違わないはずである。◯畝傍御陵前駅の地下道をくぐったところで、5525mとなっている。ここまで、一回も、ま
◯2022年12月19日は、橿原神宮前駅から橿原神宮へお参りした後、畝傍山へ登り、神武天皇御陵に参拝した。『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に拠れば、橿原神宮前駅から橿原神宮までが931m、畝傍山山頂で2335mだった。◯その後、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』は畝傍山口神社へ降りるようになっているが、当古代文化研究所では、近道をして神武天皇御陵へと向かった。ただ、計算が面倒なので、案内は『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』の計測に従いたい。◯神武天皇御陵前の大きな県道を渡って東
◯畝傍山に登った後、次に向かったのが神武天皇陵である。正式には『畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)』と申し上げる。橿原神宮が畝傍山の南東に存在するのに対し、『畝傍山東北陵』は、その名の通り、畝傍山の東北に存在する。◯ただ、『畝傍山東北陵』が今日のように整備されたのは、近代以降のこととされる。江戸時代に、本居宣長がこの地を訪れたことは、「菅笠日記」に記録されている。それは明和9年(1772)3月5日から14日までのことになる。その時、『畝傍山東北陵』は確認されていない。◯ちな
◯2022年12月19日、奈良県橿原市の大和三山へ登って来た。橿原神宮前駅を起点として、まず、橿原神宮へお参りした。大和三山周回の中で、最も大きな社である。もちろん、御祭神は神武天皇である。◯その橿原神宮の裏手に聳えているのが畝傍山である。つまり、橿原神宮が鎮座ましますのは、畝傍山の麓と言うことになる。橿原神宮は、何とも立派な大社である。しかし、意外に、その創建は1890年と新しい。◯橿原神宮の北参道の途中に、畝傍山登山口が存在する。橿原神宮前駅から登山口まで、1680mだと『てくてくまっぷ
◯今回の旅行は、「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。2022年12月19日、今回の旅行のメインである大和三山走破のため、奈良県橿原市を訪れた。朝8時21分に、橿原神宮前駅に到着。いよいよ大和三山周回の始まりである。◯前回案内した、『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』も、橿原神宮前駅を起点としている。橿原神宮前駅から橿原神宮まで、参道が続いている。橿原神宮前駅は、まさに、橿原神宮参拝のために作られた駅の観がある。この日は、前日の雪がまだ残っていた。◯『てくてくまっぷ:大和三山回遊コース』に
◯第四回京都旅行は、2022年12月18日から21日に掛けて行った。題して「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。18日は、錦市場を見学したくらいしかできなかった。◯翌19日は、いよいよ、今回の旅行のメインである大和三山走破になる。朝6時に起きて、準備して、朝食は、ホテルの目の前にある、カフェ・ベローチェでサンドイッチとコーヒーを頂戴した。そのまま京都駅へ向かって、近鉄橿原線で、橿原神宮前駅を目指した。◯したがって、8時21分には、もう橿原神宮前駅に着いていた。今日は、一日掛けて、大和三山を走
友の見舞いで奈良•橿原に来ています。ホテルの9階から毎日眺めるあの山の名は❔右端の山です。『君の名は』じゃなく「山」笑笑二上山でしたここ「かしはら」は大和三山がある場所観光案内所で教えて貰い市役所分庁舎の屋上で見て来ました「春過ぎて夏来るらし白栲の衣ほしたり天の香久山」と詠んだ持統天皇の歌はあまりにも有名ですね千年を越えて詠い継がれる万葉の心を胸に•••今日は放射線科の先生の説明を仕事で来れない娘さんに代わりお聞きする日調べれば何でも出て来る情報に不安で眠れない夜
◯2022年12月18日、「大和三山・醍醐山参詣旅」へ出掛けて来た。今日は2024年2月6日であるから、もう一年と二ヶ月も昔の話になる。なかなかブログを書くのが追い付かない。毎日、二つもブログを書いていると言うのに。◯しかし、丁寧に書き続けるしか能が無い。継続は力なりを信じて。朝7時30分に家を出て、8時過ぎには宮崎空港に着いていた。飛行機はANA504便で、9時30分発、伊丹空港に10時40分到着の予定である。◯定刻に飛行機は離陸し、定刻に伊丹空港に到着した。ただ、その途中に、事件は起きた
◯前回、ブログ『貫之墓と芭蕉墓参詣旅を終えて』を書いて、ようやく、第三回京都旅行の話を終えることが出来た。今回から、2022年12月18日から21日までの、第四回京都旅行の話になる。題して「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。◯2022年12月18日に京都を訪れ、18日は京都の町中を散策し、19日には大和三山へ登り、20日は醍醐山に登り、21日には嵯峨野を歩いて来た。そのメインが大和三山を訪れることであり、上醍醐寺の醍醐山参詣にあったので、「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。○当古代文化研
1月7日午後から奈良県桜井市にある大神神社に初詣に行こうと家族3人と愛犬ぷうとココを連れて出掛けました。ところが駐車場に向かう道が大渋滞していてとうとう辿り着けなかったんです😱諦めて…橿原市にある耳成山に向かいました😅耳成山です!登山口には鳥居がありました。え〜登るの〜❓そんなつもりは無かったのでスニーカーではなかったし…ぷうとココも登れんやろ?💦と私ところが…登る気満々のぷうとココ❣️トコトコと歩く姿が可愛いです〜💓💓💓ぷうココに引っ張られながら、登
