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※この記事は、遡って書いています。実際には手術は4月下旬に終わっています。自分用の記録のためもありますが、今後入院を控えている方にとって少しでもプラスになればと思って書いているため事細かく長いブログになっておりますご了承下さい🐰のろのろ更新すみません。手術の日です。前日の、夜9時から絶食が始まります。9時になる直前に、持参したチョコパイを食べました。笑水分は、お茶、水、スポーツドリンクならオッケーです。夜はちんたらお茶を飲みながら過ごして、早めに寝ようと努力はしました。でも、
手術当日6:00起床あまり眠れませんでした…とても静かで寝心地が良いのですが緊張と不安なのでしょう。昼過ぎからの手術8:30で水も終わり9:00手術着に着替えて点滴手術室に呼ばれたのは13:00少し前前回は歩いて手術室に行ったけど今回はベットで移動手術室〇〇さんこんにちは〇〇です。よく眠れましたか?しっかりやりますから安心して眠っていてくださいね。主治医の先生の顔を見て癒されました。麻酔の先生が前回違和感があったとの事なので今回は
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。サクションを手に戻って来てくれた看護師さんは細めのサクションホースを鼻から入れ、吸引してくれましたが、溜まり絡んでいる痰の粘着きが強く、持ってきたホースではなかなか吸引できなかったので、ホースの太さを変えて口から吸引してみる事にしました。苦しいのと嫌なの、両方だと思いますがホースを口に入れると眉間にし
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。娘を自宅に連れて帰り、病院に戻ったのが23時過ぎ。義弟はベッドの側で旦那の様子を看ていました。対面に椅子に座り、義弟から小さかった頃の話や会っていなかった頃の旦那の話、色んな話をしました。旦那の幼なじみとは今も友達関係が続いていて、たまに会って飲みに出かけたりしていました。今回、お見舞いに来てくれ
・・・・・・・・・・・・・・・そして自分はいつも通り仕事をしていました…でも、Σ(||゚Д゚)ヒィ~!!という感じでお腹の痛みを感じ、あ❗️夢やった‼️と現実に目覚めます。(起こされて目が覚めたのか勝手に意識が戻ったのか全く分かりません)とっさに、「お腹が痛い!もっと寝ていたかったー!!オシッコしたい!」とはっきり叫ぶ私その時はもう意識がハッキリ。自分が手術を受け終わったんだという認識もあります。ただ、お腹がキリキリ痛くて"なんで自分、起きてしまったんや
昨夜は疲れと風邪もあり比較的よく眠れた。朝起きると鼻水も止まっていたので今日の朝は餅男のお見舞いへ台風前の大雨の中、病院に到着🚗餅男の要管理の大部屋に入る。2日ぶりの餅男❗️頭には顔全体を覆う大きめの酸素マスクを被せられベッドで眠っていた。マスクが水滴で結露してるのでちゃんと表情が見えない。看護師さんが来て、ベッドの柵を降ろしてくれた。「今日は朝に採血をしました。すごく暴れて動いていたので疲れちゃったんでしょうね。」左手の甲に針の後がある。腕も針の後だらけで痛
おはようございます。いつもありがとうございます。さて、昨日までは「飛行機が高い高度を飛ぶ理由」「低く飛ぶ理由」についてお話しました。要するに、「やむを得ない場合以外は燃費のためにできるだけ高い高度をフライトしたい」ということになります。では、以前お話した「航空機の最大巡航高度」でフライトしたら燃費が良くていいんじゃないか?と思いますよね。例えばボーイング777,787,767は43000feetまで上昇できますが、大体41000feetまでしか上昇しませ
