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願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ西行稽古にいらっしゃる皆様のお着物も春らしい色合いが多くなってきました釣釜に花屏風釣釜は炭手前にこそ楽しさが♪我が家の椿は今10種近く咲いていてお弟子さん達のわぁ❣️😍…が聞きたくて(笑)気持ちが晴れない日も帰りには笑顔で楽しく帰って頂きたいお茶って素晴らしい✨
ソメイヨシノが満開になると、春の庭はそこかしこで華やぎを増します。玄関脇のチューリップやヒヤシンスを見ると春が来たなぁと目頭が熱くなります。春が来ましたね。冬を超えて春が来ましたね。短い春を満喫しましょ。仕事を辞めたからできるお花見三昧です。The早めの老後!!天平の丘公園の福島滝桜の子孫樹。去年、滝桜を夫と見に行きましたが、それはそれは見事で、菜の花に囲まれていてすばらしかったです。まだまだ小さい子孫樹。がんばれ。大きくなるのを楽しみにして待ちましょう(´;ω;`)ブワッ
昨日、5月26日(金)に放映された「探偵ナイトスクープ」番宣では「超ダイナミックなパフォーマンスに挑む元気溌剌!身長140cmの82歳おばあちゃん!!」でしたが、この作品の好感度が高かったですね、、、①真栄田賢探偵の「江南のバットマンを救ったヒーロー」愛知県の男性から。私は、愛知県江南市で地域のパトロールやボランティアをしている「江南のバットマン」である。昨夏、市内をオリジナルのバットモービルでパトロール中、ガス欠で全く動かなくなってしまった。絶望の中、2kmほど離れた
しばらくぶりに城北公園を散歩した。桜の花が満開。見事なものだ。チューリップの花も咲いていた。たぶん、この時期は東京が一番美しいころではないか。☆桜の花言葉はいくつかあり、まず「精神の美」、そして、「優美な女性」「純潔」「あなたに微笑む」などだという。優美な女性といって、思い出す幾人かのひとがいるが、わたしは桜の花言葉には宿命とか運命という言葉が似合うような気がする。鎌倉時代の歌人、西行の晩年の作品だという。「桜の花の下にはたくさんの死が埋まっている」そういったのは確か、昭
MILESDAVIS~KINDOFBLUE~1959「先週は飲み会が多くてなかなか大変やった」「またおごってもらったの?」「セセリもいただいたのだが撮り忘れた」「またアホな話に夢中やったんでしょ」「土曜日は古い友達と飲んでたのや」「友達いてるの?」「ひとりでは生きていけんわ」そんなことで今年の花の吉野山は4月14日(日)となりました。早朝5時に大和上市駅そばのコイン駐車場へ到着です。ひとつ手前の六田駅の車庫から
(東京都小金井市都立小金井公園)またれつる吉野の桜さきにけり心をちらせ雪の山風西行法師今日は杉並区高円寺の「香林会」。昨日は池袋、明日は日野、あさっては大森、土曜日は池之端と句会が続く。明朝は一ヶ月ぶりの病院。薬のおかげで血圧はとても安定している。西行は松尾芭蕉が心から尊敬した歌人である。おそらく最も尊敬した歌人であり、その敬慕の思いは尋常ではない。が、私はどうも西行の和歌は好きになりきれないところがある。どことなく後ろ向きなのである。しかし、「桜」を
さて市民書道大会を控えた書道部。まぁ文化部が遅くまで練習するっていってもこんなもんですわな。運動部はさらに大変ですからね、家に帰るのが22時過ぎることもザラでしたもん。ただ授業が終わった後さらに机の前に何時間も座り続けてなくちゃならないという意味では文化部もキツいなぁ…さてその市民書道大会で優秀賞を獲得したのは鵠沼の見城。題材は西行の「山家集」ですね。鎌倉時代の文学作品とその作者としては、西行の「山家集」と鴨長明の「方丈記」、あとは「愚管抄」と「十六夜日記」「新古今和歌集」を覚えておけばま
