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数ある欲の中で、最後まで残る欲が『食欲』ではないでしょうか60を過ぎ、先も見えてくると他人を対象とする欲は見事に無くなってきます。名誉欲、出世欲、金銭欲などなどなど・・・・どうでもいいことでしたね。ただ一人自分が正しく生きること。これだけですね。でも、残念ながら『食欲』はどうにも無くならん・・・・食欲から思うことは欲って際限がないんだろうなぁってこと。腹八分とか、どうやっておさめるんだろう。強い意志で少欲知足で行かなきゃなぁ。南無阿弥陀仏
こんにちは。マインドフルネス実践中Norikoです。マインドフルネスを学ぶ方法は3つあります。(あくまで私が調べた範囲ですが)1本本屋さんに行くと(またはネットで)「マインドフルネス」関連の書籍がたくさんあります。私は10年ほど前に本を購入したのですが、たまたま興味をそそられる内容でなかったため失敗?しましたが良い本に出逢えれば本だけで実践できます。2対面で習うマインドフルネスはヨガとセットで行うことが多いので、受講者さんはバリバリの資格保
…承前もしかしたら、ヒトと言うモノが何かの間違いでと言うより、場当たり的な環境選択・適応的な進化で出て来た、致命的な欠陥が有るのじゃないかととも思うが、もしそうだとしても、如何しようもない。「プロポーズ、あの日に帰って断りたい」と思っても、勿論出来ない(笑い)その内、現代文明の延長線上で思いもかけない進化が有って、仏教で言う八正道的に賢くなる「可能性」は否定しないが(笑い)…生命が誕生したのは数十億年前らしいが、ややまともな生命が出現したのは5~6億年前で、それから全生物の
約束の時間は必ず守る。当たり前の話。でも、現代ではその考えは古いのかもね。遅れそうだったらその場から連絡できるからね。少しずつ時間の約束の観念は薄れてきてるのでしょう。でも、それが当たり前じゃないんよ。たとえ何があろうと遅れたらダメです。なにかあっても間に合う余裕の時間的行動が必要です。便利な時代だから時間に甘くなるんでしょう。そんなもん社会では通用せんから・・・・そもそも約束が守れない奴はなにをやらしてもダメでしょうよ。仕事の中身とかなら能力の問題などあり
今回は、「“偽我”を取り去る」方法についてのお話です。まず、「感情のチェック」と、そこから導き出される「欲求」についてです。と言っても、この場合は、“自我(あるいは偽我)”による欲求です。なぜ自分の感情をチェックするのかというと、その原因が、自我だからなんです。ここでいう感情とは心の表面の波立ちのことです。怒りや悲しみ、喜びのことですね。何かしらの欲求を自我が持っていて、その欲求を満たそうと常に(自我が)思っているんです。で、何らかのキッカ
一般的に買付が先です4区画販売の建売現場があります。その間取りなどをあ〜でもない、こ〜でもないと購入を検討されてる方から何度も相談があります。「形だけでいいので買付を!」と売主業者さんから話があります。そうなんです。買付が先なんです。買付提出後から各種相談となります。いくら相談をしてたとしても、他から買付が入ればOUTなんです。買付とは、売主、買主だけに効果があるものではないんですね。むしろ第三者に効果ありなんです。依頼してるものを提出せずにあ〜でもない
いつもありがとうございます(^^)/5人の父親として感じる事は子育ての大変さと、子育てのやりがい責任かなと思います他の子供をみて感じる事を自分の子供にも置き換えていつも指導したり、勉強させられます子供をみれば親がわかるという言葉もある通り、子育ては責任重大だなと改めて思いますその中でも大事にしている事は仏教でも学んでいる5つの心ですまずは「素直な心」「感謝の心」「謙虚な心」「奉仕の心」「明るい心」この5つです勿論僕の好きな八正道もとても大切な教えですが、こういった仏様
