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父を介護してる時仕事を終え、夕方家に帰るとポストに切手の貼ってない封筒が入ってて、みると、父がお世話になってる半日デイの方から。契約の時もこの方だったし、デイの送迎もこの方。父のその日の体調や気分、とょっとした変化もこの方に話してた。その手紙には、今日、お迎えに行ったら、(送り出しに誰もいなくても連れていってくれる)お父さんが、「今日はおれはお前んとこには行かん」「おれは、コーヒー飲みに行くで」と言われて、
父が認知症とわかり、認知症になったら、デイサービスに行って、人と話したり運動したり手を動かしたりして刺激を受けることがいいって、小耳に挟み、父にもデイサービス行ってもらいたくて、試みましたトライしたのは、運動器具が置いてある割と規模が大きいデイ。歳とって足腰弱ってきたから運動が必要ってお医者さんに言われたとか理由を父に話して。お試しで行った時、怒って、嫌がったけど、通えば慣れるだろうと契約したんだけ
ひとりっ子で親を介護する兄弟姉妹に頼らず(頼れず)親の介護をする子供に頼らず(頼れず)配偶者の介護をするお一人様介護は、ご飯の心配するのもお風呂の心配するのもデイサービスやショートに行かせようと決めるのも人に認知症にかかってること伝えるのもケアマネさんと話すのも病院に付き添うのも医師の話聞くのも施設に入所させようと決めるのも全部、全部日々の家でのお世話をすること本人の状況を把握することあらゆる決
外では上品ということで通っていた母だったが、家ではどうしても行儀の悪さが直らなかった。この、外と内の母のギャップを、誰も想像ができなかったと思う。親のプライドを傷つけるから、なかなか注意もしづらいのだが、がまんしていると、ストレスがたまった。外から帰っても、トイレから出ても手を洗わないのは、どうにか直ってきたけれど(これは本当にひどかった。兄嫁からもさんざん言われたらしい。洗わない手のひらにお茶の葉を入れて、量を計って急須に入れたり、果物を剥いたりするのだから。)、食事時など、やっ
少し元気だったころ、誘ってくださる方がいて(乗り物など、いろいろ配慮してくださった)、母が出かけてくることがあった。そういう時には、母はめいっぱいがんばってくる。元気なふりをして、上品にやってくる。家の中の母と違って、明るくよくしゃべってくる。そういう時、帰った後の母は、死んだようになった。ある時は、夕飯に呼びに行くと、外から帰ったままの恰好で、ベッドに横からひっくり返って寝ていた。母は薄目を開けて私を認めると、口をパクパクさせた。何を言っているのか分からない。大
歳を取ってくると、日中でもよく眠るようになる。でも、母は眠っていたことを認めたがらなかった。部屋を見に行くと、テレビをつけたまま、ソファーやベッドにひっくり返って眠っている。ちゃんと布団に入って寝ているわけではない。ソファーに座ったまま、頭を横や後ろに傾けていたり、ベッドに横から倒れこんでいたり。大きな口を開けて、大きないびきをかいている。テレビのヘッドホーンが顔にカチューシャのようにかぶさり、かつらも後ろの方にずれて、広くなった額とかつらの境目が寒々しかった。ノックし
10月も中旬となりました。静岡は台風の直撃が避けられて良かったのですが、気温が高くなったりして秋とは思えないような天候となっています。名古屋地方気象台発表週間天気予報予報期間10月15日から10月21日まで向こう一週間は、15日は高気圧に覆われておおむね晴れますが、その後は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、期間のはじめは雨の降る日があるでしょう。最高気温は、期間の前半は平年並か平年より低く、平年よりかなり低い日もありますが、後半は平年並か平年より高い見込みです。最低
