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京都の漬物で「酸茎すぐき」というのがあります。「すいくき」とも「賀茂菜」とも呼ばれることがあると言います。京都駅構内の土産物店で買って食べたことがありますが、けっこう前のことなので味は覚えていません。この酸茎にまつわる『沙石集』の話は、僕が所有している新編日本古典文学全集(小学館)には掲載されていません。底本によっては載っていない話のようです。ある姫君が、殿方のもとに嫁入りなさることになっていたので、乳母が教えたことは、「優美でおしとやかな女性のことを、『まるでどこか
雀が登場する昔話だと、「舌切り雀」が有名です。お爺さんが大事に世話をしていた雀の舌をお婆さんがちょん切ってしまう話です。今回は、それとは少し違うお話で、鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』に収められているものです。昔々、春の穏やかなある日、六十歳くらいのお婆さんがシラミをとっていた。すると、庭を雀が歩いていたところ、こどもたちが石をぶつけて腰を折られてしまった。羽をバタバタさせて倒れているところに、カラスが近くを走り回っていたので、「おやまあ、かわいそうに。カラスが捕まえてしまうだ
晴明とは、陰陽師界のスーパースター・安倍晴明のことです。実際の陰陽道は学問的なものだったのでしょうが、物語に登場する陰陽師は超能力者です。映画『陰陽師』では安倍晴明と蘆屋道満が超能力バトルを繰り広げます。道満の早九字かっこいいさておき、物語における安倍晴明は式神を駆使する話が印象的です。式神とは陰陽師に仕える精霊です。安倍晴明は式神を駆使して格子の上げ下げをさせていた、という「便利使いするんじゃないよ」と誰もが突っ込むお話もあります。笑今回は、安倍晴明が蔵人少将を守るお話
『新古今和歌集』に、小侍従こじじゅうという女性歌人の有名な歌があります。待つ宵のふけゆく鐘の声きけば飽かぬ別れの鳥はものかは〔あなたが来てくれるのではないか、と期待しながら待っている宵、次第に夜が更けていくことを告げる鐘の音を悄然とした心持ちで聞くのに比べたら、まだまだ一緒にいたいのに、別れなければならない朝が来たことを告げる鳥の声を聞く切なさなど、物の数でもありません〕[注]正式な結婚式を挙げている夫婦を除いて、男性は日が暮れてから女性のもとに行き、夜明け前には帰るのがマナーでした。ただ
「平安(院政期)~鎌倉時代に現れるいくつかの一条家を整理して紹介しよう!」という、どこに需要があるんだか分からない(笑)今企画。前回の続きとして、今日は一条家(中御門流)を取りあげます。「中御門流(なかみかどりゅう)」とは、道長の子・頼宗(よりむね)の系譜の呼称。「御堂関白」と呼ばれ権勢を誇った藤原道長は、たくさんの子宝に恵まれましたが、正室の子と側室の子とを明確に区別して遇していました。天皇に嫁がせた娘は全て正室から生まれた子ですし、摂関家の地位も正室の子・頼通に継
ワタクシが院政期から鎌倉時代にかけてを漁り始めた頃。よく、こんな風に思うことがありました。「この一条さんって、どの一条家なん??」この時代。源頼朝にからんで「一条家」がチラホラ出てくるんですが、実は全然違う家だったりして、だとすると関係図も出てくる意味合いもまるで変わってきて、なんだかややこしいんですね…。で、最近。記憶力が落ちて来たのか、時々戸惑ったりして(笑)今日は自分用の整理の意味も込めて、それぞれの一条家についてまとめてみようかと。そんな試みです。とはいえ
