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お雑煮の大根や人参をすり潰しておだしで伸ばしたものでしたが、母はストレッチャーを少し起こしてみんなと食事を摂り、家族で無事お正月を迎える事が出来ましたホームでは母はいつも緑茶はいらないと言っていたのに、この日は「飲みたいな」と珍しく母が言ったので私はひと匙ずつ母に緑茶をあげて、母はなん匙か飲む事が出来ました私は甥っ子達にお年玉をあげたり、次男はいとこ達と喋ったりみんなでおせちを囲んで和やかなお正月を過ごす事が出来ましたこれが母と過ごせる最後のお正
母の元日の一時帰宅では数々のアクシデントが発生しました福祉タクシーさんは朝9時にナーシングホームに母のお迎えに来てくれましたが、看護師さんが一時帰宅前に色々と見てくれた結果、元日の当日になって母が鼻から自発呼吸が既に出来なくなっている事が判明したのですレンタルしていた酸素ボンベは自発呼吸が出来れば7〜8時間もつけれど、自発呼吸が出来ない場合は1〜2時間しかもたないと看護師さんから言われました酸素ボンベのレンタル会社に問い合わせると、元日だから届けてくれるの
元日の午前中のことは上のブログに書いたことがすべてですので、よろしければお読み下さい。元日の午後から雪崩を打って母は容態が刻々と悪くなりました。母のがんがわかってから母が亡くなるまでの日々は、日々というよりも瞬間瞬間が、母と私と妹にとってはもっとも苦しくもっとも悲しく、それなのにもっとも幸せでもっとも掛け替えがなくて、なんだか神々しいような尊い時間でした。あの日々を私は一生忘れません。もっとも恐ろしい試練は誠に不思議な事に至高の恩寵でもあったので
たくさんの不安がありましたが一番は顔面神経麻痺術後で極端に唾液が少なくなるためこまめに歯磨きをするのですがその度に鏡の前まで行って座りまじまじと自分の顔を覗き込むわけです一部、つないで頂けたということでしたがやはり患側の顔半分が全く動かない・・・顔はパンパンに腫れあがっているのでまだ、あまり実感はありませんが口元もがガーゼの下の目元も下がり顔面神経麻痺の影響はすさまじく気持ちは落ち込んでいました耳は全く感じず、ついているか不安なほど患側
がんサバイバー中路正恒です。がん闘病中です。中路正恒土下座グランプリDogeza-1開催中飲尿家中路正恒から「大切なご報告と謝罪」「バカでごめん、本当に申し訳ありませんでした」_人人人人人人人人人人人人_>飲尿家養成中路正恒< ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄中路正恒公式飲尿会メンバー募集中nakajimange@excite.co.jp小便飲んで健康に、幸せになりましょう。小便を飲む事で健康に開運します。飲尿でがん闘病しましょう。みなさん小便飲みまし
森永卓郎(66)階段10段あがれない要介護37年前から糖尿病。糖質抜きダイエットで糖尿病改善糖質抜きダイエットの効果と危険性森永卓郎(66)「書き上げるまで死ねない」がん闘病で人生観に変化妻、教え子への思い【Nスタ】|TBSNEWSDIG階段10段あがれない要介護3森永卓郎、ライザップで肉体改造約20キロ減量に成功ライザップダイエット結果報告会【森永卓郎】ライザップの食事、炭水化物抜きは、お金が・・・
糖質抜きダイエット効果と危険性森永卓郎(66)「書き上げるまで死ねない」がん闘病で人生観に変化妻、教え子への思い【Nスタ】|TBSNEWSDIG階段10段あがれない要介護3森永卓郎、ライザップで肉体改造約20キロ減量に成功ライザップダイエット結果報告会【森永卓郎】ライザップの食事、炭水化物抜きは、お金が・・・
