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先日、この句を上げました。「夕日夕日何か言えひとこと言うて落ちも行けかし」作者を調べたのですが、なかなか辿り着けません。が、句自体が違っていました。もし調べて頂いた方がいたら、ごめんなさいm(__)m正しくは、「入日入日まっ赤な入日なにか言へひとこと言ひて落ちもゆけかし」作者は、今井邦子さん。徳島出身のアララギ派の女性歌人でした。美人さんです^^(画像お借りしました)
現在の愛宕町通り飯山を訪れた直後の「アララギ」に、赤彦は「飯山町」一連の作品を発表し、歌集「氷魚」に掲載した~飯山再発見のための連載~41「清水謹冶」その15清水謹冶と島木赤彦初めて飯山を訪れ、清水謹冶等から冬を間近にした飯山の町を案内された島木赤彦は、親友の育った町飯山、そして、小さな庵で日本でただ一人臨済禅を守り、白隠を育てた正受老人が暮らした町飯山がすっかり気に入りました。飯山を訪れた直後の「アララギ」に、「飯山町」一連の作品を発表し、後に歌集「氷魚」に掲載された山の時雨疾く
アララギ1号と2号の表紙清水謹冶は下水内郡視学と言う立場で、郡下の教員の研修会講師として島木赤彦を、飯山に招いた~飯山再発見のための連載~40「清水謹冶」その14清水謹冶と島木赤彦清水謹冶と島木赤彦は、明治31年3月長野師範学校を卒業し、謹冶は母校である下水内高等小学校訓導に、赤彦は、北安曇郡池田尋常小学校訓導に任じられました。謹冶は、明治41年8月病気のため一旦退職したと外様村史にあります。不思議なことに、赤彦も同じ年の3月。諏訪高等小学校主席訓導を退職し、養鶏業を初めていま
赤彦が見た「大根乾し」は~もっと小規模なものです~11月2日~赤彦は~清水謹冶や高森民治の案内で飯山の町を周り~多くの短歌を詠んだ~飯山再発見のための連載~39「清水謹冶」その13清水謹冶と島木赤彦東京で短歌雑誌「アララギ」の編集や、短歌と広めるための「万葉集」の講演をしながら、信濃教育会の機関誌「信濃教育」の編集していた島木赤彦は超多忙でした。そんな多忙な赤彦が、飯山へ6回も来たのは、長野師範時代の尊敬する同級生清水謹冶の招きがあったからでしたが、廃れていた臨済禅を守り、臨済禅の中
あきらめろ、、僕らは末期がん、、慶應医岡井隆先生みたく90歳代まで生きられないよーどうせ僕らはあと数年かもしれないもん、、岡井隆先生、、だれも知らないよね、、宮内庁、、自由に生きようよ末期がんなんだよね、、耳は眼を覆わむばかり雨少女ザムザザムザムわれに蹤きくる桜なんか勝手に咲けよまだすこし怨念がある昨日の夢に海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶くッと言ふ急停車音広辞苑第三版を試し引き居れば
広島ブログ皆様こんにちは歌人中村憲吉が生まれ育った三次市布野町にある中村憲吉記念文芸館までプチドライブしてきました知性教養に乏しく歌人でもない凡人のワタスがなぜ訪れたか、、、。浮沼亭冷奴の名前で落語もされ政治のことまで幅広く楽しいブログを毎日書かれてます升井紘堪忍袋の緒を結ぶさんが中村憲吉記念文芸館の館長もされてますしワタスの大好きな入館・無料ですねん広島
こんにちは🌞本日から営業再開しました☆(条件はありますが)【Winning/ウイニング】練習用バンデージ非伸縮タイプVL-CAmazon(アマゾン)1,400〜1,807円再開から1番のお客様は…誰だと思いますか?この方でした😊古賀さん☺️古賀さんはタイムトライアル走にもエントリーされていて先程結果が来ましたが…凄い‼️そしてアララギさん牟田さん♪牟田さん写ってないけど。🤣お2人とも久々の運動andマスクしたままの運動に1時間でミッチリ仕上がってました☺
飯山市旧第一中学校校歌は、地元のアララギ歌人古田十一郎さんが作詞し、古関裕而が作曲しました。飯山市立第一中学校歌が誕生したのは1967年(昭和42年)の夏でした。古関裕而は、コロンビアの専属作曲家で、1948年(昭和23年)に、夏の高校野球のテーマ曲「栄冠は君に輝く」を作曲、翌年の1949年(昭和24年)、長崎での被爆体験を伝えるために人生を捧げた、長崎大学医学部の永井隆博士をテーマとした「長崎の鐘」を作り、、1952年(昭和27年)NHKラジオの連続ドラマ『君の名は』の主題曲を作曲した有名
