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カレーライス人から、「好きな食べ物は何ですか?」と聞かれて直ぐに出る言葉が「カレーライス」である。しかし、嗜好品として好きだと言えるのかは疑わしいところだ。毎日、カレーライスだったらうんざりするし「程々にしてくれ!」と訴えたくなる。ではなぜ、カレーライスなのか。それは私にとって一種の精神的なエネルギーをもたらす食べ物だと言っても過言ではないような気がするのだ。落ち込んでいるとき、迷いの淵に立たされたとき、カレーライスは私に勇気と力を与えてくれるのである。母が失踪してから
一条の光-魂なる母へ-文読めば母の温情に咽び春風吹かば光陰の無情に波す独りしずかに顧みれば暗黒なる大海に一条の光を観ん己れを観らば己れを知り己れを知らば人の痛みを知る生在るは難しいま在るは有り難し不可思議な縁ここに在るは幸いなり己れは監獄の因果なる旅路に在りて囚われたるも未だ旅は終わらじ己心の確執極みに在りても未だ旅は終わらじ暗中に在る母なる灯明この身に愛しく我が汚れた心を清めん己心の恐怖に屈さず知り得た
酒は毒じゃけん!私の父は、暇さえあれば終日酒を飲んでいたように思う。飲むだけならば良いのだが、飲んでは私たち家族に暴力を加えた。母への暴力が最も酷かったのであるが、私と2歳年上の姉に対しても情け容赦のない暴力を加えていたのである。人間というものは、自分にとって本当に酷い出来事は忘れるように出来ているのであろうか。この思い出を書き上げようと思い起こしていると、私が何歳の時だったのか思い出せずにいたのに気付いた。多分7歳か8歳、小学校2年生か、3年生当時だと思うのであるが
僕はバカだから春、この季節が私は好きだ。しかし、この季節になると嫌でも思い出すことがある。それは私が小学校へ入学した頃の話しだ。本来ならば、入学というのは楽しいものであろうはずだが、私には少しも楽しくはなかった。幼稚園さえも行かせてもらえず、友だちさえも全くいなかった。そして何よりも、簡単な計算もできず自分の名前さえも書けなかった私は、学校に行く自体が苦痛であった。ある日の休み時間のことである。同級生たちは外で遊び回っているにも関わらず、私は相変わらず教室内で独り、何をす
7月の風7月の風が叫んでる。故郷に帰れと叫んでる。気まぐれな風は急に立ち止まっては去り僕を置いて行くけど僕の本当の心は遠い故郷に忘れて来たよ。獄につながれひざを抱えて涙を流して7月の風が初めて僕に、優しく教えてくれた故郷に戻れ幼い日のこころに戻れと教えと教えてくれた。生まれたままの姿で戻れば素足のままで戻れば故郷に忘れ時の流れに忘れたあの日のこころを取り戻されるでしょうか。泣いたよあの日空に母さんの面影を抱きつつ
刃物が怖い恥ずかしながら、私は刃物恐怖症である。特に、柳刃や刺身包丁となると目の前に置かれるだけで恐怖心を覚えてしまう。日本料理店などで板前がお祭り気分で踊りながら、魚を捌いているのを見ると、まるで喧嘩を売られているようで、そんな場所に近づくのも回避している。私がそもそも、刃物恐怖症に陥ったのは時代は果てしなく遡り、3歳か4歳当時であった。私は生まれつき虚弱体質で、それに加え食事さえも十分に与えられなかった。端的にいうならば、子どもに与える食料さえも買えなかったと言った方
汚れた壁の中から初夏の風に乗せて僕の想いを遠いあなたの胸のなかに贈ります。自己葛藤と確執に汚れたこの僕のあなたへの想いは果てしなく遠くなってしまったあなたの胸に届くでしょうか。あの朝僕の両手に冷たい金属音を聞いたあの朝僕のあなたへの想いが真実であったことを確信しました。空を見上げた僕の遥か向こうの空で涙に濡れたあなたの顔がほんの一瞬ほんの一瞬ですがはっきり見えたのです。あれから僕は悲しみの深い奈落の底へと突き落とされて行き
母ちゃんのことここでは、私が更生、回心に至るに至った証に重要な、母ちゃんについて語らせて頂きます。私が、母ちゃんと最初に出会ったのは、拘置所という懸絶社会だでした。当時の私は、自分の犯した犯罪で、それを唆した兄貴分(保険金殺人で無期懲役)を殺したい。とずっと思っていました。実際、チャカ(拳銃)を懐に追い回したこともあるほど憎んでいたのです。私が逮捕拘禁され兄貴分に復讐できず、拘置所に収監されている当時、色々な問題と自己葛藤に闘っている最中でした。そんな中、ある機関紙で母
出会った魂の母へ重い扉の小部屋のなかで虚脱感に襲われた私は巡りいくときの流れのなかで何を見ていたのでしょうか。雨音がコンクリートを叩く数よりも自分の手の平に落ちた涙の数の方が多く私は何も見てはいなかったのです。過去も現在も将来も全て何も見てはいなかったのです。そんな時不思議に出会った魂の母行くたびにの便りを交えるなかであなたは私に優しく厳しい愛を教えて下さいました。そこに私は一条の光を見たのです。今はまだ私の行く道は
野猿は危険です。大分県別府市に猿で有名な「高崎山」という観光地が在る。その高崎山に、中学校3年生の修学旅行で行った時の話である。その前夜、宿泊施設となった旅館で私は、当時交際していた彼女に渡すべく、名前入りのキーホルダーを買った。帰りのフェリーの船上で、ロマンティックにも彼女に手渡そうと思っていたのである。このばかタレは、そんな貴重な商品を無造作に制服のポケットに押し込んだまま、高崎山に登る時にはすでに忘れていた。「グループから離れて暮らしている孤独なお猿さんが
