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月が射手座から山羊座へ。射手座滞在中はお出掛けがいいのだけど出掛けずに身体の声を聴いて身体と共にゆっくりを選択していました。そしたら何故か夢中になって宗教革命の動画を見まくってた(笑)今日は万聖節。そこからのハロウィン、万聖節、万霊節そんな流れで調べていたらドイツはそれどころではなく宗教革命のほうが記念日だとか。懐かしすぎる。宗教革命、なんだったっけ。(笑)大人になってからだと興味深く思えて学びたくなったり昔よりもかえってよくわかったり。聞いたこと
14世紀に建てられたトゥールネル城あのトゥール・ダルジャンの名前の由来にもなった館です。ここが有名なのはそれだけでなく1559年6月にフランス王女とスペイン国王の結婚の祝宴の一環で行った騎馬試合で、国王であるアンリ2世が右目を貫かれる大けがをし、そのまま亡くなってしまった出来事があるからです。館は解体されたのですがその後アンリ4世が「パリを世界で一番美しい街にしたい」という思いで造ったのが、パリで最も古い広場「ヴォージュ広場」です”ヴォージュ”とは、
友人の暇中先生の学生さんが、モンテーニュで論文を書くという。題材は、モンテーニュの社会的活動だそうな。確かに、『エセー』でおなじみのミシェル・ド・モンテーニュ殿は、ただの浮かれた文人ではない。司法関係の要職を歴任し、王室の侍従武官に任命されたり、ボルドー市長もつとめるなどしている。このような人だから、その社会的活動にしぼって資料を読めば、何かを言えるかもしれない。しかし、何か面白くなくないか?暇中先生に、宮下志朗さんの『モンテーニュ』を勧められたので遅まきながら読んでいるが、そこで魅力
ルーヴル美術館で絵画を見ているとやたら人物画が多いと感じます日本なら富士山とか滝、竹林、松が多いのに人物画オンリーといっても過言ではないだからとっても生々しい先ずはフランス国王の人物画からシャルル7世シャルル7世の肖像画ジャン・フーケ作シャルル7世(1403-1461年)王太子で英仏百年戦争真っ只中!パリやランスなどローヌ川以北をイングランドに奪われ1428年最後の頼みオルレアンもイングランド軍に包囲されフランス王国風前の灯でした「イングラン
12か月の未来図2019年4月6日(土)公開あらすじフランスが誇る名門アンリ4世高校の教師フランソワはある日突然、パリ郊外の教育困難中学に送り込まれる。いわゆる“生粋のフランス人”を相手にしてきたフランソワにとって、移民など様々なルーツを持つ生徒たちの名前を読み上げるのも一苦労。カルチャーショックに打ちのめされながらも、ベテラン教師の意地で問題児たちと格闘していく。そんな中、お調子者のセドゥが遠足で訪れたベルサイユ宮殿でトラブルを起こし退学処分になってしまう。フランソワはこれまで感じたこと
∂12カ月の未来図@http://12months-miraizu.com/∂フランス最難関のアンリ4世高校で教壇に立つフランソワは、父が著名作家、姉が彫金作家という知的で裕福な家に育ち、恵まれた境遇のままベテランと呼ばれる域に達している。仏映画「12か月の未来図」(4月6日公開)は、そんな彼がひょんなことから教育困難に「転勤」してからの困惑、奮闘の顛末(てんまつ)が描かれている。教育理論はさすがだが、しゃくし定規は否めない。きれいな女性にはすぐにポーッとなるが最初の一歩が踏み
「アンリ4世」によって作られたパリでも古く歴史のあるヴォージュ広場イタリアのメディチ家から嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスとフランス王アンリ2世の娘マグリットの旦那さまでブルボン王朝の初代王がアンリ4世ですね正方形に作られている最古の広場歴史を感じる赤いレンガで作られた建物に囲まれている景色紅茶好きな娘に付き合ってフランスで一番古い高級紅茶店の「DAMMANFRERES(ダマンフレール)日本人的は「MARIAGEFRERES(マリアージュフレール)のほうが有名ですが、ダマンのほ
