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戦友の皆さまお疲れさまですのぶニャがの野望は、十一月場所・上が終了しましたお題:空属性武将を総大将にして戦え!副題:足軽武将以外を総大将にして戦え!初日初日は、大関からスタート!ニャポ稼ぎで降格中日中日も降格千秋楽戦績67戦48勝勝率72%勝ち点2,635順位準優勝千秋楽、兵糧切れで逃げ切れなかって準優勝で終了報酬誉いミャがわ氏親くん特技:今川仮名目録:策略と技能成功率が上がる。術攻撃時に、距離によるダメージ軽減効果をうけにくくな
近年の後北条氏研究をけん引する研究者による初代・伊勢宗瑞(新九郎盛時、いわゆる北条早雲)解説書で、彼の人生を語る上で欠かせない戦国大名としての今川氏の初代・氏親との関係を中心にしています。二人が活躍した15世紀後半~16世紀初頭は平凡社の「中世から近世へ」シリーズの中でも早い時代に相当し、「戦国時代」と呼ばれる時代の転換の真っただ中にあります。二人をつなぐ人物は、氏親の母にして宗瑞の姉である北川殿と呼ばれた女性です。彼女が今川氏当主・義忠の下に嫁ぎ、氏親を生んだことが両家の
今川義元公生誕五百周年、それがしも法要とシンポジウム、すみっこにこっそりと参加しました。(^^)今川さんの涙をぬぐうことができて、何よりでした。でも、おれたちの今川復権の戦いは始まったばかりだ!これからも今川復権と今川氏真公の詠草と人生について、伝道していきます。そして、2020年代には今川大河を!まずは、最近盛り上がっている伊勢宗瑞と今川氏親の大河!そして、満を持してシンポジウムでも話題になった今川三代=氏親&寿桂尼→義元→氏真!!!頑張りましょう!!!
1514年より前に築城「大菩薩坂・欠下城跡」。東名高速三方原PAの東、また馬込川公園の近くにあります。(目標住所:静岡県浜松市中央区(旧東区)有玉西町402)駐車場・トイレ・自販機なし。たこ焼きのお店あり!この坂の右上側が「欠下城」だったはずです。1533年、井伊家の城・三岳城を攻める際に今川氏親の軍はここに布陣。三岳城は落とされます。ここはその後1572年に武田信玄の進軍の拠点にもなっています。空堀跡がわずかにあるはずなんですがまた今度
タイトルに示されている瑞渓院は、戦国大名今川氏の初代当主・氏親を父に持ち後世(主に2017年のNHK大河ドラマ)に「おんな大名」とも称された寿桂尼を母に持ち、さりとて本人の足跡を辿ろうとしても両親や夫、あるいは息子程に資料は豊富でない。そんな政略結婚で嫁いでいった戦国大名の典型的な息女です。本書では彼女の結婚当時の実家・今川氏と婚家・北条氏との関係や彼女が生んだ子が何人だったか、さらには弟の義元が寿桂尼の実子ではない可能性にまで踏み込んでいます。瑞渓院の長男である新九郎は早
《那古野城》[読み方]なごやじょう[別名称]-[所在地]愛知県[城分類]平城[築城主]今川氏親[築城年]大永年間[城を観る](解説板那古野城跡)(那古野城跡)(那古野城址の碑)[YouTube]-[登城日]2020/11/162015/11/27にほんブログ村
菊川城館遺跡群に含まれる横地城は斯波氏について今川義忠、氏親と争った横地氏の居城だったそうで。伊勢宗瑞(北条早雲)主役でやるなら大河ドラマに登場できるかもしれませんね(^^)
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ぼくも書評を書く予定です。
戦友の皆さまお疲れさまです関東地方も梅雨入りしましたね6月のこの時期、台風5号が週明けにも、日本の太平洋側に接近する可能性も今年の夏は台風が多くなりそうな予感が7月には久しぶりに沖縄ツアー予約たんですが、台風だけは勘弁してほしいなぁそして、のぶにゃがの野望は、ねこ場所〔六月場所〕が終了しました今回のお題はお題:4人以下の部隊で戦え!副題:3種類の兵科の武将をそろえて戦え!初日今場所は大関からスタートですやっぱり部屋メンバーみると勝てる気がしないですね潔く、
