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🍀ブログを読んで下さる方いいねまでつけて下さる方ありがとうございます😊私のメンタルの病気についてとブログの今後について書きたいと思います。私は自分の本当の病名は知りません。最初にかかった先生にはうつ病と診断されました。今の主治医は3人目ですが、1度私はうつ病ではないのではないかと聞いたら、うつ病ではないみたいだねと言われました。本当の病名は言ってもらえませんでした。だから私は自分のことをメンタルの病気にかかっているという曖昧な言葉で説明してます。次にブログの今後について書きたいと思います
私の両親は私と一緒に暮らしていたのに、私が心療内科に通っていることを知らない。なぜ通っているのかも分かっていない。強迫性障害を発症した時、まだ実家暮らしだった私に病院へ行くよう進めたのは父だった。母は私の病院へ着いてきて、病名も聞いていた。しかし、今はその記憶がすっぽりない。メンタルの病気はすぐに治るものだと思っていたのかもしれない。勝手に今は完治していると思い込んでいるのかもしれない。ただ、さほど重要視していないのだ。強迫性障害で私は手を洗う行為がやめられず、水道代がびっくりす
俳優の佐藤二朗さんが強迫性障害であることを告白しましたhttps://news.yahoo.co.jp/articles/2e7595a5104842efdb09b6ffa09e3d1cc43b175e佐藤二朗さん「病を含め僕」。強迫性障害を告白、どんな病気なのか。「見守っています」とファンから激励の声(ハフポスト日本版)-Yahoo!ニュース俳優の佐藤二朗さんが2月6日、自身のXを更新し、「強迫性障害」を患っていることを明かした。その内容に励ましの声が数多く寄せられている。強
みなさんこんにちは今日は、解離性同一性障害の治療法を、教えたいと思います。メンタルの病気になると、まず最初に受診するのは精神科か、心療内科になります。しかし、解離性同一性障害に関しては薬物療法が、無効なため、治療困難な場合が、多いです。どの治療法が、適切なのか?と言いますと催眠療法が、適切かと思います。人の深層心理に、働きかけ人格毎に、心理メッセージを、入れることにより精神的な作用が起きて精神を害する、人格を癒す効果があります。精神科や心療
今日三度目の投稿・・(久しぶりです・・)この内容はメンタルブログの立ち位置から視点での物に・・心の病気になる要因と治療法は体の病気と同じ治療方法と違うって私的には実感してますメンタルの病気になる大きな要因は人からの言葉や態度で発症し治療方法は薬ではなく「あなたはあなたなりに頑張っているだから大丈夫!私はあなたではないので分からないけど決してあなたを見捨てない」と言葉が最善の薬だって・・上記が枕言葉・・そしてこの内容は今日アップしたブログ内容にも関連して
自分の思うような時間や人生を、歩めてない人、あきらめてませんか?自分をあきらめてませんか?私も何度も絶望したこと、あります、アタマが爆発して、メンタルの病気も発症したしね(笑)病院に何度収監されても、生き返るんだと、何度も立ち上がりました、こんな人生歩んでると、普通はあきらめるよね(笑)私はあきらめませんでした、心が折れそうになっても、神様、仏様に拝んで、必ず救ってもらえると信じて、今に至ります、今は感謝の毎日です、ありがとうと伝えて、幸せに暮らしています
スモールハウス──3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方(ちくま文庫)Amazon(アマゾン)私は親とうまく行っていなかった。というよりも人類のほとんどとうまく行っていなかったと思う。当時、鬱状態で働くことなんてできないくらいの状況だったが理解されることもなく、無理矢理働いていた。そんな状態なので、職場の人とも当然うまく行かない。早く辞めたいとばかり考えていた。自分では「週4で5時間働く」というのが限度だと思ったがそれを父に言うと「何でだ?」と高圧的に言われる
