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昨年の昨日は、脳血管塞栓手術。そして、昨年の9/19は、生まれて初めての手術でなんと、開頭手術だった。麻酔から目が覚めたら、頭には無数のホッチキス。。でも、術後もなかなか本調子に戻らない中ですが、昨日からなんだか嬉しくなることが。私は、ラグビーが大好きで。といっても、あの雰囲気が好きなだけですがだから、今年のラグビーワールドカップは、本当に楽しみにしてました。柏市のオールブラックスの合宿地の、レセプションパーティーで、子供達のハカをみて、なんだか涙でて、なんと、試合も
ブログアップをサボっていました2月末に造影剤MRIがありました。結果は、前回MRI(10/25)と変化なしよって放射線治療は延期。放射線治療を覚悟して臨みましたが、拍子抜けしました。放射線治療は、悪性化リスクもあると言われたので、完全に受け入れていた訳ではなくて。ただ、最初に放射線治療を検討するように言われた時から4か月をかけて、完全にではないけど、徐々に受入れる覚悟?諦め?みたいな気持ち、怖いのだけど信じるしかない、みたいな気持ちにはなってきていました。とりあえず、放
~髄膜腫(脳腫瘍)が発覚した2023年夏~本ブログは、2023年7月髄膜腫(脳腫瘍)発覚→9月開頭手術・入院の体験記、そして、退院後の生活を綴ったものになります。「髄膜腫になったけど、どうしよう!?」「そもそも、髄膜腫って何だ!?」「検査、入院、手術はどうなる!?」「退院後の生活が不安だ。。。」と感じる人が多いかと思います。自分も同じでした。そんな人に向けて、「少しでも参考になれば」と思い、治療経過をなるべくリアルタイムで記録し情報発信したり、退院後の経過を綴った
~髄膜腫(脳腫瘍)が発覚した2023年夏~本ブログは、2023年7月髄膜腫(脳腫瘍)発覚→9月開頭手術・入院の体験記、そして、退院後の生活を綴ったものになります。「髄膜腫になったけど、どうしよう!?」「そもそも、髄膜腫って何だ!?」「検査、入院、手術はどうなる!?」「退院後の生活が不安だ。。。」と感じる人が多いかと思います。自分も同じでした。そんな人に向けて、「少しでも参考になれば」と思い、治療経過をなるべくリアルタイムで記録し情報発信したり、退院後の経過を綴
さてさて、だいぶと、心持ちが落ち着いてきました。腫瘍がまた再発してるといわれた時は正直、今思うときつかった。なにを、どう処理していいのか、自分で自分自身が路頭に迷った感じでした。毎年MRI撮ってたのに?原因はなに?私の生活があかんの?また、あのしんどさを味わうの?今の部署では安心して相談できひん。誰が執刀しはるん?再発早すぎない?再発体質?次また再発あるの?そんなら何回も開頭って…でも、会社お休みさせてもらい、ゆっくりしながら、検査に行ったり諸々の手続きしたり
備忘録として簡単に記録。造影剤を投与することでMRIの画像をより鮮明に描き出すことができ、腫瘍の状態を細かく知ることができますMRI検査・MRIとは・夫談・MRIのいろいろ参考サイト造影MRI検査・MRIの鮮明版・主な副作用・2ラウンド1セットMRI検査右下の血管画像はMRA-MRIとはー●MagneticResonanceImaging●日本語では「核磁気共鳴画像法」●磁力と電波で体の中を
未破裂脳動脈瘤のコイル塞栓術退院後4年検診脳腫瘍(髄膜腫)経過観察海外旅行へ飛行機に乗りましたが金属探知機は鳴りませんでした先生からコイルが入っていても金属探知機は鳴りませんよと聞いてはいましたが実際に通り抜けるまではちょっと緊張しました腰が痛くなるのでマッサージボールを持って行きましたマッサージボールストレッチボール【累計180,000個】4個セット送料無料トリガーポイント筋膜リリース肩背中腰ふくらはぎ足裏全身ツボ押しストレッチグッズツ
先日、年に1度の産婦人科検診に行ってきました。私の家系は私が脳腫瘍である髄膜腫実母が両側乳癌母の妹である叔母が卵巣がん、子宮体癌、胃がん母方の私の祖母が子宮体癌亡くなった祖母は87歳まで元気でしたし色々な癌になった叔母は、胃は3分の2切除、子宮と卵巣切除術しているのに、82歳の今も自転車乗りまわして元気です。母と姉が遺伝子検査を受けて、遺伝性乳癌卵巣癌症候群であるhboc(エッチボック)の検査で陽性では無かったので、私もhbocではないらしいと遺伝子外来の医師から説明を受けました
