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ルーマニアで国際切手展がありました。HPも立派ですし見やすいです。ルーマニアはあまり観光旅行というイメージはない国で、ルーマニアといえばナディア・コマネチになります。。。efiro|Efiro2024https://www.efiro.ro/このリンク先に、出品者の氏名、国名、得点、賞が記載されています。コミッショナーの尽力でしょうか思ったよりたくさんの日本人の出品があり、非常に高い得点をとっています。リンク先の「JAPAN」を辿れば出品者の日本人の名前や作品名がわかります。P
買ったカバーを中心に整理を進めているところであります。ありがちでしょうが、知らずに郵趣家便のエンタをゲットしていたりするものでね。ハガキの文面が面白いのでは?っちゅうことでスキャンするとなんか重なっていたものがズレてる、そんなプレビュー映像になっていました。つまり1枚オマケが入っていたワケで。自分が生まれるはるか前の、広告印に関する情報発信のようです。現在はネットですが、昔はねぇってことです。
どーも、castom98です。最近とある郵趣ブログで、切手商の閉業状況を目にいたしました。この数年、コロナのせいか多くの切手商が閉業なさったそうです。多くの場合は店主の高齢化や体調不良が原因だそうで、これは避けられないものですね。その中には、私がお世話になった切手商もチラホラ・・・まずは大阪の大阪アプセンターで、2023年度末で閉業されるそうです。大学生時代にアプルーバルでお世話になり、十年ほど前の収集期にはお店までお邪魔しました。住宅街の中の一軒家で、短い時間ですが楽しい
登山家で環境活動家の野口健氏が少し前の”徹子の部屋”に出ていました。当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新した人です。”徹子の部屋”で氏は「何度か挑戦したのにマナスル登頂には縁がないんです」と言ってました。Wikipediaからの画像マナスルはヒマラヤ山脈に属し標高8,163メートルは世界8位で、世界で初めてマナスル登頂に成功したのは日本チームでした。1956年にはそれを祝して記念切手が発行されました。日本では当時、空前の登山ブームになったそうで、またこの切手は青い色が鮮やかですし人
神戸にあった在日イギリス局から1879年3月17日に海外に差し出された書状(カバー)です。D30抹消印とHIOGOの証示印からそのことがわかります。HIOGO(ひおご)=兵庫=神戸局になります。在日イギリス局は1879年12月末で閉鎖ですので最終年の使用例です。石川良平氏のコレクションであったもので、売却はサザビーズで扱われています。外国宛てでしょうけど名宛国は私には読めません。D30抹消印の押された現存のカバーはこれ1通ではないかと言われています。サザビーズ・オークションの後、このアイテムは
小豆島は2つの島からなり、その2つの島間が世界で一番狭い海峡として話題になります。以前は3つの町でしたが今は土庄町と小豆島町の2つになっています。豊島(てしま)は小豆島の上記の2つの島とはまた別の島ですが、土庄町に属しています。豊島に郵便局がありましたが、家浦は豊島の中でも集落の多いエリアです。島嶼アイテムとして面白いものです。豊島の家浦局で引き受けて小豆島の小江局に送られています。小豆島の土庄局を経由なのか、直接、小江局に送られたのかわかりませんが、悪天候で海が荒れて小江局からの発送が
昨年のJAPEXは11月3日から5日まで東京都産業貿易センター台東館で開かれました。私は今年も4年連続で「朝鮮の標語印」を競争出品いたしました。その結果は大銀賞で過去3回の大金銀賞には及びませんでしたが、このブログでも順次ご紹介していきます。第18リーフ「理解は融和の母なり」の韓文で花図型は既に実逓便が報告されておりますが、巾着型は官白ですが初めてです。朝鮮の手押標語印は実逓便が非常に少ない希少品で、入手に苦労しております。第18リーフ「理解は融和の母なり」
新年早々に全日本郵趣連合正田会長から届いた「2024年度会費(国際展分担金等)のお知らせ」には、以下のような箇所があります。「皆様からお預かりした会費は、大部分を国際展出品者の分担金、当法人の維持・管理費、および将来の日本国際切手展に向けての国内外の切手展関係費に充てており・・・」この中の最後の部分、「国内外の切手展関係費」というのが全日本切手展(以下、全日展)への30万円の協賛金支出ということになるのでしょう。私は、この全日展への「協賛金」支出は適切とは思えません。2024
■メルカリ、ヤフオクなどで売られている表面が純金で裏打ちが純銅や純銀の松本徽章の郵趣コレクションの切手について■下記の切手は表面には「純金」、裏面に「純銅」と刻印がありますが比重値を調べた結果、これらは薄~い金張りになっており質量の99%以上が純銅だということが分かりました。例えば1枚5gの表が純金で裏打ちが純銅の切手があるとします。半分の2.5gが純金と思って購入される方がいるかと思いますが実際の金の成分は表面の金張りの部分だけなので金の成分は0.1gすらありません。貴金属