🍀ブログを読んで下さる方いいねまでつけて下さる方ありがとうございます😊今日は私の体重の歴史を簡単に書きたいと思います。以前書いたことと重複する内容も含まれます。私は生まれた頃から食欲旺盛でしたが好きなだけ食べても背が伸びるだけで太っていませんでした。34才まで、太ってませんでした。18才〜34才まで174cmで58kg〜64kgをキープしてました。18才以前はもっと痩せてました。34才までダイエットしたことありませんでした。34才でメンタルの病気になってから太り始めました。36才くらいまで
さて、約1週間前に39歳になったばかりですが…今はメンタルの病気のことを考慮してもらって、6時間勤務です。先週まで年末年始だったので、その間は年末年始特別体制になり、7時感勤務でした。年末年始だけでなく、サラリーマンの方たちが長期休暇の時は特別体制で、勤務時間が長くなります。今のお仕事は、33歳の時からなんですが、そんな僕も今年から40歳に片足突っ込み始めたので、やはり、体力気力が30代前半の時より落ちてきてるのを感じます…。入社から、3年目(36歳)くらいまで、年末年始は8時間+4時
これから、たぶん一生、思い込みの人生かもしれない☺️もう覚悟した!だからね、ずーっと思い込み投稿が続くよ😄病気だから!メンタルの病気だから😄メンタル病の判別できる範囲での、思い込み投稿になっちゃう日もあるよ!攻撃するつもりはないけどね。呟くだけ☺️で。家庭の成績、上がってたのよね。思い込みだと思うけどね☺️山梨からお帰りかしら?学校によって、先生方の副業の決まり。違うのかな?今日は、official髭男dismの日😄ご飯、食べたかな?お休みできてる?
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます❤️毎日働いてると、くさくさ嫌なことあるよね?早めにリタイアして、早めに老後の準備してね❗結婚して、旦那も欲しい、子どもも欲しい、時間が欲しい、自由が欲しい、家が欲しい、全部叶えるのは、無理があるよね。私は、バツイチ子なしなので、すべてを手に入れていませんね(笑)あきらめるのも、いいもんですよ。これでよし、って生き方、見つかるもんですよ(笑)私みたいに、メンタルの病気を持ってると、みんなの悩みは、贅沢に聞こえま
能登地震や羽田空港飛行機衝突事故に心を痛めてます。被害を受けられた皆様へは、心よりお見舞い申し上げます。これ以上の被害が拡大せぬよう、お祈りしてます。こんな時にこんなブログを書くのは不謹慎かもしれませんが、1月の目標を書きたいと思います。昨年の12月20日に書きました50才の目標を51才になるまでに達成できるよう、毎月目標を書くつもりです。《1月の目標》①以下の今の良い習慣続ける。・毎日ストレッチをする。・毎日温かい飲み物をコップ2杯以上飲む・週に3回はラジオ体操DVDをす
今年は病状の安定を維持したい。メンタルの病気だからしっかりと。細かいところまで意識をしてあまり怒らず。調子に乗らず。生活の基本を怠らずお金をあまり使わず味気ないかもしれないけどそれが一番いいのです。家族の無事も大事目標に向かってただひたすらに。悪口あまり言わない
12月31日この先生の動画も3年前にみていたもの。最近、この先生が久々に動画をアップしていた。薬では治せない&薬だけでは治せないメンタルの病気ー全般編2023年10月26日に廣瀬クリニックのグループ療法で行われた精神科医心療内科医廣瀬久益によるDr.講話の様子テーマは『薬では治せない&薬だけでは治せないメンタルの病気ー全般編』新宿OP廣瀬クリニック公式HPhttp://www.hirose-clinic.net―――――――――――――――――――――――...yo