なぜ私が脳腫瘍に?息子がいるので、遺伝するものなのか?と気にもなりました。検査後、聴神経腫瘍では無いから遺伝性の可能性は低いのではないかと思いました。脳腫瘍での遺伝で有名なのは神経繊維腫瘍II型(NF2)MRIあるいはCTで両側に聴神経腫瘍(前庭神経鞘腫)が見つかれば、NF2と確定診断されます。また、親、子ども、きょうだいの誰かがNF2で、本人に「片側性の聴神経腫瘍」、または「神経鞘腫、髄膜腫、神経膠腫、若年性白内障のうちいずれか2種類」が存在する場合にも、診断が確定します。家族歴が
コブラが娘のHちゃんと母の見舞いに来た時の話しです。Hちゃんは穏やかな性格で人の話しを聞いてゆっくり話しちょっと食いしん坊なところも叔父に似ています。Hちゃんなりに『伯母さんと会うは最後かもしれない』という覚悟をもって来てくれたと思います。なのに、病院の母のベッドに着くなり「せっかく東京に来たんやし、これから2人で遊びに行ったらええやん」とコブラは何度も私達を追い払おうとしました。前回、叔父と来た時と違い横柄さが目立ち、夫という異性がいない時は性格の悪さを露呈
手術から4ヶ月、退院後4回目の外来。術後4ヶ月が経ちもう6月、コンタクトにしてしばらく経つけれど、もみあげの創部だけ、開いたり閉じたりを繰り返している。この閉じ切らない部分というのは長さにすると1.5~2センチ程度で、場所も、もみあげの上の方なので、メガネやマスクをつけていなければ日常生活には大きな支障がないのだが、触れるとズキズキするし、開いてしまうと、浸出液が漏れてきて、ピリピリする。朝起きた時にもみあげ付近の髪の毛がカピカピになっていることもある。30針くらい縫った端の部分なので、最
大学病院その3①転院先で脳腫瘍(髄膜腫)の診察へ大学病院その2から大学病院その3へ転院初日診てもらいたい先生がいると伝えたところ紹介書に先生の名前が書かれていないから診てもらえるか分かりませんがとのことでしたが〇〇先生を希望されていますというメモを挟んでくれましたさらに脳神経外科の受付でも希望してることを言ってくださいと丁寧に説明してくれました大学病院その2と比べて受付の人の対応が優しくてまずはほっとしましたただ脳神経外科へ行くと建物が古くて
持ち物リストのメモです遠足かよ?というお気楽な内容ですが、、、メンタルの状況が傷の治りに大きく寄与するという記事をよんだもので!飲食------->・お気に入りの中国茶・カップ・リンゴジュース・オレンジジュースの小パック。これは絶食後にすごく良かったという話を他の方のブログでよんだためです!・ふりかけ・ストローキャップ、百均で売っています衣類------->・タオル:5枚。レンタルでもお安くあるのですが・・・。手触りが💦・パジャマ:3セット。同上ですがデザインが微妙
理由がわからない頭痛がきた時不安になる肩が凝っているわけでも疲れるような事もしていない…昨日の夕方から夜まで術側の後頭部が謎にうずいて何頭痛?と1人でじ~っとしていたぴえんだった
本日は、髄膜腫の手術に関係するあれこれについて。私は、2023年の2月に髄膜腫の手術をしたのだが、1月に初めて脳神経外科を受診して、その時に髄膜腫についての説明を聞いた。今さら説明するのも、という気もするし、本当にざっくりだが、頭の構造はイラストでいうと以下のような順番で並んでるらしい。水色:頭蓋骨オレンジ:硬膜黄緑:くも膜赤:腫瘍わかりやすくしようとして、頭に虹がかかっているようなイラストになってしまったが、頭は外側から、頭蓋骨、硬膜、くも膜、書いていないが、軟膜という順
世の中がなんとなく落ち着かずふわふわとした新年度が始まったが、私自身の生活や環境に大きな変化はなく、粛々と療養期間を過ごす。「健康な1年を過ごせますように」と参拝した2023年の初詣は、10日後くらいに髄膜腫が判明し、猛スピードで不健康ぶりを発揮したので、新年度の目標として「健康になる」を掲げてみた。【体調について】●顎の痛み大口を開けない限り、痛みはあまり気にならないくらいまで回復。●痺れこれはなかなか良くならない。頭が痺れるのは仕方ないが、体の痺れは完全にコロナの後遺症が
退院してからは、とにかくのんびりと過ごし、基本的な生活は寝てばかりいた。入院中は頭痛などであまり眠れないまま朝を迎えても、やはりどこか気を張っていたのだろう。退院してからも頭痛はあったものの、緊張の糸が切れたようだ。食事をしたら眠る、少し活動しては眠る、を繰り返していた。ある日、在宅勤務の夫と昼食を取り、すぐに眠っていたところ、声をかけられ目を開けると「救急車呼ぼうか?」と言われた。紙のように真っ白い顔色で眠っているので、死にかけているのかと思ったらしい。起きている時は、元々のテンションの高さ
