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さあ、それでは休止前のラスト記事となります。デイに置かれていた女性週刊誌に上記の題名で5ページの特集記事が組まれていました。私を含め、病気と関わりのある方は病院・お医者さんと何かとお付き合いをしていかなければなりまんよね。各々、お医者様に対して感じている疑問などあると思いますが、なかなか訊けないものです。素朴な疑問であればあるほど、個人的な疑問でなく、一般的な事だと・・・・口に出しにくい。そんな素朴な疑問に対して、Q&A形式で四人の医師が答えています。回答が絶対正しいとは限りませ
私の頭は今、サザエさんの妹・ワカメちゃんのようです。5,6年前にそれまではロングにしていたのですが、長い髪の毛を手入れするのが面倒臭くなりショートボブにしました。そのとき既に病気は発症していて、私本人はつゆ知らず、長い髪に手こずっていたのですね。今、現在はもちろん病気のことも知っていますし、出来るだけ手入れをしなくても済むように美容師の鈴木さんにお願いしてあります。ワカメちゃんカットはショートボブというより、終戦後の女の子みたいで襟元なんか刈り上げてますしダサいのですが、少し日にちが経つ
前回は橋田さんの本について、テレビタックルで話題にしていたときのことについてだけ書きましたが、今回はいよいよ女史の著書≪安楽死で死なせて下さい≫について、読後感を書いてみたいと思います。どのように書くか悩んだのですが、読んで感じたことが多岐に渡っていて、それを1つの文章にするには、上手くまとまりそうもないし、繋ぎが難しそうなので、アトランダムにトピック形式で感想を述べていくことにしました。なかなか分量的にはボリュミーになりそうなので、フォントを小さくして書こうと思いますが、長文がお好きで
ブログ休憩前にご挨拶を書いたら、沢山の過分なお褒めの言葉をいただき、とても恐縮すると共に嬉しく思ってます。ありがとうございます。私が一考してみたいという事案は2つありまして、1つは週間文春で読んだ阿川佐和子さんの対談記事、もう1つは週間女性で見つけたQ&A記事です。今回はまず阿川さんの対談記事から。計算違いとも言えるんですが、私は誰のことも介護をすることなく、40代の若さで被介護者となってしまいました。今はちょうど50になりましたが、それにしても介護を受ける側として超早いスタ
この病気は進行性であるが遅行性と言われています。しかし、遅行性といっても人それぞれですから、比較のしようが難しいですし、停滞時期が長く続く場合もありますし、思いの外進行具合を早く感じることもあります。また、私はこれからリハビリを受けるつもりですがリハビリが功をなして、以前よりも話しやすくなった、歩きやすくなったということが、今後、あるかもしれません。それがたとえ短期間でも・・・。少しでも状態が良くなれば、それは後退と言い表すことができますね・・・。あくまでも自分の病状を基準にしてで
手前味噌のようで恐縮なのですが、下記の記事には新多系統さんとか新セキショーさんに何らかの役立つ内容があると思うので・・・・参考までに。難病は早く見つけての気持ちです押していただけますかにほんブログ村他の難病のかたのブログも見られます
このブログを初めて書いたのが2016年の8月末の頃でした。書き始めてかれこれ1年半になります。最初の頃はブログを書く私の横でいつもラヴちゃんがキーボードを叩く音を聞いてくれていました。聞くと安心するのか、やがてスヤスヤと寝息をたてるのがラヴちゃんの常でした。今、ラヴちゃんは整理ダンスの上で骨壺の中に収まっています。可愛らしくも利発そうな顔は私に抱かれ写真立ての中で楽しそうにしています。一年半って決して長い年月とは言えないんですが、けれど私にとってはやけに長かったです。長
以前、≪数々の違和感≫という記事を書きました。そこに2010年より前のことは、脊髄小脳変性症が原因であるか、不確かなので記述しないとしましたが、あれはどう考えても病気のせいではないかと思えることがありまして・・・。過去のことであるのにムズムズが治まらないので、自分をスッキリさせる意味でも、今日はその出来事を書きたい思います。年で言いますと2009年、2010年とは僅か1年しか違っていませんから、時期的に見ても私が勝手に引いた境界線から見て誤差の範囲でしかありません。あの日、私は外
