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まだ変質していなかった革マル派の時代に、私はみんな(他の組織成員)とのあいだに感覚的なちがいを感じた。みんなはどうも、相手の労働者あるいは学生を大衆運動(労働運動)の革命的展開(左翼的展開)の主体にする、というところで一段落する、一気に革命の主体にすればいいのに、と私はどうしても感じる、と感じたのである。みんなは、相手の労働者あるいは学生を、いったん大衆運動(労働運動)の革命的展開(左翼的展開)の主体にしたうえで・しかるのちに革命の主体にする、と考え実践している、というように感じた、ということ
イスラエル政府はイランに報復としてミサイル・無人機で攻撃した。イランの外相は、「撃墜した無人機はいかなる被害ももたらさなかった。イスラエルがこれ以上攻撃してくるならば、断固とした措置をとる」、と述べた。イスラエルの国家権力者は、「あくまでもハマスを殲滅し、ガザを制圧する。しかし、イランとの全面的な戦争はしたくない。そんなことをすれば、労働者たち・勤労者たちを支配している自分たちの国家権力がもたない」、ということなのである。イランの国家権力者は、「イスラエルにガザを制圧させるわけにはいか
今日のように民族主義集団に変質する前のかつての革マル派においては、われわれは、組織成員である自己および自分が変革する相手の「ブルジョア的汚物を一掃する」と考え、癖や小ブルジョア的残滓といえるようなものを見いだし、これをなくすことを追求してきた。しかし、これは、プロレタリア的聖人君子づくりのようなものであった、といわなければならない。これは、自己および変革する相手のプロレタリア的変革ではない。なぜなら、われわれは、プロレタリア世界革命を実現するためには、プロレタリア世界革命を実現するぞ、と意志し
その主体が民族解放民主主義革命をおのれの戦略的目的にしているばあいには、労働者や学生を組織するためにはその労働者や学生に彼の民族主義的意識をよびおこし煽ればよいことになる。自分自身もまた、自分自身の民族主義的意識をわきあがらせ、これを自分のよりどころとすればよいことになる。ここには、相手および自己の人間変革ということはでてこない。そうすると、相手および自己がプロレタリア的であるということ、あるいはプロレタリア的主体性を獲得するということは、「革命への献身性」や「党への献身性」をもつことにもとめ
有事に日米共同作戦行動を指揮する日本側司令部を設置する法案が衆議院で可決。日米軍事同盟の強化阻止!陸海空の自衛隊の部隊運用を一元的に指揮する常設の「統合作戦司令部」を新設するための防衛省設置法などの「改正」案が、4月16日の衆院本会議で自民、公明、立憲民主など与野党の賛成多数で可決された。共産党とれいわ新選組は反対した。統合作戦司令部は2024年度末に、東京・市谷に240人規模で設けられ、陸海空に宇宙・サイバー・電磁波などの領域を加えた作戦の司令塔を担うとされる。また、「統合作戦司令官」
NHKスペシャル「下山事件」の第2部も第1部と同じトーンであった。第1部・第2部をつうじて描かれているものは、下山国鉄総裁の死亡はアメリカ占領軍GHQによる謀殺である、ということを立証する直前に迫ったときにその占領軍によって捜査の終了を命令された検事の無念と悔しさであった。この番組につらぬかれているイデオロギーは、戦争に敗れ占領下におかれたことを体験した日本人は、検察という国家的な機関はもちながらも国家権力をもたず外国軍によって蹂躙されたという屈辱をバネにして、日本国家権力のアメリカからの
「解放」最新号(第2815号2024年4月22日付)の一面トップ論文は、内容も文体もおさない。たどたどしい。水準の低い常任メンバーが書いたのであろう。これよりは、学生の報告記事のほうが彼らの心情がよく出ている。そこでは次のように言う。日米首脳会談で岸田が追求するのは、「バイデン政権に呼応し、日本の兵もカネも技術もすべてさしだすかたちで、日米軍事同盟を飛躍的に強化する策動にほかならない。」と。ここには、日本の兵もカネも技術もきわめてすぐれたものなんだ、それをすべてさしだすのはもっ
アメリカのバイデン政権は、4月15日に、韓国のサムスン電子がテキサス州中部ですすめる半導体製造拠点の集約化を支援するために64億ドル(約6800億円)の補助金を出す、と発表した。これは、中国に対抗して、アメリカ国内での半導体の製造能力を増強するためのものにほかならない。現在では、世界の半導体生産に占めるアメリカの割合は1割程度にすぎない。アメリカ政府は、2030年までに、これを2割程度にまで引き上げたい考えだという。こんなにあがいても2割程度なのである。これでは、アメリカは老衰している、と
岸田がアメリカ議会で演説した内容をもう一度考えよう。「ほぼ独力で国際秩序を維持してきた米国。孤独感や疲弊を感じている米国の国民に語りかけたい。一人で背負うことがいかなる重荷であるのか、私は理解している。」「「自由と民主主義」という名の宇宙船で、日本は米国の仲間の船員であることを誇りに思う。共にデッキに立ち、任務に従事し、なすべきことをする準備はできている。」と。こう言ったのである。日本の国家権力者に「孤独感や疲弊を感じている米国の国民」とか「一人で背負うことがいかなる重荷である
ロシア軍はウクライナへの攻撃を開始した。ロシア・プーチン政権のウクライナへの軍事攻撃を阻止するために、全世界の労働者階級・人民は国際的に階級的に団結してたたかおう!