古田先生飯山市公民館室長野商業卒業アルバム長野商業を卒業し国鉄長野工場製缶職場務掛として就職〜作曲家古関裕而と古田十一郎3月30日から始まったNHK連続テレビ小説『エール』〜モデルは古関裕而〜第一中学校校歌作曲者その主人公のモデルとなっっているのは、国民的作曲家といわれる古関裕而です。昭和5(1930)年に、コロムビアレコードの専属作曲家とってから、平成元(1989)年8月に80歳でその生涯を閉じるまでの間に、実に5,000曲もの作品を残しています。その大作曲家古関裕而が、飯山市立
古田先生の書斎から城山公園方向取り壊された市民会館が見える土屋文明と斎藤茂吉に短歌の指導を直接受けました〜作曲家古関裕而と古田十一郎➃古田先生の昭和18年日記抄(短歌とわが青春)に、国鉄長野工場で「万葉集」の勉強会を始めたことや、「万葉集講演会」に東京へ行ったことなどが記されています。古田先生日記抄昭和18年1月18日今日より昼休みに万葉集の勉強会を開く(工場内教室で)1月23日今日夜中の2時の急行にて上京。茂吉・文明に会う。五味・柴生田にも会う。1月24日東京
徳島の常楽寺に行く流水岩になってるので、雨の日は、危ない。本堂の前にある、アララギの木。これを煎じて飲んだら、体が良くなった伝説がある。大師堂やはり、ここの寺も、コロナウィルスの影響で、ガラガラでした。
こんばんは(°▽°)👍✨本日は凄く縁起が良い名前の天然木、一位のブレスレットをご紹介させていただきます。(°▽°)👍✨パワーストーン・京都/【縁起の良い木】【笏の木】【銘木一位(いちい)】13mm、ブレスレット、桐箱付【京屋の伏見】★一位(いちい)別名「笏の木(しゃくのき)」その呼び名もいろいろあって、学問上の本名はアララギですが、北海道や東北ではオンコと呼ばれています。イチイ科イチイ属の植物。またはイチイ属の植物の総称。本州、北海道、樺太、九州、四国、千島列島、中国東北部、朝鮮
日時:2019年12月20日コース:蘭山(アララギ山)・県立自然公園船形連峰内(宮城県)伐採地から眺める蘭山です。三角点山頂の上に月が見えますのでズームで観てみます蘭山の山頂上の「下弦の月」です上空を舞う大型の猛禽類です。風切羽が7枚有るのでクマタカ?でしょうか。左翼の風切羽の6枚目が欠けているようです。私は秋以降、大型の猛禽類との出会いを期待して山を歩いていましたが、まさか近郊の山でクマタカが観られるとは思ってもいませんでしたの
こんにちは😃早速沢山のいいねをありがとうございます😊素直に嬉しかったです☆日に日に寒くなってますが、暖かい気持ちになりました🔥さてさてまずは昨日の夜の一部分から🌉夜も楽しく対人♪そして本日は朝はパーソナルから🙏2人同時にパーソナルだったので対人まで👴パーソナルとはマンツーマントレーニングです☆やりたい方はスタッフまで👍ゆいかちゃんいつも黙々とトレーニング🥳素晴らしいです!しっかり上達していってます🥳嬉しいです!珍しくアララギさんは面白いいい顔されてます。ゴリラジムアベ
(・Д・)ノこんばんは、店長ですポケカをしなくなって、かれこれ1年ぐらいな気がします12月からレギュレーションが大幅に改訂され、新シリーズソードシールドも発売されます基本的にはSMaが使用禁止になり、テテフやゾロアーク、リーリエ、グズマ、カキ、アセロラなどなど現在の主力カードが大量にレギュ落ちしますそんなガラッと変わることと対照的に昔のカードの復活の噂が現実味を帯びてきましたその噂をヒートアップさせているのが、先日発表されたこの1枚ですポケカと言えば、このカードでしたね他のカード
こんばんは🌆明日はゴリラジムが応援する石井一成選手の試合!そして儀部快斗選手もタイトルマッチ‼️ありがたい事にエクシンディコンジムの合同練習にて一緒に練習させていただいてます☆本当に2人とも強いです!一成選手も快斗選手も計量もバッチリクリアして調子も良いみたいです👍右が石井一成選手右が儀部快斗選手https://www.facebook.com/100003078525726/posts/2491279154318011?d=n&sfns=moこちらからも💁♂️計量の詳細など
こんにちは!じゅんちゃんです。最近気づいたことなのですが、僕は休みの日のお昼ごはんは、カレーかハンバーガーを選択する傾向にあるみたいです。スマホのアルバムを見返すと先週は、ハンバーガー。(シェイクシャックのハンバーガー)先々週はカレーをきちんと食べていました!笑(松屋町アララギのカレー)さて、そんなことはさておき、先日天保山店に行ったときに以下の写真を撮りました。天保山店の店内の一部なのですが、このディスプレイはどこにあるかわかりますか?
