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夜中の2時なのに電話がなった。ついさっきまでLINEしていたので、仕方なく出た。明日、夫も私も仕事がある。私は子供の世話もある。いつもそうだ。夫は夜更かししようと朝ぼけっとしていようと、自分の準備だけして仕事に行けばいいから。電話では子供たちについて報告がないことを改めて「Chiiの金で生活してるから報告しなくていいと思ってんだろ」とよくわからないことを言われた。「運動会はなかったんですか?」「習い事は何もしてないんですか?」「ゴールデンウィークはどこも行
実家には実の兄(独身)が住んでいる。一度も実家を離れたことがない。仕事はコロナ以降、完全在宅になったらしくぼさぼさの髪とスウェットで過ごしている。私と子供二人が実家に転がり込んだのは確かだし先に住み着いていたのは兄だけれど(というか離れたことがないから)だいぶ私たち3人にペースを乱されたと苛立っているようだった。2階に3部屋あるうちの、兄は一番奥の15畳くらいある一番いい部屋を子供の時から使っている。煙草も吸っている。物が散乱した、はっきりいって汚部屋だと思う。
※流産の経験について触れてます※息子と娘の間に、一度妊娠した。2か月くらいから息子の時の何倍もひどいつわりのような症状がはじまり食べては吐き、トイレに行けばいつもおなかを壊していて体重がどんどん落ちていき、顔色も悪かった。不安もあったけれど、まだ3か月を過ぎたくらいで検診の間隔が長い時だった。年末年始は、夫婦や家族で過ごさないといけない、と私にお説教した義父が、義兄(夫の二番目の姉の夫)を連れて2人で私たちのところへ12月30日に遊びにきた。『東京生まれ
私はテレビはほとんど見ない。なんとなくつけるという事は絶対にない。4人で暮らしていた時、リビングにテレビが一台だけあった。夫は、とりあえずテレビをつける。ソファに寝転んで、携帯もずっといじっている。もう、何年も前、私がテレビを見ていた時(見たいものがあったと思う)しばらくして夫が黙ってチャンネルを変えた。あっ見てたのに、と思ったけれど見てたのになどと言ったら不機嫌になるだろうし見ないなら見ないでよかったので黙ってその場を離れた。また別の日。夫が
息子は段々買い物についてくるのが好きではなくなって特にアウトレットやデパートは行きたがらなくなった。レゴのショップを見て、フードコードでアイスを食べるくらいしか楽しいことがないしほかのお母さんに聞いても「男の子はそうだよー」なんて言われていた。娘は小さいながらもオシャレに興味があってわりと買い物は喜んでついてきた。ある週末、夫が洋服を買いたいらしく「アウトレットに行く」と言うと息子が「ええー、行きたくない」と不満そうに言った。すると、夫がどっかりソファに腰
英会話を始めたきっかけは、外国人がいる職場でパートをはじめたこと。英語が話せないなら話せないでどうにかなったけれど「あの人英語話せるんだ、すごーい」という側の人生から話せる側になってみたいと思いたち、アラフォーから英会話を始めてみた。学生時代は周りが英検を受けている中、クラスで私だけ受験せず、やり過ごしTOEICに関しては、そもそも「TOEIC」の読み方も分からないというレベルだった。英会話力ゼロからのスタートだったので何から手をつけていいのかわからずとりあえず大手
私が東京を離れている間父が母の日に花束を買ってきたことがあったらしい。古い人だし、亭主関白を絵にかいたような人なので珍しいことだったと思う。母はその時の事を「お父さんたら、仏壇にあげるような花を買ってきて。『こんな花いらない』って言ったら、誰かにくれてやれって怒って外に放り投げたのよ」と言った。また、父が気に入っている会社近くの洋食屋さんへ母を連れて行った時のことを「オムライスが、とろとろの卵じゃなかったの。『がっかりだわ』って言ったら怒ったの
夫があまりにも、家事どころか自分の身の回りの事もしないので昔はケンカになったことも何度もある。共働きでも、共働きじゃなくても相手が大変そうだと思ったら、手伝うものだと思っていた。大変そうには見えていないのかもしれない。大変そうでも、私がやるのが当たり前だから関係ないのかもしれない。まだ子供が生まれる前。手伝って。と言っても嫌な顔をする。言われたその時にやると「私のいう事を聞いた」感じになるのが嫌だったようだ。わたしも、なんでやらないの?と言ってしまっ
4月から別々に住んでいる夫には基本的に電話もしないし、LINEもしない。一度目に連絡がきたのはガスの引き落としについてだった。私名義の口座から引き落としていたので、引っ越し前に夫の口座に変えたのだが何か記載に不備があり、再送の依頼が夫のところへきていた。夫は「何すればいいの」とLINEと、書類の画像を送ってきたのが夜8時半ころ。すぐには返せず、22時頃返そうとすると待つのにじれた夫から「もういいです」とLINEがきていた。まだ怖かった。すぐに必要な内容
夜中に、二階で他県に住む友達に電話していた。私はもともと人付き合いが少ないしワンオペで子育てとパートをしているのでママ友とランチも行かない。正社員だった職場も夫の転勤で退職し地元も離れ、何度も引っ越してきたのでLINEでちょっとしたことを気軽にやりとりするような友達もあまり多くない。私も電話の相手も、子供が寝て家事が終わって、夜中がいいというので、そうしていた。電話している間、何かを取りに部屋にはいってきた夫が突然、「こんな時間に誰と電話してんだよ!」と大声
