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おはようございます。4月22日本日お誕生日の方おめでとうございます病院などでなくなられた場合霊安室に搬送会社一覧が置いてあることが多いと思います。事前に葬儀社を決めていない場合は取り急ぎ搬送をお願いすることになると思います。搬送会社が葬儀社の場合もありますので当然その場合は葬儀社は決まっていますか?と言う流れになるかと。これが特に決まっていない場合あれよあれよと、その葬儀社で契約をしてしまう場合も。そこが相性が良ければ問題ないと思いますが何かしら合わ
撮りだめしたランチの写真を見ながら去年の11月を振り返ってみます月曜日●芸術劇場前館長様の偲ぶ会●アルテ宮崎駅東のお参り●お昼は社員と「一平寿司」さんに行きました一平寿し[「宮崎を代表する郷土の味」として、“元祖一平のレタス巻き”を守り続けてまいります](ippei-sushi.com)火曜日●福岡遠征●住吉神社で御朱印を拝受●夜は博多のホテルオークラでの博多・経友会に出席
妻が亡くなりました。生前、御厚情あった方々に感謝申し上げます。妻が亡くなってから、49日納骨法要までの痛恨の記録です。一人息子との確執が深まり窮地に落とされ、静かな環境での供養はありませんでした。郵便物の『受け取り拒否』・・息子自身の物なのに受け取り拒否されるとは想定外でしたwこれで事務的な連絡手段も失うことになる。郵便物は今後届かなくなります。よほど私からも要求が嫌だったようです。電話ではなく、葬式の打ち合わせ、詰めた話をしたかったので家に呼んだが仕事でいけないと断られた。な
こんばんは。メッセージをいただき急ぎブログにてお返事を。納棺師になるためにはどうしたらいいのか。専門学校に行くという手もありますが実務を経験した方が早いしお金もかからないというかお金がいただけます。エンバーマーになるには資格(一般社団法人日本遺体衛生保全協会認定資格)がいるのでその資格を得るために金銭がかかる場合もありますが会社などに所属して会社のお金で資格を取るという方法もあります。私自身はエンバーマーではありませんし日本の葬儀の場合はエンバーミングではな
撮りだめした写真を見ながら去年の10月を振り返ってみます月曜日●お客様まわり●主治医のもとで定期健診●アルテ桜ケ丘で葬儀司会●お昼は「シャンシャン茶屋」さんのアジフライ定食シャンシャン茶屋宮崎店-南宮崎/食堂|食べログ(tabelog.com)サクサク感あるコロモと甘味のあるアジがコラボしてました食べ放題のお漬物もお目当てのひとつ午後から葬儀司会を勤めました
晴れた土曜日☀️夏日予報〜旦那くんは早起きしてたけのこ掘りしてきた元気やわあー(笑)アタシは朝寝坊して朝ごはんはコメダ珈琲でモーニングその後、予約してた葬儀社の見学会旦那くんと一緒に見てきた予約してたので来店特典の発泡酒6本とパンも5個旦那くんおばあちゃんの時と同じ葬儀社に頼む予定で…その日がずっと先でありますように…その後は新規オープンしたドラッグストアに。思ってたより混んでなくてチラシでチェックしてた特売品はもちろん旦那くんのzeroペプシとか余
おはようございます。本当に沢山の暖かいコメントありがとうございます。励みになりました。日がたつにつれて後悔ばかりが残りますもっと…優しい娘でありたかったもっと…帰ってあげればよかった優しくない娘だったな…と今回葬儀前にはじめて納棺式をしました。はじめてでしたがやって本当に良かったです。送り人の方2人と家族で母の身体をボディーソープで洗いクリーム…オイルをつけて髪、顔も洗いセットして顔剃りパックスキンケアお化粧です。着たい服・持たせたいものも入れて家族と葬
早朝、メイクさんが最後のメイクを整えに来てくれた。前日,担当者の方に棺の中に入れてあげたい物を揃えて欲しいと言われていた。渡せなかった沖縄土産のシャネルの口紅・・・棺の中に入れる事を担当者に伝えたところそれを聞きつけてくれたメイクさんが「渡せなかったと。おしゃったと担当者の者から聞きました。最後にシャネルの口紅をお嬢様に付けさせて頂きました。」お願いした訳じゃなかったのに、一度も付ける事の出来なかった口紅を娘に付けてくれた。