ラフレーシュのオークションハウスで開催されましたのは、マダムCの(P.A侯爵家の思い出)相続財産のオークション。(18世紀製コモッド)セーヴル磁器のパン皿16枚がお目当てでしたが、実物を拝見しましたら想像以上に小さく、価値と価格が見合わないような…(同じ通りのアルティザンパティシエのエクレアで腹ごしらえ。お味は至って普通でした。)とにかく今回のオークションは、このお値段?ということばかりでした。ジレジョーヌのデモを承知で、ホテルを確保しオークションに参加いたしましたが、残念な結果
90年代の話である。ある大学の大学祭で推理クイズの企画があった。会場のなった教室には、どこかの大学の教授室という設定で、オフィス用の机と椅子が置いてある。そして、学生の提出したレポートを読んでいる最中に教授が急死した、ということで机に倒れこんだ教授の身体の形に縄が置いてある。さて、教授はどうやって殺されたのでしょう、というのだ。机から少し離れた場所に正解が書いてあった。「ある学生の提出したレポートに毒薬が塗ってあった。教授は指をなめながらそのレポートを読んだために毒を摂取した。」というのだ
初めての九州旅行(25)『ありがとう合宿』バーベキューの後半「いのちをいただく」の部分をどう書くべきかを考えていて、ふと思い出したのが2年前に書いたこちらの記事。16世紀末~17世紀初頭、フランス国王だったアンリ4世は「フランス国民は毎週日曜にpouleaupot(廃鶏おでん)を食べるべきだ」と言ったそうです。↓これがPoule(ひね鶏、卵を産ませていた雌鶏、廃鶏)です。家族全員が風邪気味なので、昨日、フランス領のスーパーで買ってきて、スープたっぷりのおでんを作りまし
こんばんは、まるです。「1789~バスティーユの恋人たち」にハマって、観劇に通った日々が終わってしまい、1789ロスで寂しい今日この頃。ふと、フランス革命の背景が気になり、購入した本。「聖なる王権ブルボン家」(長谷川輝夫氏著)が面白い。マリー・アントワネットの結婚相手、ルイ16世は、ブルボン王朝(実質)最後の王様なのですが、ブルボン王朝の初代・アンリ4世からルイ16世に至るまでの、王権の栄枯盛衰を描いている本です。1789の舞台の中で
台風21号、北海道胆振東部地震により被災されましたすべての皆様にお見舞いを申し上げます。北方絵画とフランス絵画は同じリシュリュー翼の2階にありました。仕切りがあるわけではありませんが、北方絵画とフランス絵画は、見分けがつきました。多分、北方絵画のスポンサーが新興ブルジョワ、飾られるのは個人の邸宅。フランス絵画はスポンサーが王侯貴族、飾られるのは宮廷。スポンサーや飾られる場所によって違いが出たためだと思われます。リシュリュー翼の北方絵画からフランス絵
ルーベンスの描いたマリー・ド・メディシスの一代記の第三回目です。前回、ルーベンスの工房について少し触れましたが、中野京子さんの『はじめてのルーブル』にもう少し詳しい記述がありましたので紹介させていただきます。「ルーベンスは企業家としても優秀だった。大工房を運営し、おおぜいの弟子や助手を雇い(一時、ヴァン・ダイクも在籍していた)、二千点とも三干数百点ともいわれる作品を輩出した。油彩の大画面をこれだけ量産するのは、工房だから可能なのであって、個人では無理だ。ル
ルーベンスの描いたマリー・ド・メディシスの一代記の第二回目です。ルーベンスはよくこんな大作を24枚も描けたものだと感心していたら、当時ルーベンスは大きな工房を持っており、ほとんど工房で描かれていたことを知りました。現在の漫画家の大手プロダクションのようなものでしょうか。ルーベンス「アンリ4世へのマリーの肖像画の贈呈」当時はまだ写真がありませんでしたので、肖像画を贈ったようです。この絵の解説を読んでいると、甲冑姿のアンリ4世が、マリーの肖像画を見
