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月曜から夜ふかしで郡司さんという運動音痴な方がやりたい事100選で卓球を選んでくれて、その指導のお手伝いをさせていただきました☆今日はその月曜から夜ふかし2時間SPで放送されたのですが、それがめちゃくちゃ面白いw本当に台本無しで、真剣に指導をさせていただきましたが、郡司さんは至って真剣で、ふざけてると思われたくないです〜って弁解しながらやってました笑なんかテレビに自分と自分の卓球スタジオが出てて、それを村上さんとマツコさんがコメントしてるって変な感じでしたね笑ラリー10回の目標だったので
➑律令制下における土地・人民支配の原則について説明せよ。(80字)■関連記事→参考:日本史の基本32(6-5・6律令制公地公民)■律令制的地方支配701年に大宝律令が制定され、日本は律令国家としての道を本格的に歩みだした。いうまでもなく、日本の律令は唐から継受したものである。しかし唐と日本では、国家の発展段階や支配体制が大きく異なっていた。このため、律令の継受にあたってさまざまな改変を加える必要が生じた。たとえば、唐では、日本の国司・郡司に相当する役人は
平安時代の戦争について論じて行きたいと思うが、10世紀に起きた平将門の乱の前史である「俘囚の乱と僦馬の党(8世紀~9世紀)」について最初に語っておきたいと思う。奈良時代から平安時代に移り変わる時代の転換点で行われた戦争が、大和朝廷と東北蝦夷の戦争である「三十八年戦争」だ。この戦争については、以前【奈良時代3(武士道論)②戦争・軍事・武器兵器について】の項目で触れた通りである。三十八年戦争は、811年に一応の終局を迎えた。勝者となったのは大和朝廷側だが、実際には蝦夷側も大和朝廷側も長期の