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褐色細胞腫にて右副腎の切除をしたのは2012年。最近血圧が高すぎ。コロナ禍を理由にサボっていた大学病院受診しました。2年ぶりです。あいかわらず混んでる病院。受付して、まず採血と採尿を済ませてから担当医のところへ行くのが毎回のルーチンが採血採尿のオーダー入ってねぇし(>_<)担当医に連絡して検査オーダー忘れてますよーと伝え、オーダー入れて貰いました。担当医はすまん、と「至急」扱いにしてくれました。採血のスピッツは今日は8本今日は少なめです。が、それなりに時間がかか
佐々木先生の後をついて面談室に向かう。ドアを開けると、執刀医の崎森先生が先に待っていた。「三島さん、おかけください」少し寒い。カーディガンを持ってくればよかったなと少し後悔する。面談室には大きなホワイトボードがある。何やら私にはわからない医学用語が書いてある。検索したい衝動にかられながら、私は椅子を引き寄せる。向かい合わせのテーブルに2人の先生が並んで座る。崎森先生の左横にはパソコンのディスプレイがこちらを向いている。画面いっぱいに見えるのは私の肝臓のCT画像だろうか。私は崎森先生と向
ライフコンサルタントの西田千鶴です。初めましての方はこちら☆18日に元夫が旅立ちました。褐色細胞腫という希少ガンを8年前から患っていました。今年になってから急激に容体が悪化し最後は3人の子どもたち、1歳の孫、私が見守る中静かにまるで眠るように息を引き取りました。4年前に離婚をしてからも穏やかで同志のような仲間のようなそんな不思議な関係でした。32年前にプロポーズで言ってくれた言葉が「おじいちゃん、おばあちゃんになっても一緒にいようね」孫が生まれ
そこは、市内では名医と評判の脳神経外科病院だ。紹介状を持って行ったので、失神した時の様子は伝わっている。妙に髪の量が多くそのうえ癖毛のモジャモジャ医師が問診票と私の顔を交互に見る。「えーっと、こういう頭痛は今まで経験したことはありますか?」「幼少時から頭痛はありましたが失神したのは初めてです」モジャ医師が眉間にしわを寄せる。「う~ん…とりあえず脳の検査をさせてください。まずはCTとMRIですね」病弱な私ではあったけれど意外にもCTもMRIもその時が初めての経験だったので、人並み
「初めまして、棚沢です」綺麗に整えられた白髪にシルバーフレームのシンプルな眼鏡。私に向ける眼差しは少し遠慮がちで、柔らかい。50代後半だろうか。宮田先生に紹介されたV大学病院の棚沢教授は、この大学病院の教授の中でも群を抜いて優秀な人だと聞かされていた。だが、偉そうな印象はひとつもない。内分泌代謝疾患の権威で、甲状腺疾患に関する論文を多く書いていると聞いた。でも、所属は消化器外科。東大医学部を首席で出たということも聞いている。「しかしまあ…宮田先生はこの珍しい疾患を良く見つけてく
褐色細胞腫は副腎腫瘍の1つで、発症頻度は低く、極めてまれな疾患です。副腎腫瘍の中でも厄介モノで、必ず手術で取り除かなければいけません。また、10%は再発し、さらに再発した場合の予後は不良といった事が知られています。この度、私は褐色細胞腫の診断を受けて、治療を行った患者の一人として、その経過を報告したいと思います。なぜ、このような闘病経過を書くのかと言うと、私がこの治療を受けるにあたって他の方の治療体験ブログを拝見し勇気をもらったからです。詳しい病状を説明している病院のHPも勉強
私の家系は低血圧。揃いもそろってみんな上が80~90下が60~70くらい。当然朝が弱い。みんな弱い。母も毎朝機嫌が悪いし私も遅刻気味。父は昼から元気が出て妹は午前中は無口で地蔵だ。その中でもとりわけ血圧が低いのが私だった。自慢ではないが私は幼少時から病弱だった。小児リウマチ熱、小児肺炎、ストロフェルスに慢性便秘に慢性胃炎に頭痛持ちに肩こり。なんだかんだでいつも学校を休み、寝ていることが多かった。食べても食べても太れず、あだ名は「ガリ子」だった。中学の時初めて血圧を測ったら上が80しか