手術後の頭髪は、戦の跡。洗髪はいつなんだ。割とひどいイラストを載せていますが、一応女子です。一応結婚もしております。女性が毎日洗髪できないというのはかなりのストレスです。覚悟はしていたものの。。。。。手術する前にたくさんのブログを読んで挑みました。早い方だとかなり早い段階から洗髪できたようですが・・・私はどうでしょうか!?時系列・手術前日にシャワー・洗髪・手術当日(月)当日はシャワー、洗髪なし・翌日(火)ベッド上安静、頭のカテーテルとおしっこの
脳のシャント術後、母はリハビリ科の病室に入院しました。昼と夜のメリハリをつける為に昼間は洋服で過ごしました。リハビリで動きやすいようズボンスタイルです。母の好みや持っている洋服はだいたい把握していたので、話し合いながら洋服を提案しました。洋服のお陰で楽しい話題が1つ増えて助かりました。「良いの見つけたね」「似合ってるじゃない」褒め言葉が増えると本人も嬉しそうでした。ズボンの裾にチャックがあると脚にシップを貼る時いちいち脱がずに済んで便利だと知りました。部屋は
術後3日目。「ハレグルシサ」Maxで目覚める。いよいよ視界が遮られ、鏡を見ると、肉の向こうに黒目がちんまり見える程度。昨日は、これ以上どう腫れるのか、と思っていたが、昨日は顔の上半分を中心に、今日は上も下も顔面総出で腫れにきている。これは、すごいな、と感心していたところ、朝の回診で主治医とチームAが登場。主治医は私の顔を見るなり、「あぁ、腫れたねぇ。漢方でも出そうね」と即断。顔の腫れはさておき、頭にのせられていたガーゼを初めて外し創部の状態を確認してもらったところ、順調らしく、シャワ
さてさて、前回は、誘導されるままにベッドにあがり、アンギオ始まった気がします。おそらくベテラン2人の方であうんの呼吸でしてくれてはったようです。が、今回はメンバー違い、新しい人がいる感じでしたので、声出してやらはるから、全て聞こえた。ほぼ、ベッドの上で、タオルこそ気持ちかけてくれるがほぼ全裸。一応、手首からではあるが、鼠蹊部からに変更する可能性も見据えての準備やから術衣、オムツ全部剥がされてた。あっ、生理中なんで、パットは敷かれてた。で、右手(カテーテル突っ込む方)左
母の病理解剖は朝の1時間程で、謝礼として5千円頂きました。私「時給5千円だよー。人生最後にお母さん出世したなー」。コブラは私の言葉が気に入らないのかしかめ面をしました。頂いた母の高額バイト代は母の為に使おうと近所の花屋に向かいました。花屋「去年も葬儀のお花のご注文を頂きましたよね?」私「はい、前回は父で、今回は母です。両親の葬儀はもうないと思います」。お花見しながらアチラへ行くのも良かろうとピンク色の花をお願いしました。私「直ぐ燃やしちゃうので開いちゃったお花
脳腫瘍(髄膜腫)の手術大きくならなければ経過観察と言われていたのが大きくなっていないのになぜかそのうちに脳腫瘍(髄膜腫)の手術をしたほうがよいよ急ぎはしないけど家族の都合とか考えて良いタイミングの時で良いよなんとなくイヤな感じがするんだよねと言われた経過観察4年目悩みに悩み二転三転と考えが変わりましたがいろいろな理由でセカンドオピニオンではなく大学病院その2から大学病院その3へ転院することに決めました5年検診を待たずに病院へ行きとてつもなく
手術後。「コトムさん、終わったよ」と主治医に肩を叩かれ目覚める。と、同時に電話を夫に繋いでくれていた先生が耳に電話を当ててくれた。まだ、何が何だかわからないけど、手術が終わったんだ、ということだけは認識し、ごしゃごしゃ何かを言った後(自分でもよく覚えていない)に「夫さん、手術終わったよ~。ありがとうね。」と伝えたことだけは覚えている。主治医から夫に「思ったより早く済みました。取れる箇所は全部取ってほにゃらら~」という説明が聞こえたので、そうか、少し早めに終わったんだということを理解し、その
向かって左側の丸い白いのが、私の手術前の画像小脳テント髄膜腫4.5センチ初めて画像見た時、誰が見ても脳腫瘍って分かるなぁ〜って😅どこか他人事の様な…まだ病状が受け入れられてなかった私がいました。向かって右側の画像は、開頭手術後の画像です。綺麗に取れてるように見えますが、脳幹に癒着している硬膜は後遺症が残るので触れず、他の硬膜も少しレーザーで焼いたけど取りきらず、腫瘍の中身を取れるだけ取って、硬膜残ってます。っと、いう感じ。お花で言えば…お花や茎や葉っぱ(腫瘍の中身)は取ったけど、
母の妹である神戸のお喋りコブラは何度か見舞いに来てくれました。優しいから来たのではなく来たいから来たのだと思います。コブラの性格は自己主張が強く・空気が読めないのですが(いわゆるアスペルガー)コブラが何かしでかしてもお互い離れて暮らしていたのでその後、事はウヤムヤなりコブラは謝る事なく好都合だったのでしょう。母と「新幹線に乗れる位に回復したら箕面(みのお)に行きたいね」と話していました。それは叶わぬ夢だと頭で分かっていても何か楽しい目標が治療に必要でした