私は軽度肥満である。思春期の頃から太り始めて基本的にずっとぽっちゃり体系だ。若い頃はそんな自分が嫌で過酷なダイエットをしたりして、摂食障害のようになったこともある。30代を過ぎたあたりから極端なヤセ願望もなくなって、ほんの少しぽっちゃりな方も魅力があるなあと思い始めたそれでも自分のことは認められなくて極端な体重増減をし、そんなことを繰り返してたら鬱になって…本当に辛い10年間を過ごした精神障害者としてではあるけど、なんとか社会復帰も出来てさあ、ここから!と思った矢先に乳がん
30日は妹家族が旅行から帰って来る日でした30日の午前中がペットホテル年内最後の営業の為、私は妹家族が預けたポーちゃん(文鳥)を引き取りに行きました。妹から預かっていた家の鍵で玄関を開けてポーちゃんを居間の定位置に置き、鳥かごを覆っていたカバーを外すと、ポーちゃんはそれまで全然鳴かなかったのに「あっ、おうちだ❗おうちに着いた❗」と言うように、急にものすごく賑やかに鳴き始めたので、すっごく可愛かったです❤さて、28日の母は自分が団委員長を務めていた
4/7のライブ、何人もの方に応援に来ていただきました。ありがとうございます。撮ってくださった写真と動画を送っていただきました。元気にしています、というのが伝わるといいなぁ。たくさんの、素敵な想いに感謝です。ありがとうございます。今日も朝の宣言。一生は今日の一笑から。今日も花のようにときめいて口角キュッと上げて笑顔で感謝して一日を生き切ります笑顔は伝播するから、まずは私自身が今日一日、笑顔で居ます。ありがとうございます。
4/7のライブになんと何人もの方が応援に来ていただきました。ありがとうございます。なんと、パーソナリティーをしていた時のリスナーさんと初めてお会いできたんです。初めてお便りをいただいてから、いつか、きっとお会いしましょうね、といいながら10年。龍ヶ崎まで電車で駆けつけてくださいました。ステージの前後に、本当に数分でしたがご挨拶ができて感激しました。がん闘病卒業見込みの10周年はいろんなご褒美がいただけるようです。あたたかい、心のこもったお土産まで持参してくださいまし
22日に入所した時は普通食が食べられたのに27日に刻み食に変わった母は、すぐに刻み食も食べられなくなり、29日にソフト食(ペースト食)にあっという間に変わりました上の献立はさつまいもペースト、白身魚ペースト、ほうれん草ペースト、ソフト豆腐、お味噌汁、おもゆです。さつまいもペーストはじゃがいもペーストに、ほうれん草ペーストは人参ペーストに変わる事はありましたが、白身魚ペーストとソフト豆腐は毎食同じでした。29日はなんと朝食も昼食も夕食も3食すべて
2024年4月8日写真で見る限りは顔色が白い以外は、痩せている雰囲気も無く極めて普通に見える。今年の桜は開花発表から10日足らずで散ってしまうのが残念でならない。病理医による病理検査が必要のようだ。
手術を終えて病室に戻りどれくらい経ったのか異常な口の渇きに目が覚めましたどう表現したら良いかわからないほど口からのど、全体が砂漠のようくちびるから舌、のどが干上がり歯や舌の裏まで一滴のうるおいもない!!カラカラ過ぎて、苦しくて干上がってしまったのどの奥が痛む何とか少しでも唾が出てこないものかと咳払いをしてみても、くちびるを舐めてみても、もう、どうにもこうにも、おおげさではなく一滴の唾もでないうるおいが恋しい・・・とにかく少しで良いか
ナーシングホームに入所した22日は母のリクエストで大好物のうな重を買ってきて、引っ越し祝いだと言って妹と3人で食べました。あれからまだ1週間たっていないのに、母が急に顔が動かせなくなり足が動かせなくなり、食べ物を噛んで飲み込む事が出来なくなってしまいました。母自身もきっと戸惑い恐怖だったと思うのですけれど、私も実は心の中でひどく驚愕したし激しく狼狽しました。がんの告知を受けても、母も私達もこれまではげしく取り乱したり泣き叫んだりという事は一切なくて