香久山地域では8つの集落でとんどがあります。1月14日に、7つのとんどが燃え上がりました18時点火の集落が4つ。南山、木之本、下八釣、沖ノ岡です。今年は南山のとんどを見に行ったので、他の集落に関してはやぐらを紹介します。木之本のやぐらはこちら。とんどの1週間前にやぐらを組み立てます。大和三山を見渡せる開放感いっぱいの場所です。やぐらの右奥は耳成山。これはやぐらを組み立てた日の午後に撮影したものです。木之本では、細い竹をたくさん使っています。18時点火とんどの様子
奈良桜井にある大神神社から大和三山を望む手前の木々でちょっと分かりづらいな今年も良い年になりますように一年のはじめにパワーをいただきました
○2024年新年を迎えて、元旦に、ブログ『日本人最初の言葉』を書き、二日は『天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が見た風景』、三日は『神武天皇の霧島山高千穂峰』、四日の昨日は『ひらききのみみなしやま』と続けている。○12月31日までは、テーマ「寧波・杭州・蘇州・台北旅」を書き続けていた。それが31日のブログ『杭州公交28路』で、中断されたままになっている。今日、正月五日に、ブログ『天降り付く天の香具山の風景』を書いて、新年の特集を終えたい。○つい、先日まで、朝日新聞やNHKが『吉野ケ里フィーバー幕開
○今日2024年正月4日は、所用で鹿児島に出掛けて来た。朝10時から午後3時くらいまで、時間が空いたので、それを利用して、枚聞神社へ初詣に出掛けることとした。○薩摩国一宮が枚聞神社である。ある意味、鹿児島で最も由緒正しい神社だとも言えよう。その歴史は古い。あまりに古過ぎて、その御祭神も御神体も、その名の由来さえ、見失っている。それが枚聞神社である。○まず、普通の人には、枚聞神社と言う名が読めない。枚聞神社と書いて、「ひらきき神社」と訓む。何とも珍しい名である。何故、そうなのか。まず、理解でき
○今日は2024年正月三日である。新年を祈念して、元日にブログ『日本人最初の言葉』を書き、続けて、昨日はブログ『天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が見た風景』を書いた。天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が天孫降臨の世界山、霧島山高千穂峰に降臨なさった時、高千穂峰山頂で、最初に発せられた詔が次の言葉である。此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此処は甚吉き地。○もちろん、これが『日本人最初の言葉』だと言うことになる。この『日本人最初の言葉』が、高千穂峰山頂
こんばんは由希絵です年末皆様いかがお過ごしでしょうか。私もようやく長いお休みに入り、友達と忘年会したり、部屋の模様替えや掃除をしたりと久しぶりにゆったりと過ごすことができています。実は12月の第2週の週末に奈良へ旅行に行ってきました様々な神社やお寺を巡る、いわゆるパワースポット旅に行ってまいりましたちょうど飛鳥時代・白鳳時代・奈良時代の人物のブログ記事を書かせていただいていて、今回の旅行でちょうどとりあげた人物にゆかりのある場所を巡ってきましたので、タイムリーかと思い、これから数
○2023年12月18日に、ブログ『吉野ケ里フィーバー幕開け』を書いて、その後、『朝日新聞『吉野ケ里フィーバー幕開け』記事を読んで』、『朝日新聞『吉野ケ里フィーバー』記事顛末記』、『朝日新聞『吉野ケ里フィーバー』記事顛末記蛇足』と続けている。○もともと、2023年11月27日付、朝日新聞記事「吉野ケ里フィーバー幕開け」自体が、何とも詰まらない記事である。ブログに書くに堪えない内容だと思うが、黙認はいけない。それでブログ『吉野ケ里フィーバー幕開け』を書いた。○ブログに書けば書いたで、あ
○先日、ブログ『吉野ケ里フィーバー幕開け』を書き、朝日新聞『吉野ケ里フィーバー』記事を難じた。それでも、十分ではない気がして、ブログ『朝日新聞『吉野ケ里フィーバー幕開け』記事を読んで』を書いた。○ただ、吉野ケ里遺跡が邪馬台国であり得ないことを説明しないことには、納得していただけないと思い、併せて、ブログ『朝日新聞『吉野ケ里フィーバー』記事顛末記』を書いた。これで十分だと言う気がするが、邪馬台国の風景だとか、邪馬台国三山を案内しても、「万葉集」に詳しく無い方には、理解できないのではないか。そ
三週間とあかずに奈良を歩く。三輪駅下車、大神神社参拝し、大和三山を眺めて、檜原神社へ清められた境内はとても気持ちが良い。持参のお弁当をいただき、有り難い時間。景行天皇陵をお参りし、大和神社へ。初めての参拝させていただいた。10kmを越えているしここでもう充分と思いきや、石上神宮へ参拝せねばと内なる何かが騒めく。16時を過ぎてようやく石上神宮到着。朝から17km超え、足がクタクタ。いつかは歩いてみたいと思っていた大神神社から山辺の道を石上神宮へ。達成できた!有り難いこ
最近仕事で緊急対応案件が続いて、水曜は更新できませんでした。また、最近ついに落合莞爾氏の歴史観に手を出し始めて、若干日本の歴史観が揺らいでしまい、筆が進まない状況です。落合先生はちょっと史観が独特ですね。そして超細かいことも書き込まれているのと、文章のスタイルが独特で読みづらいのと(笑)。でも、どちらも非常に面白いです。年末年始はテレビではなく、是非読書をお勧めします!SNSの短文ばかり扱っていると、頭悪くなりますよ!wwwまだ読みかけですが、空海の出自についても深掘りして