「革マル派」中央官僚は、「解放」最新号(第2024号2024年4月15日付)で、「没落」国アメリカというように、やけに「没落」を強調しだした。これは、「安保の鎖でアメリカに締めあげられた「属国」日本の岸田政権」という従来通りの主張をくりかえしながら、「没落軍国主義帝国アメリカ」「今や「主敵」中国を独力で封じこめる力を喪失して久しいアメリカ帝国主義」「老いたるアメリカ帝国主義」というように「没落」「老い」を強調して、全体がかもしだす雰囲気を変えているものである。そのように没落しているがゆえに
「革マル派」が何か変な異人種にのっとられたみたいな感じだ。変質に変質をかさねておかしくなった、というのとちょっと違う。痩せても枯れても革マル派という匂いがないのだ。ブクロ派(中核派)の連中が「革マル派」になだれこんでのっとってしまった、という感じなのだ。昔の、民族大移動で、異民族が在来民族を支配してしまった、というような感じ。「解放」最新号(第2693号2021年11月8日号)の文体が従来と違うのだ。しかも、インテ―ネット上に掲載されている二つの論文の文体が同じように従来と違う。トップ
「革マル派」現指導部は、「解放」最新号(第2712号2022年4月4日付)で言う。「ウクライナ兵士と志願兵と「領土防衛隊」」、「彼らは、NATOから供与された携行式のミサイル「ジャベリン」(対戦車)や「スティンガー」(対ヘリ・戦闘機)をもって変幻自在に戦い、……」と。「革マル派」現指導部は、NATOからゼレンスキー政権に兵器が供与されたことに喜々として、その兵器の名前をあげつらっているのだ。彼らは、NATO諸国権力者とウクライナの支配者の宣伝隊に化しているのである。彼らは、それとし
イラン政府は——在シリアのイラン大使館への攻撃の報復として——イスラエルを大規模に攻撃した。イスラエル政府は、これへの報復の計画を練り準備をおしすすめている。ガザに侵略したイスラエル国家も、戦争を開始したイラン国家も、自国の労働者たち・勤労者たちを搾取し収奪し抑圧しているブルジョアジー独裁の国家であり、自国の労働者たち・勤労者たちにナショナリズム・イデオロギーを注入し、彼らを兵士として動員して、戦争をくりひろげているのである。全世界の労働者階級・人民は、ガザでの殺戮と中東戦争を阻止する
岸田のアメリカ議会での演説を読んだうえで「解放」最新号のトーンを思いおこすと見えてくるものがある。中央官僚が、「没落軍国主義帝国アメリカ」「今や「主敵」中国を独力で封じこめる力を喪失して久しいアメリカ帝国主義」「老いたるアメリカ帝国主義」というようにアメリカの「没落」「老い」を強調し、そのように没落しているがゆえにアメリカは、「「属国」日本に兵・武器・カネ・技術などあらゆる〝貢ぎ物〟の提供を迫っている」のだ、と論じていくのは、日本はアメリカほどには老いと衰えを見せていないのだ、日本民族は優
「革マル派」中央官僚派は、ついに耐えきれずにイタリアの共産主義組織ロッタ・コムニスタへの反論にのりだした。彼らは「解放」最新号(第2796号2023年11月27日付)の当該論文のほんのリードだけを、おずおずとインターネット上に掲載した。その内容は、「「ロッタ・コムニスタ」はプーチン擁護をやめよ!」というものである。この「プーチン擁護」という批判は、彼ら中央官僚が、米欧帝国主義諸国によるゼレンスキー政権への兵器の供与を熱望しこいねがうのでない者にたいして、「プーチン擁護」と感覚し考えるこ
黒田寛一読書ノート〈第8巻〉1951年9月‐1952年4月2,160円Amazon革マル派の統領で理論家の代表であるクロカンこと黒田寛一が若い頃に読みふけっていた哲学書の要約感想ノートを出版したもの。孫子ではないが『敵を知るもの百選危うからず』と述べるとおり、なぜ!かの時代の団塊世代がクロカンに填まり、殺人に関して罪悪感が薄れてしまい、本多延嘉ら『中核派』となり、クロカン率いる『革マル派』と殺人遊戯に深けてしまい、結果的に市民運動から距離を置いてしまい新左翼は支持を喪失。隣
職場の労働者を変革するためには、ものすごい能力を必要とする。自己のあらゆる能力の全面的な発達を必要とするわれわれは自分が職場の労働者を変革するのは大変である。小ブルジョア的なものの残滓があるか否かというようなことを物差しとして自己を見るのでは、自己を見ることはできない。自分のあらゆる能力を省みるのでなければ、相手の労働者への自分のかかわりの穴を穴として自覚することはできないのである。職場の労働者を職場闘争に決起させ、この労働者を、革命をやるぞ、と意志する労働者に変革するためには、われ
これまでいろいろと検討してきたことを基礎にして考えるならば、黒田寛一は、同志にたいして、自分の意を察してそれを実現するように実践せよ、というように相対してきた、とつかみとることができるのである。この相対しかたは、きわめて日本人的である。しかも戦前に見られたような家父長的なものである。自分が同志たちにやってほしいと思っている心のうちはそのものとしては言わないで他のもっと言表しやすいものとしてあらわし、自分がほんとうに思っているものを察せよ、ということなのである。だが、これは、前衛党組織におけ