今日は、すごく久しぶりに快晴になりました暑くもなく寒くもなく爽やかな風が吹いてとても気持ち良いいい日だったので、私は駆けずり回って家中の大掃除をしました昨年母のがんがわかってから、ずっと母のそばにいました。その後もお葬式や片付けなどでずっと忙しく、我が家はこれまで大掃除どころではなかったのです。私は今日ブログを書いたら母との最期の日々を思い出してしまって、辛くて最初は泣きながらお掃除しました。お掃除しながら、私、本当はとっても泣き喚きたいくら
母が寝ている間に私は車で母のアパートにとんぼ返りしながら、これはいよいよ大変なことになっていると胸が早鐘を打つように轟きました。妹はまだ蓼科への移動中で、家族だけで楽しい旅行を満喫している所です。今はラインや電話をして邪魔せずに、まずはとろみをつけて色々やってみた後夜に電話しようと思うのですが、私は不安でたまりませんでした。母もこんな風に自分のあっという間の変化に、ずっと不安と恐怖とで1人でおののいているのだと実感しました。猫たちは私が戻ると駆
3日ぶりに会った母は体調が悪いせいか、あまり機嫌が良くありませんでした。看護師さんや介護ヘルパーさんには遠慮して言えないということもあってか、私がやって来ると起きている時は「痛い」「苦しい」と始終訴えて、私はその度ベッドを上げたり下げたりあれこれ動かしました。ちなみに、母は元気な時から肩もみとかマッサージが嫌いな性分でした。人に体を触られるのが好きではなかったので、さすってほしいとか撫でてほしいとかは亡くなるまで一切言いませんでした。刻み食に変
病室を出たわたしはエレベーター前で家族の代表1人と合流し手術室のあるフロアへと向かっていく静かにドアがひらき、看護師が先導する後ろを一緒に手術室の入り口を目指して歩くあゆみは若干遅めにお互い無口でもそれぞれの覚悟が伝わる「がんばれよ」「うん、頑張ってくる」にわかに点滴棒を携えた同じ術衣をまとったたくさんの仲間と大勢の看護師の姿人だかりが見えるああ、ここね。大きな総合受付のような待合に到着辿り着くと患者の
12月26日と27日は妹が2日連続で母の所に通っていた為、私が母に会うのは25日以来3日ぶりでした。母の所へ行く前に毎日猫たちの世話をするよう妹から頼まれていた私が午前中母のアパートに行くと、オスのハチワレ猫は案の定部屋のあちこちにゲロをしていましたオスのハチワレとメスの三毛は母と妹が一緒にふるさとに住んでいた頃、近所の人が飼い猫が産んだ子猫を裏山に埋めると聞いて、慌ててもらって来たという去勢済みの兄弟猫です。どうしたことか2匹は極めて仲が悪く、子
母のことをお正月にアパートに一時帰宅させようと思い、私と妹は色々手配して相談していました。妹のお姑さんが2日〜4日は来客で予定があり妹も5日から仕事初めの為、妹は元日の昼間は母のアパートで、元日の夜はお姑さんのマンションで家族で過ごす予定を立てていました。「元旦のママのお迎えは私と◯ちゃん(妹の夫)がやるから、ママをホームに送るのはお姉ちゃんに頼んでもいい❔」「わかった。じゃあ、ママを送った後の部屋の片付けは、◯子に頼んでいい❔それから、福祉
ブログを書くために妹とのラインを見返していたらナーシングホームの個室の写真を見つけて、ちょっと泣きそうになりました。この時はまだ母はこの世でこの部屋で、私達とともに必死に生きようとしていたから…。ナーシングホームに入所する前の母は、骨折して歩けないのと自力で排泄出来ない以外は普通に話せて普通に食事が出来て、普通の生活が出来ていました。私達はこれからもあと何ヶ月かは母と普通に過ごせると思っていましたが、実際には入所してすぐから坂道を転げ落ちるよ
「今日、ママ、『この(予備の)布団は〇〇(私)が使った』って言ってたよ。「うん。ママが寝てる時、私もリクライニングチェアで寝てたからね。」「あと、『さっきまで〇〇が来てた』とも今日は言ってた。」「それはない(笑)」「ママ、日にち感覚はもうないね。」「そうだね。なくなった。」「今日、私が黙ってたら『何か喋ってよ』ってママが言うから、『今年は3月からたくさん病院行ったね』って私が言ったら、『もうどこの病院だか忘れた』だって。」「昨日はママ、私が視界から