餅男が心肺停止から蘇生した3日目の朝。私は昨夜、3時間ほど眠れたが寝不足とお腹は空くのに食べられないことで身体がフラフラしていたシリ子は絶好調のご機嫌で歌ったり踊ったりそんなシリ子に大人は助けられる。旦那も精神的に辛そうだが本日も仕事へ行ってくれた。シリ子を保育園へ送ったあといったん家に帰って残していた朝ごはんを食べようとするもやっぱり食事が喉を通らない。やばい、1人でいるとまた落ち込みそう。気を取り直して赤のれんに入院用の私の寝間着を買いに行った。餅男
手術室へは歩いて行きました。普通に元気なのに、これから手術なんて不思議な感じです。夫と一緒に、うっかり手術室に入ってしまった…と思ったら、更に奥にドアがあり、私の手術は第2手術室で行うとの事。受付の方に、名前・生年月日・血液型・手術部位・左右どちらか?を聞かれました。その後、ヘアーキャップを渡され、指示通りに髪の毛を全部入れて被りました。ここで、夫とはお別れです。軽く手を振りましたが、私はここで気持ちが崩れてしまうのが怖く、夫の顔を見れませんでした。手術室の扉がサーッと開き、そ
皆さん今日も見に来てくれてありがとうございます今日の話です8時。いつもなら朝ご飯の時間です。またTVerでドラマを楽しみました。12時。病棟の放送でお昼ご飯のお知らせが流れます。(私は点滴をしていたためか、あまりお腹は空かずにいられました。)「あ!そうだ。」お昼の再放送を見逃さずに済みました。その後もTVerでドラマを見たり(どんだけ〜☝️)、ブログを書いてみたりして時間を過ごしました。2時。(一応)予定していた時刻を過ぎましたが、まだのようです。しかし時間がずれ込む可能
○○さん!手術無事に終わりましたからね!目をうっすら開けると人が周りにいっぱいいる。自分の個室だった。爽やか先生がもう一度たたみかけるように←たぶん意識を起こそうとした?手術無事に終わりましたからね!卵巣は綺麗だったので、残しましたからね!子宮筋腫と卵管はきれいに取りましたからね!と言われた。看護師さんが、旦那さんもいますよーと、夫登場。ちょっとおどおどした感じでどう?と、聞く。どうって、えーここで自分の状況に気付く。右手は点滴、下は尿管ついてて
昨日早朝、6時前に、叔母がお世話になっている、介護施設から、電話が、、、「すぐに、これますか、、、」あ〜、、、ダメなのかなぁ、、、急ぎ、支度をして、叔母のもとへ、、、あ〜、、、ダメかも、、、口、半分開いて、ヨダレでてて、、、目、黒目上むいて、三白眼に、、、ひざガクガクしました、、、こわすぎて、涙もでない。でも、、、スタッフさんに聞くと、熱が、38度1分。血圧、140もある。発熱してて、血圧高ければ、まだ、死なない、かも。死ぬときって、体温下がり冷たくなり、血
ご訪問ありがとうございますまずは自己紹介↓息子を出産してから心筋梗塞を起こしICUに入院するところまでを書いています。息子を出産した時のことはこちら↓『【備忘録】息子が産まれたときのこと①』ご訪問ありがとうございますまずは自己紹介↓息子を出産したときから心筋梗塞を起こして入院した時まで振り返って書いていきます。少し長くなりますが、良かったらお付…ameblo.jp『【備忘録】息子が産まれたときのこと②』ご訪問ありがとうございますまずは自己紹介↓息子が産まれたときのことから心筋梗塞を起
(今日は旦那さんが夜勤でいなくて弱音を吐ける人がいないので、ここで書かせてくださいね。)おなかを飛び出していった我が子は自力だけでの呼吸は難しかったものの、酸素マスクの補助があれば息をできたので声を聞くことが出来ました。母乳も再開して、極少量ではありますが、少しずつ管から入れて消化してくれています。新たな問題が起きても、新生児科の先生が都度、適切な処置をしてくれているので安定して(いると私は思って)います。頑張ってくれてる我が子をみて、普通のお母さんなら嬉しい
続き>>>>25日朝私は一睡も出来ないまま朝を迎え、何度も娘の様子を伺う。付き添い入院で、病院だし看護師さんも居るし安心...と思えるかなと思ったけど、全然安心なんて出来ない💦もし、目を離している隙にサチュレーションが外れていたら..!?サチュレーション外れている時にまた痰の詰まりで窒息してしまったら..?💦そう思ったら安心なんて出来ず何度も何度も確認をする。ちゃんと呼吸してる?サチュレーション付いてる?娘の呼吸が苦しそうなので、鼻に付ける大きな酸素マスクに変