夫が、モラハラだと思っていなかった。普段から怒鳴られるとか罵倒されるというわけじゃなかったから。性格がひねくれているのは、夫の家庭環境のせいだと思っていた。私ならわかってあげられるのでは、と思っていた。もともと口数が少ない夫はどちらかと言うと威圧的な態度をとってきたりじわじわと精神的に追いつめてくるような手段をとる。直接、ああしろ、こうしろとは言ってこないけれどいつもいつも、夫の顔色を伺って次の行動を考える。「これでいいのかな」「怒ってないかな」といつも気にしてい
16歳くらいから約10年間過食嘔吐していた。高校生の時も、生きている意味がない、生まれてきたかったわけじゃないのに、どうして生きないといけないのかといつも思っていた。生きているから、やりたい事を無理やり探すけどそもそも私は生きたいのか?と思っていた。でも、体は成長期でもありお腹もすくし、女子高生だったのでお菓子もファーストフードも食べる。生きたくないと言って生きるための行動をとる自分が許せなくてある日、トイレで吐いた。なかったことにしたかった。
夫は、ゴルフ、釣り、サーフィン、キャンプ、バスケ、スノボー、スキー・・その他いろいろと多趣味でしょっちゅう、Amazonやどこかのショップから小さな包みや段ボールが届いた。私もネットで洋服を買ったり化粧品を買ったりするので梱包材を捨てたり段ボールを片付けるのは日常になっていた。夫は梱包をあけたら、そのままにするのでリビングの床に何日も空の箱が置きっぱなしになっている。そこらへんに転がっているのがいやで私が仕方なく片付けたりしていた。ある日、細長い段ボ
はじめまして。Chii(ちー)と申します。出身:東京都(田舎です)趣味:アラフォーで始めた英会話小学生2人(息子・娘)の母。私はThe・昭和な家庭で育ち父に怒られ、茶碗を投げつけられる専業主婦の母を見ながら、時には兄二人と自分も父に怒鳴られながら自己肯定感の低い、「私は何もできない」と思いこんだ大人になりました。環境になじめず楽しくない学生時代、相手が怒ると委縮して言いたいことを言えない結婚生活、自信のなさゆえに「自分らしく生きる」の「自分らしさ」さ
まだ結婚する前だった。サーフィンをする夫は海外旅行にも自分のサーフボードを持っていく。私は、ある程度きれいであれば、どこでもその土地の雰囲気を楽しめるタイプで、この遺跡を死ぬまでに見てみたいとか、これを食べてみたいとかそう言ったものはないし、夫が楽しくないのが1番嫌だと思っていたのでその年の夏の旅行はサーフィンも出来る場所を選んだ。約5日間くらいの旅行だったと思う。綺麗なリゾートのヴィラに泊まり夫は明け方から海でサーフィンをして、私は朝食バイキングでたくさん果物
子供二人を連れて新幹線で実家へ帰った3月末。表向きは単身赴任という名の別居。夜逃げは出来なかったから出発する日まで、夫と4人で暮らしていた。最後は特に、本当に針のむしろの日々だった。その日の朝まで、夫からいろいろと言われ子供のお友達が家の外にきてくれていたのに玄関で夫と私が話していたため息子と娘は外に出られず、窓から顔を出して、お友達のママたちの携帯で外にいるみんなと写真をとったと後から知った。ローカル線の最寄り駅までお友達家族がきてくれて、私はもうすぐ電車がくる
先月から子供ふたりと私で実家から3分くらいのアパートに住んでいる。夫には知らせていない。お金もだいぶかかったししばらくは貯金を切り崩し生活することになる。実家からとなると退去がないので、アパート契約後は仕事から帰ってから、届いた家具を組み立て、カーテンをそろえ、と少しずつ準備していった。実際に寝泊まりするようになったのは、少ししてからだった。ガステーブルや電子レンジ、冷蔵庫も段々とそろい「明日から朝食は自分たちで済ませるね」と母に伝えた。しかし、翌朝7:3
パートで働きはじめたとある職場に留学生がたくさんいたので、少しでもコミュニケーションをとるために超初級からオンライン英会話を始めた。自由時間は睡眠時間を削る事でしか捻出できないので子供が寝て、家事を済ませてから深夜にレッスンを受けることにしていた。レッスン中に、先生から英語で「あなたの趣味はなに?」「自由時間は何をしているの?」と聞かれることが多かったのだけれど趣味。自由時間。さっと答えられない。映画鑑賞。が、好きだった。編み物。が、好きだった。
「親がいなくてもやっていける自分」のために25歳の時に一人暮らしを始めた。「自分でやっていける」と思いたかったのは自分が何もできないダメ人間だと思っていたから。入居したアパートで初めて朝を迎え、身支度をしていた7時頃、母から頼んでもいないモーニングコールがなった。「何?」と電話に出ると「ちゃんと起きられているのかと思って・・・」という母にカッとなり「…頼んでもないのに電話しないでよ!」と怒ってしまった。台無しだと思った。器用に、「大丈夫だよ、ありがとう。も
最近、自分が色々型にはめたいタイプだなーと感じていていました!エニアグラム診断という性格診断があるのですが、私は8(統率者)-9(調停者)というタイプ。エニアグラムの先生はコチラ⇓強みを活かした生き方で人生を楽しむ/京都/貴方の武器を使えるようにするコーチ納かよ貴方の武器を使えるようにするコーチ納かよ(おさめかよ)/全国オンライン/さんのブログです。最近の記事は「自分を知ると豊かに生きれらる~【行動・思考・感情】の再現性の高い癖を生かす~(画像あり)」です。ameblo.jp