皆の者達者であるか?大ふへん者前田慶次じゃ!我が日記帳開き大義。今日という日楽しんだかや?此度我前田慶次は名古屋城へ出陣に候。登城せし者達ありがとさんじゃ。初めて相対した者達や。良き思い出となったか?また会いに来いよ!!!名古屋城の桜は散り虫達が住みやすい緑へと姿を見せた。儂は虫が不得手。いや、嫌い。足が多いのが何とも。。。やはり、若君の時分より虫と触れ合うような生活をしておらなんだ故にか。。。主は虫好きか??(とんだ質問だな!)名古屋城では演武を披露。午前は舞
さて今日は取材旅行です。現在書いているのは1521年なのですが、穴山が今川へ与して甲斐へ戦を仕掛けてくるのです。当時に資料にある日程とできごとを踏まえつつ、双方の行軍ルートと戦略を考えなければなりません。ちなみに、退治する武田信虎さんと今川氏親さんは対照的なご性格のようです。それぞれの得意とする(好む)戦略が全く異なっています。氏親さんは、慎重でじっくりと腰を据えてジワジワ相手を切り刻むタイプ。信虎さんは、気が短く合理主義のため、電光石火の短期決戦や急襲を得意としています。信虎
【商店街調査】日本で一番古い「浅草地下商店街」レトロな独特の雰囲気を堪能ニコニコニュース浅草寺や花やしき、ちょっと歩けばスカイツリーと、日本を代表する観光スポットのひとつ、浅草。そんな浅草には、日本最古の地下商店街があるのをご存じだろうか...お前らが見てた最古の戦隊モノ[無断転載禁止]©2ch.net2ch.net幼児誌の記事なら、最古の記憶はフラッシュマン.12以下、無断転載禁止でVIPがお送りします2017/09/15(金)21:49:07.284ID:CGF8up
駿河三十三観音霊場第十二番札所徳願寺ですここは今川氏親の母親にあたる北川殿が葬られています北川殿は北条早雲の妹なんです今もこのお寺には北川殿の古文書が数多く残されているみたいですそう言われると無性に見たくなりますが秘仏のため見れません(´;ω;`)駿府の街並みは勿論天気のいい日には富士山も見渡せる絶好のロケーションです下記バナーのクリックにご協力よろしくお願いしますm(._.)mにほんブログ村
駿河三十三観音霊場第十六番札所今川氏親菩提寺増善寺です今川氏親の墓所がある場所としても有名です今川氏親は大河ドラマでもお馴染みの寿桂尼の旦那様三河までを納め領地拡大した有力大名ですまた公家出身の寿桂尼をもらったので朝廷とのパイプも深く力持った大名です当初今川の拠点は安倍城でしたが駿府に根拠地をうつしました幼少期氏親が育った安倍川の畔のこの増善寺を菩提寺にしたかったんでしょうね自然豊かなこのお寺は今川氏親の他にも歴代駿府城主も葬られています徳川家康の手厚い保護も受けていた由緒あ
沖縄の声を聞き取り伝えたい慰霊の日、京都の女性に募る思い京都新聞飢えに苦しむ住民の状況を絵本や語りで伝える活動にも取り組み、「県外の人も沖縄の歴史や生き抜いてきた人々に触れて、戦後も蔑ろにされてきた沖縄のことを...カズのW杯阻んだ「ドーハの悲劇」イラク戦思い語る日刊スポーツ1993年10月28日。サッカーファンにとっても、カズにとっても、忘れられない歴史的1日。「ドーハの悲劇」と呼ばれる、W杯アメリカ大会アジア最終予選イラク...世界遺産崎津集落の歴史とその価値。天
皆様おはようございます。2017年3月26日(日)のNHK大河ドラマのおんな城主直虎は、第12話『おんな城主直虎』です。井伊谷の井伊家は、井伊直満が今川義元に謀反の疑いで斬首され、桶狭間の戦いで井伊直盛が亡くなり、井伊直親も松平元康(徳川家康)と通じていることを今川家に知られて殺されます。そして残ったのは次郎法師の祖父の井伊直平と井伊直親の幼子の虎松のみになりました。家督を継げるものがいなくなったのです。平安時代から続く井伊家の断絶の危機です。そしていよいよ次郎法師が井伊直虎と名
