ブログ記事120件
ついてるうさじです。田宮陽子さんの今日のブログ。多分、ドンピシャの方もおられるんじゃないかな?(^ω^)
昔の人が「一言発すれば怒馬(どば)も追いつく能わず」と言っている。いっぺん口に出したことばは、取り消しがきかない、ということだ。相手が何か言うと、パッと口でやり返すのは、間違いのもとである。見たり聞いたりしたことは、よくかみしめて、それから言うようにすることである。口のなかには、いつもよく切れる刃(やいば)があると、心得ることだ。551豚まんついてるうさじです。大阪では定番の551豚まん、昨日、中国の友人が難波で三箱買ってきてくれた。もちろん、できたてを食べるのはとても美味しいが
ちょっとした言いまわしで、相手に与えるひびきが、違ってくる。同じことを言っても、相手の為にならない厳しすぎる言葉は、傷つける言葉だ。相手が聞き入れやすいように言う言葉は、生かす言葉だ。生かす言葉と、傷つける言葉は紙一重。「あの人は、よく働くひとだけれど、酒飲みで、暴れん坊だ」は、傷つける言葉。「あの人は酒飲みで、暴れん坊だけれど、よく働くひとだ」は、生かす言葉。どっちを選ぶか、よく考えたい。グッピーついてるうさじです。やっと、梅雨らしい雨です。きのうは休日で、梅田の紀伊國
世の中は、どのように変わっても、天然自然の法則は変わらない。ところが、世の中が変わるにつれ、それに心奪われ、ひとの道までも変わるものがいる。まちがいだ。お日さまは、東から出て西に入る。世の中が変わっても、お日さまが西から出ることはない。この様に、ひとの道も変わることはない。今も昔もない。これをわきまえて、その軌道に乗ったものは、栄える。ゆり(朴の木に油彩)ついてるうさじです。単車(バイク)の走ってる姿を側から見ると、いかにも気持ちよさように見える。ところが、実際、単車
おはようございます♫ついてるうさじです。今日は暑くなりそうですね。最近、休日が変則的になっており、月曜と火曜に休みをとっています。昨日、日曜はコブラJr.の譲渡会でしたが仕事なので相方に行ってもらうことに。相方も仕事で途中からボランティアの方にお願いしたのですが、相方が会場から離れようとすると、Jr.はまるで保育所に預けた子が、母親を泣いて後追いするみたいにして泣き続け、とうとうまわりの猫たちとも馴染めず寝ていたそうです。この様子を聞いた相方は、かわいそうでJr.を手ばなすことはでき
使われやすいひとになる。一度使ってみて、使いにくい道具は、そのまま、ほうっておかれる。見離され、埃(ほこり)がたまり、塵(ちり)が積もって、とうとう、本当に使いものにならなくなってしまう。役に立つかどうかではなく、使いにくいからそんなことになる。せっかくの才能も、宝の持ちぐされになるのだ。使われやすい道具は、少々の難があっても重宝がられ、ますます、お役に立って、天命を全うする。悪因縁の埃や塵に包まれるのが嫌なら、使われやすい、頭の低いひとになることである。才能とは関係がない。ふく
昔から、名人と言われるひとは、仕事を命がけでやっている。お金よりも魂の入った仕事に打ち込んでいる。「技、神(しん)にいる」とは、こういう仕事を言う。会社員は、勤めよりも月給の上がることに気を取られ、重役は、社員が気持ちよく安心して働けることより、わがふところを肥やすことに、気を奪われていては、国家社会のためにならず、会社も伸びない。大切なのは、各々が仕事に打ち込み、命がけでやること。めぐりめぐって、必ず自分に潤ってくるはず。一挙手一投足(すべての行い)、全てこれ、未来に残る足あとであ
仕事(しごと)とは真事(しんごと)である。真事とは、真直(まっすぐ)なことである。すなわち安心のできることで、魂の入ったことをすることである。しかし、仕事をするのに、疲れるといっては、こぼし、苦しいといっては嫌がるひとが多い。仕事の真意(こころ)を知らないからで、真意を知り、真剣になれば仕事は楽しいはずである。仕事は真事(しんごと)、神事(しんごと)である。天から授かったもの、いかにすれば、よりよいことができるか、に心がければ、仕事は日一日楽しくなるもの。仕事が楽しければ、毎日が楽