娘がカネで失敗したようです。恥ずかしながらわしには相談がありませんでした(義父を頼ったようです)幼少期より娘はわしが怖かったらしいです。今のわしなら相談もできたのでしょうが・・・・この失敗も若気の至りとカネを軽く扱う、大事にしていないことが原因でしょう。若いときには往々にして起こりうることではないでしょうか。情けない反面、教育の至らなさを感じています。まっ、わし自体がカネは所詮道具と軽く見てた時期がありますから。世の仕組みを教えていないことが原因でしょう。わ
魂の解放を目指す音声心理士.音声心理士の視点から書いております。そしてアタマの整理箱の活用法をお伝えするマンダラチャート認定講師、萩野麻美です。マンダラ思考をベースに実際に体験したことを、思考に照らし合わせて書いております。人生を豊かに生きるためには条件があります。その条件とは8つの実践行動「八正道」です八正道とは正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定この8個の言葉を差します。
身を整えてもらいに行ってきました。もみほぐしからのリンパマッサージ。このところ加齢からか足がパンパンに浮腫んでた。かなりの重症みたいなので家でも気をつけることにします。仏教では三業といって身業(身体的行動)口業(言語行動)意業(精神的行動)があり、それぞれに三性に分けられる。三性は善業(善い行い)悪業(悪い行い)無記業(善でも悪でもない行い)普段から口と、意は意識していますが意外に身はほったらかしのわしです。時には身にも気を使ってってことでした。若
その費用誰の負担この負担者が誰って重要なんです。誰が負担するかで依頼業者を誰が選定するのかどこまで工事をするのかなど決まってきます。家主負担なのか借主負担なのかもちろんある程度、契約書に記載されてるんですが時には未記載の箇所もあります。そんな場合は双方誠意を持って話し合う。ってことです。誰もが費用は負担したくないものです。でも、誰も負担しないでは解決しません。わしは、粛々と判断します。同じ費用箇所であっても使用者責任ってこともありますからね。
多くの不動産屋では契約書ができたら『取りに来てください』そして、署名・捺印が終われば『持ってきてください』これが一般的な不動産屋のやり方です。わしは、違う。契約書は届ける。契約書は受け取り(回収)に行く。不動産屋は『待ち』の仕事といわれるけどわしは『待たない』届けるし、取りにもいく。自分のペースで動けることも要素として大きい。が、お客さんも客付業者も届けてくれれば楽だろう。回収に来てくれたら楽だろう。もし、相手任せにしてたり郵送でやり取りしてたら
普段からお世話になってる総務の方へセブンイレブンでチョコレートを大量に2ヶ月に一度の割合で差し入れです。ちょっとした気持ちですが大事だと思うんです。これがあるからとかないとかで仕事の質が変わるものでもないんですがほんの気持ちの気遣いです。結構、誰に、どこにでもやってる気がする。わし的にはお布施の一環でしょう。布施は六波羅蜜の一つ。布施には三施と言って三つあります。財施ー財物を施す法施ー法を説く無畏施ーおそれを取り除く今回の布施は財施になります。
2024年3月3日リサ・レニー:「リンカンシャー・アクエリアン・ブルー・ドラゴン」「エイブラハム・リンカーンは、イギリスのリンカンシャー郡のリンカンシャー・ウォルズ内にあるみずがめ座に関連するブルー・ソーラー・ドラゴン複合体に彼の同名者が関係していることを明らかにしている。冥王星が水瓶座に配置されているため、これは宇宙の父である水瓶座の太陽ドラゴンからのいくつかの爆発的で強力なアクションを触媒しているようです。太陽ドラゴンは、このメインブルー内からアクセスできる創設者
【師のブログより】自分の考えや意見が絶対に正しいと思い込み自我にとらわれ、人を疑いの心を見て、勝手に決めつけて、自分では覚者だと思い込み慢心になった時、自身の心の魔物が生まれていくのだと思います。自身の考えや自己にとらわれしまい、涅槃寂静の境地から離れてしまいます。諸法無我を良く知ることは、大切なことなのかもしれません。涅槃寂静→煩悩が吹き消されて、苦の存在しない悟りの平安な境地のこと。諸法無我→すべてのものは因縁によって生じたもの。だからこそ、元々自分という自己が存在しないこと。諸