納棺師と言う仕事最近は理解していただけることが多いのですがそれでも「は?(なんですか、それ)」と言われることもまだまだあります。故人様のお世話をしてこちらがかかわらせていただいて感謝なんですが葬家様から「ありがとう」とおっしゃっていただける本当にありがたい仕事です。ただ、色々な事情によりお立会いが無い、お顔色、表情などにご納得がいかない、お別れ時間が足りないなどなど色々なクレームが来る場合もあります。こちらの力量不足ではありますが中には正直、こちら側には
こんにちはコロナ禍、入院された方はたくさんいると思います。義父もそうでしたコロナ禍でしたので面会もできずやっと面会の許可があったのは心拍がかなり低くなり目も閉じたまま言葉も話せない何の反応もない状態になってからでした面会してきた日の夜はスマホを枕元に置き就寝…。翌日の早朝4時半頃病院から連絡がありすぐ支度して夫と車で病院に向かいましたがあと少しで病院に着きそうという所で『心臓と呼吸が止まりました』と連絡がありました間にあいませんでした病院着いてから4
Eittonessで美人になる方法えいっとねすLIFESHIFT-BLOG中道あんです。はじめての方はこちもどうぞ➡︎💕家族葬:見極めが難しかった内容とその費用についてうちの婆さんのお葬式は葬儀社任せ互助会に入る前に実際のところどうなんだろう?と不安でしたいい噂って聞かないけれど悪い噂はすぐに広がるどんなことにでもいえる「〇〇〇なんてアカン」という真っ当な理由なきディスりなので実際のところ
親が亡くなった知らせを聞いた時、頭の中が真っ白になり何も考えられなくなりますね。そしてすぐに現実に戻り、何から始めたらいいのだろうかと混乱したりします。私のように遠方で知らせを聞くと、到着に合わせてからの段取りを決めなくてはいけません。特養からの知らせを聞いたのは職場だったので、施設長に状況を話して早退させてもらい混乱状態のまま家へと帰りました。まずは何から?とにかく葬儀屋に電話をしよう、混乱した頭のまま連絡をとりました。葬儀社は1年前に母が入院した際に探しておいたところでした。入
父のお葬式。私にとってどういった葬儀にするかを仕切るのは初めてのことで。自分の備忘録でもあるけれど、何も知らなかった私のようにだれかのお役に立てれば~と思って書いています。今回は、葬儀オプションについての第2弾~。第1弾はこちら↓↓↓『【父のお葬式】オプション追加費用①』父のお葬式。オプションの一つである「湯灌(ゆかん)」についてだけで記事が3つになっちゃって。しかも、一つ一つが長文だし(汗)こ
こんばんは❗ご訪問&「いいね」本当にありがとうございますm(__)m今回は、“死”とか“お葬式”の話です。そういうのがお嫌な方は、ソっと閉じて下さいませ。m(__)m今回は「義父母が同日に逝った話とダマサれた感のある葬儀費用と‼️」について書いていきます。早速ですが、今日の写真です。これね👇予てより施設に入り、義父母ともどちらもかなり弱ってはいたのですが、先週、ダンナと義弟(お見舞いは2人限定で私は翌日行く予定だった)が義母のお見舞いに行ったところ、義父が息をしてないという連
今、夫と2人きりです。介護ベッドの上に白いお布団を敷いて、ドライアイスに囲まれて寝ている夫はとても安らかな笑顔です。発病から丁度14ヶ月。告知されたとおりの闘病期間でした。長野旅行から帰って来てからは、あっ!と言う間に病気が進行してしまいました。息子も、予定を切り上げて帰って来たので夫の最後に立ち会う事も出来、少しだけでもお世話をする事ができました。たった2日早めただけですが、この差は大きかったと思います。あと2日だからと思いきれなかった息子の背中をおしてくれた嫁に感謝です。25