晩上好(ワンシャンハオ)♫ついてるうさじです。今日は中国の友人のS君、彼の仲間達と大阪市内某日本料理店で夕食をとりました。S君はロシアに近い中国哈爾濱出身で現在、日本で貿易の勉強をしています。左うさじ右S君中国人といったら、あまりいいイメージを持たない人が多いですが、彼の場合、好青年でとても優しい性格です。ただ中国人特有のパワーはものすごいものがあります。最近、いろんな中国の方達と接することが多く、中国語(北京語)を話せるようになりたいのですが結構難しい。中国人が日本語
母は、女手一つで僕と姉を育ててくれました。ものすごく貧乏でしたが、僕ら姉弟は嫌な思いをしたことがないんです。それは、母が、貧乏を笑いに変えてくれたからでした。たとえば、お金がなくて、お米が買えないときには、「あられ」がご飯茶碗に山盛りいっぱいで、出てきたことがありました。「今日はあられたい。あられご飯なんて、なかなか食べられんとよ」そう言われると、なんだかうれしい(笑)裏では、つらいこと、泣いたこと、たくさんあったと思います。でも、どんな状況でも、明るく笑いに変えてくれる母がいたか
芸術なんて何の役にも立たない。芸術は人類の文化遺産だとか何だとか言ってるけれど、俺に言わせれば、芸術は宝物というより、膿のようなものだ。文明という腫れ物が膿んで、しみ出てきた膿汁が芸術だ。芸術なんて、ロクなもんじゃないのだ。それを、高尚だと言って、ありがたがる気持ちがどうもわからない。勘違いしてもらっては困るのだが、ロクなものではないが、つまらないものだとは言っていない。芸術家本人にとって、芸術は麻薬のようなものだろうと思っている。人類全体の幸せのためにとか、未来の子供たちのために
こんばんは♫ついてるうさじです。今日も仕事でした(・・;)やっと落ち着いてブログを書いてます。今まで、沢山の自作の絵を紹介してきましたが、モチーフは花、風景、人物と様々です。ただ、大好きな猫の絵はいまだに紹介していません。多分1000枚以上、猫の素描は描いているのですが、まだこのブログを見て下さってる皆さんにお見せできるような作品には到達していません。もしかして、一生かけて描く最後のモチーフになるかもしれません。当たり前の話ですが、僕の実力では、絵を描くきっかけとなった藤田嗣治画
商いには、言葉で表せないくらい微妙なところがある。だから、あるひとが成功したからといって、他のひとがその通りをまね、全く同じことをやっても、成功するとは限らない。商いは、ひとである。人生も同じ、ひとの経験のものまねだけではいけない。経験をわがものにして、生かさねばならない。コブラJr.ついてるうさじです。コブラJr.も順調に育ってますが今月の18日の譲渡会でお別れになります。さみしいですが、コブラJr.にとって優しい飼い主さんのところで幸せに生きてくれたらありがたいです。ところ
ものごとは、しおどきが肝心。早すぎてもいけないが、遅すぎてもいけない。商いでもそうだ。このしおどきを誤ると、買い叩かれるか、売り急ぐか、いずれにしても儲けにならない。欲に釣られるな。欲に負けるな。値が上がっている時は、まだ上がると言って、いつまでも売り惜しむ。結局下がり出してから、あわてて売って、買い叩かれる。といって、まだ値が上がり続けている時に急いで売っては利が少ない。欲に負けて、しおどきを誤らないように。グッピーついてるうさじです。商いに限ったことではないですが、何
わたしたちの持ち場持ち場が、菩薩修行の道場である。まごころのこもった務めをすることが、修行である。毎日が修行であるのに、ひとはそれをしないで、わざわざ苦しむ。なぜ、わざわざ遠いところに修行を求めるのか。生活の中に道場があるのに。落書き(落書き帳に水性ペン)ついてるうさじです。わざわざ修行をしに滝に打たれたり、山の中を走り回らなくても、今している仕事や生活をしっかり務めることが修行なんです。
