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桜が満開になったらしいのでノリタケの森から護国神社まで歩きました。スタートの則武イオンはこいのぼりが泳いでいました(^^♪外堀の桜中日新聞本社前の桜裁判所前の桜護国神社の桜名古屋城交差点の桜名古屋城前の歩道橋からの桜歩道橋から名古屋城を見る(^^♪能楽堂&加藤清正&名古屋城
天海(135)「朝鮮蔚山表、後巻の仕合わせ、今度様子聞き届け候の処、御目付衆言上の通り、相届かざる儀と存じ候間、新儀御代官所、前々の如く返し付け候、并、豊後府内の城も早川主馬に返し付け候様に申付け候、然る上は彼表において其方越度にあらざるの段、歴然候間、その意を得らるべく候、恐々謹言閏三月十九日利長・輝元・景勝・秀家・家康の署名蜂須賀阿波守殿黒田甲斐守殿」(「閏三月十九日付蜂須賀家政・黒田長政宛五大老書状」)「閏三月十九日、豊臣氏ノ年寄衆、蜂須賀一茂
天海(134)「訴訟は見直す、治部は蟄居させると言っているのだが、全く、聞く耳を持たないのだ。訴訟者の中には与右衛門(高虎)もいて清正らを説得させているのだが、手に負えないそうだ。オレのおひざ元ともいうべき伏見で騒乱が起きたとなると、さすがに面目が立たない。」と家康は困った顔で言う。「主張が聞き入れられなければ、内府であろうと捨置かん、と息巻いているようですな。」と正信は楽しそうに話すのだ。「オレが困っているのに、お前は嬉しそうだな。」と家康が言うと、「もうお答
旅の最終日です。温泉に浸かってシャキッと♨️してから、しっかり朝ごはんをいただきました。タジン鍋で作った出来たての湯葉が特に美味しかったです。お宿を後にして、最後の目的地へ向かいます。本当は【鍋ヶ滝】へ行きたかったのですが、工事中で入ることができないので、【熊本城】へ行くことにしました。それにしても、昨日からすごい雨☔️が続いています。熊本市に入るまで、予想よりだいぶん時間がかかってしまいました( ̄▽ ̄;)ついに、熊本城の近くまで到着。ここも混んでますね〜。やっと第三駐車場に車を停
天海(133)「石田治少卩入道去四日に大坂ヨリ伏見へ被行也、云々、今日も騒動了」(「言経卿記」閏三月七日条)「治部少輔を女の乗物にのせ、佐竹と同道して浮田居られ候備前嶋へ参り談合あり。内府へ此事を申入れ、何とそ無事に仕るべき由にて伏見へ赴く。秀家より家老をそへ佐竹同道あり。伏見にて治部少輔屋敷は御本丸の次、一段高き所なり」(「慶長見聞書」)大坂では、利家の死を受けて加藤清正、浅野幸長、福島正則、黒田長政ら七将が、清正邸に集合し、善後策を話し合っていた。これを
桜が咲いている季節に空中回廊から熊本城を観ておきたくて行ってきました。翌日は世界遺産になった天草の﨑津教会を観に行きました。平成28年の熊本地震のあと一部が公開になって行きましたが、それ以来。開城前に着いたので、まずは駐車場から撮影。開城するまで時間があるので加藤神社へ向かいます。熊本城の復興は2052年頃までかかるそうです。ここもいずれは復興するのでしょうけど、震災当時のままなのが痛々しいです。加藤神社に着き