術後2週間の診察で、聞いた手術内容。予定通り、尺骨短縮はしました。3~4ミリ。関節鏡は靭帯縫おうと思ってたけど、見たら残念…軟骨に穴があいてて、縫える状態じゃなかったのでお掃除だけして閉じたと…軟骨の穴は7~8割塞がるかと。1年後の抜釘の時に、もう1度関節鏡で軟骨の様子を見るとのこと。穴が塞がってなかったらあまりよろしくないらしい…ちなみに術後、部屋に戻ってきた私。酸素マスクと手の挙上。手術前、左手は正直、右手より痛み半分以下。それなのに、軟骨に穴があいてるなんて、ってことは
酸素ハウス8日目とうとう酸素ハウスから出て過ごすのが難しくなって来ました。昨日のお昼までは大丈夫だったのに…夜、酸素ハウスから出てふぅチャンそろそろ寝よと声をかけたら、いつもの腕枕で寝んね酸素マスクを口元に置いていたけどどんどん呼吸が速くなって…苦しくて限界だったのか自分から酸素ハウスに戻って行ったので私も慌てて、マスクから酸素ハウスに酸素を送るチューブを取り付けて様子見(酸素ハウスから出て20分後でした)呼吸数を数えるのが困難なほど速く寝てたパパを起こしてふぅ
振り返りましょ!10月6日朝次女39,6。病児保育つきの病院でただの風邪と言われ預ける。熱下がらず。10月7日次女38,6。引き続き病児保育預ける。夕方、まだ次女の熱下がらず保育園にて長女高熱と言われる。車の中で長女嘔吐とりあえず様子見。ただ、胸の音がひどい。ヒューヒューゼィゼィ。10月8日次女37,6に下がった!長女39,9。食欲ややあるが、かかりつけ病院へ。酸素88%、RS陽性。酸素が低いので即入院。出産、去年入院したところにお願いし、引き受けてくれたので
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。義弟が無事に帰国し、付き添いをお願いして久しぶりに自宅で夜を迎えました。暫くぶりのベッドで熟睡できるかと思いきやいざ、横になると色々な不安が湧いてきて、あまりよく眠る事ができずに朝を迎えました。病院へ行く前に義弟に朝食の差し入れを考えていたので、メールで聞いてみると朝食はいらない・・・というお返
昨日の餅男が苦しかったのは酸素マスクのせいですように、、と願って午前中餅男の面会へ来た。ベッドで仰向けに寝ている餅男。今日は薄目を開けて黒目が天井のライトを左右交互に見ているように動く。餅男は酸素マスクも外れ熱も下がり抗生物質の投与も終わりナチュラルな身体の状態になっている。これで餅男の動きが昨日みたいならどうしよう、、とドキドキする。そして看護師さんが餅男の身体を拭く準備をしてくれた。今日は私がお手伝い出来るらしい温かいタオルを洗って絞って私に渡してくれた。
無事にお腹を閉じていただき、病室に戻ってきました。麻酔が効いているので痛みはありませんでした。ベッドに仰向けで寝かされ、右手首には点滴。足には血流をよくする機械。サチュレーションも測っていました。助産師さんが傷の具合を診に、ちょこちょこと顔を出してくれます。「痛みはどうですか?」「今のところ大丈夫です」「まだ痛み止めが効いていますからね」「あら?酸素の数値が低いですね。苦しくないですか?」??「全然大丈夫です」そう答えましたが、強制的に酸素マスクを付けることになりました
西川先生、刀根先生菅原先生かおりんが来てくれた血中酸素濃度の数値が下がった酸素マスクをつけて看護師さんの到着を待った吸引をしてもらって酸素は落ち着いたしんどいよねよく頑張ってくれてる
はじめまして、45歳独身の“はるひ”と申します。6月22日に開腹手術で子宮・卵管・漿膜下筋腫・粘膜下筋腫&ポリープ摘出に挑んだところ、腹を開けたら漿膜下筋腫が後腹膜腫瘍だと判明!!8月14日に富細胞性神経鞘腫(良性)の結果が出ました。『〈病理結果〉2・後腹膜腫瘍の富細胞性神経鞘腫とは?』はじめまして、45歳独身の“はるひ”と申します。6月22日に開腹手術で子宮・卵管・漿膜下筋腫・粘膜下筋腫&ポリープ摘出に挑んだところ、腹を開けたら漿膜下筋腫が…ameblo.jp入院
