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ぜんまい採りが始まったので散歩なんてしてられません!あっぽさんこれがアケビです近づいてみましょうねこんな風になってるの採りますよ周りはこんなかんじ写ってるのは我が家の田んぼまだなにも始まっていません田んぼの下にはミス芭蕉毎年増えてる気がしますこんなに小さくても咲くんだねえこれから芽吹くアケビ多分ね笑イタドリ出始めていた桜のピンクもいいけど梨の白い花もいいよねえ!今あちこちに咲いてるいつも通らない道回り道してみたらおや?これは
バナナ交配Ⅴ4月16日(火)MLPに芭蕉の花粉を交配しました。芭蕉MLP5段目に受粉
新緑風深川のぞく水芭蕉新緑風俳句会(四季を着る)新緑風東京二十三句グリーンビズ新緑風の旅となり奥入瀬離宮
春爛漫あっしは最上川のほとりに立ちうすらボンヤリ桜を愛でておりました最上川山形県新庄市本合海🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸どーもハミでやすみなさまご機嫌よろしゅう最上川本合海は芭蕉と曾良が乗船した地このあたりは比較的緩やかに流れている🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸穏やかな風が水面を撫でていく100万年前から流れていた母なる川最上川おだやか
こんにちは先週、ぎっくり腰で寝込んでた時に去年から欲しかった芭蕉の半幅帯をチラチラ見てたんだけど(笑)楽天ポイント溜まってたのと他の色が次々売れてて私が最初から目をつけてた色だけ残ってたのでもうこれは私のだな、うん思ってポチッとなんかいっぱい入ってる?かわいい手拭いと防虫香が入ってました和物屋きもの聖香着物用帯用防虫着物防虫剤乾燥剤香る着物保管防虫剤たとう紙着物お香防虫剤留袖や竺仙も上品な香りに着物芳香剤着物防虫防湿剤きもの樟脳京扇堂楽
真宗大谷派井波別院瑞泉寺富山県南砺市井波3050建物に施された繊細で美しい彫刻は感動です。本願寺5代綽如上人によって600年以上前に開かれました。もともと井波には太子信仰があり、浄土真宗とともに仏の教えがこの地域に広げられたといわれています。山門北陸の浄土真宗信仰の中心として多くの信者を集め、越中の一向一揆の重要拠点ともなった寺院です。本堂1885年に建立され、木造建築の寺院としては北陸最大級の建物です。太子堂井波彫刻の粋を集め
いつも情報ℹ️を教えてくださいまして本当にありがとうございますもうこの国に於いて安全な安楽な場所芭蕉はないような気がします今日2024/04/20夜勤が無事に終わり🔚そらをみあげましたそこからお墓に寄ってみましたカエル🐸さんもなにやら人間にモノモウスしたいみたいですお母さんがんばってカエル🐸さん同時たはつてへぺろつうやーくかんがえてみますねで、きるかなで、きなくさ
山門を抜けて雲巌寺の境内を歩いています緑立つ大迫力鐘楼も緑に囲まれ芭蕉も訪ねて句を読んでいますね年輪にいつの時代か目印がついているのでおもしろかったです境内は広くて
四日市市の采女(うねめ)に最中「采女の杖衝」を扱う大正七年創業の和菓子屋「菊屋本店」があります。店より一号線を京都に向って300m程の処にあるのが「杖衝坂」(つえつきざか)。この杖衝坂は、長さ200m程で標高50~60mにおよんでいます。名称は遠く病身の日本武尊命(やまとたけるのみこと)が苦労してこの坂を登った事から名付けられたと伝説があります。又、後年貞享四年(1687)詩人の松尾芭蕉がこの難所に江戸から伊賀へ帰る途中、馬に乗って越そうとした所、余りの急な坂の為、鞍もろとも転落して
俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」は、次の言葉から始まる。月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也ここでは「過客」と「旅人」という表現が用いられている。「過客」とは、通り過ぎて行く人を意味し、これも「旅人」と解釈される。それなら芭蕉はなぜわざわざ「旅人」を、別の呼び方に変えたのだろうか。個人的には、「月日」と「行きかふ年」を、同じ意味での旅人として扱うべきではないと考える。これを見てゆきたい。日々は過ぎゆき、戻ることはない。現在のいっさいは過ぎてゆき、いまのものではなくなり続け
みなさんおはようございますいつも私のブログを読んでくださりまたいいね👍を押してくださいまして本当にありがとうございますコメント欄はちょっとだけ重うところがありまして閉じておりますまあ別に深い不快😖意味忌みはありませんので深追い後追いしないようにしてくださいませねさてタイトルなんですが自分以前の公式ジャンルは中国🇨🇳四国地方痴呆についてよおーく欲にまみれてよおなあそんな文章を綴れおりらじ言葉にのせてブログってましたなんか
ლ(2022年お盆に旅行に行ッた山形県の山寺)ლ写メッをみながらupしマス日本の霊場山寺駐車場に停めてღ.:*♥*:.ღ.:*♥*:.ღ.:*♥ღ.:*♥ღパシャリﻌﻌﻌﻌﻌﻌ\(✿╹罒╹)/ﻌﻌﻌﻌﻌﻌッッღ.:*♥*:.ღ.:*♥*:.ღ.:*♥ღ.:*♥ღღ.:*♥*:.ღ.:*♥*:.ღ.:*♥ღ.:*♥ღლ(幸せの♥︎鐘)ლღ.:*♥*:.ღ.:*♥*:.ღ.:*♥ღ.:*♥ღ山寺立石寺案内マップღ.:*♥*:
お久しぶりです。今朝の山形市は昨晩から、いや、今も降り続いている雪で、銀世界です。さて、先日、冬の山寺に上る機会がありました。これは、上る前の日です。このときは、まだ、雪はチラチラでした。それでは、写真中心です。蝉塚です。芭蕉が一句読んでいますね。静けさや岩に染み入る蝉の声冬に芭蕉が訪れていたら、どんな句を読むでしょうね。譲合いの道仁王門前の岩場写真は仁王門です。仁王門です。仁王門に祀られているこんな参道を上がってきました。立石寺です。一番上にそびえるお寺です。
『ワサビ盗人』という作品から、清涼感のある表現を拾ってみます。まず、ワサビのことをこう表現しています。天城山麓、上大見村内に産出するワサビは、ワサビやワサビ漬を扱う玄人の間に有名です。風味がよくって、唇や鼻孔に来る刺戟が強烈なる点、商品として甚だ高級なものとされています。なかんずく、上大見村の地蔵堂という地域内に産するワサビに至っては、もっぱら貴重品のごとくに珍重されています。このワサビは、味わってみて口腔内に清新の気が生じたような後味を残させます。無論、おろしで摺り出すときの緑の色
桜を詠んだ芭蕉の句「木(こ)のもとに汁も膾(なます)も桜かな」この俳句の意味は「花吹雪の舞う中、桜の木の下では花見の会や宴が催されている中で、無作法など雑多なものが交錯しているが、それは桜があればこそ」やはり桜には、そのような人を惹く魅力がある。近所の神社の桜そんな桜の季節の一方で、日本にやってくるものに「黄砂現象」がある。これらは、一括りで表現されるが、同じ黄砂でも目に見える塵(ちり)から、PM2.5のように目にも見えない塵まで様々ある。この「塵」という文字が入った中
松尾芭蕉の桜の29句!?桜前線が北上中です。福岡では、開花は3月19日。東京、靖国神社の開花は3月25日の予想。満開は4月1日。大雪で枝折れした、桜の樹も少なくありませんでした。影響は大丈夫でしょうか。さて・・・。今年は何度、花見できるでしょうか。芭蕉の桜の句、29句。糸桜こや帰るさの足もつれ命二つの中にいきたる桜かな植うる事子のごとくせよ児桜うかれける人や初瀬の山桜姥桜咲くや老後の思ひ出うらやまし浮世の北の山桜扇にて酒くむかげや散る桜思ひ立つ木曽や四月の桜狩り