加藤清正は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、熊本城の築城主としても知られています。彼の一生は、勇猛果敢な戦いぶりと、九州地方の平定に貢献した功績で色濃く記されています。清正は、豊臣秀吉の下での朝鮮出兵にも参加し、その武勇により多くの領地を授かりました。彼の生涯は、戦国の世を生き抜いた武将の典型として、後世に多大な影響を与えました。加藤清正の戒名です。「淨池院殿永運日乗大居士」院殿号「淨池院殿」の「淨」は清らかで、穢れのない状態を意味します。これは加藤清正の名前の
天海(132)「是ヨリ先、石田三成、大隅帖佐ノ島津義弘ノ子薩摩鹿児島ノ同忠恒ノ、老臣伊集院幸侃(忠棟)ヲ誅スルヲ責ム、是日、島津氏ノ老臣、三成ニ陳辨ス、尋デ、所司代前田玄以等、忠恒ヲ山城高尾山ヨリ、伏見ニ迎ヘ歸ル。」(「史料綜覧」)三成は忠棟誅殺に激怒し、義弘を呼び出した。義弘は、伏見の出来事であり、詳細について不明である、調査して後日報告すると告げたが、三成は納得しなかった。例によって、頭ごなしに義弘を𠮟りつけたのである。「このようなことをしでかして、島津家が
熊本城城彩苑鬼盛いちごソフト600円お安いと思った甘ったるくないほんのり酸味のいちごクリーム大満足この人も持ってるこの人加藤清正他にもあった
熱心な日蓮宗信者であった加藤清正公と池上本門寺は縁が深く、池上本門寺には加藤家にまつわるものが多くあります。再建中の清正行堂の姿が見えてきたので、加藤家にまつわるものをいくつか取り上げ取り上げてみました。池上本門寺大堂再建中の清正行堂この三重塔は加藤清正生誕460年、此経難持坂建設400年の報恩事業として再建されている清正行堂。囲いも取れ建物全体が見えてきました。完成は秋ごろのようです。石段(此経難持坂)この石段は、加藤清正(15
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2024/3/8(金)田崎橋→健軍町熊本市電A系統の始発駅、田崎橋田崎橋は熊本駅前の電停から2駅JR熊本駅から歩いて10分ほど熊本市電はA系統とB系統の2系統A系統は田崎橋から、B系統は上熊本から、いずれも健軍町に向かう熊本駅前の電停JR熊本駅からすぐ辛島町でA系統とB系統が合流するこのあたりから繁華街熊本城・市役所前熊本城の近くを走りますなお写真に写っているのは天守ではなく櫓の1つ熊本城周囲
あずみ2DeathorLove2005年3月12日公開刺客として戦い続けなければならない宿命を背負った少女剣士の生き様を描く時代活劇の続篇。あらすじ浅野長政、加藤清正の暗殺に成功した徳川軍の刺客・あずみとながらは、半蔵の部下として家康の側近・天海に仕える伊賀忍者衆のくノ一・こずえと共に、残る標的・真田昌幸を討つべく、彼が幽閉蟄居されている九度山に向けて旅を続けていた。だがその途中、あずみはかつて使命の為に自ら手にかけた初恋の相手・なちと瓜二つの野盗青年・銀角と出会う。彼の姿になちを重
おはようございますはるなです今回の熊本旅はビジネスホテルではありますが、事実上、ホテルステイになってしまいましたもう眠くて眠くてひたすらベッドの上でぐうたらしていたい観光なんて無理温泉入って食っちゃ寝してたいな、気分で、もう本能に従いましたそれでも熊本城だけは行ってきましたよ。ご城印と御朱印集めをしているので春バージョン加藤神社で御朱印もいただいてきました加藤清正さん、大好きな武将の1人です
