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おかげさまで金王八幡神社さまにて、ご縁があった全ての方の幸せをお祈りさせていただきました✨大江戸芸人トンチンカンのチン
こんにちは!椿誠司です。本日は、渋谷で仕事があり、小雨の中、渋谷氷川神社へ。一之鳥居と二之鳥居をくぐり、拝殿でご参拝続いて、拝殿右横の八幡神社と秋葉神社でご参拝最後に、厳島神社と稲荷神社でご参拝をしました2か月ぶりにご参拝できたので、日頃の感謝の気持ちをお伝えしました読んでいただき、ありがとうございます。このブログがいいな!と思ったら、「更新情報はコチラから受け取れます」感想やメッセージ
友人との御朱印巡り。まず三軒茶屋から一駅の西太子堂から徒歩数分の太子堂八幡神社にお詣りしました。住宅地の中にありますが午前中の清々しい静寂の中ゆっくりとお詣りできました。神楽殿には兜が松の背景にぴったりの雰囲気で飾ってありました。素晴らしく良いお天気でした。幸福のうさぎさんチャムとブーブーも元気でした。御朱印は書置きで素敵な月替わりの御朱印と毎月29日のふくの日の御朱印そして4月
今日は兼務社のご奉仕です。日之出町稲荷神社の春祭同境内社秋葉神社の秋葉祭東亜町八幡神社の春祭東亜町八幡神社の春祭祈願前野町八幡神社境内社国蔵神社例祭那加地区総社の手力雄神社では4月10日祭として那加地区一斉にお祭りが行われておりました。10日は学校も役場もお休みという時代でしたが、人口の増加とともに学校が新しく分かれた際に子供の参加協力が得られないことから4月29日に変更となりました。その名残から4月1週目から那加地区では各校区、町内神社で春祭が行われています。
コロナ5類移行で開催されるようになった地域の行事、午前中は上中屋自治会総会でご挨拶の機会をいただきました。国民文化祭などの県主催行事やアクアトトの紹介、木曽川かわまちづくりなどのお話をしました。午後からは、小佐野町神明神社と那加八幡神社の例大祭に参列、4月は那加地区のお祭りが続きます。八幡神社では餅まき行事も行われ、雨が降っていたにもかかわらず多くの方々が参加していたので、役員の皆さんのご尽力に頭が下がります。
2024年-令和6年4月21日スタート最寄り駅は板宿(いたやど)駅、本日のマップ、板宿八幡神社、VIVATOWN、長田神社、神戸電鉄・湊川駅、湊川神社、ゴールのメトロこうべへ、メトロこうべ中央広場metro+、約9kmで120分、参加者は476名でした。
2024年4月21日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。今回は三宮と八幡宮と天満宮などの祠官(神職)であった鎌田和泉正について翻刻します。----------------------------------------鎌田和泉正居町裏、三宮・市幸・葉山三社〈見前〉、稲荷〈在辻〉祠官、且守妙見社、受寄三宮社田一石四斗、世系不詳、正徳頃三宮
2024年4月13日(土)写真が多いので前編と後編に分けてUPします朝8時45分出発先ずは近所の桜(笹原川あさかの千本桜🌸)を南インター線~R4~R115~無料道(霊山ー相馬)~R115~K34相馬涼ヶ岡八幡神社散策して🅿に戻ったら写真撮影中のHD乗りメンズから『バイクの写真を撮っても良いですか?」と声掛けられました望遠レンズを装着したデジイチを持ち運ぶために選んだというHDだけあって積載量は抜群そのデジイチ📷で撮って頂いたのがコチラ桜吹雪を見事に捉えた奥行きのあ
キラキラ散歩大好きな友達が案内してくれた場所珍しく八幡神社の境内に横穴式石室がありこの辺りには7世紀後半の古墳がたくさんあるそう先祖となる方達のエネルギーが今も宿る優しく美しい光に感謝自分が子供に返ったように親が子を思うように愛されている確信私もありったけの感謝を捧げる「ありがとう」
【亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)】(長崎県佐世保市)@art.mochida.daisuke亀山八幡宮は長崎県佐世保市の中心部に鎮座し「八幡神社」や「八幡様」の通称で知られる市内でも最大規模の境内を持つ神社で、市内唯一の別表神社です。40代天武天皇(てんむてんのう)の時代(白鳳4年)に、神託により「西海鎮護」のために宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の八幡神を勧請したのが始まりとされ、主神は15代応神天皇(おうじんてんのう/八幡神)で、14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じん
今日は朝から晴れの1日となった。天気はいいが風が強い日に…朝は歩いていて体が押されるほど風が強かったな😵🍃🍃桜第3弾は地元の八幡神社の桜を…八幡神社はジムから直線上にあるので4月7日の日曜日にジムの帰りに撮った。去年も撮ったと思うが満開の桜と狛犬を…今年も満開の時に撮れてよかった☺️片方だけでは可哀想なのでもう一体も…こっち側は桜がないのが残念😅狛犬の後ろ側に回って先程は背後にあった桜を…この桜の木は大きくて立派だな☺️八幡神社には枝垂れ桜もある。こちらもほぼ満開の時に撮れたな☺️
その日は朝からドキドキしていたんです。あ、すみません。最初に自己紹介をしますね。私は秋山翠華といいます。14歳、中学2年生です。その日の夜は町内にある八幡社の例祭・・・夏祭りがあったんです。屋台がずらっと出るし、舞台でカラオケ大会もやる盛大なものです。子どもの頃からいつもうらやましいと思っていました。というのは、私の父は同じ町内にある、そことは別の稲荷神社にお使えする神職だったからです。でも、神社の規模としてはずっと小さく、うちの神社では、秋の例祭はやりますが、氏子さんだけで、人出
前々回の続きです。JR赤羽駅まで戻った私は、ふと思いついて西口へ。線路沿いを少し北上して赤羽八幡神社へ向かった。ここは6年前の赤羽散歩の際に見つけた神社で、当時のブログにも、関ジャニ∞と鉄オタさん達の聖地として有名なことは書いた。が、今はどうやらそこにエレカシファンも加わったようだ。御朱印に∞マークか象さんのスタンプを、希望者には押してくれるとの張り紙があったので(6年前にはなかったと思う)お願いした。御朱印は月替わりで、こちらは4月版。右下に可愛いがおられる。
つつじの季節になると毎年のように足を運んでいる隣市西条高知八幡神社に行ってきました境内周辺に咲くツツジは終盤を迎えた木もありましたが見頃の木も多くあり楽しめました(昨日)
考察九州には、宇佐神宮(宇佐八幡宮)があります❗元々、【宇佐】の漢字は【宇狭】と充てていましたが、佐賀県に勧請したことで【宇佐】としました❗と言うことになっています❗元宮は、徳島県(阿波国)の山と川の関係から名付けられたものです❗それは、北宇井と宇井との南北に走る峰尾がせり出て狭くなっている所に神社を創建したので、本当の名前は【宇狭】と言う事で「宇」と「宇」が狭いと言う事を形容したのです❗その川の名前を【宇井川】と言います❗では、佐賀県の宇佐神宮(宇佐八幡宮)のことに触れます❗向
2024年4月19日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。三宮・八幡宮と見ましたが、同じく神宮寺が別当だった天満宮について見てみたいと思います。また、三宮・八幡宮・天満宮と同じ場所にあった稲荷・妙見についても検証します。----------------------------------------天満宮在右同所、上梁文云、奉葺替天神宮大
牛坂八幡神社の春祭り、お天気のうちに終了いたしました。御参拝いただいた皆様、ありがとうございます。春祭りが終わるのを待っていたかのよう雨が降り、桜もすっかり花が落ちてしまいましたので、ライトアップも終了となりました。そしてタイトル通り、次はハナミズキのライトアップを行います。ハナミズキは神社の向かって右側、桜の横にあります。今回もまた、総代さんがセッティングしてくれました。桜とはまた一味違う華やかさがあるハナミズキ。夜9時までライトアップしています。