2023年5月手元に届いた1通の封書。送り主の名前さえも知らない人からの知らせ。封を開けると、そこには50数年間所在が不明であった産みの母親の名前が目に飛び込んで参りました。今年、2023年の2月に死去したという知らせの文書。私が幼い頃に突然失踪し、行方不明になっていた実の母親が逝去したということであり、私はその知らせ自体を信じることが出来ませんでしたし、受け入れること自体が到底無理でした。それから数日後、、、今度は、40数年もの間、音信不通であった2歳年上の姉が数年前に逝去してい
(建築家・内藤廣氏企画設計による、渋谷駅前再開発進行中の一部)脳は進化してきた。それは「進化」してきたので、その作用の中に「時間」を含んでいる。時間が脳の働きの1部になっている。脳が時間なしに働くことができないのに対し、霊は時間なしで働く。ーーそれは、神が人間の内にいること、そして脳が完全に静まっていて時間に囚われていない時にのみ、神が働くことができるということを意味している。脳は進化すると、なぜ時間を必要とし、さらには時間を根底にして生きようとするようになるのだろう
こんにちは🌞MANAです👐昨日はハートバグセラピーに行ってきました!!!やはり皆さん好転反応がかなりでてるみたいで私だけではなかった😳今までの自分本当に手放す?新しいステージに本当にいくの?と潜在意識が揺さぶりをかけ過去手放したはずの感情がたくさんでてきてる模様です私もたくさんの気づきがありそれを固定化させるために意識的にクセつけようとしていますがまあー揺れる揺れるwでも大事なことはいかに潜在意識の揺さぶりに負けないこと!好転反応に流され前の自分に戻ってはも
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫約束された世界平和の到来は、なぜこんなにも遅れているのでしょうか?ある司祭から、約束された世界平和の到来は、なぜこんなにも遅くなっているのか、という質問を受けた私は、聖なる御母から次のような答えを受け取りました「世界平和の時代が遅れているわけではありません天の御父は、悔い改めて神のもとに帰って来ることができるように、人々に時間をお与えになりたいのです神の存在を否定している人を含
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫「皆のためではありません!」イエスさまはこう言われました「わたしの司祭たち、わたしの愛する使徒たちよ、熱意をもってこの世に真理を告げ、悔い改めなければ、人々を待ち受けているのは破滅だけであるということを、すべての人に告げなさいけれども回心と償いによって、人々は奇跡を体験することができるでしょうわたしはわたしの恵みを世に注ぎ、汚れなき御母を通して約束された平和を当てるでしょう」
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫人を回心させるためにはどうすればいいのでしょうか?イエスさまはある司祭にメッセージを送られましたその司祭は熱心さのあまり、なんとしてでも魂を回心させたいと望み、たとえ力づくでも回心させたいと願っていましたイエスさまは私にこう言われました「X神父は、力づくで何かをしようとしてはなりませんまた、宣教活動の成功するかどうかも、わたしにゆだねなければなりませんもし彼がわたし
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫「あなたの祈りを受け入れます」私が司祭と教会のために祈っていると、聖母が突然話し掛けて来られました「愛する娘よ、あなたの祈りは十分に届いています私は教会をその束縛から解放し、滅びに向かう司祭たちの魂を救うために、急いでやって来ました私の汚れなきみ心があなたたちの祈りと犠牲を祝福し、そうして回心した魂たちは、私の御子の恵みを受け入れました」そして私は聖母から、私の償いの業に
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫「奇跡はありません」しばらくしてから、イエスさまは私にこう言われました「わたしの司祭たちは、奇跡を要求することができないということを知らなければなりません!今はパンを増やす時ではありません罪人たちを奇跡的に回心させる時ですその(回心の)奇跡が起これば救われ、起こらなければ苦しむことになるでしょう!彼らはわたしの司祭たちと同じようにわたしに遅く気づき、同じようにわたし
(今回は教会の行き帰りのスナップです)先日、ミサの最中に着ていたポロシャツの裏表が逆さまなのに気が付きました。どうも襟がおかしいと思っていたのに、家から教会まで自転車で走ってきているせいか、一向に気付かなかったのです。わたしは冬の長袖を着る際にはさすがに裏表を間違えて着るということはないのですが、半袖シャツ1~2枚の夏場に、たまにこういうポカをやります。目が悪いので、コンタクトを入れる前に着てしまうと、気が付かないままになってしまうのです。その少し前にも、1番電車に乗ろうと武蔵中原駅ま