ご訪問いただきありがとうございます。誰かが私を呼んでいる。「全て取りきりましたよ。ririさん。」あ、主治医の声だ。でも目を開けることができない。「ありがとうございます。」言葉にならない声をあげた。そうしたら、オエッと3回嘔吐反射をして、気を失った。次に気づいた時には、病室にいた。口には酸素マスク、足には血栓予防の機械、腕には点滴、お腹にはドレーン管、背中には硬膜外麻酔、尿道カテーテルもついて、全く身動きできませーん。そして外はもう暗かった。あー、生きてるわー、終
病名:胃幽門部癌手術名:幽門側胃切除術2/3胃の出口側初期ではなく進行癌ステージⅡ〜Ⅳ癌の大きさ8cm腹腔鏡ではなく開腹手術まずは腹腔鏡で、癌が表面に出ていないか。お腹の中にこぼれていないか。チェックして可能であれば開腹手術に切り替え。可能でなければ、手術は中止して即抗癌剤治療に切り替えます。そう言われていた。当日の朝、手術する場所にマジックで印を書かれた。みぞおちからお臍まで。約20センチはある。よくよく見るとほんとに大きく切
しばらくUP出来なくて、すいませんご心配いただいたかもしれませんが、うーちゃんに何かあった訳ではありません私が、バタバタしていただけです3/20、うーちゃん血液検査がありましたその前が、3/16にありましたまだ、4日しか経っていないのに、うーちゃんどんどん悪くなっています腫瘍マーカーLD5600増幅中赤血球HGB4.4相当の貧血炎症CRP15.35起き上がれないほどの辛さです検査結果見る方が見れば、相当悪いのはわかるはずですうーちゃんに栄養を与えるのは、癌細胞に栄養をあ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...④しばらくすると翔平の覚醒状態も少し落着きはじめた。が、ホッとしたのも束の間今度は呼吸が肩呼吸になってきた。急いでナースコールを押すモニターが装着された。この時はまだ名前を呼ぶと目をあけて、「う...ん。」と答え手を握ると力は弱いが握り返してくれていたそれから二時間程すると末梢チアノーゼが見られるようになり呼吸も苦しそうにな
いつも拙いブログにご訪問いただき、ありがとうございます(*^^*)子宮体癌発覚の経緯と治療についてを書いていきます。過去から記憶を遡って書いてますが、時々今の事も書いたりしてます。テーマ別にしましたので、そちらからご覧頂けたら、と思います。少し症状が落ち着いてきたので、ストレッチャーで病棟へ移動しました。相変わらずベッドは満床に近く、差額ベッド代が発生する部屋しか空いてないとの事です。そんな事は言ってられない…💦先生はひとまず外来に戻られて、病棟の看護師さんが迎えに来てくださいまし
再手術の為、1回目の手術同様、T字帯と、腹帯2枚、歯磨きセット、パジャマ、下着…もろもろ手術セットを再度用意するはめに…ママ友からのお守りに、パワーストーンも入れた。わざわざ病院のコンビニまで買いに行ったT字帯。今回のオペのあとは使用しなかったようでそのまま戻ってきた!返品不可だから自宅に持ち帰ったけど…いらんよねオペ当日の朝、看護師さんから体重測定しといてくださ〜いと言われて測ると、45キロ台になっていた。同室のおばあちゃまが比較的ふくよかな方で常に暑い暑いと言い、見る度に
1日目本日、☔️8時半に、病院受付行って、「本日手術入院です。」といい、診察券を出し、手術、麻酔の承諾書と、保険会社の診断書を提出。それから、看護師さんから簡単な説明ののち、お部屋へ術衣に着替え、点滴して、説明またうけて、手術室、前室に、歩いていく。そこで、次に麻酔科の先生より説明あって、手術台の上に。まさにまな板の魚の様。台に寝さられ、酸素マスクをして、点滴内にお薬いれたらいつのまにか寝て手術は、終わっていた。起きたらベット上....,左手