子のためを思わぬ親はない。そこで、世間の親は、子のためにたくさん、財産や屋敷を残そうとする。これは、本当に子のためにはならない。財産を残せば、子は怠け者に育つ。財産は、使えばすぐなくなってしまう。まして、子のために財産を残すため、良くないことをして、大金儲けをすれば、その恨みは、反って子に返って行く。これでは、わざわざ、子にわざわいを残していくことになりかねない。本当に、子のためを思うならば、親は徳(とく)を積んでおくことである。昼飯を食べる職人さん(素描紙・水性ペン
叱られるものには、大きい喜びがある。叱事(こごと)の言いやすいひとは、しあわせなのだ。頼みもしないのに、あっちからも、こっちからも悪いところを教えてもらい、気づかせてもらうのだから有り難い。ひとの一生は修行である。「もう、これでよい」という時はない。だから欠点を改めることが必要であるが、叱事のいいにくいひとは誰も注意してくれない。そのため、欠点に気づき、それを直す機会がやってこない。叱事を言って下さるのは有り難いと喜ばねばならない。いつもひとの言うことには感謝し、何事も喜んで受け
こんばんは♫ついてるうさじです。今夜は久しぶりにギターの弾き語りをこのブログにアップしようとしたのですが、著作権の問題で公開できません・・と公開拒否されました。そこでYouTubeにアップしたものを貼り付けようとしましたが、これも公開拒否(・・;)う〜ん、趣味でしてる弾き語りも簡単にブログに公開するのが難しくなりました。禁酒とこのブログを始めて一年になりますが、その記念にと思って録画した弾き語りですが残念です。すごくウイスキーが飲みたくなる曲です。興味のある方は下にあるYouTub
ちょっとご無沙汰してました。ついてるうさじです。急に韓国出張の仕事が入り、昨夜帰ってきましたが、3、4日見ない間にコブラJr.、大きくなっていました。なんか、父親のコブラより母親に似てきたような気がします。目も手当が早かったせいか、わが家のキジトラのふくみたいに角膜が白く濁ることもなく綺麗です。今日は仕事オフ、天気もいいし、猫達と、のんびり至福の時間を過ごしたいと思います(^ω^)
おはようございます♫ついてるうさじです。ものすごい傷を負ったコブラですが、会長の奥さんが毎日薬を入れた餌を与えてくれてるお陰で、傷口もだいぶ小さくなりました。コブラ会長の奥さんの動物に対する優しさには本当に敬服します。いや、動物だけではなく、私自身、助けられた事は数知れず、いつも感謝と尊敬の気持ちでおります。何十年も猫たちの保護活動されてますが、忙しいのにも関わらず、ボランティアの方たちと毎日20キロ以上もの餌を野良猫たちに与えに行ったり、捨て猫や怪我をした猫を病院に連れて行ったりさ
あやまちを犯して、それを言い訳するものがあるが、これは誠に醜い姿である。すなおに「すみませんでした」と、誰にでもおわびできるような、素直な心の持ち主になりたいものである。おわびをすると、何か自分の真価(ねうち)が下がるように思うのは、間違いで、それは逆さまである。おわびできないのは、心の狭さを示し、たとえ、いいことをして叱られても、素直におわびするだけの心の広さがあってほしいもの。いいことをして叱られても、いいことはまるごと残り、陰徳(いんとく)はやがて陽報(ようほう)となって、自分に返
自由とは、わがままを指すのではない。本当の自由は、和合の中にある。体は、どんなに窮屈な中にいようが、心はその不自由さに縛られないで、窮屈の中に喜びを見い出していくのが、本当の自由である。苦しい身の上でも、それに負けこまず、いつも明るく、伸び伸びと喜んで神仏の教えを守ることが、本当の自由だ。形ばかりの自由を求めて、所を変えてみても、心の安らぎは得られない。本当の自由は心の安らぎをともなうもの。はたの迷惑をかえりみない自由は、心の安らぎがない。だからそれは自由と見えても、実は不自由だ。
一人のひとを泣かせたら、千人のひとを喜ばさないと助からない。十人のひとを傷つけたら、万人のひとを助けなければ罪は消えない。世の中は、このように思って努めていたら、道の開けぬことはない。自分を捨てたつもりが、自分を浮かび上がらせるのである。わが身を捨て切るひとになりたいものだ。ふくグッピーついてるうさじです。世の中には、自分の身勝手で簡単にひとを傷つけてしまう方がいます。「わたしは善人だ。こんなに善いことをしている。こんなにひとを喜ばせている」と言って、救われるのが当然だ