今日の朝ドラエール昨日みて、多分演奏会できない気がすると思ってたけどその通りになって、泣けた父が、食道ガンとわかり入院中、認知症だからと夜は付き添うように病院から言われ、個室の病室で泊まってたある夜…寝れないなーって思いながら横になってたら、父親が、突然起き上がった。点滴また抜いちゃう!とわたしも慌てて起き上がったら父はそのままベッドの上に座り、宙を見上げ、手を合わせ、
認知症の人への対応で怒らないで笑顔で接しましょうと本に書かれてあったり医師から言われたりしたけど…それ、無理でした認知症の人と家族の会愛知県支部がやってる交流会に出てると、「怒ってはいけないって本で読んだけど、どうしても本人に怒ってしまうんです」って、そこを悩まれてる方によく出会います。わたしも、そうだったわたしが、家族の会の講座に参加した時家族会の代表に「怒っていいんだよ」「怒
その頃主人は海外赴任が続いていて息子は大学で遠方で下宿家にいるのは、わたしと高校生の娘でしたもともと介護やりたくない派のわたしが,ひとりで認知症初期の混乱真っ只中の両親を背負うのは辛くて…よく娘に愚痴をこぼしてた。「おばあさんの浮気相手出せって、おじいさんがデイサービスに怒って電話してさぁ…」「昨日、夜中におばあさんから電話かかってきてさぁ…」娘は、聞いてくれてた。ある日実家(わたしの家のすぐ向か
母は晩年、体が弱ってきたこともあったが、ずいぶんマイルドになった。それでも、持ち前の気の強さは健在だった。母のことを思い出すと、歳を取って弱っていくことに対する憐れみと悲しさもあったけれど、やっぱり母の冷たさやキツさ、ずるさばかりが前面に出てくる。だから、どうしても、書いていくのはそういう思い出ばかりになる。母がまだがんばって階段を往復していた頃(もう限界近かった。息が荒くなり、数段上っては止まった)、私は何とか手助けしようと思った。幸い、介護保険を使って、それまで片側だっ
両親が同じ時期に認知症になりいやいや介護がはじまりでもお一人様介護だったから必死だった。父母とも認知症初期はそれまでの性格がパワーアップして、父はより怒りんぼに母はよりネガティブ思考になってて、日々おこることへの対応で精一杯。日増しに壊れてく両親の姿に、思いをのせないよう悲しみを感じないよう無意識に娘としての感情には蓋をして、気付かないようにしてた。感じてしまったら、自分
外では驚くほどのパフォーマンスをして、まったくの別人になるのに、母は家ではあたたかい返事のまったくない人だった。何かを訊いた時には、いつも機械的、事務的に、「はい」と言う。「おかあさん、お風呂がわきましたよ」「○○した方がいいんじゃない?」「今日は、忙しかったので、夕飯はお弁当だけど・・・」何を言っても、母はただ硬い顔で、「はい」とだけ言った。「ありがとう」でもないし、「そうね」とか、「そうするわ」とか、心がこもった返事が返ってくることはめったになかった。
フラトレ講座初級無事終了しましたフラトレとは、フラダンスの動きを使いながら、手足を一緒に動かし、そして歌いながら、高齢者の方が楽しんでトレーニングできちゃうというものいよいよだ〜第一回目は、11月24日ケアラーズカフェ日向家のイベントでやれるかな、不安はあるけどとにかく楽しみ準備してるだけでワクワクする(*^_^*)
母はパフォーマンスが得意な人だった。よく思い出すのは、デイケアの帰りのバスが家に着いた時のことだ。バスが我が家の前に停まる。世話係の初老の人が降りてきて、コンクリートの地面に踏み台を置いて、母を待つ。いつもの光景だ。つぎつぎに客を降ろしてきたバスには、母の他に、もう3、4人しか乗っていない。運転手さんは後ろを振り返って、母を見ている。世話係の人も、私も、バスの外で待っている。そんな状態で、母は後部座席の人たちのところに行って、ひとりずつ握手している。「おかあさん