🍀ブログを読んで下さる方いいねまでつけて下さる方ありがとうございます😊中古住宅購入に至るまでの経緯の記事について追記です。記事の中では、いかにも私も手続きしましたって感じで書いてますが、私が関わったのは内覧に行った1回きりです。後の手続きは全て夫1人でしてます。ひきこもりの私が内覧に行くのはかなり勇気を出して行きました。でもこれから一生住む場所になるかもしれないから、自分の目で確かめたいと思い、頑張って行きました。あまり重要でない記事を最後まで読んで下さりありがとうございました🙇
IBSは自分で症状をコントロールできなくてしかも人間としての尊厳を損なうような体験が多い。それが毎日、毎時間起きるのでとてもつらい。おなかの病気なので、小食(あるいはストレスで過食のひともいるみたい)のひとが多い。栄養が体にいきわたっていないかもしれない。緊張や不安から抑うつ状態になるひとも多い。改善策としては、分子栄養療法のプロテインと鉄分をしっかりとること。メンタルの病気になりやすいひとは、糖分の多い生活をしていて、タンパク質と鉄分が少ないんだって。
☆お願い☆私のブログを読んで不快になられたら申し訳ありませんm(__)mその場合はもう読まないでいただけると有り難いです。こんなブログでも読んでもいいよという方のみ読んで下さい✨アクセスして下さった方々前回50才になって初めて書いた記事を読んで下さった方々さらにはいいねまでつけて下さった方々本当にありがとうございました🙇今後プロフィール内容を変えるかもしれないので、今日書いたプロフィールを記録として載せます。【2023/12/19書いたプロフィールの内容】2007年にメンタルの病気にか
ブログを書いている時が落ち着く。いや、ブログを書いて自分の想いを吐露した時が落ち着くのだ。私は口下手で感情は表に出さない。でもそう思われたくなくて、社交的を装っている。内気だと思われたくなくて、話をする。かといって重要な話はしない。うまく立ち回れていると思っていたが、そうではなかった。やはり、わかる人にはわかる。メンタルの病気を隠しても、何かこの人おかしいなと思われていると思う。かといってみんなに堂々と言って、あらぬ陰口に耐えられるメンタルは持ち合わせていない。自分は面倒だと
長いことメンタルの病気を患っています。思えば思春期の頃から普通ではありませんでした。すぐ赤面するから何とも思ってない男子とも話せないし寂しい高校時代でした。大学生になっても社会人になっても、会話するのが下手なのは変わりませんでした。でも若かったので何とか向こうから話しかけてくれる人はいて、そういう人とは話せたので、自分が社交不安障害だとは思ってませんでした。歳をとってなかなか気難しい雰囲気のある自分に話しかけてくる人は少なく今もともとのメンタルの病気は薬で何とか落ち着いてますが、緊張
コロナで、マスクしてることが普通になって、目だけで笑顔ってほとんど伝わらないから…なんか、『人』が冷たくなったなぁーーって感じることが増えた…お会計やレジもセルフのとこが増えたり注文もタッチパネルが増えてたり人との接触も減ってる世の中だし…まぁ、そもそもコロナからみんなが体験した事ない不安な出来事が起きたんだから…心にゆとりがなくなって当たり前なのかもしれない…私が20代に研修受けてた頃の、接客業たるもの、笑顔で愛想良く、丁寧にやるべきーーーみたいなのって、今はいらんの
今のベランダからの空昨日はブログに思っている事を吐き出したら何だか落ち着いてきた自分がいます。出来るだけ明るいブログにしたいけど落ち込んでる私や病んでいる私もたまには少しずつ吐き出した方がいいのかも?だってメンタルの病気だし…毎日元気ではない。悩んで凹んで落ち込んでまた、元気になって…それの繰り返し…今は人生の勉強中!いやこれからもかも?その中で楽しみや幸せを拾っていきます。明日から作業所復活…まだ完全に行けるか不安な自分もいますが…気を楽に自分に