伝えるって難しいなぁ・・・・普段なんでもないことならそう難しくもないけど悩んでる人へ伝えることは非常に難しい。わしは基本スパッといくんじゃけど悩んでる時には受け入れる(聞き入れる)ことが難しいこともある。そこでわしは、相談の翌日文字で伝えることにしてみた。これだと、受け入れられなかった言葉も冷静な気持ちで読み取れるようだ。そして、問題の本質も分析できる。『因縁生起』問題には必ず原因(因)がありその原因に間接的に関わる条件(縁)がある。そして結果(果)が生
なんと投稿し忘れていたと思っていたら、投稿日時を3月2日にせず、3月1日にしていた模様ですどんだけ、狂っているの私の頭はって、ことで夜に再投稿いたしますおはようございます土曜日の朝です今日も笑顔で始めましょう仏陀の言葉です釈尊は八正道の一支で正しく語ることを正語(sammā-vācā)として正しく相手に意思を伝えることと言葉に関わる四つの悪を離れることを説かれました。その四つとは、
数十年住んでいただいてはいたもののボロボロになった部屋。家主さんにとっては苦労が絶えませんそんなお部屋を弊社の提携先『東陽ハウジング』さんのお力を借り綺麗にしていただきました2部屋あった和室は1部屋洋間に変更しました。キッチンを入替、ずいぶん明るくなりました。本日、家主さんご夫妻に確認いただき満足いただけたようでした。家主さんの一つの『苦』を解消できたものと思います。ここからは早急な客付。綺麗に仕上がりましたから属性の高い、
坊さんと不動産屋不動産屋はあくまで修行と考えております。日々家主様、入居者様の苦に耳を傾け苦を和らげるべく行動してます。今日は、管理物件にお住まいの方から『苦』のご報告。宅配ボックスが空なのに施錠されて使用できない(これ以前にも同じことがございましたね)早速、「非常解錠用キー」を持参して解錠してきました。荷物を取り出した時に、扉を開けたままロックボタンを押すと暗証番号がリセットされるのですが・・・・(ロックと書かずリセットって書けばわかりやすいのにね)
企業であれ個人であれ方針が無いとどこに辿り着くかわからなくなる。目標はあってもそこに到着する道順これが方針。別事業部の責任者さんと話をしました。どうやら目標はあるけどその目標に到達するための手法(方針)が不透明とのこと。目標に向かって日々活動してるようだけどやり方は特に決められていない。そのためせっかく進めてた話がやり方が企業として決まっていないからその都度の判断で没になることもあるらしい・・・・『早急に方針を決めてもらったら‼️』目標達成にはいくつか
【師のブログより】お釈迦様は最初の説法で「四諦」を説いたと伝えられる。「諦」はあきらめではなく、真理、真実のこと。苦諦、集諦、滅諦、道諦が四諦である。人生は苦であり、四苦八苦は自分の思い通りにならない。これが苦諦である。お釈迦様は最初の説法で「四諦」を説いたと伝えられる。「諦」はあきらめではなく、真理、真実のこと。苦をもたらす原因は人間の欲望であり、欲望にとらわれるのは、この世に存在するものが無常であることを知らないからこそ、永久に変わらないものなど何もないのに、ずっと続くものだと思
いくら会社が儲かっていようと立派な企業理念を作成しようとその会社のトップ(人)が善くないとどこかで躓くことでしょう。会社の中で、偉そうにしてても、いい事を言ってても外で他人を傷つけたりしたらいけん。個としての自分がきちんとした考え方、生き方ができないとせっかく積み上げてきたものも水泡に帰す。ワシは常にそう考えてます。まずは個である自分自身の身を修めることです。もちろん会社もやりながらではあります。まず自分自身、そして同僚たちへと広めていくこと。企業の理念も結局
どの仕事も大事だとは思いますがあなたが優先すべき仕事ってものがあると思います。人は誰しも人生で優先すべきことがあるはずです。それは時に応じて仕事であったり、家庭であったり、子供であったり、親であったり・・・・その優先すべきことは変化もします。今は○○だけど数年後には△△であったりまた、日々の中でも急な要件であったりします。ある程度の柔軟さも必要でしょう。しかし、自分自身が優先すべきことがなんであるか知っておかないとダメでしょう。ピントハズレな人生を過ごしてし
