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『摂津国』(せっつのくに)現在の大阪府北西部と兵庫県南東部。畿内の一国。上国。『古事記』『日本書紀』には,「津国」とある。国名は難波津(なにわつ),武庫津(むこつ。務古津とも)などの良港があったことに由来する。聖武天皇の造営に成る『難波京』は現在の大阪市中央区で,近時の発掘によるとここに天武天皇の『難波宮』,孝徳天皇の『長柄豊碕宮』(ながらのとよさきのみや)もあったらしい。摂津には外国使節の迎賓館があったため,律令制下,特に摂津職がおかれ職員として
平安京に先立ち、奈良に都が置かれたのは7世紀後半から8世紀。その時の聖武天皇の時代には僅か在位25年〔724~749年〕の間に、平城京から恭仁宮(くにのみや)~難波宮(なにわのみや)~紫香楽宮(しがらきのみや)~平城宮と都が転々と遷された。この時期に兵乱や災害が頻発したため、聖武天皇はこれらの厄災から逃れようと遷都したとされる。これらの遷都先の中から、今回は恭仁宮跡を探訪した。□平安時代までに宮・京が置かれたところ飛鳥時代の近江大津宮に始まり平安京までに至る130年近くの間に、9ヵ所に
『近畿の地質的景観』第2回<上町台地>上町台地は大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地である。縄文~室町時代の上町台地周辺は、埋め立ても少なく自然の土砂の堆積で遠浅になっていきました。江戸時代から大地の西側が、埋め立てや安治川治水、大和川すげ替えなどの土木工事が盛んになりました。・「梅田」:大阪駅界隈の大阪の顔。何故,「うめだ」と言う名前?⇒浅瀬を埋め立てたので「埋めた」→「うめだ」。・「大坂城」:大阪のど真ん中の城。何故,本願寺や大坂城がここにあったの?⇒北東西が遠浅の海や湖