一昨日、昼過ぎから身体の節々がかなり痛みだし、頭の中で(げっー、こりゃ、マズイ、風邪ひいたみたい)と、主治医の渡久地先生と入退院の管理師長さんの顔を見つめながら、考えておりました。感じから言いますと間違いなく風邪です。いや、この身体の痛み方はひょっとしてインフルエンザかもしれません。(あーあー、これではまるで弱り目に祟り目だなぁ…)そう言えば、昔、弱り目に祟り目と言おうとしたところが、弱り目に当たり目と言ってしまい、失笑を買ったことがあります。干しイカがなんだってんでしょう・・・
長ったらしい題名になってしまいました。が、この時の状況、心境を表せばこの長ったらしい題名しかなかったのです。医師から聞かされた病名(このときは脊髄小脳変性症と告知されました)は聞いたこともなく、初めて耳にする病名でした。目の前に脳のCT画像が貼ってあり、医師はそれを見ながら説明をしてくれましたが、確かに小脳は少し萎縮しています。「あなたはこれから時間をかけてゆっくりと全ての機能を無くしていくのですよ」全ての身体的機能を無くしてしまうなんて、なんかある意味スケールが大きすぎて
私は昨年の五月、そのブログ記事に出逢うまで迄の10か月以上、心が彷徨い続けていました。どこに停泊していいのか判らない船のように・・・。しかし、船といっても、燃料はもう無くなる手前で、航路も定まってない、ただユラユラヨタヨタと海を彷徨っているのでした。昔から本を読むことはそんなに嫌いではなく、告知を受けてからは特に色々な本を注文しては読み、何か自分の人生第2幕を総括してくれる言葉はないか探していました。人生の考え方、生き方のヒントの書いてある有名どころの松下幸之助さん、京セラ名誉会長稲
2010年の前はたどらない。それ以前も、思い起こせば、あれ?変だなということは幾つかあるが、それは判定が難しい。この病気が要因であると明白に言える症状だけ挙げてみたい。ちなみに、どの違和感、どの症状も年々悪くなっていった。・足が重い・歩行のときに足が上がっていない・ときどき、つんのめってしまう・膝かっくんが起こる・上半身が前方になだれ込むような感じで歩行してしまう・疲れやすい・異常に暑がる・平坦な道で転倒してしまう・階段の降り、下り坂道で手摺を掴んでしまう・歩道橋が
いつの頃からか、看護婦さんとは言わず看護師さんと呼び名が変わりました。私が幼い頃は、スカートをはいた看護婦さんばかりが病院にしました。しかし今は違います。男性の看護師さんも沢山いらしてます。実際、力仕事も多いですから、男性の看護師さん大活躍です私は情けないんですが、もう、1人では入浴もできません。パジャマ兼用の部屋着の着脱や洗髪、身体を洗うことも人任せです。全て他人様からやっていただくわけです。入院生活での入浴は週に二回、決まった曜日となっています。看護師さんに洗っ
以前の私の知り合いで、とても頭の良い男性がいました。彼に何か相談すると、現実に照らし合わせたとても御尤もな回答が返ってきました。私はこの御尤も君ととても気が合いました。私はおバカですが、現実的なところに波長があったのでしょう。御尤も君がたまに論争なんかすると、御尤もなことのオンパレードですから、相手はバッサバッサと論破されていくのでした。私はだいたいいつも彼と同意見でしたから、彼が言い負かす様子を小気味よく見る側でした。彼がMr御尤もならばさしずめ私はMiss御尤もだったか
私の身体は幼い頃から異常なほど硬かったです。小脳の異常を原因とする数々の異変がありました。不随意運動を幼い私は面白がっていたこともありました。今から思うと大馬鹿です。医療関係者に「小脳に小さな頃から問題があったか、弱点だったのか・・・・・・とにかく幼いころから小脳や脳幹にちょっとした異常があったと思うんですよね」と言うと、みんな小馬鹿にしたような表情を浮かべます。医療の門外漢が何をほざいてるんだ・・・そう思われるんでしょうか。でも、私の身体の感覚は私が一番わかるので