函館市の「市の木」はおんこである。1975年(昭和50年)4月1日に制定。おんこは北海道や東北地方での呼び名だそうで、いちい(一位)の木と言うとお分かりかと。また、別名をアララギとも言う。今時分は、赤い実をつけている。この赤い色に誘われ、小鳥たちが寄ってくる。赤く色づく前は、こんな緑色の実である。種には毒があるらしいが、赤く熟した実は甘くておいしい。吾輩は、結構こういうものが好きである。ついつい手が出てしまう。それなりに食べてはいるが、
今日の十和田は、一日中よく晴れて、気温は25℃を超えて夏日になり、暑かったですが、風があって、爽やかでした。今、近くの庭木の、「イチイ(一位)」の木に、赤い実がたくさん付いています。これが実と葉です。別名は、「アララギ(蘭)」ですが、この地方では、アイヌ語が語源の、「オンコ」と呼ばれます。この赤い実は美味しいそうですが、種に毒があるので、食べない方がいいようです。
みんなの回答を見る殺人未遂じゃん!それ!という仕打ちに遭っても、ルパンはふーーじこちゃーーんを愛している。そんな不二子ちゃんになりたいと思ってましたよ。マクロスFのアルトくんになりたいと思った事もあったな。モテたいのか、あたし!阿良々木くんになってハーレムを作りたくもあるしな。いいなぁ、アララギくん。金髪幼女とドーナツ食ったり真宵おねーさんに『アララギくふーーん』と言われたひ。妹達とイチャコラしたい。『友達はいらない、人間強度がさがるから』というセリフを言いたくはな
今晩は♪あっついですね空気があっついですね…焚き火の側に居るみたい飲んでも飲んでも汗が出ていくぅ~(゚_゚)昨日はお昼松屋町でカレー屋さん「アララギ」さんアララギ……と聞いて!!!どうやら関係なさそうですねビンダルーキーマカリーとベジタブルタイカリーの2種盛りをスパイシーで大変美味しかったです♪そして夜に……麻婆カレーと、しじみ汁美味しく頂きました本日車で走っていると…堺中央環状のもとトイザらスあった付近にわらび餅屋さんが…本日オープンだそうです!トロ
ご無沙汰してます、ヤナギです。最近更新滞っておりますが、、、本日、カレー行ってまいりました!!!谷六の長堀通沿いにある、アララギさんです!!二種盛りのルーとセットのラッシーを注文してみました!!!エスニック&スパイシーでとっても美味しかったです(^^)個人的に本町、谷町とカレー激戦区ではありますが、かなり推してます(笑)朝昼晩カレーでもええタイプです(笑)皆さまも谷六に行く機会があれば、是非寄ってみてはいかがでしょうか!最後までご覧いただきありがとうございます!またHPもやっ
千曲川6月8日土田耕平の飯山の詩「飯山」〜飯山の町は/丘にそひて/寂しき町/昼なほ/ひぐらし啼き〜〜飯山飯山の町は、丘にそひて寂しき町。昼なほひぐらし啼き青葉ごもりに、寺古りしその丘。飯山の町は、河にそひて寂しき町、雨の日は、向ひの山も隠れ、ただ浩々と北に向くその河。丘は低く、河は長く、道ゆく人の面には、自然の暗さあり。さびしき北国の町。この「飯山」は、アララギの大正13年1月号に掲載されました。土田耕平は、大正12年7月に1ヶ月の滞在の予
土田耕平の飯山の詩「北国街道」〜飯山の街をはづれ、北に向かう道一すじ〜北国街道飯山の街をはづれ、北に向かう道一すじ。河のほとりには、すすき穂なびき、はるかに越後境の山つらなる。さびしき北国の道。一人行かばやな。アララギ歌人の土田耕平は、大正12年7月から10月まで飯山の妙専寺に滞在していました。土田耕平の歌も詩にも寂しさがあります。それは、土田耕平が病気の治療に飯山に来ていたということが主な理由ですが、土田耕平は晩秋の頃の「飯山の町」をよく観察し的確に表現していると
