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ミシンと手縫いどっちが得意?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようしーちゃんは小学生の時代、家にミシンがなく手縫いしかなかった。得意も下手ない。ピグで買ったミシンだけど・・・とと姉ちゃんミシンといえば、外国のミシン会社が有名な時代があり、昭和の時代は外国のミシン会社がテレビ番組も提供してたです。今は名古屋行きの名鉄電車に乗ると車窓から大きなミシン会社を見ることできます。しーちゃんはワープロをミシン会社から買ってたけど。名古屋のブラザーミシンの会
これからは私の営業の体験談ですが、思いつきで書きますので時代背景が前後する事があります。営業マンは初回訪問時に電話でアポイントを取りたがらない。ワードプロセッサー(俗にワープロ)が最初に発売された頃の話です。営業会議でこのワープロの売り込み先の会議をしましてね。主な訪問先を決めて業種別に担当者を決めて飛び込みをする事になりました。で、弁護士に訪問する事になった担当者ですがね。「朝7:00頃訪問しても、夕方20:00頃訪問しても
囲炉裏のあるおかってには絶対通してもらえなかった。皆出掛ける中1人だけワープロで遊んでた。じーじとばーばに貰った缶のバヤリースオレンジ飲みながら
キーボードを入手後、Japanist10というソフトも入手し、さらに一太郎も導入して、あれやこれやで時間を費やし、最後は娘の力を借りて、ようやく、キー入力は親指シフト、ワープロは一太郎という環境が整った。娘の知恵がなければ、あとひと月くらいかかったかも知れない。
長男が、私が机に置いていた本を何気なく手に取った。「変な家」間取りミステリで一気に読めてしまうが、小学生でも読めてしまうとは意外だった。もしかしてうちの子は天才か?と色めきだったが、「クラスメイトも持ってきて読んでるよ」と言っていた。私が小学生の頃はズッコケ三人組を読んでいたが、時代は変わるモノだなぁ。変な家は、少々性の描写があるので心配していた。程なくして長男が「コレ、なに?どういう意味?」と聞いてきたのでドキドキしながら見てみるとそこにはワープロと書いてあ
パソコンを毎日使うようになって・・早23年~その前は原稿書きでワープロ(一太郎)www10年漢字変換が楽になり~当たり前のように考えなくなってきていた先日自分の失態で漢字変換が出来なくなり(◎_◎;)2週間大変な思いを(;^ω^)PCのワープロ機能だけでも奥は深いね~(◎_◎;)
「お世話になっております」のはずが……誤変換のまま送ってしまったメールの挨拶が1000万表示「ツボった」「何度見ても笑っちゃう」(ねとらぼ)-Yahoo!ニュース間違って誤変換のまま送ってしまったビジネスメールの“やらかしメッセージ”が、あまりにも語呂が良いとX(旧Twitter)で笑いを呼んでいます。記事執筆時点で約15万件の“いいね”、約1000万件のnews.yahoo.co.jp昭和末期の昔話なんですが、機動隊長あての報告書類で、警視○○○○殿のところ軽視
大化の改新があって、律令制国家へと日本は舵を切った。その結果、庚午年籍という戸籍も作られた。そもそも、戸籍は渡来人を認識するために作られたらしいが、租税にも有益だったことは容易に知れる。海に隔てられた日本と違い、簡単に国家間の侵入が出来る他の国々にとっては、兵隊募集には欠かせない台帳でもあった。つまり、国家にとって最も利用価値のある資料である。そうは言っても、海外でパスポートがなければ、たちまち困窮する。個人とは国家のお墨付きがあって存在するのも間違いない。現行の制度が
第170回芥川賞に決まった九段理恵さんが、作品に生成AIを使ったと発言した。その量は、全体の5%くらいなのだそうだ。創作に生成AIを使う。こんなこと、遅かれ早かれ出てくるだろうなと思っていた。既に、巷に出回っている小説等の中にも、生成AIでつくられた部分が混ざっているものがかなりの割合であるのではないか。これは、もう止められない。どんどん加速化する。すればいいと思う。だから、新しい作品を何となく読む気がしない私みたいな層も一定数、いるはずだから。生成AIのせいばかり
今や、親しい友人だけでなく、様々なつながりの連絡手段となったLINE。私たちの世代は、ついつい句点で文章を終わらせるのですが…若い人たちには、威圧的に受け取られたり、怖いって受け取られるそうです。そういうの、マルハラって言うんですよね。ごく最近、初めて知りました。確かに、私たち、親世代に言われたのは、「手紙に句読点をつけてはいけない」でした。確認の為、昭和43年帝国地方行政学会発行の「文章辞典」200ページを見ると、日常文書(公務員であると民間人であるとを問わず、個人の資格で個人的な意思を