安楽死に対する自分なりの考え方を何回かに分けて書きましたが、基本的には安楽死賛成派ですし、日本には安楽死制度が必要だと思っています。お茶らけながらも鋭いことを指摘するセキショー友達がラインでこう呟きました。私が≪安楽死を遂げるまで≫という本をライン上で紹介しますと、「安楽死もお金がないとできないわね」とボソリ。その友人のふところ事情は私も判りませんし、お金に困っている様子は感じないのです。でもいっぺんに200万という出費は普通結構厳しいんですよね。ましてや私重病人ですか
神経内科の医師は明後日に今度は脳のMRIを撮ってみましょう、と言ってきた。「それは何のためですか。何を目的としてですか?」決して、つっかかって言ってるのでなく、拗ねたつもりでもなく、ただ純粋にMRIを撮る必要性について聞きたかった。だけど、私の言い方は理屈っぽい。その上、もともと低い声だし、ゆっくりと言葉を発して、一語一語はっきり発音しようと心がけているから、ときにそれが上から目線の言い聞かせタイプに感じられるらしく、あからさまに不快な表情をされる事が多々ある。呂律の悪さを意識
大とか小とかそんな風に名称・呼称を使い分けている場合が良くあります。例えば、ちょっと小用があり・・・なんて言い方よくしますが、小用というのをのっぴきならない大事な用事とは誰も思いませんよね。かと言って、大用なんて表現は聞いたことがありませんが・・・。大事な用事っていうのかしら。あっ、この大事にはやはり大という文字が使われていますね。大きな事、そう書いて大事と読ませます。大事な用事は小用と比較すると、その重要性におのずと違いが表れます。脳の部位を分けて表現するのに、大脳とか小脳と
「先生、どんなことでも、私本人に言ってください。まず、自分のことは自分が最初に知りたいです」医師はうーんと唸りながら、私の顔を見つめた。(あ、この人、言うの渋ってるな)ーこれ落としましたよーと、知らない人がハンカチを落とし、それを拾って渡すときみたいに私は続けて言った。ひょうひょうと明るく・・・。「余命とか考えなきゃいけないんだったら、私が知っときゃだし、今まで何でも一人でやってきましたし、これからも一人で対応できますよ」一呼吸して、医師は話し出した。「余命を考える必
入院生活も半年以上となり、ちょっと療養所という感じのところに移った方がよいかなと・・・・ですから、移動のため、少しバタバタしますわね。暫し、中座いたします。皆様、ご機嫌麗しゅう・・・・一人だけ判ればいいやFINETHANKYOU.ANDYOU?難病は早く見つけての気持ちです押してくださいますかにほんブログ村他の難病のかたのブログも見られます
そう言えば、昔、付き合っている人から「君はつくづくと孤高の人だなー」と言われました。女友達とガヤガヤ談笑していたとき「紺美は人当たりはいいけど、実は壁を作っていて、人を寄せ付けないんだもん」どちらも言われた時はかなりハッとしたものです。ハッとしたのは、遠からずだからか・・・・・。背伸び、虚勢を張って生きていくことが、そんな風に映るのかと我に返ったんじゃないかしら・・・・。告知を受けて三年が経ちました。今年の四月から入院生活を続けています。でも入院してからのほうが
この病気は症状がさまざまなように、罹患者によっても考え方は違う。私は自分の考えから誰かに影響を与えたいとも思わない。人には人それぞれの考え方があるのだ。胃瘻と器官切開は私たちセキショー・多系統罹患者にとっては大かた避けられないものです。この続き物のブログ記事において、本日は起承転結の結に当たる部分を書こうと思ったのですが、前回part2の記事に結となるコメントが寄せられ、ハッキリ言って私はもう書くことがありません。モモさんから消えたいという願望のコメントを頂き、私もまっ
脳のMRIを明後日にし、私は神経内科を後にしたわけだが、CT映像ごときで小脳の萎縮がハッキリ見えたんだから、こりゃ、もう、どうしようもない。小脳が萎縮することで運動機能がなくなっていく・・・か。運動機能っていうと、テニスとかサッカーとか、陸上でもいいけど、そういうスポーツを連想しちゃうんだが、医学的な意味の運動機能とは身体の動き全てを指すのだ。咀嚼もそう。話すこともそう。歩くことも、座ることもそう。息をするのもそう。パソコンを打つこともそう。冷蔵庫の開け閉めもそう。テレビの