ブログ内のお店の検索方法◯地域別や(大阪ミナミ、キタ、京都他)や、ジャンル(居酒屋、洋食、カフェ他)別の検索の仕方↓こちらから※初めにご覧いただければ幸いですカネコユースケのLIVE動画◯breakfreetoyouhttps://www.youtube.com/watch?v=mX9a4lFeTTQVo&key:カネコユースケ(サポート)Dr:よしひろfromネコレクションBa:さぁ〜ちゃん-------------------------------------
正受庵の座禅石「正受老人の墓にて」という題で、大阪毎日新聞に掲載された土田耕平の歌は全部で5首あります。さみだれのこの降る雨にけだしくも現れにけり石ぶみの文字この歌は〜この下に夢やたふとくおはすらむ年古りてゆく石ぶみの文字と詠んだ年古り風化した正受老人のお墓の文字が、五月雨の雨に洗われてはっきり現れたという歌です。「正受老人の墓にて」という題で、大阪毎日新聞に掲載された歌は全部で5首あります。うつしみの命のうちに何ごとも覚りたまひてここに眠らす早咲きの萩の一枝よこの石にあぐみまし
清水謹治さん飯山小学校校長だった清水謹治のところへ、島木赤彦から「土田耕平」転地療養先確保依頼の手紙〜アララギ歌人の土田耕平は、島木赤彦の紹介で飯山に病気の療養のために来られました。飯山へ来たのは大正12年7月でした。飯山市社会福祉協議会が発刊した『古田十一郎とうど塾講演集「詩歌にうたわれた飯山」』の「土田耕平と飯山」の中で古田さんはこの時の様子をこう語っています。島木赤彦先生と外様出身の清水謹治先生がふんけいの友だったことは前にお話ししましたが、その清水先生のところへ島木赤彦から一通
千曲川板橋長しふりさけて越後境の山見ゆるかな〜土田耕平の短歌〜碑文は「横山秀男」さんこの歌碑は、飯山城山公園三の丸の東北の隅に建てられています。千曲川板橋長しの板橋は「中央橋」です。土田耕平がこの歌を詠んだ頃は、中央橋は板橋でした。大雨が降って大水になると、消防や地元の人たちが出て、橋の中央から飯山側と木島側へ板を外して運び水で流されないようにするような時代でした。この板橋から北の方を見ると、西側は関田山脈が、東側は三国山脈が千曲川を中心に合わさるように見えます。「ふりさけて」という
きはだちてふかき峯とてあらなくにこの地の姿われは親しむ〜土田耕平の短歌の中の飯山これは、アララギ歌人土田耕平の短歌です。土田耕平の歌集「斑雪」の「飯山にて」の一番初めにあります。土田耕平は、明治28年(1895年)に長野県諏訪で生まれました。島木赤彦に師事して短歌を始め、小学校代用教員時代に「アララギ」に投稿。島木赤彦を助けて「アララギ」の編集にも携わりました。若い頃から病身で、伊豆大島で療養生活を送るなど、長野県内でも各地で療養生活を送りました。土田耕平が飯山へ来たのは大正12年7
かにかくに人のなさけに我れ生けり手にとりて見る珠数の一房土田耕平の歌碑〜妙専寺に!この短歌はアララギ歌人「土田耕平」が、転地療養で飯山神明町の妙専寺に滞在していた時に詠まれた短歌です。アララギの大正12年11月号に「妙専寺」2首中の1首です。土田耕平は、大正12年7月から飯山神明町「妙専寺」へ滞在し、11月末まで療養生活を送ります。アララギへの掲載が11月号というのは、耕平が妙専寺に来た直後に投稿したことになりま。耕平が滞在した妙専寺の奥さんは千代乃さんと言う方でした。とても優しい