え…今更再発って…13年も経って?そうだった。その時の私は、この病気がそういう特徴のある病気だということをすっかり忘れ切っていた。それほど油断していた。「でも、4カ月前のCTの結果ではなんともなかったですよね」にわかに信じがたい私は、怒りすら覚えながら目の前の自分の肝臓の画像を見る。そうだなあ。確かに肝臓の一部が白く抜けているなあ。しかもずいぶんハッキリとした影だこと。レポートには読影医のコメントが添えられている。【悪性褐色細胞腫の術後。肝臓と大腸を繋ぐ門脈付近に3.5ミリ
久しぶりの更新です褐色細胞腫の定期健診は相変わらず異常なし乳腺外科の定期健診は…まだ行けていません今月中に行かなければいけなかったのですが子供たちが夏休みで家にいるのでなかなか…というのは言い訳ですかね最近考えている事があります実は…子宮筋腫再発しました全摘をオススメされましたもう…またかという感じですいろいろ考えましたが全摘一択しかないと思ったし、先生もそれがいいとおっしゃっていたので、今のところ手術前提で、具体的な日にちを決めるだけになっています診断されてから数
腫瘍ができやすい体質…なんてあるんですかね?今までの病歴を書き出してみると…最初の手術は約20年前、21才の時「左卵巣のう腫」→腹腔鏡で腫瘍部分摘出今から4年前「子宮筋腫(漿膜下、筋層内、粘膜下)」→腹腔鏡で腫瘍部分摘出粘膜下筋腫は子宮鏡にて摘出「左卵巣のう腫再発」→腹腔鏡で腫瘍部分摘出今から2年前「褐色細胞腫」→腹腔鏡で腫
RI病棟から出てしまえば治験はひまです。なんならMABG投与の翌日からRI病棟でも暇です。ただお陰様でパソコンスマホが持ち込めたので仕事でぼちぼち忙しくさせてもらえて1日は早く感じました。メール・チャット他いろいろ使ってやり取りしながら仕事を進めますが、やはりミーティングが必須になる案件もあります。入院前に準備してきているのでそんな場面は入院中に2回ほどで済みました。今日会社で久しぶりのWEB会議があり少し白熱したディスカッションがあって思い出したの
【褐色細胞腫】診断くだる褐色細胞腫と診断がつくまでにはとても時間がかかります。外見上は特に特異的な症状はなく、代表的な症状と言われている高血圧や糖尿病も簡単に目に見えるものではありません。例えば、高血圧は常時高値を示すタイプもあれば、発作的に上昇するタイプがあります。私は後者でした。健康診断では血圧測定や血液検査の血糖値測定はありましたが、すべて正常範囲内でした。超音波(エコー)検査をしていなければ、もっともっと診断と治療に時間がかかったと思います。(検診項目にエコー検査が含まれ
この病気が見つかるまで、いろいろな自覚症状がありました。手の震えたくさん汗をかく動悸手足の脱力感などなど…この病気は高血圧が症状のようですが私は低血圧だったので、自覚症状としてはまったく感じていませんでした。ただ病気がわかってから血圧計を購入し定期的に測ったところ、動悸や手の震えが起きた時には血圧が高くなることがわかりました発作性の高血圧だったようです。次は、それぞれの症状を詳しく書きます
私は入院前、勤めていた調剤薬局で突然卒倒した。ドキサゾシン。初めて聞く名前の薬、この薬のせいである。私が再発するまでの13年という長い間に、この病気のガイドラインが新たに正式に更新され、手術の前にこの薬を段階的に投与しておくことが標準治療となっていた。だが、なんせ情報がほとんどない時代に発病した私である。そんなことは露知らず、どうして自分が突然卒倒したのかがいくら説明されても腑に落ちないでいた。私は、術前説明にやってきた執刀医の崎森先生を質問攻めにした。「昔はこんな苦しい薬を飲まなく
退院日。傷口の痛みはちょっと強めでした。6日ぶりに履いたデニムのベルトが当たって痛い😂スーツケースとリュックで持ってきた荷物は、とうてい持ち帰れそうにないので、スーツケースは宅急便へ、、、たった6日ぶりでしたが、やはり外の空気はおいしい!退院後初の娑婆飯は色々迷った挙句、地元の天ぷら屋さんのランチにしました。ちょっとゼータクでしたが、うまかった!しかし、お腹いっぱいになるとまた傷口が圧迫されて痛い…そろーりそろーり、、ゆっくり歩いて家まで帰ります。スピードにしたらいつもの半分くら