MRIを撮りました。撮りに行く前に女の看護士さんから口頭で質問を幾つか受けました。「身体の中に金属は入っていませんか」「今、着ているものにファスナーなどついてませんか」など、MRIを撮影する前は必ず確認事項がありますよね。私は何回かMRIを撮ってますから、慣れています。しかし、何故だかこの質問にふと意識が止まったのです。「現在妊娠してますか」紙面に書いてあるのをそのまま読み上げたのでしょうが、こんなオバハンに聞いてくれるなんて・・・ちょと嬉しい。私はついつい、「は
女性セブンでの記事を見たあるテレビ局の報道ディレクターから取材の依頼を受けました。私は個人が特定されることは好みませんし、私を撮影するということは、頻繁に病院に訪れてくれる姉達を除外するわけにはいきません。また、介護をする立場としても外す訳には行かないのです。顔出しや個人の特定が躊躇われ、丁重にお断りしたのですが、顔出しも一切無しで絶対に個人が特定されないようにする、病院にも迷惑をかけないと約束してくださったので、相手の熱意に根負けするような形で了承しました。また、同病者からも認知度の低
度々、登場しますが、私のラインセキショー友。彼女たち二人は、私よりも先に告知を受けているせいもあってか、新参者の私をドキリとさせることが多いのです。或いは、私が心ひそかに思っていたことをサラリと核心的に言われてしまったりと・・・・今日は後者としてサラリと書かれたことひとつについて・・・・セキショー友と何についてラインでやりとりしてたのかしら・・・・・テーマはいつだってくだらないというか、他愛ないことで、それを三人であーでもない、こーでもないと言っては、ときどき抱える難病にも言及が及ぶ
同じ病棟内で車椅子の同年代の女性を見かけました。小ぎれいな身なりをしていて、1つ結びにした髪は栗色に染められていて、華やかさははないけれど、清楚な感じが漂っていました。看護師さんから車椅子を押してもらっていましたが、会話しているその言葉はとても不明瞭でフニャフニャしていました。ご自分でも車椅子を漕いでいて,ときおり腕を辛そうに抱えていました。その様子を見て、ひょっとして同病のかたではないかな・・・とそんな考えが頭によぎりました。でも神経難病は色んな種類があります。構音障害や四肢の弱化
ショーケーキは外側にクルリと一周セロファンが巻かれています。この前、直子お姉ちゃんがショートケーキを差し入れてくれました。そのとき、セロファンを剥いてから私にくれました。良子お姉ちゃんも時々ショートケーキを買って私に差し出してくれます。だけど、いつもセロファンが巻かれたままで、ポンとお皿に乘っているのです。勿論、まだ自分でセロファンが取れます。しかし、テーブルの至る所、自分が着ている洋服などにクリームを付けてしまうのです。あんな簡単な作業なのに上手にはできないのです。
立春低気圧というものが来ているそうな。そこでレミオメロンの曲「粉雪」を私から。英語は全く不得手で、歌詞も判らないのに、何となく耳に心地よくて、今でも洋曲寄りなのですが・・・。この「粉雪」は初めて聞いたとき、「歌詞も曲も、特にサビの部分が素敵だな~」と、直ぐに惚れこんでしまいました。今から約二年半前、病気を告知され、初めて聞く病名に首を傾げていたら、そのときの医師にドラマ≪1リットルの涙≫の主人公と同じ病気です、と言われました。それから二日間、ユーチューブで≪1リット
この病気は症状がさまざまなように、罹患者によっても考え方は違う。私は自分の考えから誰かに影響を与えたいとも思わない。人には人それぞれの考え方があるのだ。安楽死を自殺と捉える人は少なくないと思います。それを肯定する気も否定する気もありません。どちらかと言うと肯定側かもしれないですね。そのことについて記述しようと思ったのではなく、今日は自分で死を選ぶ場合のその表記・言葉について少し思うところがあり、書いてみようかと思いました。自殺という言葉は殺すという単語が使われていて、