12月28〜30日に妹家族は家族旅行の為、もう1年も前からエクシブ蓼科に予約を入れていたのです。せっかくずっと前から予約していたホテルなので妹の旅行中は私が3日連続母の所へ行くことにして、26日と27日は妹が母の所へ行きました。母のがんが発覚してからの私と妹は、母の様子を電話やラインで毎日報告して介護の為の情報共有をしていました。「今日、ママが『食べるのが疲れる』って言ったから、後半は私がスプーン持ってご飯食べさせたの」「そうなんだ昨日も疲れる疲れるっ
明朝の手術室への入室予定時間は朝8:30前日に入院PCR検査や様々なひとの訪問を受けて除毛に剃毛、そしてパスの説明時間は刻々と過ぎていく日没をゆっくりと眺めいつの間にか夜景になった外の景色を見ながら術後の自分を想像し、必要そうなものを使いやすく配置ああ、こんなこと昔もあったなぁ・・・あの頃をふと思い出すそう、思い起こせば30代前半私は甲状腺乳頭がんでこの病院で手術を受けた忘れもしないクリスマスシーズン人生初6日間の入院でした18時になると今回初の
12月25日は妹が家で家族とクリスマスパーティーをする為、ナーシングホームへは私が行きました母はこの日もベッドの体位が気にいらず、私は母に言われるまま1日ずっとベッドを上げ下げしたり枕を腰にあてたり外したりして、色々試行錯誤しました。母はこの日も「(お弁当についてくる)このスプーンだと角のおかずが掬いにくい」と言いながらも、完食してくれましたお箸は入所してから母はなぜか使おうとしなくなりました。それから、母は緑茶が大好きで1日何杯も飲んでいたのに、
がん闘病中の森永卓郎氏、医師から「桜見れない」宣言も週末に家族で花見「やったぜ!生き残ったぜ!」スポーツニッポン新聞社の意見•23時間2024.4.3経済アナリストの森永卓郎氏©(C)スポーツニッポン新聞社昨年末にステージ4の膵臓(すいぞう)がん闘病を公表した経済アナリストの森永卓郎氏(66)が2日、ニッポン放送「垣花正あなたとハッピー!」にリモート出演。花見の予定について語った。天気予報でこの日は春らしい暖かさで桜の開花が一気に進むことが伝えられると
術前というものは酷な時間1つ1つの説明を受け自分の今の状況を理解し身もこころも手術を受ける準備を重ねていく次の科でもまた新たな説明を受けました医師によって、科によってことばの選び方が微妙に異なり、ショックの受け方もまた異なります【病名と現在の症状】病名:耳下腺癌実施予定日:2022年●月●日手術術式:顔面神経麻痺に対する静的再建術、神経移植術※こちらは吻合可能であった場合のみ↑ここに赤い波線が引いてありました口頭でも、かなり強めに「残念ながら、非常に
私の目に飛び込んできた文字この文字が目に写った時には一瞬、何も聞こえなかったのかもしれない私は音のない世界でこの文字を見た気がします病名:耳下腺癌第1に唾液腺導管癌を疑うステージ:Ⅳ正直、これだけでかなりのインパクトでしたそして、確定診断は、摘出による病理診断となります耳下腺、顎下腺、舌下腺のあたりが図解してあり転移しているリンパ節に数か所赤い印が・・・【手術をする】メリット:腫瘍の摘除ができ、病理診断がつけられるデメリット:手術による体へ
上のブログで書いた通りもしも今後緩和ケア病棟を出ることになったら在宅介護をしたいと、妹は最初言っていました。母は入院当初は家に帰りたいと言っていたのですが、後になってからは緩和ケア病棟にいたら急に具合が悪くなっても安心だから、みんなに会えなくてもいいから緩和ケア病棟にいたいと考えを変えていたのにもかかわらずです。妹が緩和ケア病棟を出たら在宅介護をしたいと悩んだのは、実はとある看護師さんから妹が言われた言葉がきっかけでした。妹はある日とある看護師さん