黒いものと聞いて思い浮かぶのは何?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう9月6日で黒ですか。ほぉ左様ですか、そうですか。雨がガッツリ降ると言ったのにいっちょん降らん。ただ蒸し暑いだけ。それでワタクシ、凶暴な気分になっています。過日指摘したとおり、キリスト教とヤクザには共通点がある。今日はその辺、示します。1、親分があるヤクザはむろんキリスト教も縦社会。親があってこそ子がある。ヤクザの親は親分で、クリスチャンならそれはキリスト=イエスに他ならない
「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。(中略)五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれ
キリストの「神の純真潔白」の道(DI51)TheWayofChrist’sDivineInnocence,Spring2023©copyrightPatriciadeMenezes.2023(Mica試訳)1999年1月24日パトリシャ:わたしは、自然法について述べられている以下のような箇所を、『OurSundayVisitor’sEncyclopediaofCatholicDoctrine(アワ・サンデー・ビジターのカトリック教義辞典)』[訳注:
アウグスチヌスと聖書ーアウグスチヌスの回心今日は、ラテン教父と呼ばれ、キリスト教の歴史の中で甚大な影響を及ぼしてきたアウグスチヌスが、どのようにしてイエス・キリストを信じたか、その魂の軌跡について、彼が397年から400年にかけて書いた『告白』(confessiones,全十三巻)を通して、見ていきたいと思います。この書には、神への悔い改めと神への賛美があふれています。「アウグスチヌスのプロフィール」アウグスチヌスは、354年、父パトリキヌスと母モニカの子供として、北ア
どうも。七月十四日人(ぱりさいびと)です。毎年この日に自分の名前の説明をしております。ところでこの日、竈門炭治郎くんの誕生日ですね!?パクリと言われたらどうしましょう…いえいえ彼は大正時代の人物…著作権法はまだないですよね♪パリ、7月14日。7月14日はフランス革命の始まりの日(バスチーユ襲撃)です。美しきオスカル様の命日です。オスカル様パリでは軍事パレード・花火・セーヌ川クルーズなど、パリの街が記念行事で華やかに彩られます。しかし今年は全土で
5datosquetalveznosabíasdelanuevaVenerableSorLucíadeFátimaConmotivodeladecisióndelPapaFranciscodedeclararvenerableaSorLucíadosSantos(1907-2005),compartimos7datosquetalveznoconocíasdeestavidentedeFátimaque
(Sr.マリー・マルト・シャンボンへの聖母マリアさまのメッセージ)「私はあなた方の母であり、あなた方に強く勧めますー私の御子の御傷から汲み出しなさいこの御傷に身を置いて、彼の御血をすべて吸収しなさいけれども、それは決してできないでしょうあなた方は、罪人の回心のために私の御子の御傷を用いなければなりません」にほんブログ村
(神秘家マリー・ジュリー・ジャヘニーへのイエスさまからのメッセージ)1924年6月17日「あなたが十字架像の御足に口づけするたびに、わたしはあなたに1000人の罪人を与えます(※つまり1000人の罪人を回心させる)これは多くの愛に対して与えた応えですわたしを苦しめるこの渇き、あなたはそれを鎮めることができますわたしが贖い、救った1000人の罪人、悪の影響下にある1000人の魂の回心をわたしに求めなさいわたしはわたしの愛を魂に注ぎます
(聖ジェンマ・神の愛の小さな犠牲者)ジェンマはイエスの小さな愛の犠牲者となり、すべてをイエスのご意志に委ねました彼女は、愛は犠牲によって示すことができる、ということをイエスからよく学び、その知識によって苦しみへの渇きを深めましたそしてジェンマは愛の犠牲者として相応しい存在となったのです!イエスの御傷はジェンマの人生の宝となり、避難所となりましたそして5つの貴重な宝石のように彼女を飾りましたイエスの御傷と一体となって、ジェンマはその中に自分の
(神のはしためエドヴィージュ・カルボニへの聖母マリアさまからのメッセージ)「私の娘よ共産主義者の回心のために、あらゆる困難、拒絶、軽蔑、苦しみを受けることを約束してください」神のはしためエドヴィージュ・カルボニ(1880-1952)にほんブログ村
祈ることが嫌いだということは、神様が嫌いだということと同じこと、全く同じこと、完全に同じことです。私たちの多くは、実は神様がそれほど好きではない。意地悪を言うようですが、そのことを素直に認めなければならないと思います。だからといって、そんな自分を「駄目だ、駄目だ」と虐めたところで神様が好きになる訳ではありません。どうしたらよいか。どうしたらよいかを神様が気付かせて下さるように、沢山祈って下さい。知識が助けになることもあります。しかし、あなたにとって助けになる知識が、言葉が、何処にあるか、どの本に