家を建てて間もなく土とブロックを買って自分で作った花壇が勝手口にあります。好きで集めていたスミレでしたが隣りの敷地にたくさん種が運ばれて咲き何だか申し訳ないので処分しました。その中の一粒が残っていたのでしょう。つややかな葉をしてとても元気に咲きました。たくましい花です。隣りでミヤコワスレも蕾をつけていました。こちらも元気そうです。春頃からずっと止むことなく小さな不安感に襲われていてこのままなのだろうかと憂鬱だったのですが・・・
はじめましての麻布台ヒルズランチは”チーズハンバーグ”を。@らいむらいと濃厚チーズソースが美味しかったです☺展望フロアからは東京タワー、レインボーブリッジが。いい眺めです。東京初出店のカフェ%ARABICA”抹茶ラテ”を。ガーデンが居心地よかったです☺麻布台ヒルズ近くの八幡神社ヘ御朱印はなく、参拝だけしました。いろいろ楽しめるスポットでした。
こんにちは。少し前になりますが、横浜のJR山手駅から、根岸~磯子と歩いてきました。カフェ・ドルフィンを後にして、再び散歩開始。アップダウンの激しい根岸…。鳥居が見えてきます。根岸八幡神社です。開創から1400年といわれる古社。榊で飾り付けた神輿が町を練り歩く「榊祭り」は、元禄年間から300年以上続いているそうです。境内の大イチョウは、神木として敬われています。そしてそこからさらに歩いていくと・・・・。「旧柳下邸」に差し掛かります。「根岸なつかし公園」内にあります
2024年4月18日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。----------------------------------------八幡宮在右同所、宮方一間、當社亦為泉田氏之鎮守、上棟文曰奉再興八幡宮大檀那小林甚左衛門信則・其子内匠助清則慶長廿年乙卯應鐘吉日〈泉田氏去泉田邑、後小林氏居當邑、以当社為鎮守乎〉、奉再興八幡宮大檀那勝胤公明暦元
あたしの住んでるトコでも防災無線放送が流れてたから屋外に逃げる気満々だったけど、体感的には震度1程度でした(^_^;)んでテレビをつけると→現場から状況を伝えてる途中なのに突然外野の東京スタジオに切り替わり、その途中で突然広島スタジオに切り替わり、その途中で突然記者会見会場に切り替わり、そのあと電話で話してるヤツは何言ってんのか分かんないし…地震発生時には毎度のコトだけど、もうグダグダでイライラwwあんなニュース見続けてる人、おそらく日本には誰もいませんでは、青春18きっぷによる駅訪問ブロ
4月11日は父の命日だったのに忙しかったとはいえ姉も忘れてて翌日気づいた。なので今日お供え物など積み込んで出かけた。7時前。ごめんよ。お墓参り。掃除もした。姉に会ったあとずっと気になってた母の実家へ向かった。ふたりの弟は健在。あとで連絡あったけどひと家族は留守だった。ホントウに久しぶり。加茂谷深瀬八幡神社境内の午尾の滝懐かしいな。すぐ隣のひと家族だけでも会えて良かった。元気で良かった。またお
2024年4月17日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。----------------------------------------三宮在渋井、宮方一間、社田一石四斗〈二斗四升一合〉〈南泉田、明暦四年・貞享四年二、有勝胤公・昌胤公印證〉、𦾔社〈一宮在小丸邑、二宮在新田邑花光院近傍、三宮則當祠也〉所祭豊斟渟尊〈神影木体、長五寸、形似大黒〉、
高御調(たかみつぎ)八幡神社鳥居石工尾道住窪田小兵衛藤原義房植村又五郎藤原光廣栗原作次郎藤原國宗作之高御調たかみつぎ八幡と言うだけに高所に鎮座石段は201段急こう配創立年代は不祥ですが寛文5年3月、願主大檀那、林三郎佐衛門吉久が再建したものを、更に天明2年12月再建したものが現在の社殿といわれています。神楽殿拝殿本殿手水舎境内社手水狛犬は個性的な玉乗り目鼻が大きい個性的な顔読めない石工高?