今日は、検査結果を聞きに行って来ました婦人科卵巣(多分:皮様)嚢腫→「1年前にガン検診したから、とりあえず再度しとこうか?2、3日後に結果分かるから本当なら外来だけど何もなかったら連絡ナシと言う事で」と淡白な先生🤣「副腎と膵臓があるからついでに(仕方なしに(と聞こえる😑))見てるけど手術になったら地元でもいいし、ココじゃなきゃ嫌ならココでもいいよ」内診をし「この大きさなら外来は1年後でも良さそうだけどね」と…私もわざわざ行きたくないわいと、思いながら外科へ膵臓SPN(術後
私は、浣腸を待っていた。手術の日の朝である。そわそわしていた。あの羞恥プレイも13年ぶりである。あれっ…でもその前に既に若干の便意があるんですけど…早くしてくれないかな。「三島さ~ん、お通じありましたか?」永野芽郁によく似た若くて可愛らしい看護師がカーテンを開ける。「えっと、浣腸は…」「…えっ」「…えっ」しばしの沈黙。「前は壁に手をついてお尻を突き出…あの、浣腸はしないんですか」看護師がフフっと含み笑いをする。「ああ、今はやらないんですよ。そのための下剤です。トイレまだです
術後の目覚めはICUでした。「う〜んまだ寝てたいのになんで起こされるの〜🥱」という、全身麻酔特有(?)の目覚めです。何時間経ってたんだろ🤔外はもう暗かったから、4〜5時間くらいは経ってたのかな。たくさんの先生、看護師さんなどから名前を呼ばれ、何度も「無事に腫瘍は取れましたからねー」と言われ、ぼんやりとおお、そうか、無事に終わったんかとようやく実感できたのも束の間、とてつもない気持ち悪さと吐き気に襲われてきました。血圧は問題なさそうなのですが、低血糖を起こしてました。さっそく何か
日勤の看護師さんが出勤してくる頃になると、意識もだいぶはっきりして、周りの状況もよく見えてきました。ほうほう、自分以外に3人ICUにいたけどみんな大丈夫そうなのか、とか昼間これからまた受け入れのためにベッド調整めちゃくちゃしてるな、とか。スマホも使えるようになったので、家族や職場の上司に無事の連絡もできました。おそらく1番最後に入ってきて、1番軽症であったろう僕は1番最後にベッド調整していただき、お昼前に一般病棟に戻ることになりました。病棟からお迎えも来て、皆さんに手伝ってもらってベッ
いやあ、本当に医学は日進月歩だ。リカバリ室に移動させられた私は普通に美味しく食事が摂れ、軽口を叩き、退屈すらしていた。そして予定通りオペ5日後には一般病棟に移ることになった。痛みで七転八倒することはずっとなかった。「ただいま帰りましたぁ~!!」元気を引っ提げて車椅子で自分のベッドに戻る。「おかえりなさい~なんだか元気そうですね」向かいのベッドの川名さんが優しくほほ笑んでくれる。左のベッドの一ノ瀬さんは、5日会わない間にずいぶんむくみが取れていた。足の太さが半分くらいになっている。「
さて、いざ手術当日、、、昼頃からの手術ということで午前中はなんだかソワソワ。手術着に着替えたり、T字帯付けたり(付け方わかんなくてググりましたw)、弾性ストッキング履いたりして、時が来るのを待ちました。13時前にようやく手術室に呼ばれると、たまたまエレベーターが同室の陽気なおじさんと一緒でした。看護師さんに付き添われて売店に買い物に行くそうです。カッコを見たのと、手術室のフロアで降りたのですぐにわかったんでしょうね。去り際に、「手術、頑張ってね〜」なんて声をかけてくれました。まずは、
【褐色細胞腫】術後2か月の経過「ようやく」と言うのか、「もう」と言うのかわかりませんが、褐色細胞腫の摘出術を受けて2か月がたちました。最近は調子がいいです頭重感も少なくなり、だるさも減ってきました。少しくらいなら小走りも平気です。(仕事ではよく階段ダッシュをしています。)血圧も110/70mmHg前後で安定です。睡眠時間の確保につとめ、残業も極力控えてます。土日は家族には申し訳ないけど、ゆっくりダラダラ過ごさせてもらっています。電車通勤は少々体にこたえます
