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【FPフォーラムin半田】が、半田市福祉文化会館(雁宿ホール)にて2024年2月3日(土)に開催されました。【FP無料体験相談会】も同時に開催され、既報の通り私はFP無料体験会相談会の【相談員】として参加させて頂きました。今回で2回目の相談員で経験しておりましたので、初めての時よりは多少余裕がありました。が、相談者の方は毎回初めての方なので失礼のないように緊張感をもって真剣に臨みました!日本FP協会愛知支部の方が相談者の方へ相談内容を事前にヒアリングして教えて頂けるので、
「私が若いころは」という説教を垂れる人たちがいます。自分が若いころと比べて、今の若者たちはという趣旨で、何かと自分たちの世代の優位性を語る趣旨で用いられます。その根底には、「今の若者たちは」というマウントやポジショントークとなります。このご高説を、令和の世になって、昨今の若者たちが、まともに受け入れるものなのでしょうか。時代や社会の変化もあって、あの人たちが若いころと、現代では、物事の価値観が大きく異なるからです。連中が若いころ、いい加減なことが
私も現在は中高年というべき年齢ですが、あと20年くらいは生き続けたら、老人の仲間入りをします。インターネットのやり取りでは、すでに「インターネット老人会」という用語が出ています。当時のパソコン通信など、インターネットというものが普及する前から情報通信の技術に通じていた人たちのようです。この年齢層は、現在ではまだ「高齢者」というべき属性とは限りません。しかし、現代の情報通信のインフラに関しては、黎明期から、その歴史を知る生き証人という意味付けもできるとは
「くろうと」と「しろうと」で作文をしなさい。という問題があった場合、「素人は玄人に敵わない」という趣旨の回答をすることが考えられます。しかし、「わたしのくろうと(苦労と)どりょくを、しろうと(知ろうと)もしない」という答えがあってもよさそうです。中学生のころ「中」「発」のほかに漢字2文字を入れて熟語を作る問題が出ました。想定される答えは「百発百中」でしたが、当時から鉄道オタクだった私は「中津駅発」とか、「中野駅発」などと答えて、怒られたことが
私が若者と呼ばれた時期、日本という国は確かに不景気でした。就職難だったために、先輩たちが、そのことで苦労していました。苦労や努力の割に、報われにくかったのが私たちの世代です。私の年代よりも、先輩というべき年齢の人たちのほうが苦労をしていたように思います。横並びで、犯罪など問題さえ起こさなければ、定年まで身分の保障ができたであろう職場に就職することが困難になっていったのです。私たちの親や、10歳くらいは上の年代では問題なく就業に着けたところが、異常なほど狭き門と
統計学などでは、様々な考え方があると思いますが、世の中には、学力などで、偏差値という数字を用いることがあります。偏差値50は、理論上は、平均とされます。そして、そこより上と、そこより下が、一応は同じくらいづついるとされます。インターネットの発達で猫も杓子も気軽に「お気持ち」を表明できるようになりました。その「お気持ち」には、下半分も当然紛れているのです。知的レベルで言えば、一定のライン以下の物言いは、その時の気分でしか考えず、物事を大局的にとらえていないものが
無能という用語には「能力がない」という意味で用いられますが、どちらかと言えば社会的地位が高い属性に使われることがあります。そこでは「その社会的地位や責任を果たすに足りる能力が備わっていない」という意味合いもあります。もし、そうだとしたら、企業や組織などは上に行けば「無能」になるというのも頷けます。責任がついて回ったり、相応の能力や適性が求められるようになりますと、それを全うできなくなる属性が出てくるわけです。私も他人ごとではありません。これまで、自分な