天海(125)遠山邸での宴が終わると、康政は番替で江戸に戻っていった。年の瀬も押し迫った慶長3年(1598年)12月29日、義弘・忠恒父子が伏見城に登城した。西ノ丸の家康は、二人を手放しで歓迎したのである。「泗川での合戦、実に見事であった。前代未聞の大勝利であったと聞く。是非お話を聞かせてもらいたい。」と満面の笑みで言うのだ。謙遜する義弘を尻目に、忠恒は口角泡を飛ばして、武勇伝を話し始めたのだ。義弘が窘めるものの、話が面白いので、満座の者どもは大喜びである。
名称:丸岡城城郭:連郭式平山城築城年:鎌倉時代?築城主:武藤氏?主要城主:武藤氏、上杉氏、最上氏所在地:鶴岡市丸岡字町ノ内68指定文化財:県指定史跡水堀石敷道路馬出大手門御書院御袋様館御蔵長屋井戸水路御風呂屋案内図加藤清正墓碑
トラのことばかり考えていると「トラ脳」になるのではと本氣で思っているトラ子です先日、やっと都合が合った友人とランチへすみれ色のメロンソーダ色はすみれ色で飲むとメロンソーダビストロプレート女子が好む、多種類ちょこっとずつデザートはミニマロンシャンテリー楽しいランチでしたお祝いに、、、とプレゼントを頂きとてもhappyな気持ちにありがとうございます良かったネbyブラン相変わらずイケトラです実はこのランチの時もトラの話を聞いてもらってました今日は少し時間ができたので
名古屋駅のコインロッカーに大きい荷物を預け愛知の魅力発見ツアーに参加しました。ガイド付のバスに乗って先ずは名古屋城に行きました。この正門は馬車が通れる様に明治43年に皇居の蓮池御門が移築されたそうです。徳川家康が豊臣家を牽制するために建てた名古屋城、第二次世界大戦で焼けてしまった1945年に再築されたそうです。昭和実測図があったため外側は本物通りに再現できたが、現市長は中も鉄筋ではなく再現したいが文化庁が「石垣は当時のままだから壊さない様に調査する事」と言ってきていて、エレベーターをつける
「瓢箪ばかりが浮くものか~私の心も浮いてきた~♪」どーかいどーかーい、これは熊本の「ボシタ祭り」で。もう、かなり長く続いているらしく、加藤清正、の何ちゃら、同じ九州でも知らなかった、なぜならば放送できないから、らしい。「滅ぼした」・・・首を持ち帰った時の、滅ぼしたからの、ぼした「ぼぼした」(Hした)ぼぼしてぼぼして・・・説、浮かれたことは解ります。どちらにせよ。でも、なぜに放送できないかというと、馬を興奮させるんです。茶のカテキン?とか与えて、馬の瞳孔がギ
公式ハッシュタグ令和6年3月21日骨董品ランキング3位なにしろ火薬の燃焼温度は6000度にも達する。膨大な回数の射撃が行なわれれば,いかに鉄で作られた銃身でも激しく劣化するのは当然である。トンネルのある暗いライフル射撃場での実験令和2年5月実験(以上の写真は若旦那提供(インスタID)takenoko.no.yama)しかも銃身末端に位置する火薬が燃焼する薬室部分は,銃身内部ばかりでなく,火皿から逆噴射される火薬ガスにより銃身外側にもダメージが加えられる。このため薬室部
('ω')ねぇねぇ今日は秀吉さまのお誕生日なのよ誕生日?主ちゃんの時代は生まれた日にお祝いするんだってななんか特別なことするわけ?('ω')贈り物をしたいんだけど思いつかなくて秀吉さまの欲しいもの知らない?秀吉なら、主ちゃんから贈られたら何でも喜ぶと思うぜそうそう肩たたき券とかな(笑)肩たたき券ね_φ(・ω・๑)ナルナルうわー本気で鵜呑みにした…秀吉…今年一番同情した(>д<)、;'.・ィクシッなんだろ?くしゃみが出る誰か噂してるのかな?