さて、久しぶりにぐっすり寝たかと思えば6時に強制起床です。起きて5分後にはバイタルチェックと採血です。寝ぼけ眼で血を取られます。この頃には血圧も血糖も安定してました。服薬せずに朝の血圧が130/90台なんていつぶりなんだろうか、と感慨深くもなりましたが、それだけ腫瘍が悪さしてたんですね。術後3日目の朝は痛みも軽くなり、前日よりもスムーズに歩けるようになりました。日に日に回復していることを実感できました。この日は特に予定もなく、売店をのぞいたり、なんとなくデイルームで外の風に当たってみ
入院病棟は以前とは別の場所に立派に新設されていた。旧棟とは比較にならないほど綺麗で広く、人の動線もキッチリ改良されていた。まだ塗装の匂いすらほのかに漂っている。「こんにちは~!!三島と申しま~す!!よろしくお願いしまぁ~す♪」大部屋はベッド周りも十分なスペースが確保されていて、窓も広く快適そうだ。だが、私の元気な声に反応する人がいない。心に軽いショックを受けたが、気を取り直して挨拶の品を配ろうとベッドに近づく。するとすかさず看護師に「物品のやりとりはすべてお断りしています」と言われ、
今日は「私のところに来るのは一番最後でいい」という言葉をかけてくださった夫の勤務先の村上先輩の家に行く日だ。そのご好意に甘えさせていただいていた御礼にと、私はせめてもの心遣いとして、すべての紙幣を新札に替えた。お好きだとうかがっていた和菓子も携えて、きちんと髪を整えた。「ご無沙汰しております。この度は大変ご迷惑をおかけしました…遅くなってしまって…本当に申し訳ございませんでした」緊張しながらたどたどしい口調で謝罪を述べると、ご夫婦は「大変ご苦労されましたね」とすかさず労ってくれる。ず
朝の光が柔らかい。風のにおいもどこか初秋めいて、絶好のサイクリング日和だ。朝からお弁当を仕込む。一人分作るのも家族分作るのも一緒なので、4人分拵える。「お姉ちゃん、ひとりでサイクリングなんて寂しくないの?」「うん、自転車せっかく新しく買ったし、ちょこっとその辺ぶらぶらするだけだから」私は久しぶりのサイクリングにちょっとウキウキしている。出張先の彼氏から電話がある。「俺が一緒に行けたらよかったんだけど、無理すんなよ」「お弁当に春巻き作ったんだよ」「ぼーっとしてその辺の犬とか鳥
一通りの検査が終わり、結果発表尿中と血中のカテコールアミンが通常より過剰であること(基準の10倍を越えているものもありました)CT、MRIとも右副腎が大きく腫れていることシンチグラフィの際、投与した薬剤が右副腎に集積されていることが揃ったので、正式に「右副腎褐色細胞腫」と診断されました最初のCTで疑われてからここまで3ヶ月近くかかりました初めは不安しかありませんでしたが、長い間悩まされてきた症状の原因がはっきりわかったことはとてもうれしかったです治療方法は手術で右副腎を摘
昨夜は発作にて、ご心配おかけしました。今は落ち着いてます。発作はたまにおきます。コロナ禍で大学病院での検査をサボっている私が悪いなるべく早めに受診します。
【追記】文章が途中抜けて更新されていたみたいなので、一部修正しました昨日の大晦日に夫と付添交代して、お昼すぎに帰宅しました。高速道路空いてて良かった〜。帰宅時に玄関前でお友だちとゲームしてた次男。(親不在時はお友だちとは家の外で遊ぶという我が家のルールを守っています。)わたしが荷物を家の中に運び入れてる間にお友だちがまた増えたみたいで「ママ、家の中で遊んでもいい?」と。言うまでもなく、リビングも二階も超汚部屋。部屋干しフィーバーしてるし(夫よ、洗濯物溜めたな…)と思ったけど、普段我慢ば
入院2日目(手術前日)続き手術後はICUに1泊することになっているため手術前日のこの日、ICUの看護師さんが来てくれてICUでの過ごし方などを説明してくれました。「実際にICUを見学することもできますがどうしますか?」と聞かれたのでお願いし、主人と見学へ。ICUというと医療ドラマによく出てくるような緊迫した雰囲気が漂う場所かと思っていましたが、私が見学しに行った時はとても静かでした。意外だったのは、ICUでは術後落ち着いたら気分転換ということで着替えや歯みがきなどをしてくれるというこ