結論。自分で自分にかけましょう。長男の中学受験もつい最近終わったと思ったら今度は長女の番。自分の好きなこと、得意なことを見極める垂直成長は本人に任せて選択できる為の水平成長を意図的にサポートする最後のイベントになるのかな。https://www.facebook.com/chiaki.motodahttp://instagram.com/chiaki.motoda_knit.breakhttp://www.knit-break.com/#ワーママ#3児ママ#中学受験#小6女
21時10分更新。進化・進歩を感じることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう公衆電話→固定電話→ガラケー→スマホワープロ→パソコン昔使っていたワープロ(東芝ルポ)、以前、修理に出したら余計壊れて返ってきた…。仕事や年賀状で頑張ってきたワープロ、タンスの肥やしだけどなかなか棄てる決断が出来ない😅。一時は、家族からパソコンを教えてもらおうかと思ったけど、タブレットがあればパソコン出来なくてもいいし。パソコンでやらないといけない仕事
厚さ1cm以上もある引継書…ハッキリ言って大変なことは解る程度で、内容は正直よくわからない。(汗)年間行事のスケジュールがあればよいのだか、見当たらない。4月にある役員総会までに議事録を作成しなければなりません。フォーマットが無いと、作成するのに大変なことが判明!早速、前町総代にメールで確認する。全部自分でワープロ打ちしたと!うっそー!!マジか…。いや、絶対にひな型があるはずだ!もう一度問い合わせる。USBが前会計の方が持っているので、その中に保存されているかも知れない…と…。大至急、
この職業人生の間、なんといっても大きく変わったのって、機械化というか、オフィス機器でしょうね。私が子供の頃って、学校のテストやプリントっていわゆる「ガリ版印刷」でした。今思うと、専用の用紙にニードル?みたいなやつで文字を手書きし、その原版の上からインクを付けたローラーを押し当てて1枚づつ刷ってたんですよね?版画か?って感じですよね。うちの母は私が小学生の時?市役所で事務のパートをしていましたが、当時は戸籍謄本など取るのに、湿式コピー使ってたんですよ。あの、紙が紫色
・短大2年間はあっという間、私は普通の零細企業に就職した。しかし、使いものにならず……字は汚い、来客にお茶も出せない(緊張して)😭・毎日、何も指示がないまま……本当の腰かけ!・そんな時、ワープロという誰も使わない機器に目を奪われる。・私は説明書から読んで、毎日文章を打った(それは仕事ではない)御局様は私を完全無視、後は男の営業さんばかりの中、ワープロをひたすら打ちまくった……給料泥棒や!私は、年に数回東京に行く。それも一泊二日の弾丸で。やはり2人の子どもの顔が見たいのと、アラ
昨夜はお風呂上がりに手術痕から大量出血。首をつたって肩、胸のあたりまで血まみれになっているのに全く気付かず、歩き回って服を汚してしまった。妻に確認してもらったところ、タオルで勢いよく拭き過ぎて、お湯でふやけた瘡蓋(かさぶた)を剥がしてしまったのだろうとのこと。すでに出血も止まり傷口もごく小さいようなので、「じゃあ、いいや」と呑気なふりをする。口には出さないが、妻はきっとオレ以上にオレの身を案じているので、不安げな姿はあまり見せたくない。驚かせて悪いことをしてしまった。居間では82歳の
今にも雪が降り出しそうな東京の空。前回の東京の積雪予報は空振りでしたけど、今回はヤバそう。午後から降り出すらしいので、早めに買い物へ行かなくては。外に出たついでに、物置から長靴とスコップをだしておくかな。【掌返し(てのひらがえし)】先日のアジアカップサッカー。日本の敗退に森保監督への批判が続出。私も若い頃から少しはサッカーを見ていますので、この批判はわかります。ただし、たまたまアジアカップ以前のヨーロッパ遠征などで勝ち続けたことで、一気に森保監督の評価
詩の心夢を見ていても良いのです空を仰いでいても良いのです夢は見るものではなく掴むものだとしても空は仰ぐものではなく描くものだとしても一人きりで夢を見たり愛を失くした空を仰いだり今日もどこかで見えない詩を感じながら青い血潮に抱かれてあなたにしか綴れない詩を生きているぼくも生かされているこの詩が書かれてあるノートに、何やらエッセイの下書きみたいなものが、びっしりと書かれてありまして、その中にこの
こんにちわ~😄✨翡翠です翡翠の若い頃の携帯電話は凄くデカくて、お金持ちしか持っていない時代でした。パソコンもあったかもしれないけど、主流はワープロでした。ビジネス関係の専門学校でどうしても専攻しなくちゃならなかったワープロの授業、、、。おっかない女性の先生で睨まれながらやったっけ。ワープロは『書院』っていう物を使ってた。確かCMは高橋英樹さんが付け髭つけて演じてらしたと思う。間違っていたならゴメンナサイ💦どーしても上手くできなかったのが均等割付っていう文字と文字の間隔を上手に割り
来てくださって、ありがとうございます。ペディキュア大統領です。年賀状終いを宣言して今年は年賀状を出さなかったですが、何枚か頂きました。人からの手紙を読むのが苦手な私としては、もう一月も終わるのにその年賀状を未だ読んでいません。なんとなく、ただもう、苦手なのです。ビジネス的なカラリとしたワープロ打ちの文章は何とも思いませんが、筆圧を感じるあの手書きの、不特定多数ではなくそのひと個人に宛てたメッセージが苦手です。社交辞令やただのあいさ