ブカレストで開催中の世界展の授賞結果が出ました。日本からの出品は、大金賞はないものの、総じて健闘されたようです。受賞されたみなさま、おめでとうございます。さて、日本からの寄贈特別賞については、「当全日本郵趣連合から寄贈している日本からの特別賞について、組織委員会側の手違いがあり寄贈団体が間違って表示されてしまったようです。修正するように連絡済だがパルマレス書籍の印刷には間に合わない可能性がある」由(連合ブログによる)。しかしながら、カタログのプリントミスは仕方がないにせよ、展示
はじめまして。ブログ初心者の虎猫と申します。このブログでは、大好きな郵趣についてときどき綴っていきます。コメント大歓迎です。よろしくお願いします。
こんにちは。旧小判2銭の使用例です。東京明治15年6月10日⇒豊後・竹田6月19日明治6年4月1日施行の郵便規則により、全国均一の郵便料金が適用され、書状は市内あてが2匁ごとに1銭、市外あてが2匁ごとに2銭になりました。書籍・見本は別の料金体系が適用され、市内あてが8匁ごとに1銭、市外あてが8匁ごとに2銭でした。この使用例は、洋書在中の記載があるため、市外あての書籍料金が適用されたと考えられます。旧小判2銭が2枚貼られているので、2倍重量便です。書籍・見本は、明
5月26日(日)ジップアリーナ岡山にて天皇皇后両陛下が来岡され式典が開催されます切手展は5月19日(日)~6月2日(日)郵政博物館分館・坂野記念館にて開催します
こんにちは。表題の『切手展への出品』を計画しています。きっかけは、昨年末に無料世界切手カタログ・スタンペディア株式会社が発刊した『フィラテリーハンドブックver0.82024切手や郵便物を集め、調べ、発表することの魅力』を読んだことです。いま持っているカバーやはがきを整理して、自分なりにまとめてみたいと漠然と考えています。切手展への出品を目指して収集してきたわけではないので、・テーマは何がいいのか?・どの切手展に出品したらいいのか?・作品づくりはどうすればいいのか?
3連休の初日、手持ち無沙汰にしていたところ、とどさんのブログで「切手市場行きたい!!のだが・・」を見て、急遽参加することにしました。津田沼から馬喰町は総武快速で26分、会場の綿商会館まで歩いて10分ほど。会場には10時半ころ着きましたが、皆様元気にブースに向かっていました。個人の出店で、良くここまでの品ぞろえができるものだと感心して見ていました。小生の集めている小判・菊切手、丸一印辺りの出品もあり、本当は欲しいものも何点かありましたが、切手商よりも高く・・・残念。値切るのもあるでしょうが、相
おはようございます約束していた通り、ペンパル=文通相手の探し方についての記事を出したいと思います。こちらのブログでも、また色々なところでペンパルをどうやって探せばいいのか?文通を、やってみたいけど、どうやって始めたらいいのか?ということをよく聞かれます。実は、やり方はた〜くさんあって、一概に答えられないので、本日は、永久保存版(笑)ということで、ご紹介したいと思います。これを機に、新しい趣味や楽しみとして文通を始められる方ができたら、また、やってみたいけどどうやったらいいのかわからない方に
先週、サブコレの出雲関連で出品があり、何点か応札してますこの辺りも少し集まって来たので整理をしたのですが単片の中になぜ買ったのか覚えていない物もありました案外、こんな物の方が処理には時間がかかるのですが仕方なし局名や郡名は不鮮の極みですが、アップでよーく見ると墨とは言えないグレーなドットがあり繋ぎ合わせて色調を強くしたのが右の画像。この局のKG印は二種類ありました、以前、あとの方の字体をアップしましたが今回は先の方です何年前か忘れましたが久しぶりの亀嵩でした買う時もそ
こんにちは。新大正毛紙30銭、風景2銭の外信書留書状です。KOBE1934年12月28日⇒BATAVIA【郵便料金62銭の内訳】〇外信書状46銭(20gまで10銭、以降20gごと6銭)〇書留16銭あて先はBATAVIAなので、オランダ植民地時代のインドネシアの首都ジャカルタあての7倍重量便です。〇『DOAUNE』→税関〇『Inklaringsrecht』→通関料とのことですので、裏面の25セント切手は通関料と判断しました。ちなみに、当時の万国
現地から写真を送っていただきました。これが会期最終日の会場内特別賞展示ケースの写真です。ご覧の通り、寄贈者は「日本郵趣協会」のままです。コミッショナーは手書きでもよいので「ThePhilatelicFederationofJAPAN」と表示した紙を持っていき、その場でケースを開けさせて差し替えを行うべきでしたが(きわめて容易な作業です)、最後までそうした是正措置はとられなかったことになります。これは当初こそ「現地組織委員会の手違い」であったかもしれませんが、その後、