いよいよ、年末年始の城巡り企画のレポ開始です城に興味を持ちだしてから、年末(+年始もあり)に遠出する形で城巡りを行ってまいりました。2011年は、伊賀、伊勢、紀伊を城友と廻りました。2012年には、西土佐で初日の出絡み城巡りに。2013年は、南九州で空堀天国を拝みました。2014年、北九州に於いて、畝状竪堀などを堪能。一昨年、記憶に新しいですが武蔵で後北条氏の築城術に感嘆していました。そして6年目の昨年末-新年にかけて、駿河、伊豆、甲斐、遠江というエリアでした。昨年の夏から企画を
歴史連載物語「民の御館様」、本編は終了しました。こちらが目次⬇️民の御館様・目次これから外伝を少々語りたいと思います。北条早雲(ほうじょうそううん)が戦国大名になるきっかけとなったのが駿河国の今川氏(いまがわし)の家督争いを調停したことでした。早雲さんの妹・北川殿(きたがわどの)、本編では桃(もも)が今川氏に嫁いでいたんだよね。桃ちゃんの子が今川氏親(いまがわうじちか)さんだね。氏親です。叔父の早雲のおかげで今川氏の家督を継ぐことができました。北条氏と今川氏の関係は良好でした。1
前回まではこちら⬇️目次私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。駿河国の今川氏親(いまがわうじちか)殿の諱(いみな)を頂いた兄・伊豆千代丸(いずちよまる)は伊勢氏綱(いせうじつな)と名乗り元服しました。氏親さんの氏の字を頂いたんだね。早雲「氏親殿、ありがとうございます。」氏親「なんの。氏綱、精進するのだぞ。」氏綱「はい。ありがとうございます。」氏親「ところで叔父上にお願いがあるのですが…。」早雲「いかがされた?」氏親「今川は三河国を攻めるのですが、叔父上
前回まではこちら⬇️目次私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。1498年、早雲は深根城で前の堀越公方・茶々丸(ちゃちゃまる)を討ち取り、伊豆国の平定を果たしました。早雲さんはこの時、67歳になっていたんだよ。元気だね。早雲は戦で荒れた深根城跡の一帯を立て直し、韮山城に戻ってきたのは翌年の1499年でした。早雲の居城であった韮山城の跡。迎えたのは早雲の嫡男・伊豆千代丸(いずちよまる)でした。伊豆千代丸「父上、お帰りなさいませ。」早雲「うむ。伊豆千代丸、そろ
前回まではこちら⬇️目次私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)盛時は伊豆国を密かに探り、駿河国の興国寺城(こうこくじじょう)に戻りました。戻った盛時はすぐさま堀越公方・茶々丸(ちゃちゃまる)様を討つための兵を集め出しました。集まってきた兵の中には小鹿範満(おしかのりみつ)を討伐した時に参加した兵もいました。そして「伊勢の誓い」の6人の1人で範満討伐にも参加した荒川又次郎(あらかわまたじ
前回まではこちら⬇️目次私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)盛時は駿河国に入りました。迎えたのは盛時の忍び、新次郎(しんじろう)です。盛時「新次郎、ご苦労。小鹿範満(おしかのりみつ)側の様子はどうだ?」新次郎「扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)との連絡が頻繁になっております。人の行き来が増えてます。」盛時「事は急を要しているな。龍王丸(たつおうまる)の元へ急ごう!」盛時と新次郎は