世の中には「資格コレクター」と呼ばれる属性があります。私もそのような呼ばれ方をしたことがあるのですが、持っている資格を数えてみると50くらいでしたので、まだ序の口といってもよいでしょう。私が知る資格マニアは、ほぼ毎週のように何か受験しており、正確な数はさすがに存じ上げませんが、何百か持っておられる事と思います。そんな私ですから、資格コレクション道はその道の達人にお譲りすることにして、そのうえで、資格コレクターにもいくつか属性があるように思います。大きく
インターネットが普及する前から、世の中には「嘘つき」という属性がいました。詐欺師もいますし、日常生活で見え透いたウソばかりつく人もいます。幼稚園や小学校くらいから、その属性が、たしかに、可視化されていくのではないでしょうか。私が小学生くらいの時はインターネットなどは普及していませんでしたが、そこですら、様々な嘘つきがいました。嘘つきの多くは、それで自分を良く見せたいのではないかと思います。しかし、見え透いた嘘で、ろくに相手にされない奴が、たしかにいま
「おそ松くん」という6つ子が主人公の漫画があります。その6つ子が大人になった作品が「おそ松さん」です。これが随分流行ったために、ネットスラングとして生み出されたのが「嘘松」というものです。要は、(ネット上で)ウソをつく。つまりデマを流すということです。デマも、様々なものがあります。作り話もあれば、自分を良く見せたいため、武勇伝のようなことを「自分語り」することもあります。しかし、客観的なデータ、2ちゃんねるでよくいわれた「ソース」などを参照すると明白なウ
人は、努力などをして一定のレベルで収まるとそこに、ある種の心地よさを感じてしまい、それ以上は努力や苦労はしないといった傾向が確かにあるようです。いい学校、いい会社に入った場合や、特定の世間で、相応の社会的地位に就いた場合などがまず考えられます。その結果、昔は苦労や努力をしており、謙虚になっていた大人が、悪い意味で性格が変わってしまうことがあります。そうならないため、どうすればよいでしょうか。1つは、世の中には上には上がいることなどを自覚して、謙虚に努力や研
私の趣味でも猛威を振るう、ユーチューバーなどの自分語り系配信ですが、私は大抵はまともに視聴していません。鉄道が趣味なのですが、車窓や、車両など本人が口を挟まずに、淡々と見せてくれた方がありがたいのです。私が興味あるのは、車両や風景の方であり、配信者個人には興味ないのです。もし配信する個人に興味を持つなら、その知見に一目置くところがあり、人間性など魅力がある場合です。著名な芸能人などにそのような器がある人物もいますが、素人に毛が生えた程度のそれではまったくとい
現在の司法試験は間違いなく、法科大学院が出来る前の時代と比べても、試験が簡単になってしまいました。現行の制度では、予備試験というエリート選抜といってもよい別ルートがありますが、そこを経由していない、法科大学院出身の弁護士になると、能力などが担保されないといってもよさそうです。昔の試験が東大の試験なら、現在の試験は問題は東大レベルでも、ボーダーラインは、地方国立大学くらいではないでしょうか。新興系と呼ばれる弁護士法人のHPなどを見ていますと、ご丁寧にも出身高校ま
法科大学院という政策は失敗という意見がみられます。私もそう思います。こんな私も、かつて旧司法試験は受験していましたから、当時の司法試験のむずかしさを思い出すと、最近の司法試験に合格した(若手)弁護士のノリの軽さのようなものに違和感を感じることがあります。試験が易しくなったことは確かなようです。その試験問題自体は、現行の試験であってもよく考えられており、現在の私のような、試験を受けなければいけないわけではない立場の者であっても、現代社会に生起する様々な問題を法
「不良債権」といいますと、回収不能、もしくは回収が困難な債権という定義づけがされます。それが、人に対する評価として用いられることがあります。要するに、お金ばかりかかって、生産性がない人間のことです。昔から、ごく潰し、無駄飯食いという蔑称もたしかにありました。お給料をたくさん貰って仕事をしない人や、仕事ができない人もいるでしょう。そして、家計という観点で見た場合、結婚恋愛といったところで、不良債権に出くわす事があります。恋愛市場は、何かと女性優位で