3/10(日)萩原堤(はぎわらづつみ)から球磨川を遡り人吉に向かう。球磨川の北側の道路を走り、加藤清正が造ったという遥拝の堰を通り過ぎて、西都大橋を渡り、国道219号線に出る。それからはまだ護岸工事個所があって、ゴーストップの信号機が連続して設置されている。そうこうしながら道の駅坂本・さかもと復興商店街にて一時停車。球磨川の川原に下りてみる。穏やかに川が流れているけれど、どうしても球磨川豪雨水害を思い出してしまう。この付近は浸水してしまったのだ。道の駅は閉鎖したままだし、対岸
天海(116)慶長3年(1598年)10月1日、家康、利家らの内命を受けて徳永寿昌、宮木豊盛が釜山に到着した。この日はちょうど泗川新城で義弘が中路軍を破った日であった。8日に、二人は泗川に赴き義弘と面会、さらに順天、蔚山と訪問した。二人は朝鮮在城の諸将に「明国軍が撤退すれば、釜山に集結し帰国するように。」という五大老の命令を伝えたのである。蔚山城の清正は麻貴の指揮する東路軍を寄せ付けず、慶州に退けていた。朝鮮での戦いに無意味さを感じていた清正は、撤退命令に素直に従い、1
・良い天気でしたね。kurimarometalの生活の中心・優先事項は趣味・お稽古事なので、余った時間で各種の手続きや家のDIY作業・投資活動等をしてFIRE生活を楽しんでいます。・さて中部・関西観光として最初に名古屋城編です。家を8時頃に出発して、10時前に駅近くの駐車場に到着。駐車場所を探しましたが、近隣で一番安い所なので満車状態。少し待ってたら、駐車しているトラックに乗り込む人がいたので「車動きますか?」と問いかける。返事は「すいません。まだ動かないです。」・仕方ないと諦
加藤清正が築城した難攻不落の熊本城。その石垣は絶対に登れない武者返し🏯その名を頂く肥後の銘菓のひとつがこれ!『武者がえし』パイ生地で上品なこし餡包んだ逸品は陣太鼓よりも甘さ控えめです。お菓子もそうですが「カッコいい」と言う言葉を熊本弁では「武者んよか」と申します。武士の様に颯爽としているからかも!武者がえし食べて武者んよか人になりまっしょ。JunJism
使うところはその器に従う清正の人材選定術秀吉が朝鮮に出兵していた軍を引き上げる際、清正は庄司という家臣に軍の引き上げを命じ、庄司はそのまま引き上げに成功します。その時、清正は1人の家臣の様子がおかしいことに気づき声をかけますと、軍を撤退させるという大事な役目を自分が指名されなかったことに落ち込んでいました。しかし、それを聞いた清正は笑いながらこう言いました。お前達はどちらも大切な我が家臣。使うところはその器に従う。これを聞いた
今日は朝から晴れの1日となった。晴れたが風が強い日に…雨が降った次の日の晴れは花粉が凄いが風で更に厳しくなったな😣東村山で志村けんの銅像を見た後、近くにあった地図を見ると…地図には⛩や卍のマークがいくつかあるので行ってみる事に…こちらは地図の真ん中にあった猿田彦神社。かなり小さい神社だな。これは社務所?普通の民家のように見えるが…🤔猿田彦神社は全国に2000社余りあり、その総本宮は三重県の鈴鹿市にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)で猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)がまつられてい
日光戦場ヶ原の神と神との争いは、渡来系と、大和グループとの争いでもあったと書いてきました。そして、その争いは赤と白の色で分けられ、赤城山と、二荒山に大黒様が祀られている事から、同じグループを含んでいると思われ、その白のグループを助けたのは、同じ渡来系の鉄のグループだったのではと想像したのです。「想像した」とは、資料として残っていないからですが、沢山の共通性が見られる伝説や、風習、地域に見られる特色に、現在、残っている資料を重ねてみると、一つのストーリーに乗っかっているのです。そう感じたの
2024年--------------------------------------------加藤清正、、、やっぱりかっこいいです。2023年--------------------------------------------大切な部下を思う、加藤清正。カッコイイですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)2,826〜3,410円
「誕生日に熊本城おもてなし武将隊会いに行こう!…モノチカと悩んだけど〜(っω<。)クゥ!な旅」【其の壱】でござりまする❀.*・゚前回から2ヶ月しか経ってないけど誕生日に熊本城おもてなし武将隊に会いたい!:(,,ŏŏ,,):ガマンデキナイ…モノチカもあるけど(・ὢ・)いや!一度は誕生日に熊本城おもてなし武将隊に会いに行きたい(っ;ω;)っと言うことで会ってきました(^O^)熊本城おもてなし武将隊の皆様に(⑉˙ᗜ˙⑉)今回も私のブログなので(*´ω`*)ゞエヘッ