ひとのおだてに乗って、英雄きどりは、大まちがいのもとだ。その時は、ちやほやされて、いい気になっていても、すぐ、それは冷めてしまう。そうなると、誰も見向きもしてくれない。ついには身を滅ぼす。若い間は、特に気をつけた方がいい。死ぬことを怖がらないほど、恐ろしいことはない。英雄きどりは、そのようなところから生まれてくる。コブラJr.コブラついてるうさじです。コブラJr.も、日に日に元気になり、やんちゃぶりを発揮しています。それと顔、輪郭、両目の間隔、コブラにだんだん近づいてきてい
おはようございます♫ついてるうさじです。保護させてもらってる、コブラJr.ですが、餌も食べられる状態になりました。最初はペースト状の餌をシリンジで飲ませたのですが、すぐに詰まってしまいます。試しにチュールを与えたら、一本食べきってくれました。でも、チュールはおやつで完全栄養食ではないので、いろいろ調べたら子猫用のチュールがありました。それと、ボランティアさんが病院に行く用事があったのでペースト状の栄養食を買ってきてもらいました。それとセリアにとてもいい水入れがありました。まあ、こ
おはようございます♫ついてるうさじです。お陰さまで、コブラの傷も化膿もせず回復に向かっています。この前、紹介したコブラの愛人であるコブカノの子が保護されました。保護活動されてる会長の奥さんのボランティア仲間が2匹の子猫を保護したのですが、どちらもコブカノの子と言ってました。浮気症のコブカノなので父親は定かではありませんが、ボランティアの方の話ではコブラに間違いないということです。その一匹を一時預からせてもらったのですが、目ヤニで両目ともふさがっていて、以前うちのふくが拾われてきた状態
女の子も男の子も外で遊ぶとき、六年生も三年生も一年生も一緒だった。上級生は下級生に気をつかったし、下級生は上級生を見て、あの先輩のようになりたいと憧れた。さまざまな感情がひとつの時間を作りだしていて、ふりかえってみると、その時間がもうひとつの学校だった。吉川良PHP「昭和の家族」より人形創作安倍明美さんおはようございます♫ついてるうさじです。いつ頃から学校って変わってしまったのだろうか。私が中学生の頃、風邪で休んだ男子がお昼の給食を食べるだけの為に学校に来たことがある
人は老いるのだ。歳を取っても、元気なうちはいい。第二の人生だなんて言って、趣味でもなんでもやればいい。けれど、自分で自分の始末ができなくなった途端に慌てることになる。生きる苦しみがテレビの向こう側から、こっち側にやってくるのだ。子供には好きなように生きなさいと教えてきたわけだから、そこで子供から親の介護なんてまっぴらだと言われても、それは仕方がない。自分か子供に金があれば、テレビ越しにそうしてきたように、金で解決するのは簡単だ。至れり尽くせりの、ホテルのような老人介護施設で死んでい
働いても、働いても、尻から抜けるようで、少しもよくならない・・と嘆く人がいます。大事な事を忘れているのです。どこかに間違いがあるのです。稼ぐに追いつく貧乏はないが、やたら働いても、道にかなっていなければ、いつまでも芽は出ぬもの。種を蒔く畑が悪いのに、芽は育ちません。すること、なすこと、向こうから外れてきます。貯めたお金も、しまいには無くなります。ものに頼っていると、ひどい目に会い、心安まる時はやってきません。ものに頼るより、心に頼ると楽になるんです。ついてるうさじです。心に頼
おはようございます♫ついてるうさじです。大変な傷を負ったヤクザ猫コブラですが、あれから毎日、抗生剤入りの餌を会長の奥さんが与えていた甲斐もあり傷も化膿せずに済んでいます。あれだけの傷にもかかわらず、コブラの愛人(愛猫)であるメスのキジトラを連れてきては先に餌を食べさせます。その間ずっと、他の野良猫に襲われないようにずっと見守っています。彼女が食べ終わるのを待って、コブラはその残った餌を食べ始めます。傷を負ってるのにそこまでして彼女に尽くすコブラを見かねた会長の奥さんは餌入れを二つ用意