(神奈川県横須賀市長沢)聞きもせずたわしね山の桜ばな吉野の外にかかるべしとは西行法師(『山家集』)ふ~、なんとか仕事が一段落した。なんだかここ数日、ダメダメで、ミスを見つけては修正、修正し、なんとか終わらせた。まあ、100%完了ではないが、なんとかなった。午後からひさびさに「里山」を歩いた。このあたりの花はソメイヨシノではないようで、まだ桜が楽しめる。上記の和歌は、西行法師が、奥州平泉(岩手県平泉町)で「束稲山(たばしねやま)」を望んで詠んだもの。意訳
その日のために仕事の行き帰り、片道40キロほどのドライブをするのだが、そこかしこ目に飛び込むのは、今を盛りと咲き誇る桜花の繚乱である。花開く、その凄まじいほどの爆発力には舌を巻く。わずか一週間ばかり、ここぞとばかりに咲き誇って散るいさぎよさには感服するのだが、忘れてならないのは、その日のために、残り360日ほどの、途方もない時間のすべてをかけて、人知れず開花準備に余念がない。そのことこそ、人は学ぶべきだろう。雨も降りそうで、散るのは、あと数日と思えたので、早仕舞いできた仕事帰
立春になったとはいえ雪が積もり本当に寒い真冬の二月神代の時代から日本家屋は夏を想定した建物で、平安の都の神殿造り屋敷は大きな御簾で仕切られてはいました壁というものがなく、風がよく通り、冬はそれはそれは寒かったことでしょう。綿が流通するのは江戸時代からですから、厳しい寒さを凌ぐには麻等の薄い衣を着て更に重ねて着るしかありません。ここから「衣(き)更(さら)着」というので二月は、「きさらぎ」とつけられたそうです。そして、春に向けて草木が生えはじめるから「生更木(きさらぎ)」
いずれできるように花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜のとがにはありける〈西行〉私は、今年桜を見かけることはあったのですが花見自体はしていなくてちょっと勿体無いなと、感じています。でもそれと同時に、花見に行く人達の人混みがすごく中でなのでまあしょうがないかな、と考えていました。昔の人も花見にと大勢で来る人のことを、少しいやだなとかんじていたのがこの句から感じられて、昔の人も似たような感覚があったんだと思い今も昔も、人の感じ方に大差ないなと
「甚兵衛ネットワーク」について。---------佐藤義清(のりきよ)こと西行が全国に作ったネットワークで、皇室の山林管理を行う。現在も日本全国に60ほどあるらしい。西行の子孫が主らしく、「佐藤甚兵衛」を名乗るところもあるが、中には佐藤ではない甚兵衛も存在する。安倍晋三の母方の佐藤氏も佐藤甚兵衛家で、この佐藤家は佐藤甚兵衛の宗家を主張。また、この周防の佐藤甚兵衛家は、護良親王の息子で周防に極秘で入った興良親王とその子孫を守護していた家でもある。なお、京都皇統、堀川殿とし京都堀川御所
平安期の蝶を詠った和歌をみてきたので、まとめとして作者と作品を年代順に並べてみます。平安前期①僧正遍照(816-890)ちりぬればのちはあくたになる花を思ひしらずもまとふてふ(蝶)かな後期②大江匡房(1041-1117)百年は花に宿りて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞ有ける③源仲正(1095六位蔵人ー1135頃引退)面白や花に睦るる唐蝶のなればや我も思ふあたりに④西行(1118-1190)籬(ませ)に咲く花に睦(むつ)れて飛ぶ蝶の羨ましきもはかなかりけ
🌸桜の便りが聞こえ出すと、「勝持寺(しょうじじ)」🌸通称:花の寺を思い出すのです。🌸桜の名所🌸ということならば、京都でなくても色んなところにあるのに、どうしてココ「勝持寺(しょうじじ)」なのと思われる方もいらっしゃるでしょう。🌸「勝持寺(しょうじじ)」を始めて訪れて以来、もう40年以上の年月が流れました。進学で京都に転居した年、原付の免許を取った日に、バイクでここに来たのが最初です。🌸「勝持寺」のホームページにも掲載されているように、この花の寺は西行法師ゆかりの寺でもあるのです。——鳥