長男がわたしの職場で介護体験実習をすることになった。教育職のカリキュラム。その実習、今日が3日目。当初の希望先が新型コロナウイルスの絡みで実習中止となったせい。希望先の県協議会が実習生受けてくださいとの依頼をわたしの職場によこしたのだ。なんという運命。わたしは良いけど本人嫌だろうなぁ。ジャージ持ってきてね、に対し「ユニフォームがジャージなんて有り得ないし!」との給ふ。駐車場はここなんだけどと紙に書いて説明しても見ようともしない。初日の朝くらいは一緒に連なっ
父母、同時期に認知症になり、混乱した父と母が一緒に住めないと母が施設に入所したが、その後も父の混乱がもっとすごくなってた時、近所に住む叔父さん(父の弟)がわたしの家に来た。叔父さん「今朝なー、6時頃に俺のうちに○○ちゃん(父)が来て、ねえさん(母)の荷物を運び出したいで軽トラ貸してくれって言われてさ。」「ねえさんが浮気して家に帰ってこんで、もし帰ってきても家には住まわせん。洋服全部家から出して隠しときたいで、店まで運
認知症の父が食道にガンができているとわかり余命半年の宣告高齢(84歳)と認知症ということでゆるい放射線治療の他は何の治療もしてもらえなかった。家に帰って、流動食を食べながら、ガンで食道の通り道がふさがる=死を待つことになる。何の治療もしないならせめてもと本で読んだガンに効くというにんじんとりんごのジュースを毎朝飲ませることにした。低速式ジューサーを買い毎朝、飲ませたガンで食道の通り道が5ミリしかな
強い母のエピソードはまだまだある。母は歳をとっても気は強く、間違っていてもどうしても認めず、譲らないことがよくあった。それも、閉口するくらい、強い言い方をするのだ。もっとやさしく弱い母なら、こちらもやさしく対応できるのに、と何度も思ったものだった。それは、テレビのリモコンのことから始まった。母は決してボケてはいなかったけれど、年寄りなので、メカには弱い。それはそれで当然で、仕方なかった。ただ、こちらの言うことを守らないのには困った。母がまだかろうじて元気で、二
うちは両親2人で靴屋さんやってました父は、7人兄弟の上からふたり目、次男。長男は、頭も良くて真面目で母親の自慢の息子。父は、勉強もできず、素行も悪く、お兄さんといつも比べられて育ってきて、「商売で(父の)母親に認めて欲しくて、店を頑張った」と認知症になってから、昔のこと話してる時に父が言ってたのを覚えてる。だから、靴屋で一生懸命働いてた。学校の勉強はできなかったけど、多分商売の才能はあったかも今でいう価格破
母の指をさすっていたその時、私は真っ赤なセーターを着ていた。だいぶ昔、母が編んでくれたものだったが、毛足の長いモヘアの毛糸でできている。とってもあったかいのだが、厚ぼったいし、家の中ではあまり着る機会がなかった。だから、作ってくれた時の風合いがそのまま残っていた。しばらくして、私は右手を母の体の反対側に回して、手首の下の方からさすってみようと思った。私の右手が、母の顔の上を動いた。顔の上、と言っても、30センチは離れていた。その時だった。「目に入る!」という鋭い声と
強い母の、こんな出来事もあった。ある日の夜、母がベッドから、隣りの台所にいる私を呼んだ。母は、手の感覚がない、痛い、と訴えた。母は寝たまま、両手を丸めている。顔は苦痛でゆがんでいた。痛い、とか、苦しい、という時の母は、いつもこれ以上ないほどの顔をする。顔のすべての皺を歪め、目をぎゅっとつぶり、入れ歯を外した唇を、あえぎ声でパクパクさせる。私はそばに行って、母の両手を握りしめた。「どうしたらいい?」「分からない」と母。自分も足が痛くてずっと立ってい