17世紀中頃の北方絵画で目に留まった作品です。驚いたことにルーブル美術館には大きな一部屋すべて一人の画家による一人の女性の一代記だけ展示してある部屋がありました。この大きな部屋は、ルーベンスの部屋、またの名をマリー・ド・メディシスの部屋と呼ばれていました。ここにはマリー・ド・メディシスの21枚の一代記の他に、マリー・ド・メディシスとその両親の肖像画が掛けられています。マリー・ド・メディシスはフランス王国の最盛期を築き、太陽王と呼ばれたルイ14世の祖母です。北イタリアを支配し
海外ドラマで学ぶ世界史?TVドラマシリーズ『Versailles/ベルサイユ』で、若き日の太陽王ルイ14世を演じた英国人俳優のGeorgeBlagden(ジョージ・ブラグデン)のシーズン3(ファイナルシーズン)がプレミア公開されたようです。放映は10月6日予定。SeasonThreeofVersailles「ベルサイユ」は母親を亡くしたばかり、傷つきやすい心を持った青年時代という、いわば彼の“暗黒期”から物語はスタート。焦点となっているのは、政府と貴族と抑制して中央集
うっかり(?)お写真の枚数制限にあってしまい、別記事になりました。ホテル「パヴィヨン・ドゥ・ラ・レーヌ」!「王妃の館」のモデルになったホテルマレ地区のヴォージュ広場にあります。ガイドブックによるとパリで1番美しい広場と呼ばれているそうですアンリ4世の命により造られた、と言うことは…あのガスコーニュ出身のダルタニアン@AFOが誇りに思っている、フランスを統一したあのアンリ4世?つまり愛ちゃん(愛月ひかるさん)@サンクチュアリが造ったと、そういうコトですね?
2018年6月10日~2018年9月3日迄早割ありルーブル美術館展&個人セッション表面:《フランスとナヴァールの王アンリ4世(1553~1610)》裏面:《ケンタウロスと闘うマルス》フランス1601年9.6×7.6㎝パリルーヴル美術館古代の肖像においては、支配者を神や英雄の姿で現す事がよくありました。アンリ4世はそれを再現しています。表面はアンリ4世。スフィンクスを頂く兜を被り、フランス王家の象徴であるユリの花の紋章が刺繍された布を帯
⬇よろしかったらこちらをクリックしてねにほんブログ村フェイクニュースの話がネットに出ていたけど、インターネットなんて所詮フェイクニュースばかりでしょ?拡散する奴の気が知れないし、あらゆるメディアは一部を切り取って報道しているに過ぎないことぐらいわかっているだろうに。常に我々は「印象操作」や「情報操作」されているんだよ。SNSなんてその最たるものだね。前に「メディアコントロール」という本で読んだけど、民主主義は一部のエリートと多数の無能な大衆がいれば、いいんだって。アメリカもイギリスももちろ
『眠れる森の美女』(仏:LaBelleauboisdormant)は、ヨーロッパの古い民話・童話。AT分類では、410に分類されている。ペロー童話集にも取り上げられ、グリム童話集では、『茨姫』(いばらひめ)として類話が取り上げられている(KHM50)。ここでは、チャイコフスキーの作曲したバレエ音楽『眠れる森の美女』のことである。3時間に及ぶ、哀しくも甘美な音楽と共に進行するバレエの終盤のアポテオーズ(大団円)、フランス王国国歌「アンリ4世への頌歌」が奏でられる。実に
マレ地区にあるヴォージュ広場の写真です。戦勝記念日で祝日の今日、広場は家族連れでいっぱいです。パリで一番美しい公園と言われるヴォージュ広場の、休日の風景をお楽しみくださいませ。今日もご訪問下さりありがとうございました。ヴォージュ広場PlacedesVosges75004Paris
お茶を手に入れた後は〝Pl.desVosges″(ヴォージュ広場)を一回り、散歩することにしました。パリで初めて出来た広場はアンリ4世が造らせたもの。この王様、随分苦労されているようですよ。そのせいか庶民の評判がスッゴクいいんだそうで。この歴史ある広場で、まず最初に挙げられるのは『L'Ambroiisie』(ランブロワジー)。日本の〝食べログ″でも紹介されていますね。相変わらず三つ星らしいけど、息子のバコ―さんに代わってから随分評判が悪いみたい。過去に二度ほど訪れていますが、値段を調べ