今まで仕事以外は適当に生きてきたダンナ。その適当さの尻拭いはいつも私でした。それを良いことに適当さに磨きが掛かり、適当にやっても尻拭いしてくれるし適当くらいが丁度良い…くらいの価値観で生きてきたダンナ。仕事でも俺は出来る男!と思い込んでいるダンナだけれど、部下の人達がフォローしてくれているのも忘れてパワハラ三昧。そして自分に都合が悪くなるとスルースキル発動し、聞かなかったことにする。後から都合が悪くなると、人のせいの他責思考。なんだろうね〜このばか者。そ
数ヶ月前から気になっていたのだが横開きの戸を繰り返し閉めたり開けたりする人がマンションの上階にいる常同行動というらしいが。最初は掃除をする際に戸を開けたりしているのかな、と思ったのだが昼間やら夜中やら聞こえてくるのでどうもそうじゃないみたい。多分メンタルシックの方なのだろうパーティやったりとか深夜じゃないのでクレームもつけづらい。しかもメンタルの病気の場合は言ったところでどうにもならなそ。おそらくだけど一つ上ではなくいくつか上の階の人だと思う。直で下の人はたまったもんじゃなかろう
最近手作りマフィン個人販売による食中毒のことが話題になりましたよね。手作り販売といえば少し前ファーマーズマーケットイベントで手作りシフォンケーキを買いました。販売していたお兄さんパニック障害をお持ちで身を削ってシフォンを焼いて販売しているとか。「昨日も症状が出て慌てて病院に行ったんですよ手なんて震えが止まらない。今朝も体調悪い中朝からシフォンケーキを焼いてここに持って来ました。シフォンケーキ作りなんて商売にしてはいけないっすよ。」などと自
昨日夕方ふと「スーパー行ってみよう」って思って1人で近くのスーパーへ・・理由は小腹が空いた時に(私メンタルが悪いと食事する気が失せてしまうけれどメンタルが安定すると空腹になります)簡単に食べられるカップ麺を部屋に確保しているのですがそれを嫁さんが見つけて「これ食べても良い?」って聞いて来て二つあったのですけど私の感覚でしたら一つ食べたい方を選んでもし私がそっちは食べたい方って言ったらもう一つの方を選ぶって思うのですけど嫁さんしっかりと二つ両手に持って聞いてきました・・
こんにちはもうずいぶん前、10年近く前になるが、私は二人目の産後に産後うつ病を経験しました。その当時は自分に何が起きているのかもうかわからないくらい。体の不調から始まり、(不眠、食欲がわかない)やがて本格的なうつへと…自分で自分がコントロールできないことが恐ろしかった。希死念慮(死にたい気持ち)に占拠されどうにもならない苦しさ。。どうしてこんなことになってしまったのだろう。日々混乱していました。そんななか、私の苦しみを理解してくれようとしてくれる人
車で10分程度の距離で一人暮らしの母の家ですけど数年一年365日の中で350日は母の所に行ってますまぁ基本15分程度の時間です平日のゴミ出しと新聞入れの為です時間的にかかるのは母の日常品を買う為に週一の送り迎えと病院の送り迎えですこれが母が一人では暮らせないってなるまでは続くって事を覚悟していましたしもっと頻繁とか滞在時間が長くなるのを覚悟してましたがその後介護保険を使っての「支援」や「介護」の申請をしてからは少なくも毎日の滞在時間に関してはあと〇
続けて投稿・・一つ前の記事で「娘夜10時に帰ってくるので駅に迎えに行きました」って書きました。駅で待っていると私の車に乗り込んだ娘ですけど最初の一言が「・・ども!!」です(先にありがとう!!だろと笑い)娘にとって父親は「永遠に確保したアッシーであり貢君(←昭和後期の言葉)です」自宅に帰るまでの娘は元気で「そう言えば父さんさこの前ネットで「ヤンクミ」が全話観る事出来て・・」って家に帰るまで話が続き家に帰ったら今度は「進撃の巨人」についての話になり私が「進撃