芭蕉が詠んだ「萩」の句を紹介いたします。皆さんは」どの句がすきでしょうか。1寝たる萩や容顔無礼花の顔(ねたるはぎようがんぶれいはなのかお)寛文7年(1667)、24歳。続山井(ぞくやまい)(句意)顔かたちが美しいことを「容顔美麗」(ようがんびれい)というが、しどけなく寝た姿だから、「容顔無礼」な顔をしている。(感想ほか)続山井は北村湖春が編んだ俳諧集。湖春は北村季吟の子。季吟は芭蕉の師。2萩原や一夜はやどせ山のいぬ(はぎはらやひとよはやどせ
昨日は最終日でした紬が大好きな方がいらして下さりせっかくなら国の重要無形文化財の越後上布の着物と平良敏子さん(人間国宝)の芭蕉布の帯で着装したいとのご希望でした幻の組み合わせで遊んでいただきました着せるほうもワクワクです越後上布と芭蕉布の帯夢の組み合わせです越後上布(えちごじょうふ)とは新潟県南魚沼市や小千谷市を中心に生産されている苧麻(ちょま・からむし)で平織りされた上質な麻布のことです細くて柔らかく丈夫な糸は1年くらいかけて手作業で繋げていきます(手積み)ネットより画
春に読みたい詩集鍾山即事漢詩澗水無聲繞竹流竹西花草弄春柔芽檐相對坐終日一鳥不鳴山更幽谷川の水は静かに竹の林を縫って流れ竹林の西側は花や草が柔らかな春の日差しに戯れている茅葺きの檐の下に座り込むこと日がな一日鳥の一声なく山はますます静かになる…王安石鍾山即事より芭蕉が古池や蛙飛び込む水の音と静寂を詠んだ…季節は少しずれているかもしれないが王安石は穀雨の時季丁度今くらいのタイミング。芭蕉は更に季節を進めたほどか?いずれも静寂を表している…王
今日の散歩は、私がバナナと思っていた、バナナとそっくりな「芭蕉の木」のその後どうなっているのか見に行って来ました。花の枝の付け根の所に、実がたくさんついていました。芭蕉とバナナの違い-オールガイド芭蕉もバナナも、バショウ科バショウ属に分類される大型多年草。バナナは熱帯性のため、本州の露地では育たないが、芭蕉は熱帯を中心に分布するが、耐寒性もあるため、本州の露地でも育つ。芭蕉はバナナとよく似た花や実をつけるが、[…]all-guide.com以前アップしたブログから『バナナのア
琵琶湖畔の十六夜公園の枝垂れ桜。浮御堂も見えます。浮御堂の傍のゆりかもめ(44)朝茶飲む僧静かなり菊の花芭蕉この句は、堅田の祥瑞寺の作でその庭に句碑があります。祥瑞寺は華叟宗曇が開祖の禅宗の寺院で、その昔、青年期の一休さんが入門を許されるまで門前に座り込んだこともあったという寺院です。そして、その祥瑞寺での修行時代に思い悩んだ一休さんが、琵琶湖に入水しようとしたとき、烏の声を聞き悟りを開いたと言われています。私が句会の仲間と尋ねた時、作務衣姿のひとりの禅僧が静かに落葉を焚いておられ
内湖の芽吹く木々元禄三年三月中下旬の頃から九月末までの六か月余りの芭蕉の第五回目の大津滞在中の句から。(37)明月や座に美しき顔もなし芭蕉元禄三年八月十五日の義仲寺の無名庵で催した月見の会に、芭蕉は、持病の痔疾が不調で病床に臥せりながらの参加となりました。現在は町中にある義仲寺ですが、埋め立て前の当時は、湖岸にあったと言われています。まさに、琵琶湖から昇る月を眺めた芭蕉達でした。芭蕉は、その夜の即吟で、名月や児立ち並ぶ堂の縁(月光の中の幼い寺の稚児達)、名月や海に向へば七小町(月が琵
比良の冠雪と雲たち芭蕉の第三回大津滞在は、貞亨5年(9月30日に元禄と改元)(45歳、1688年5月中旬から6月まで)でした。(3)五月雨に隠れぬものや瀬田の橋芭蕉瀬田の橋は、瀬田の唐橋と呼ばれ、歌川広重の浮世絵「近江八景」にも「瀬田の夕照」として描かれており、日本書紀にも登場する古い橋。この橋の大橋と小橋の間の中州で、私達は句会をしたこともあります。五月雨にけむる琵琶湖と、五月雨にも拘わらずくっきり見える瀬田の橋。その対比が鮮やかです。(4)海は晴れて比叡降り残す五月かなこの海は
