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今シーズンラストランは初の関東遠征です。娘が春休みに入ったので、家族でTDRに行くことになり、その合間に大会に出場します。1日目は3人で東京ディズニーシー、2日目は嫁さんと娘が午前中から東京ディズニーランドに行き、僕はマラソン後合流する予定です。今回のユニはこの選手です。原口史仁選手です。2019年初めにステージ3の大腸がんにかかっていることを公表しましたが、その年の6月には1軍の公式戦に復帰してサヨナラヒットも打ちました。そして、今年1月大腸がんが完治しました。彼の本からは人柄の良さがに
打倒蜃気楼ボールに燃える花形星一徹の協力もあり、ついに必殺のツバメ返し打法を完成させたしかし肉体を極限にまで酷使するこの打法は禁断の魔打法でもあった飛雄馬との最後の対決に挑んだ花形はついに蜃気楼ボールをとらえ、ホームランを放つしかし直後に花形は倒れ、野球生命は終わってしまった最終回「新たなる出発(たびだち)」前回ズタボロで倒れて、野球界から去った花形がいきなりピンピンして登場(笑)ただもはや野球選手としては無理らしい破壊されたのは上半
いよいよ1977年のプロ野球が開幕その中で阪神の新外国人ロメオ南条が開幕戦から活躍を見せ、一躍注目選手になったロメオは飛雄馬に対して、必要以上にライバル心を燃やす一方巨人も開幕カードを連勝で飾りついに阪神と後楽園で対決する事にしかも第一戦の登板は飛雄馬初回から飛雄馬とメロオの初対決が実現するゆっくりとバッターボックスに向かうロメオ南条「ロメオ~頼んだでー」「ヨミウリをいてもーたれっ」「いやいや、ロメオ選手大変な人気です」「まあ開幕戦でラン
蜃気楼ボールを花形に打たれた飛雄馬しかしその花形も、野球生命を失い球界を去ったもはや蜃気楼ボールを打てる打者はいなくなり完全に無敵と化した飛雄馬花形の抜けたヤクルトをしりぞけ、長嶋巨人はリーグ3連覇を果たした一方父一徹は、この頃から体調を崩し倒れて病院に搬送される一徹の余命はあとわずかと判明それを知らされた飛雄馬は、一徹に長嶋巨人初の日本一と自らのМVPを約束予告通りそれが達成された時、星一徹の命も尽きた王者阪急を日本シリーズで4タテ4連投
飛雄馬が右でも投げられると気付いた伴しかし酷いノーコンで、とてもこれで巨人復帰は難しいと考えた伴は、まず打者として巨人に復帰させるため直接長嶋監督を訪れる長嶋監督も飛雄馬の行方を気にしていたらしく再開に目を輝かせた伴はこれ幸いと、長嶋監督を連れ出す事に成功飛雄馬のもとへ急行するビュンカーーーーーーン今日も寒風の中打撃練習をする飛雄馬ビルも足のケガから復帰したらしいキキッ「うーん、ここに星がいるんですか?」「ええ、今特訓中です」「星
昨日(4/9)、関根潤三氏が享年93歳で亡くなった。関根潤三といえば、現役時代、近鉄・巨人で「投打二刀流」として大活躍し、現役引退後は、大洋やヤクルトの監督を歴任、監督を退いた後は、ソフトで柔和な語り口の解説で人気を集めた人として知られている。そして、関根潤三といえば、我が法政野球部の歴史に残る、大投手でもあった。関根潤三は、1948(昭和23)年秋に、法政を戦後初優勝に導いた、大エースだったのである。そこで、今回は「法政人物伝」の追悼特別編として、関根潤三の生涯を描いてみる
いよいよ1977年のオープン戦が開幕花形、ロメオ南条、左門等が次々と結果を出して行くしかしそんな中、飛雄馬の出番はなかなかこない飛雄馬はついに長嶋監督に直談判したが長嶋監督は、前年度の覇者阪急ブレーブスに飛雄馬をぶつける構想だったそして始まった阪急とのオープン戦飛雄馬は、ベストメンバーの阪急の打者をいきなり三者三振という好スタートを切った試合は巨人飛雄馬と阪急山田の投げ合いとなった阪急山田も好投で巨人打線をゼロに抑えるが飛雄馬は4回まで12者連続三
神奈川区西神奈川にある魚屋。※地名に2回も神奈川とあるけど、横浜市内とゆー謎な上下関係(笑)ランチ(麵屋こころ)を済ませた後、東神奈川駅まで戻る途中、以前から気になっていた看板を再度目にした。いつも思ってたけど周辺を見回しても魚屋が見当たらないので、右側にあるクリーニング屋に入ってみたら、奥にあった(笑)中には頑固一徹を絵にしたよーな店主が一人いた中、何故か長嶋茂雄の拡大写真があった。周辺を見回してみたら、至る所に長嶋茂雄関連モノがビッシリと陳列していたので、頑固一徹親父に撮影許可を取