ご訪問ありがとうございます!まこるです。一年前、教育系企業から公立学校へ転職。特別支援教育に関わりながら、明星大学の通信で学習中です。教員免許状の取得。今年は特例続き!介護等体験は結局、中止になりました。そりゃそうですよね。日常的に医療ケアが必要な人も多い施設や学校での受け入れは困難でしょう。検討していただけたことに、頭が下がります。↑今までに届いた大学からの変更履歴。オリエンテーションが在宅に代わり、書類の提出期限が期間が延び、いったんは決まった実習も中止に。秋
母が入所し、実家に住む父を自宅で介護してたある日わたしの家(実家の向かい)に警察署から電話。警察「もしもし警察ですが…」「◯◯さん(父の名)のご家族のお宅ですか?」わたし「はい、娘ですが」(えっ、なんだろう、ドキドキ)警察「お父さんが、先ほど警察にお電話くださって」「お母さんが、何日もお家に帰ってらっしゃらないと言うことですが」「ご家族に確認させていただきたくてお電話しました」(優しい声で話してくれて、ちょっとホッとするわたし
母の体の衰えの具合が、時々分からなくなることがあった。それは、私達が、娘の車に乗せてもらって、遠くの量販店に電動自転車を買いに行った時のことだった。(娘の車は大きい)母が骨折して入院した時に、私は片道40分以上かけて、坂道の多い病院までの道を毎日普通の自転車で往復した。私も若くはないし、結構きつかった。それで、電動自転車を買うことを思いついたのだ。ちょうど、娘が、我が家からは遠い店のチラシに、電動自転車が少し安い値段で載っているのを見つけた。母にも一緒に行くかどうか訊いた
わたしのスピリチュアルないとこに今年7月初めてのセッションを受けた。始まってすぐ…いとこ「なんか男の人が一番前にいるんだけど」(もちろん部屋の中にはわたしの他にはいとこしかいない)わたし「誰〜?」いとこ「お父さんだ!」(わたしの父は2015年に亡くなっている)わたし「え〜!」以下『』内は、いとこを通して話した父の言葉父『お前にどうしても伝えたいことがあって、待ってた』『お前に家のことを全部背負わしてすまん、悪
私がいろいろ考え悩んでいても、母は全く違う思いだった。私が、行くとしたら、この日しかないけど、と示すと、「じゃあ、この日、行こう!」と母が言った。「行こう!」?「じゃぁ、この日お願いできる?」ならともかく。唖然とした。母はやはり、考え方が間違っている、と思った。よたよたした自分が出かけるにあたって、どれだけ他人にお世話になるか、まるで分っていない。それも、自分のために行くというのに。母は、旅費さえ出せば、私達を連れていってあげる、という感覚なのだ。母は、向こうの様
昨日は、東海市(愛知県)にあるケアラーズカフェカフェ日向家(ひなたけ)でスタッフとしてお手伝い午後からのイベントでは、『十人十色介護のはなし』として、わたしの介護体験をお話させていただき、その後座談会でしたケアラーズカフェ日向家では、月に何回か色々なイベントが行われている。その中で、昨日のイベントは月1回のペースで開催されている家族会の介護経験者のスタッフが、交代で話す介護体験。介護の形は人それぞれだから、十人十色のお
関西への辛い旅行の後何年もしてから、ふとしたことで、また母と旅行の話になってしまった。私が、小さい頃お世話になった東北にいる親戚のおばさんに、どうしても会いたい、という話をしてからだった。東北のおばさんは、以前訪ねた関西の親戚の妹だった。母にとっても、娘の私がお世話になった従妹であるのに、どういうわけか、そちらとは疎遠になっている。東北のおばさんは、このところ耳が遠くなっていて、電話をしても話が通じないので、元気なうちに会いに行きたいと思った。すると母は、自分はまた、関西に行ってあ
介護中、言われてもやっとした一言をわたしの心の声と共に…お正月はデイサービスがお休みだと、デイの介護士さんから説明された時の一言介護士さん「お正月ぐらいお父さんと一緒にいたいよね」わたしの心の声「お正月くらい、介護から離れたいよね」