「一条家」「二条家」「三条家」と、計らずも「○条家」紹介のシリーズと化してしまった当ブログ。だったら「四条家」もやってしまおうと、今日はそんな試みです。自己満足もここまでやるとかえって清々しいってもんよ。四条家は、大河ドラマ『平清盛』と『鎌倉殿の13人』の時代ドンピシャ(ちょっとオーバーするけど)なので、今年のうちにやるとちょうどいいですしねw四条家は、藤原氏善勝寺流の流れをくむ家です。善勝寺流は、以前に紹介した奈良時代に左大臣にまで登り詰め、そして失脚した藤原魚名の
吉母、吉見、福江、安岡の庄屋クラスの名族は百姓の代表では無く、鎌倉時代以降、他所からやって来た支配者の末端だった。雑談現在でも旧士族であったと自慢気に語る農家が各地区に1軒くらいある。例えば、ある家は、ルーツは清和天皇で、岐阜あたりの出身であったが、毛利の殿様の指南役として来たと語っている。参考①-1亀田逸哉(参考)寛政6年(1794)~明治元年(1868)。本名三郎兵衛。23歳の時、吉見永田郷の庄屋となり、40歳で、吉母の庄屋の役職に就きました。庄屋の職を45年間も務め、その功によ
1日目の6番目の札所は・・・五十番繁多寺(はんたじ)札所境内、正面が本堂。境内に鳥居がある札所。大師堂五十一番石手時(いしてじ)規模の大きな札所です。門も大きい!門は鎌倉時代の建立で国宝だそうです。外国の方も、大勢お参りされていました。吽形像阿形像仁王様も躍動感があって力強そうです!三重の塔(鎌倉時代の建立で重要文化財との事)本堂と手前参道にある大きな五鈷杵!本堂背後の山頂には弘法大師!お金かかってますね~
『沙石集』にも真面目な話は掲載されているんですけどね。こんな話ばかり紹介していると『沙石集』が誤解されそうですが、まあ別に良い。笑近ごろ、勘解由小路に御利益が著しいお地蔵様がいらっしゃる。京中の男女が群れをなしてお詣りする中に、毎晩籠もって祈願している程よい美人の若い女房がいた。また、時を同じくして若い法師も同じく籠もって祈願していたのだが、この女に恋心を抱き、どうにかして愛情をかけようと思うあまり、女が宵のころに勤行に疲れて休んでいたところに、耳元で、「帰る時、最初に出会った
新潟では昨晩から雪が降り始めて、積もるまではないものの、寒さが冬らしくなっております。毎年「ホワイトクリスマスになるかどうか」が関心事だったりするんですが、今年はどうでしょうかねぇ…。ちょっとは白くなっちゃいそうかな。さて、「勧修寺流藤原氏」、前回は紫式部までと、夫の宣孝・弟の惟規の子孫をご紹介しました。系図で見てみよう(藤原氏/紫式部周辺)(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12804259307.html今回は、宣孝の
千葉県でお仕事の帰り道です四街道市の山梨(月見里)城址に来ていますおっ、良いね中世城跡じゃ天御中主神社(山梨妙見神社)小さなお社がありました大甕は鎌倉時代後期から室町時代の制作のようです大きな甕だわこちらが城跡になっています鎌倉時代中期には臼井氏の一族山梨氏が山梨地域を治めていたと書かれています頂上には山梨妙見神社
桜川市の秋次は真像寺の大イチョウを見に来ました今が見頃だ黄金色かなり大きい大イチョウの脇には山門ですイチョウの葉があちこちに散らばる緑の中に黄色美しいですね紅葉の赤も良いけれど黄色も捨てがたい鎌倉時代とな少し境内を探索赤・黄・みどり
東京都福生市より東京都青梅市に移動してきました。ここは塩船寺さんで青梅市吹上菖蒲園も近く良いお天気なので立ち寄らせていただきました。参拝させて頂き違う場所に移動します。青梅市にある宗泉寺さんに移動してこのあたりの少し高台の場所から青梅市の風景を眺めようと思います。こちらには東京都天然記念物に指定された宗泉寺のカヤの木があります。宗泉寺さんの本殿