朝から雨の降るワープロ映し編み針に明示した悪意明日には間に合わない解決策早良区で長蛇の列ただ、できることをする(創作)にほんブログ村吹奏楽吹奏楽ランキング
ズバリ、認知症予防かな。もっとかっこいいこと書きたいけどね。前頭葉を活発にね。古希をいくつも過ぎると、自然と身体もこころもね。衰えてくる。ですからね。楽しんで生活しよう。そう思うんです。
リスキリング現在の職場や業界で求められる新しいスキルや知識を身につけるための再教育や再訓練のプロセスを指します。これは、技術の進化や業界の変化に適応するために従業員が新しいスキルを習得する必要がある場合に行われます。企業や団体が従業員をリスキルすることで、彼らが将来の仕事に対応しやすくなります。どこかで書いたような気がしますが。手書き→ワープロ→パソコン時代とともに求められる新しいスキルは変化というか積み重ねられていきます、「手書き→ワープロ→パソコン」昔は全て
「手紙」手紙とは、本来、「常に手元に置いて使う紙」を意味したそうですそしてそれが「手」が「筆跡」や「文書」の意味でも用いられていたことで一文字づつ自筆で「常に手元に置いて使う紙」に書く、それが手紙の由来とのこと昔、ワープロもパソコンもない時代はこの手紙がすべて私のおばあちゃん(大阪在住当時)からよく関東の我が家に手紙が来ました達筆に書かれたその文字は詩吟の師匠をしていただけに整った美しい記憶がある自筆で書く手紙にはその人の性格、心模様、個性がはっきり出るものだと思
公的手続きと云えば、窓口&職員なイメージがあったけど生まれて初めての確定申告ワープロが最後の私では、入力さえ四苦八苦(@_@;)出来たら、次はスマホで申請(@_@;)理解不能の度に、職員さんを呼んで(TT)進み始めたら、スマホの画面が飛ぶ💦気を取り直して、やり直し…また、飛ぶ(@_@;)職員さんが、パソコンでやりましょうと移動して(TT)今度は、キーボード地獄(TT)すっかり忘れてる(@_@;)あんまり時間掛かるんで🐷が、一万円くらい無くてもいいか!?と言い出す(お前が行く
>こうして準備万端整えた仕様ですが、課長説明は非常に骨が折れる作業となりました。そのへんは明日以降にお話をさせていただきます。ということで、昨日は動画作成などに手間取りアップ出来なかったので、こんな時間に書かせていただきます。ひとまず本省報告のためのレポートを書き上げた私は当然のことながらそのまま本省に送って報告終わりではないので、様式を整え文書にして送付するわけですが、その辺は係長が係としてして貰えるはずなので、あくまでも課長に納得して貰うと言うことが重要な話になるわけです。当時の
昨日は、本省から通達が来たという話で終わっていたのですが、本省から示達された内容は、新しい式紙消耗品システムを開発することにしたから一応伝えておく、ただし、本省だけで決めたと言って後で文句を言われるのも癪なので一応地方の意見も聞いてやるから、言いたいことがあったら適当に書いておけ、採用するか否かは本省が決めることだから文句言うなよ・・・まぁ、そんなふうに書いているわけではありませんが。新式紙・消耗品システム更改に際して、地方の要望を聞くということで文書が来たわけで、本来であればこうした報告
昭和の時代を思い出すと、叔父たちは結構趣味にお金を掛けていた。公務員だったり、サラリーマンだったりしたが、今考えると趣味には惜しげもなくお金を使っていた。高価なオーディオ機器を揃えたり、高価な一眼レフカメラを使っていた。ワープロ黎明期にワープロを購入した叔父もいた。大きさはオルガン位で、価格は新車が買える位高かった。そういう生き方ができた時代は本当に良かったのだと思う。お金は有効活用するためにある。
当たり前の話ですが、高校は、それぞれ、目標の進路に向けて学課があり、それをクリアしていきます。彩の商業高校は、就職を前提としてあるので、商業に関しての科目と検定があります。普通科が、大学のために、模試や試験が毎回あるように。なぜか、私の時代からそうですが、この時期に検定が集中します。そして、今日から、彩たち商業科は、検定の本番が始まります。今までの授業の総まとめとでもいうのでしょうか…検定の資格をとってなんぼですから、先生も生徒も必死です。そんな中、インフルエンザが大流行だ
今となってはガラパゴスと化した「日本語ワードプロセッサー」の設計に従事していた。自分はその内でもプリンターの担当。おいらが社内カレッジに15ヶ月行ってた時にこれをやろうと奮闘した当時の副工場長、そして立ち上げに尽力した当時の設計部長、更に開発のスタートから関与し工場の売り上げの規模を1/3までにした部長、この3人がコロナ禍の間に他界された。また、コロナ禍もあって4年間「ワープロOB会」というのが開催されていなかったが、先日前記のお三方をしのぶ会をやりましょうという案内が来た。開発に携わっ