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読売ジャイアンツホーム用・ビジター用1960年途中略年表1960年6月11日《ホーム・ビジター共通》正力松太郎オーナーの肝煎りでユニフォームを変更。この日の試合から着用。この年限り。伝説の短命ユニフォーム第1弾は、読売ジャイアンツ1960年の「カラーテレビ用ユニフォーム」です。当時、ユニフォームを派手に見せたり明るくしたりするのに使われた色が赤でした。帽子のツバ、胸ロゴ、左袖のロゴ、番号書体に赤を使いカラーテレビ向けにユニフォームを変更しました。ここで問題がありまして、白
McIntoshMC240ステレオパワーアンプ1960年アメリカ合衆国¥―――至福の境地―――繊細で瑞々しく麗しい美音は至福の境地へと(いざな)誘う。軟らかくまろやかな聴き味で、輝きがある煌びやかな華やかさ、やさしい癒しの響きが心に沁みる。アコースティックギターの弦は夢のように美しい余韻と甘美な音色で艶やかに語りかける。パーカッションの残響が透明度の高い空間に倍音豊かに肌理こまかく再現される。音の芯のよくほぐれたハーモニック
1960(昭和35)年10月2日は前年最下位で苦しんだ大洋ホエールズが闘将三原脩を監督で初優勝した日だ。大洋ホエールズは1950(昭和25)年にセパ両リーグに分裂した際セ・リーグに加入した球団で、親会社はマルハ(現マルハニチロ)。50年代は打撃力が高い球団で巨人から青田昇、阪神から藤井勇などの名打者が移籍してきたが、投手力不足や球団生え抜きの選手が育たずBクラスに甘んじていた。そこで、巨人、西鉄で監督をしていた三原脩が西鉄内での場所が微妙な雰囲気なったという話を聞いた大洋側が
----------------------CachitoカチートNatKingColeナット・キング・コール1959年----------------------我が息子を持った幸せを歌った曲で「カチート」とは「坊や」を意味するスペイン語らしいのですが、ネットを検索しても納得行く説明には辿り着けませんでした。この曲は1959年にメキシコの女性シンガー・ソングライターが書いたもので、歯切れの良いラテン・リズムが印象的です。日本では1960年にヒットしたそうですが、