昨日、夫が、私の葬儀の見積もりのために、葬儀社に行くというので、私もついて行きました。使える抗がん剤がなくなった。→抗がん剤をやめて緩和治療一本にした。→一人でできることが少なくなって、ホスピス病棟に入院した→静かに息を引き取った。と、このように順番通りにいって亡くなればいいですが、私は腹膜播種(おなかの中に種をまいたようにバラバラと、がんが多発している)があるので、ある日突然、腸が詰まって、腸閉塞や腸穿孔(腸に穴が開く)が起こる可能性があり、
今年のお正月明け…1月5日に母を亡くしました。父は2年前に亡くなり、今は相続手続きを進めている所です。妹夫婦とは色々あり、決して良好な関係ではありませんが…それにしても酷い事が次々と発覚し混乱しています。今後は相続手続きについての生々しい話しになると思います。私の場合はかなり特殊な形だと思いますが、もし同じような事で悩んでおいでの方がいらっしゃったら…参考になればと書いて行こうと思います。記録の為に書いています。お付き合いいただけたら嬉しいです。弁護士さんの指摘書、まだまだ続きま
東京の病院から県外の自宅まで夫をどうやって連れて帰るか…悲しみも癒えぬまま、また違う現実と向き合わなければいけません東京の病院から自宅までは直線距離でも50キロ以上高速を使うと80キロ以上走る事になります自宅までの距離が遠い事も心配でしたが、私が心配したのは夫が若干規格外なサイズだという事183センチの体重110キロ…ラグビー選手ばりのガッチリ体型病院のご飯がまずいまずいと言っていたのでICUで再開する時痩せ細っていたら…と心配していましたが、全く痩せてなかった夫とりあえず姉と手
2023.02.13(月)家族は皆、仕事に行き静かな時が流れていた。自宅には棺の中の娘と二人きりになった。2月の寒い日でも娘の身体を保つために暖房をつけないでいた。寒くて静かなリビングで、娘の顔をじっと見ていた。昨日までは家族が皆んないたから、大人7人幼児2人の食事の心配をしていたけれど、もう何も作る気になれなかった。私の友人から「食事を作って持って行くから、ゆっくりしていてね。」とLINEが来ていた。納棺したら急に寂しくなって、何もする気が起きなかった・・・友人からのLINEは
年が明けて1月に緊急入院した父(83歳)。入院転院手術退院再入院転院転院老健入所と駆け抜け、8月22日、父は静かに息を引き取りました。ガン手術を経て要介護2の父の介護にまつわる話です。実家の人物紹介や背景はこちら↓↓↓実家の諸事情を語る私自身のプロフィールはこちら今のポンコツぶりを晒しただけの自己紹介アメンバー申請についてはこちらアメンバー申請について
父が亡くなりました心臓が悪かったけど元気にしていました苦しくて救急車で救急に行きそのままでした22時に救急車で病院へ23時に母から連絡があり0時頃病院に到着兄にも連絡して同じ頃到着もう父は亡くなって処置室から出ていました病院からは母が一人で説明を聞き私たちには母に言った以上はないので先生からの説明は無いと言われました事務的な対応でしたがそれが病院なんだと思ってます事件性がある訳でもないので病院で亡くなってもかかりつけではないので病院では死亡届けが書けないので警察の検死になる
*ありのままに書いておりますので、途中、生々しい箇所もあります。苦手な方、ご気分の優れない方は読まないで下さい。*母からの電話で聞いた内容はあまりにもショックで、言葉も出ませんでした。兄の意識がない事。左半身がグチャグチャになっている事。手術はしたが、今夜越せるかどうか、亡くなる可能性が高い事。葬儀社に連絡した方が良いという事。父も兄妹達も呼んで最期を看取ってあげてほしいと医師が言っているという事。膝から崩れ落ちそうになる。意味もなく、仏間とリビングを行ったり来たりした。そう
私の周囲の友人知人には、シングルが殆ど居ない。1人だけ居るのは離婚によるシングルマザー。死別はまず居ない。まして結婚・妊娠中にこの地方に越してきたのでこの20年あまりでできた友達は全てママ友。夫が亡くなったあと「あーあ私はこれから絶対的マイナー組少数民族になっちゃうんだな」って思った。醜いアヒルの子のポジション。あの物語は最後は美しい白鳥になるからいいけどね。やっぱりメジャーは強いよ多数派はそれだけで力があるよ。平均寿命よりも何十年も早くに伴侶を喪うようなこんな恐ろし