土御門天皇の治世が始まったことで新帝の外祖父となり、院政を始めた後鳥羽院の院司となった土御門通親こと源通親の権勢は頂点を極めるはずであった。しかし、後鳥羽院はまだ一九歳という若さながら既に老獪さの片鱗を披露するようになっていたのである。土御門通親の権勢の根幹は、天皇の外祖父であることと、後鳥羽院の院司別当、つまり、後鳥羽院に仕える貴族や役人達のトップであることの二点である。そして、この二点とも永続する要素ではない。どういうことか?替えが効くのだ。後鳥羽院にとっては自分の
さて、ここまで後鳥羽上皇ではなく後鳥羽院と記してきたのには理由がある。実は、天皇を退位すると同時に上皇となるのではない。天皇退位の後に太上天皇の尊号が奉られてはじめて上皇となるのである。ゆえに、退位してから上皇となるまでの間は、後鳥羽院と記すことならばできても後鳥羽上皇とは記せないのである。また、どんなに用意周到な譲位ではあっても、退位と同時に上皇として院政を開始できるわけではない。このあたりは、衆議院の総選挙で次期首相が決まったとしても、正式に総理大臣に就任するのは国会での指名の後で
毎月恒例の吉祥寺古典を読む会、6月は、18日(日)に後深草院二条『とはずがたり』を取り上げました。この『とはずがたり』、前半と後半に分かれるんですが、その前半ではめくるめく恋のドラマが繰り広げられています。研究書でも「愛欲編」と名付けている本があるほどですその恋のドラマは、瀬戸内晴美時代の寂聴先生も小説になさっています。中世炎上(新潮文庫)Amazonちょっとあらすじをご紹介しましょう。第1巻:二条は2歳の時に母を亡くし、4歳からは「後深草
・通読二回目。良い本である。・163㌻3行末~4行初め石工集団がが当地にとあるが石工集団が当地にではないか。「が」が一字多い。既に他の方が指摘しているかもしれないが、念の為記す。
阿弥陀如来信仰は、来世に、苦悩の多いこの世ではなく、阿弥陀如来の住む悩みや苦しみのない世界(西方極楽浄土)に生まれようとするものですね。中国では、阿弥陀信仰の図といえば、極楽浄土の様子を描いたものが中心でしたが、日本では、阿弥陀如来が雲に乗り、観音菩薩と勢至菩薩等を従えて極楽浄土から臨終の人のところへ迎えにやって来る図(来迎図)が主流となったんですね。浄土宗知恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」などは、阿弥陀様が菩薩とともに、雲に乗って、素早く極楽浄土に行くお迎えが来るということで、
2018年2月9日早朝に名古屋から「のぞみ」に乗って新横浜で下車しました。横浜線に乗り換えて、横浜駅の改札内コインロッカーに荷物を預け、JR鎌倉駅までやってきました。新幹線の切符の行先が「横浜市内」と書かれているので、この切符で東京寄りの駅は「川崎駅」まで使えます。鎌倉寄りの駅は、根岸線の「本郷台駅」まで使えちゃいます。なので、鎌倉駅の改札で、行先が「横浜市内」と書かれた新幹線の切符と一緒に追加の170円を払えばいいんですよ。鎌倉駅の西口(裏口)になります。鶴岡
もっとも、実際の後鳥羽上皇はそれなりに政務も執っていたはずであり、藤原定家がこうした後鳥羽天皇の日常の過ごし方について苦言を呈しつつ書き記しているのも、上皇としてのあるべき姿、すなわち、上皇としての政務を執っている姿は特筆すべきことではなかったからであろう。藤原定家の日記を紐解くと、建久九(一一九八)年二月三日に後鳥羽上皇が殷富門院のもとへ御幸したことの記録が出てくる。藤原定家はその御幸の様子があまりにも壮麗であり、卑近な言葉で言えばどんちゃん騒ぎを繰り返したことを非難している。また、後鳥
『古今著聞集』は鎌倉時代の説話集です。説話というのは、伝え聞いた話のことです。伝え聞いた話をわざわざ書き記して後世に残そう、というわけですからドラマティックな内容が多くなります。世間によくある話、は説話集には載っていません。というわけで、今回はどんなお話でしょう。鳥羽法皇の女房に小大進という歌人がいたのだが、鳥羽天皇の皇后であらせられた待賢門院の御衣が一着紛失した罪を負って、北野天満宮に籠もって祭文を書いて神様に捧げ、監視されていた。その三日目という日に、神前に供えた水をこぼ