moneyとの向き合い方は血に憑いてる🩸と言うではないですか!!西洋占星術でも家族から受け継ぐ"負の遺産"を観ることができるのですがまさに、それは‼️個人とお金💰との関係性にも共通する。というかお金にまつわる心配事は全て家族から受け継ぐ負の遺産🕸️ということをご存知でしょうか⁈"お金とは関係のない世界に行きたい"つまり風の時代の波に乗りたい🏄なら、、この負の遺産をリセットしない限り怖すぎて中々"風"には入っていけないと思います。(financetherapyはア
指定校推薦が蔓延し、名門私立大学にかつてのレベルの高さを維持できなくなっているところが出ているようです。私が住む関西でも、推薦入学の枠を増やし過ぎたために、わざわざ一般入試を苦労してまで入るほどの価値がなくなり、阪大などの国立大のすべり止めにすらされなくなってしまったような私学があります。推薦入学は、学校経営という観点では、入学者確保のほか、内容によっては寄付金などを募ったりすることでお金も入るので経営上は有利と言えるのかもしれません。しかし、正当な努力とは無
人のことをあまり言える立場ではないとは思いますが、差別化というのは、変なものを引っ張ってくることではないと思います。小難しい御託をたれればよいわけでもないでしょう。あたりまえのことをきちんとしていたら、差別化できるはずなのです。学校でも、成績がオール5であれば、それは立派なことです。私は、高校時代の評定平均は4でした。4ばかりで、たまに3と5があった程度の成績です。いちおうは中の上くらいだったわけです。実際のところオール5に近い成績といえば余程
このところ、私が申し上げていることは、自由という幻想に囚われ、かえって自由ではなくなる言動をする大人がいることです。このような大人とかかわらないほうがよい理由として、幻想に囚われると見境がなくなり、他人を巻き込むことがあるからです。投資など儲け話を誘うのも、その典型かもしれません。本人は詐欺のつもりではない場合でも、その見通しなどがまるでできていないため、当然のように失敗します。そして、その金銭などを他人から借りたり共同で事業をやるように持ちかけます。詐
どうも天下りで悪名高いプロバイダ企業の回線がよく障害を起こすみたいです。当方の地元では、ご当地ケーブルテレビの回線だったのが、いつの間にか天下り企業に契約先が変わってしまいました。その天下りと指定校推薦はわりと似てると思います。連中はどちらも、「努力をしたから」今の自分があるという物言いをするようです。内輪受けすることを媚び売ってまで行うことなど、努力ではありません。外部で評価される、客観的な能力ではなく、身内に甘い評価を受けるため、安めを売る行為を、努
起業の成功体験の話にもよくある事例に実家や配偶者の世話になっているのに、自力でやり遂げたように吹聴するものがあります。お金や縁故などがなくては、大抵うまくいかないはずです。私の知る、自称起業家の中には、実家が事業で成功しており、その地盤を継いでいたに過ぎない事例もあります。別に本人がゼロから何か成し遂げたという訳ではないのです。お金持ちの子供はすごくずるいという俗説があるようですが、私も、それは是認するところがあります。お金持ちの自称成功者の中
1級ファイナンシャル・プランニング技能士(資産設計提案業務)の合格証が届きました。これで、ファイナンシャルプランナー関連の国家資格と民間資格の両方が揃いました。さて、これからの活動をいかに進めていくかが難題ですが、とりあえず、スタートラインに立つことができました。
自由になりたいといっても、その思考が不自由という人たちもいます。意識高い系と呼ばれるような、本物の意識高い人とは似て非なる連中がそれに該当すると思います。書店のみならずコンビニにも売っている自己啓発書ばかり読んで、本当に啓発されるのでしょうか。これらの本は、速読を身に着けている方ならものの5分や10分で読めてしまうでしょう。内容も当たり障りのないものばかりで、本物の読書家であれば、さすがに飽きてくるものかもしれないのです。そこには、自由が個人の生き方の確