なんかいい加減な仕事が目につきます。(自社他社ともに)責任感が欠如してるんかなぁ。そして働き方改革の悪影響なのかやたらと一つ一つに時間がかかりすぎてると思う。(社宅稟議に10日以上なんてありえんわ)関わる人数が増える(客付・契約法人・弊社)とそれぞれの休みなどで仕事が停滞する・・・・それはわかるんだけどサッサとやろうや(そんなに大した内容でもないのにメール・FAX一本送るぐらいのこと)これうちの会社の別事業部でもそうなんよ。社会全体にスピード感が無くなったってこと
仏教の基礎:四諦の概念四諦(したい)は、仏教が説く4つの基本的な真理であり、苦諦、集諦、滅諦、道諦を指します。これらは、苦しみの真実、苦しみの原因、苦しみの終わり、そして苦しみを終わらせる道を示しています。苦諦:苦しみの存在苦諦は、この世が苦であるという真実を説きます。生老病死の苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦など、人生における苦しみの根本を示します。集諦:苦しみの原因集諦は、苦の原因が煩悩や愛執にあると教えます。これらの煩悩は、欲望を求め続ける心のけがれであり、苦
『平等って難しい』と昨日のブログで書きました。その答えが私の師の本にありました。相対的なものより絶対的なものを大切にする。常識よりも「自分軸」で判断する。そして嫌いな人から学ぶことはない。「合わない」と思う人、苦手な人から遠ざかる」それでいいんですね。生きとし生けるものに優しくなるためには自分が善き状態である必要があるとワシは思います。そのためにも善い状態を目指し、保つ必要があります。と、いってもこちらから攻撃する必要もない。決めつける必要も評価する必要もないんで
世の中3連休。ワシも3連休。でも、いつも通りの時間適用で生きてます。阿弥陀仏は無量寿、無量光の仏だそうです。生きとし生けるものにすべて平等に・・・・煩悩具足のワシでは無理だなぁ。嫌いな人や嫌な人、すべてに分け隔てなく平等に慈悲なんてでも、それじゃぁいけんのんよね。どうしたらいいのかな。距離感や付き合う思いを最大限低くしてふ〜ん・・・・ってぐらいの感じかな。あとは自分自身が相手を評価しないことかな。少なくとも『善き人』ではないぐらい・・・・『善き人』か否かぐらい
慈悲が大事だとわかってるんですが・・・・どうしてもえぇ加減な人たちに慈悲心が湧きません。ボロックソ思ってしまう自分がいます。そこで、冷静に考えてみました。私はボロックソに思っていますが相手はな〜んにも思っていないと・・・・くだらん考えはやめた方がいいですね。そもそも、慈悲の心は誰にでもってことが大切。人を見て慈悲心を出したり引っ込めたりするものじゃない。わかってはいるんです。でも、誰にもってまだできていない。所詮、凡愚ですね。本当の慈悲心って大きな考え方(
メールを送りっぱなしにしてはいけません。文明の世ですから確かに便利ではあります。しかしそれは使い方が正しい場合です。使い方が悪いと文明の力も役に立ちません。特にメール相手に依頼する内容であれば尚のこと。お願いをメール送り放しって良くないです。礼儀がなっとらんってことですね。こんなことがえぇ歳したおっさんがわからないんですから・・・・情けない世です。これは、誰であれ相手を敬う気持ちがあればわかること。その気持ちがないからこうなる。要するに身勝手ってことですね。
諦めるという言葉は、昔は、明らかに観る、という意味だったのが、断念するという意味に真逆に変わってしまった意味の考察を以前に書いた。『諦めるの意味が変わってしまった理由』諦めるという言葉は、本来は明らかに観る🟰正見(八正道の一番はじめ)、という意味だから、物事をありのままに、正しく観る否定と肯定を超えた言葉であり、これを日常使…ameblo.jp諦める、という言葉はこの12年でいくどとなく想念が浮かぶ言葉であり、因果応報を知らずに、物事を短絡的な勢いだけで始めてしまい、その無