(神奈川県横須賀市長沢)この三日間、「海光」の執筆や編集作業をしていた。いつも通り…、と言えばそれまでだが予定の半分ちょっとしかできていない。昨日は辛かった。パソコンを眺め過ぎたのか、明け方までこめかみが痛かった。この痛みは時々起こる。だいたいストレスが溜まった時か、パソコン作業に集中し過ぎると起こる。さて、話は変わるが、松尾芭蕉は自分の事を、はせをと書いている。句碑などを見ると、いつもそのように書いている。が、「芭蕉」は正確(歴史的仮名遣い(旧仮名))には
以前、ご近所さんのお家にバナナが生ってる記事を書いたのはいつだったでしょうね。探してきました。『バナナが生ってる!』おはようさん(*^-^*)昨日とは打って変わって冷たい風が吹いています。気温がどんどん下がってくるでしょうね。ご近所さんに大きな芭蕉(バナナ)の…ameblo.jpきょう、気が付いたのですがまた一つ花が咲いていたのですよ。以前のバナナもまだ実がついたままになっています。お天気が悪かったし
全国の紬展最終日の昨日はようやく日中気温が10度を超えて暖かく感じました結城ちぢみの片菊柄が素敵と着装して下ったKさんよそゆきの感じで袋帯と合わせて帯を変えて型絵染めの帯と合わせて釜我敏子作あやめの柄釜我敏子さんの作風はたれが無地なのが特徴的です釜我敏子釜我敏子~ひたむきな命の躍動を着物に託す~|和織物語ひたむきに生きる野の花。環境に順応しつつ、つつましく、でも自分を失わずたくましく生きていく野の花。その花の存在感と生命力の輝きを見ていると心底感動するという釜我さん。自分が
おはようさん(*^-^*)昨日とは打って変わって冷たい風が吹いています。気温がどんどん下がってくるでしょうね。ご近所さんに大きな芭蕉(バナナ)の木があります。毎日のように脇を通っているのに気がつきませんでした。実がついていることに昨日気がついたのです。偶然にスーパーでこちらの奥様にお会いして聞きました。こんなのが三つあったのだそうですが二つはすでにダメになってしまったそうです。一つだけ残っている
山形県新庄市にある芭蕉乗船の地です。ここからさらにお国向かったのでしょうか?芭蕉と曽良さんの二人三脚ですね。当時は船便が大分多かったのでしょうか?近郊には新撰組などで知られている清河八郎生誕の地があります。ここの近くにある案内板などを見ると今までの清河八郎のイメージが大分変わりました。なおアルバムや映像等は【像さん松尾芭蕉乗船の地山形県新庄市】を参照願います。大崎バックグランドメニュー歴史家庭菜園大崎検定
油掛地蔵尊で知られる油懸山地蔵院西岸寺は、伏見大手筋商店街の南側に位置し、鳥せい本店や黄桜カッパカントリーの近くにある浄土宗知恩院派の寺で、山号は油掛山(あぶらかけざん)、院号は地蔵院です。1590年に雲海(うんかい)上人によって創建されました。地蔵堂には、俗に油掛地蔵と呼ばれる石仏の地蔵尊を安置されています。寺伝によれば、むかし山崎(乙訓郡)の油商人がこの地蔵尊に油を灌(そそ)いで供養し行商に出たところ、商売が大いに栄えたといわれ、以後、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願いが叶うといわれ、人
・竹の皮脱ぎて何処にかぐや姫日本人に古くから親しまれてきた、五七、七五調。流れるような調べには、思わず引き込まれてしまうものがあります。俳句は定型を原則としていますが、どうしても十七音ではおさまりきれない場合が。その場合は、どこまで字余りが許されるのか。字余りについては、芭蕉の時代に、すでに議論されており、基本は十七音を前提としたうえで、次のような意味のことを述べています。「たとえ七字余ったとしても、句の響きがよければ構わないが、たとえ一字の字余りでも、それが口の中