入院11日目。水曜日。朝5時半前に電話が鳴る「ちょっと状態が悪いので、来てください」子ども達を起こす。土、月、火曜日と会社で仕事をして、だいたい今月分は終わらせた。今日は休みだから、連絡必要ないな…。日祝以外は自由に週1回休みです車で6時過ぎに到着。説明受け、しばらく病室にいたけど、特に変化なし。しばらくすると看護師さんが「落ち着いたようなので、どうします?戻られます?」と。とりあえず帰る。この前もそんな状況だったし。家には7時頃到着。今日は外せない授業あるとい
父のお葬式の打ち合わせ。今回の記事は、「湯灌(ゆかん)」の費用について。これね。ふつーの人ならふつーに進む話なんですよ。「湯灌は〇円でした」って報告するだけでいい話。それがさー、自分でもイヤになるくらいのおっぺけぶりが露呈。ううん、私だけじゃないわっ!みんなもひっかかるんじゃね?と、うっすーい期待を込めて、お届けします。年が明けた1月十二指腸潰瘍で緊急入院
少し遡り、お通夜の話をさせてくださいお通夜、告別式は自宅、家族葬お通夜、告別式を自宅で家族葬でと思っていました義母姉に反対されましたが、夫の希望もあったので、押し通しました皆さんからのコメントで勇気づけていただいたのも大きかったです味方を得たように心強かったです押し通すことで、また揉めるのではと心配しましたが、すんなりと受け入れて下さり、ちょっと拍子抜けお通夜はここに泊まらず帰っていただくつもりとお話すると、あっさりでしたやはり臭いが嫌だったのですねでも揉めずに良かったです
ご訪問ありがとうございます私の母だけでなく、夫の関西の母も救急搬送されて、同じ日に危ない状況になってしまいました。私が駆けつけた大学病院の母は意識がもどりましたが、夫の母は残念ながら夫が駆けつけて、すぐに、静かに息をひきとりました。続きです。前回の話はこちら⬇️『間に合った?』ご訪問ありがとうございます母が危ないからと面会が許された日の夜、夫にも夫の母が危篤だと連絡が入り、夫はあわてて義母の病院に向かいました。私は祈る思いで夫からの…ameblo.jp夫は悲しみに暮れる暇もなく、弟や
話は少し戻りますが、夫が亡くなってから約2ヶ月後の3/9にワンコが亡くなった。ずっと病気のと闘っていたが、会社から帰ると、眠っているのかと一瞬思ったが、亡くなっていた。看取ってあげられなかった事が申し訳なくて、そして、夫の後を追う様に逝ってしまったワンコを抱きかかえながら、「どうして、皆んな私の元からいなくなってしまうの」と大声で泣いた。今でも、思い出すと泣いてしまう。ワンコの火葬予約が取れたのが3/11。その日は、会社を終えたらすぐ帰って、葬儀社の方が火葬してくれる予定だった。午後、
夫の身体を綺麗にし終わると看護師さんから、葬儀社への連絡をお願いされる。霊安室までは病院提携の葬儀社が院内搬送するのだが、その後は自分で手配した葬儀社へ引き渡すのだそう。葬儀社へ連絡して、お迎えの時間を看護師さんに告げると、病院の提携葬儀社がくるので病室で待つように言われる。娘は留守番の犬達のご飯をあげるため一旦家に帰っていった。義父と義母が病院で亡くなった後悲しむまもなく、病室からすぐ出ていって欲しいとせかされた事を思い出し夫も、すぐに霊安室へ運ばれてしまうのだろうと思いながら、
長い闘病の記録を上げさせてもらって、今度は少しライトな記事を書いたのですが、なんとなく今の気分と違ってて。ちょっとプチ重投稿で。(こんなことができるようになって、私進化したと思いませんか?w)夫の告別式を営んだ葬儀社から、一冊の冊子を貰った。そこには、四十九日や一周忌といった法事の類いの説明と、死後の役所関係の手続きの説明と、そして私の目に留まったのが遺族の心理について書かれた箇所。[病気で亡くなられたご遺族の方々は、しばらく医療関係者を恨んでしまうことがしばしばあります。一時的