一部の金持ちの子供たち(成人も含む)を見ていますと、自分の成功は、自力での努力や苦労の成果という錯覚をしているようです。実家や身内、縁故がものを言っていたはずですが、そうでも思い込まないと、自尊心が保てないからなのかもしれません。そのような人たちは、元々能力はそんなには高くないですが、プライドだけは非常に高く、他人を見下すといったことをします。根性などで、貧しくとも苦学して同じような地位に上り詰めた人物とは雲泥の差があるといってよいでしょう。伝統的に、東京
ファイナンシャルプランナーのM'sライフデザイン前川です。今日は藤田医科大学病院で定期検診。今日は特別に午後からの診察で、血液検査のため昨晩8時半から今朝11時半までご飯無し。だから、血液検査後にカフェドクリエで食べたパスタが格別に美味しかった‼️😄いつもこの病院で血液検査後に、ゆったりとモーニング食べて待ち時間中に本を読むことが、私のmetime。この病院はカフェや食事コーナーも多く、ベンチもそこらじゅうに有り、ゆっくり過ごせます。また今日は病院入口の並木の紅葉が素晴らしくて、散
40代でやるべき「楽しい終活の専門家」佐藤真砂子です私のプロフィールはこちら働けなくなっても生活に困らないためには?私には膠芽腫という脳のがんになり長期入院し職場に復帰できずに自宅療養することになった妹がいました。妹は当時40代のおひとりさま、2度の開頭手術を経験し一人で生活することが出来ず完全介護の状態になってしまい家族に頼るしかなかったんです。これは妹の話しではあるけれど似たような状況は誰にでも起こりうる話
自由に憧れているようですが、その自由をかなり都合のいいようにとらえており、かえって不自由になる言動をする人たちがいるのです。不動産ですと、経済的自由という幻想に囚われかえって不自由になることをしたがる人たちがたしかにいます。多額の借金をしてでも、収益性のある1棟ものを所有出来たら、不労所得が入り、自由になれるというような思考や行動をします。しかし、はたして、そんなにうまくいくものなのでしょうか。連中は「金持ち父さん」みたいな本を本気で信じ込んで、アメリカ
FPのお勉強は「金持ちの子供はとてもずるい」「大人になればより狡猾になる」という事例を机上で学ぶことではないかと考えます。ライフプランや相続のお勉強では、たいして仕事ができなくても、太い実家から高額な財産をもらえる事例の「お勉強」をします。バブル期に、ある暴力団の組長が、なぜ極道に入ったかというと、標準的な会社員では家一軒まともに所有できなかったからという趣旨の発言をしていました。また、そこの若頭は、生まれ変わったらお金持ちの息子になりたいというのです。生活費を稼ぐ
人は、何か成功すると、それを他人に自慢したくなる習性があるようです。自慢話となり紙媒体などになって出回るものとして合格体験記があります。私は、合格体験記は、その内容を鵜呑みにはしない方が良いと考えています。その内容自体が虚偽ではないにせよ、何らかの意図があって、事実を脚色している可能性が非常に高いからです。まず、承認欲求や自己顕示欲による脚色です。自分はすごいと言いたげに、話を盛っている可能性があります。特に難関資格一発合格の体験記は、気を付けたほうが
じゃりン子チエという漫画には、作中で名言がいくつもあります。ひもじい、寒い、もう死にたい(アクションコミックス5巻より)というものがよく紹介されますが、私が気に入っているのは、この名言を言ったチエちゃんの祖母が、自分の孫が溜まっていた宿題を処理していた時の様子を見て言った、セリフです。勉強して、賢くなるタイプと、そうでないタイプがいる(アクションコミックス34巻より)自分の孫は、賢くなるタイプではなかった、と言いたげです。実際のところ、学歴があ