今日は、懐かしい方との楽しいランチのあと、彼💖に東京ミッドタウン日比谷に連れていってもらい散策。お別れしてから、行きたいけど混んでるようだからなかなか行く気にならなかった、プラド美術館展にも行ってきてしまいました。とはいえ、ベラスケスだけ、さあっと観てきました。なかでも、おめあてはこちら、王太子バルタサール・カルロス騎馬像。フェリペ4世と最初の妻イサベル・デ・ボルボン(フランス王アンリ4世の娘)との間には8人の子が生まれましたが、育ったのはこの長男バルタサール・カルロスと、末っ子のマリア・テレ
ウフィッツィ美術館には、メディチ家の方々の肖像画も沢山ありました。中でも、2階の回廊突き当りにメディチ家からフランス王家に嫁いだお姫様の肖像画がありました。フランス王アンリ4世と結婚した、カトリーヌ・ド・メディチです。この時代、フランスは野蛮な国で、洗練された文化の中心フィレンツェのメディチ家から妃を迎えたそうです。彼女が、手づかみで食事をしていたフランス宮廷にナイフとフォークで
サンルイ島を3人で歩いてる時に、子供連れのフランス女性が7・8歳くらいの娘さんに言う言葉が聞こえました。「LacruedelaSeine……」(ラ・クリュ・ドウ・ラ・センヌ)。「ワインにもクリュって使うよね。なぜ同じなんだろ?」めのおが千葉夫人に言います。「おんなじ綴り、かしら?」「CRUでおんなじじゃないかな」cru[kry]銘醸ワインを産するブドウ園。grandcru一級ワインcrue[kry]<女>croitreの過去分詞増水
アメリを観ました。勧められてから、早20年近く観てなかったフランス映画です。前にも書きましたが、これがもう好みドンピシャ。映像もポップだし、内容はブラックでキュート。目からウロコが落ちるレベルで、影響受けました。何つーか、もっと毎日を大切にポップに生きたい!って、感じです。姉がこの映画を見て急にアコギを買ってくるという、当時意味の分からなかった行動も今なら何となく理解出来ます。そう、アメリを見ると何かをしたくなるのです。って事で。今日は朝からカフェでプティデジュネです。パリは
ヌーヴェル=アキテーヌ地方ピレネー=アトランティック県Pau(ポー)こんにちは!木蓮です。冷たい雨が降る中、毎朝気分転換のために郵便局へ。私のことは、この辺の郵便局の人達はみんな知っていて、今大量に日本にカレンダーを送っているのもご存知(笑)もちろん、配達のおじちゃんに頼めば、持って行って処理してくれるのだけれど、なるべく外に出ていくようにしています。さて、今日は前回の続き。こちらは、アンリ4世が生を受けたポー城。Pau城に到着したときは、すでに閉門5
歴代フランス国王のなかでも艶福家としてドラマティックで華やかな伝説を数々残し、同時に優れた政治家でもあったアンリ4世。そのアンリ4世を10年間も夢中にさせ、ほとんど王妃待遇を受けた女性がガブリエル・デストレです。ブールデジエール城で、クーヴル侯アントワーヌ・デストレとフランソワーズ・バブー・ド・ラ・ブールデジエールの娘として生まれましたガブリエルを描いた中で最も有名なものはルーブル美術館にあります。金髪の女性がガブリエル、隣の女性は妹ビヤール公爵夫人だと言われていますルーブル美術館にあ
この眼鏡をかけた、ちょっと唇の厚いおじさん、いったいだれでしょう?このおじさんの言葉「裕福な人が戦争を起こし、貧乏な人が戦争の犠牲になる」ヒント*彼は、20世紀に活躍したフランスの哲学者、小説家、劇作家。彼の思想は実存主義によるもので、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とするものである。*1905年、彼は、フランスのパリで誕生する。*1歳のとき、海軍将校であった父親ジーンが熱病に倒れて他界したため、母方の祖父であるシャルルの家に引き取られる。祖父、シャル