3月24日(日)30㎞地点の広場にそびえるオランダ風車。佐倉マラソンの一つのシンボルだ。自分が初めてフルを完走したのは2012年のこの大会。(当時は佐倉朝日健康マラソン大会)そして、12年振りに出場した今大会はフル完走111回目。1が四つも集まった。佐倉と言えば、スポーツ界の有名人と縁がある。その有名人にちなんだ野球場、陸上競技場が大会会場。まず、長嶋茂雄記念岩名球場が更衣室や手荷物預け会場。長嶋茂雄氏は地元出身の有名野球選手。スタート&フィニッシュは小出義雄記念陸上競技場
「大リーグボールは必ずオズマに打ち砕かれる」花形にそう忠告されたが、その根拠は何かすっかり聞き逃し、その内容が書かれた手紙さえ花形に送り返してしまった飛雄馬今頃になってそれを後悔してしまうオズマの見えないスイングが何故打倒大リーグボールなのかそんな事を悩みつつ、巨人中日戦を観戦オズマのツーランで2点リードされたが4回裏二死一二塁から一徹コーチは王の敬遠を指示満塁で対する長嶋には何故か初球からど真ん中の真直ぐが投じられたカコーーーーーーン長嶋さんの
俺たちゃハダカがユニフォーム♪たまにゃハチにも追われるけれど~こんじょーこんじょーこんじょひとつが財産さぁ~というわけで、いよいよ今日から今シーズンのメインのオフ企画始めますもちろん、やるのはアパッチ野球・・・・・えっま・・・・間違えたぁぁぁぁ今のなしっ忘れてくださいえーっ、改めましていよいよ今日から新巨人の星の適当解説始めますw川上巨人のV6をかけた中日戦で先発した星飛雄馬は、大リーグボール3号の連投で中日打線を9回二死までパーフェクトに抑え
家出した姉明子が名古屋で中日の一徹コーチに会ってる頃後楽園に二軍落ちした飛雄馬が姿を現した監督造反で、ほぼ懲罰的に二軍に降格させた飛雄馬をいまだ根に持っていた川上監督だがなんと飛雄馬は大リーグボール2号が完成したのでテストしてくれと申し出るその勝負は、川上監督との1打席真剣勝負しかも一球でもかすったら不合格でいいという条件そんな中、ついに大リーグボール2号が川上監督に投げられたギューーーーーーーーン『ふんっ、ド甘のコースじゃないか( ̄ー☆』だがホームベ
どうでもいい事ですが‼️我が家で30年使用したトイレ🚽リニューアルしました↓これをみて、訪問者の方々〜うん(運)をつけてくださいね⁉️我が家のトイレには、オイラがもらった色紙が飾ってあります。プロ野球選手や芸能人のもの。長嶋茂雄氏、王貞治氏、張本勲氏和田アキ子さん、故/植木等。長嶋茂雄さんと植木等さんは、サインをしないと有名な為、貴重な物です。それに、長嶋茂雄氏と王貞治氏の御二方のサインを持っている事は貴重な事です。当ブログの公認者・後藤武敏コーチも、『王さんのサインが欲し
会社と地位を捨ててまでヤクルトでプロ復帰を果たした花形しかし花形の父はこれに納得せず、花形の自宅に乗り込んできたしかしそれを跳ね除け、頑として考えを変えない花形花形の父は明子に息子の説得を命令するのだった一方巨人軍はオープン戦の最終試合ヤクルト戦を前に、長嶋監督がV2への熱意を語る飛雄馬は先発ではなかったが、義兄弟でもある花形との勝負に期待と不安が入り混じっていたカコーーーーーン花形にいきなり長打性の当たりを打たれる堀内花形のツーベースでヤ
新巨人の星、いよいよ今回が最終話です花形のプロ野球復帰に難色を示し花形邸に乗り込んできた花形父しかし花形にはもはや会社の事など眼中になく飛雄馬との対決に再び闘志を燃やした花形の復帰というより、飛雄馬との骨肉の争いに不安を隠せない明子の心も揺れ動くそんな中、ついに実現した飛雄馬対花形結果は飛雄馬が花形をゲッツーに打ち取り勝利だがこれは再び始まった野球地獄の開幕にすぎなかった最終話「はばたけ飛雄馬」1977年(昭和52年)の阪神の開幕戦しかしなん
乙嫁語り展に出会う旅part19~王貞治ミュージアムにgo!1~本編の前に我が家のプチネタ。今日のお題は「ももた、夕ご飯前のルーティン1」。さてこれから夕ご飯にありつこうかというところ。「はようくでぇ~くでぇ~」の格好をしとります。背筋、ピ~ン!!!!舌もチロチロのぞいてますか~な~りお腹を減らしてるんだと思われ。閑話休題。旅行2日目、お昼前。なんとなく「大乙嫁語り展」の余韻を引きずりつつ、小倉駅前の駐車場
