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1.「藤原不比等」について「藤原不比等」については、これまでこのブログではあまり触れてこなかったのですが、「藤原家嫡流」を考える上で、最重要の人物の一人です。実は私が聞いた話では、父が戦争中親元になる三上山の麓に疎開していたとき、近所の子と遊ぶ際、家の系図を竹に結わえて遊んだそうなのですが、その系図の一番最初は「藤原鎌足」ではなく「藤原不比等」だったそうです。不思議な話です。先日、その「藤原不比等」が気になり、少し考えて閃きました。「不比等=2210」なのではないかと。「ふひと
白村江の戦いの後、百済の民が近畿地方に渡来した。彼らは現在の関西弁にあたる言葉を喋り現在に至っている。ヤマト政権の中枢を占めたであろうことは既に述べた(参考)。天智天皇と中臣鎌足(藤原鎌足)が起こした乙巳の変(大化改新)以来、現天皇家と主流派公家の藤原氏は車の両輪のように、また表裏一体の存在であった。すなわち、藤原氏は百済からの渡来人で、百済王家の者達だったと推測しても不自然では無い。ちなみに、現在に至る公家系統の旧華族のほとんどは藤原氏の分家である。雑談1長州の毛利氏のルーツの大江氏や
裏神道「陰陽道」その21◆祭祀氏族「忌部氏」やっと「韓国・北朝鮮」から「陰陽道」の本筋に戻るが、北朝天皇家によってその首を京都の船岡山に埋めれた「織田信長」のルーツは古代より神道の祭祀を行う一族「忌部氏」(いんべし)であった。神道の祭祀を行う一族というのは、基本的にみな記紀の「天岩戸神話」に登場する神々の子孫である。八百万の神々とはいうものの、重要な神は「布刀玉命」(フトダマノミコト)、「天児屋命」(アメノコヤネノミコト)、「天鈿女命」(アメノウズメノミコト)である。「天
『日本書紀』には完成一段階前の中間文書的な『原日本紀(げんにほんぎ)』が作成されたのではないかという仮説について、今回は視点を変えて『日本書紀』編纂過程から考えてみます。『日本書紀』の編纂は、天武天皇(てんむてんのう)の治世10年(681年)に始まったとされます。天皇はその年の3月、川島皇子(かわしまのみこ)ら12人に詔(みことのり)して、帝紀(ていき)および上古の諸事を記し定めるように命じられたのです。その後、持統天皇(じとうてんのう)5年(691年)8月に、「18の氏族に詔して
前回紹介したTOLANDVLOGさんの動画があまりにも面白かったので、引き続き取り上げます。『消された神、瀬織津姫そしてニギハヤヒは出雲族で渡来系』「しつこいかな」と思いつつ、やめられない瀬織津姫とニギハヤヒのシリーズ。きっとナガスネヒコの怨念があたしにこれを書かせているのよ、、、ということでwww「…ameblo.jp動画を追ってまとめていらた1日が終わってしまいました(汗)。引き延ばすのうまいですね(笑)。当たり前ですが、プロが作ってますね。先に古代史の
7-4奈良時代の政争奈良時代政治史の特徴は、全体として、藤原氏と皇族出身者(+僧侶)が、ほぼ10年ごとに中央政界で政権を担当し、そのなかで藤原氏の台頭が顕著になっていった点にある。➊710年代藤原不比等(ふひと)(鎌足(かまたり)の子)が政界の中心に位置し、養老律令を完成させる(718)など律令制度の確立に尽力(じんりょく)すると同時に、天皇家に接近した。720不比等没。➋720年代長屋王(ながやのおう)(天武天皇の孫)の政権成立。三世一身法(さんぜいっしん
ガイドさんにご親切に案内してもらってやっと法華寺様に着きました❤境内のお向かいにあった空き地に「天皇宮法華寺」という石碑が立っていたのですがなんでしょうね❔本堂正面の入口は格の高い方専用らしく通行禁止でしたので、残念ながらここからちょっと歩きました。生け垣としてカラタチの木がびっしり生えていてトゲトゲがすごいです。入場出来る門まで結構離れていて松とカラタチが続いています。入場出来る門に着きました❗正式名称は光明宗総国分尼寺法華滅罪寺といいます。およ
本日は、改めて「防人(さきもり)」について考えてみたいと思います。防人については、日本史の考え方29「なぜ古代の農民たちは逃げるのか②」でも少し触れました。高等学校で使用している教科書には、実に興味深い記述があります。「防人には東国の兵士が当てられ、3年間大宰府に属した。」ここで重要なのは、なぜ防人は東国出身の兵士なのか❓ということです。この問いは、授業でしっかり扱っておくべきだと思います😊先ず、東国について説明します
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい、本日は藤原不比等の妻たちの系図です。藤原不比等は藤原鎌足の息子で、藤原四子や光明皇后の父。飛鳥時代から奈良時代初期にかけての政治家で、大宝律令などの編纂に関わりました。本日はこの古代の大物政治家・藤原不比等の奥さんたちの
今回は第16話として「壬申の乱編-不比等が作った幻想の国「日本」(その7)」をお話しする予定でした。ところが、つい最近、私にとって長年の懸案であった「伊勢神宮の秘密」を解明することが出来ましたので、第16話として「伊勢神宮の秘密」についてお話しします。これからお話しする一連の内容は、今後お話しする予定の「天武天皇」のお話しに、深く関わってくることですので、「伊勢神宮の秘密」を先にお話し出来て、かえって良かったかと思います。解明した伊勢神宮の秘密とは、以下の2点です。1.伊勢神宮が現在の場所