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「それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。『神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。』それで、こう書かれています。『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。』」ヤコブの手紙4:5-6新共同訳
そんな恰好でどこへ行くの?Mさんが、いきなり店に入って来て、・・さん・・さ~ん(私の苗字)を呼びつつサンダルを片っぽふっとばしながら、フイッティングルームにとびこんだ。「ねぇねぇ、これのウエストこんなにきついのよ、大きくしてよ!」と言いながら、チャックが開いたままのパンツがずり落ちないよう抑えながら、表に飛びだしていった!な、な、な、何なの?どこへ行くの?私もすぐ彼女の後をおっ
こんにちは。今回は定められた時への備えについて、書いて参ります。昨今、終末の兆候が益々目に見えるようになっているので、終わりに対する認識と終わりの時に備えた自己改善の大切さを改めてお伝えしたいと思いました。拙文ですが、よろくお願い致します。〇時は定められており、人間はその時を変えることは出来ない事が起こる時を神はお定めになっており、基本的に人が時を変えることは出来ません。ただその認識でおられる人は非常に少ないのではないかと思います。分かりやすい例は死期を延長したいとか、外的環境を
何事も自分は必ず達する事ができる、その境地に至る事ができる、と大高慢でなければ、修行はものにならない、と説いている。ものになるかならないかはわからないがやってみよう、という弱気では駄目で、必ず石に齧り付いてでも達成しなくては納得しない、やり遂げる、という決意がなければ、何事も成就しないのである、と説いている。自分一人でお家を不動のものに、と思って修行にかからねば、その修行はものにはならない。葉隠では、これを大高慢の精神として説いている。
ごきげんよう!さわこですペテロの第一の手紙5章5節「互いに謙遜を身につけなさい。なぜなら『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです」この御言葉からの古屋さんのメッセージを読みました。分かち合いをさせて頂きます。私達が思っている謙遜と、聖書が教える謙遜とは似ているようで全く違うものです。日本語では、謙遜とは控えめで慎ましく…というような意味であり、又、自分の能力を低く評価するという意味もあります。それでは聖書のいう謙遜とはなんでしょう
今日の箇所(第一列王14:21-31)には、神様から遠ざかるなら、あっという間に、与えられていた恵みを失ってしまうということが示されています。ソロモンの子レハブアムがユダの王となります。レハブアムの母の名はナアマで、アンモン人です。この事実が2度も繰り返されているのは、この事実がレハブアムの信仰にどれほど影響を与えたかということを示すためでしょう。神様はレハブアムの時代を「悪い時代」だと言われます。「ねたみを引き起こす」に該当するヘブル語「カナ」は、「嫉妬する」という意味です