努力してますと練習を売り物にする選手は、プロフェッショナルといえない-長嶋茂雄-この頃は、男子スポーツ選手でさえ「アピールしていきます^^v」なんて言って憚らない風潮のようです。私の年代だと、男は黙ってサッポロビールなので(三船敏郎さんのCM、知らないかなぁ^^;?)いまだに違和感が拭えません。たとえ言葉に出さなくでも「こんなに苦労してます!努力してます!」と態度に出ていたり、顔に書いてあるのはみっともない行為と言えましょう。やはりここは、水面下を感じさ
開幕から好調をキープの飛雄馬宿敵花形とのシーズン初対決にいどんだヤクルト戦はリリーフ登板打倒飛雄馬のための秘密特訓で左打席に立った花形勝負は花形の計算通り、飛雄馬の豪速球を見事打ち返したのだが飛雄馬の球威が花形のバットをへし折りなんとか初対決は飛雄馬が勝利した第3話「吼えろ!南米の虎」ここは、巨人寿司という寿司屋サチコは実はここの一人娘なのである「おいサチコ、今時分までどこほっつき歩いてたんだ店の手伝いがあるから早くけえれって言ってた
1978年(昭和53年)のペナントレース豪速球に制球力も付いた飛雄馬は向かう所敵なしの活躍そんな最中、母校青雲高校野球部10周年の記念式典に呼ばれたそしてそこで、破天荒なレスリング部キャプテン丸目太と出会う飛雄馬は野球部の練習を妨害する丸目に捕球勝負を提案傷だらけになりながらも、飛雄馬の球を捕球した丸目は伴の誘いもあり、野球部に入部する事になったこの日も後楽園で中日戦ビシューーーーーッ中日最後のバッターも飛雄馬の豪速球に手が出ず見逃し三振
ついに花形のヤクルト入りが決まった花形を連れ戻すためはるばるヤクルトキャンプまで足を運んだ明子だが、結局花形と会う事はなかった花形の背番号は3これを自分への挑戦状だと考えた飛雄馬は打倒花形に激しく燃えるそんな中明子と再会した飛雄馬は、明子に花形を許してやってくれと頼む結局明子は、花形に会う事もなく東京に帰って行った第50話「右投手用ギブスの成果」春季キャンプも終わり、いよいよオープン戦が始まった花形ロメオ南条そして左門豊作
本日(7/1)は、今から59年前の1962(昭和37)年7月1日、王貞治が公式戦で「一本足打法」を初披露した日である。1962(昭和37)年7月1日、川崎球場の大洋-巨人戦で、王貞治(巨人)は「一本足打法」でホームランを放ったが、この日(1962/7/1)が、王貞治が「世界のホームラン王」の道へ、第一歩を記した、記念すべき日である。ところで、私がこのブログで、高い割合で登場させている人物は、サザンオールスターズ(桑田佳祐)、王貞治、長嶋茂雄、野村克也、イチロー、石原裕次郎、美空ひば
本日(12/26)は、巨人の前身、大日本東京野球倶楽部が創立された日である。1934(昭和9)年、読売新聞の社長・正力松太郎は、ベーブ・ルースを中心とする全米オールスターチームを招聘し、日米野球を開催したが、その全米オールスターチームを迎え撃つべく結成された全日本チームが母体となり、1934(昭和9)年12月26日、大日本東京野球倶楽部が創立された。(1934(昭和9)年に来日したベーブ・ルース(左)と、ベーブ・ルースの招聘に尽力した鈴木惣太郎(右))(1934(昭和9)年、来
開幕から先発とリリーフで連勝をつづける飛雄馬ここまでカープ、中日とチームも連勝次は宿敵花形のいるヤクルト戦花形は打倒飛雄馬のためにプールで秘密特訓を開始しかし初戦の先発は新浦飛雄馬はここまで出番がなかったが長嶋監督は急遽ブルペンに行かせるそして7回表、二死からランナー2人を出したところで花形に打席が回って来たゆっくりとバッターボックスに向かう花形「ナガシマぁ~星を出せ~~っ」ヤジを飛ばすサチコそれに刺激された巨人ファンからも星コールしかしこれ
Sランク三塁手国内新人選手Sランク三塁手リスト出身地関東成長晩成衰え早め初期値評価Cが多いので強くないように見える王貞治パターン。しかしほぼすべてのステータスがBに近いものなので能力は実は高い。打撃も2割後半と20HRを記録できる程度には整っており守備と走塁は新人としては文句なしのものになっている。試合で育てていくというのが一番いいと思われる。全盛期評価どっちが全盛期なんですかね…成長遍歴【初期値→スタメン定着→全盛期→衰えピーク】ゲーム中