白道瀬戸内寂聴講談社どこかで瀬戸内が西行について語っているのを読み、本書にたどり着いた。西行の伝記だが独特の書き方になっている。西行を思慕し、これを追い求める気持ちが表に出てくる。また、西行の面影を求めてゆかりを訪ねる旅でもある。感心するのはすべてが歌で始まり、歌から読み取っていることだ。文中に「歌は真言」と言うことがば出てくるが、極めた人にとってはそんな境地に至るようだ。残念ながら私にはそんなことは出来ない。瀬戸内の発想もスゴイ。歌をたどっていくと西行には意中の女性がおり、この人を
写真:海棠わき撮影どなたがいらっしゃるのかはわかりませんがただ、ありがたくて涙がこぼれてくるのだ出所)総持寺法話登場人物紹介はここを見てね師匠今日の道歌は西行法師の歌。西行法師平安時代末から鎌倉初期の僧侶で歌人もある。西行法師が伊勢神宮に参拝した時の歌と言われておる。僧侶とは言っても、超能力や霊能力がない限り神の存在を直接見たり聞いたりして感じることはないだろう。だが、我々も神社仏
(137)春風に吹かれて春風に吹かれて咲くハクサンハタザオ神戸六甲山にてまばゆい光がさし込む中で、冬の寒さを乗り越えた花たちが嬉しそうに萌え出しています。おらが世やそこらの草も餅になる小林一茶(意訳)春ともなれば、そこらのヨモギを摘んで、草餅にして食べよう。ありがたい世になったものだなぁ。草餅はヨモギ餅とも呼ばれ、春になると美味しく食べられます。コーヒー党の私でも大好物の和菓子です。気象庁によるとは、三月は春が始ま
そういえばこの地で携帯をパカッと開けて前日の天皇賞(春)の当たりを知ったのだったなぁー、、、懐かしい(笑)今週マツの天皇賞(春)は当たる気がする(笑)しかし、テーオーにドレッツァと来ては、、、土曜の青葉城を狙うか、あゝ象潟やぁ象潟や象潟や雨もまた奇也
山家集上春第837084風越(かぜこし)の峯(みね)のつづきに咲く花はいつ盛(さかり)ともなくや散りけん「風越」は木曽の山の名所を示す歌枕。今の飯田市の西側にある。「なくや散りけん」は「見る人もないままに散ってゆくのだなぁ」という感じ。終句は板本では「なくて散るらむ」。終句切れ。歌意風越の峯の奥に続いて深く入っていったところで、咲いている花は、何時のまにか盛りになっても、見る人もないままに、散ってゆくのだなあ見ることもない、名所の花にまで心をはせる
平安後期から鎌倉初期の歌人西行の辞世の歌『如月の望月のころ=2月15日ころ』に逝きたいと願い2月16日になくなったと言われる凄い人ですこの歌を知ってからずいぶん経つけれどずっと気になっていたことがあったこの花は桜か梅か❓、桜なら早すぎる❓❓旧暦の2月15日、新暦なら3月なかば果たして西行は桜を観て逝ったのか??その答えが漸く見つかった西行さんの亡くなった年桜の開花がきっと早かったと想いたい。2024年4月12日遅咲きの桜ようよう散りゆく
以下の2首は、平安後期の2人による蝶の歌ですが、よく似ています。源仲正(1095六位蔵人ー1135頃引退)は、花に睦る蝶になりたい。西行(1118-1190)は、花に睦る蝶を羨ましく思う一方、はかなくも思う。面白や花に睦るる唐蝶のなればや我も思ふあたりに源仲正(夫木抄)歌意面白いなあ。花に親しみなつく蝶がそうなるからか、私もそうありたい、蝶になりたいと思う。睦る=親しみなつく籬(ませ)に咲く花に睦(むつ)れて飛ぶ蝶の
と言いますが、このような人に殺されたくないですね。八墓村要蔵の舞多治見要蔵が踊っております。youtube.com願わくば花の下にて春死なんこの如月の望月の頃実家の父が好きだった和歌ですが、、、その願いはかなえられませんでした。お父さん、あたしたちには、そげんかっこよかことはできんとばい。ならば、私も死ぬまでじたばたするしかなか。がんばるけんね。かーらーのーこのくらい踊れればなぁ!いいなあ。