鎌倉宮へ行ってきました。前回行った時はお参りと御朱印だけだったんだけど、鎌倉時代を勉強するともう一度行きたくなりました。今回は先に御朱印を。その後、拝観料を払い本殿裏側へ。まずは宝物館。護良親王の令旨。こちらは本物(に似せたレプリカだと思う)護良親王の像。顔が毘沙門天に似てるからわざとそういう顔に掘ったんだろうね。土塀の中での護良親王光が反射して見えにくい(;'∀')おっとここに明治天皇。この鎌倉宮というのは明治
鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』です。前回は「ぶす」、前々回は「歯医者にて」という面白い話でした。今回もそれらに勝るとも劣らない面白古文で、落語の枕に使われることもあるとか?嵯峨に“能説房”という、仏の道を説く法師がいた。とても能弁な僧だった。隣家には酒屋を営む金持ちの尼君がいた。能説房は究極の酒好きで、お布施でもってひたすらに酒を買って飲むのだった。ある時はツケで酒を買い、お布施が入ると代金を払う、という程だった。さて、この尼君、仏事をすることがあったので、導師を能説房に依頼し
◆敵に打ち取られた時のみだしなみ。戦場では男性もメイクした!こんにちは、山村です!2022年のNHK大河ドラマは、「鎌倉殿の13人」。主人公役の小栗旬が演じるのは北条義時です。ドラマの時代設定は、平安時代末期から鎌倉前期。源平の争いからはじまって、源頼朝による鎌倉幕府の樹立(1185)、彼の死後の権力闘争などが描かれる予定です今回は、この時代の化粧と女性像について、考えてみました。鎌倉時代といえば、本格的な武士政権が始まった時代ですが、歴史的に見て、
鎌倉幕府成立までの語呂合わせ(時系列)①「細工もヤダし、誠意を見せろ」さ→侍所設置い→一の谷の戦いく→公文所設置も→問注所設置ヤ→屋島の戦いダ→壇ノ浦の戦いし→守護・地頭をおく誠意→頼朝征夷大将軍に②こちらは、少しながくなりますが、他の様々な事柄も入れたゴロ合わせです「寒富士の中、行くのもヤダし、守れ王政」寒→侍所富士→富士川の戦いの中→義仲、京へ行→一の谷の戦いく→公文所設置のも→問注所設置ヤ→屋島の戦いダ→壇ノ浦の戦いし守れ→守護・地頭おく
兼好法師が書いた『徒然草』は鎌倉時代末期~南北朝時代にかけて成立した随筆です。今回取り上げるのは第104段で、異質な感じのする内容です。人目につかない荒れた家に、ある女が世を憚ることがあってすることもなく籠もっていたのを、ある人が慰問なさろうということで、夕月夜の薄暗い時分に、密かにお訪ねになったところ、犬がおおげさに吠え立てるので、中から召し使いの女が出てきて、「どちらさまですか」というので、そのまま取り次がせて中にお入りになった。心細そうな様子で、どのように日々を過ごし
鎌倉禅研究会をお知らせします。鎌倉の建長寺を会場とした研究会です。日時令和6年3月8日(金曜日)1300-1630会場建長寺講師&演題第一講舘隆志先生駒澤大学講師(龍音寺住職)「達磨宗の新出資料」第二講柳幹康先生東京大学東洋文化研究所准教授「白隠慧鶴の悟りとその実践体系」
残酷な鎌倉幕府のテーゼ。義経を滅ぼした頼朝も、からの頼家、実朝も、執権北条氏もやがて残酷な天使のテーゼ。
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。本日紹介するのは、鎌倉幕府三代将軍・源実朝の御台所の系譜です。源実朝の御台所は坊門信清の娘。名前がわからないので、出家後の通称である「西八条禅尼」で呼びたいと思います。はい(´Д`)。今回は西八条禅尼と後鳥羽天皇との関係に