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私は前駆陣痛が来る前妊娠39週~40週の時に深夜3回程、心配になり病院に行ったことがあります。破水のような感じの水っぽいものが出たからです。結局それは破水ではなかったんですが・・・3回ともただの勘違いで入院に至らなかったので次こそは、入院して産みたい!と、思っていました。もう、勘違いで病院に行きたくないもう、ぬか喜びしたくない!!陣痛が昨日の夜と同じ痛みで全然痛くなかったので、問題ないと思いました。朝から病院
第一子を体外受精で妊娠し、妊娠経過は順調でした。赤ちゃんの体型も平均的に育っていて、40週5日までは本当に元気でした。そんな娘がなぜ・・・・2020年2月22日妊娠40週5日目~お昼頃~病院後の日課になっている散歩臨月入る前は、全然歩かず家でゴロゴロしている日々でした。私は仕事をしていました。産休は1月~でしたが通勤に片道一時間半以上かかっていた為≪一ヶ月早めの12月から産休に入りたい≫と、お願いしておりました。夫は反対でした。夫『妊娠して大変なのはわかるけど!頑
ブログで知り合った天使ママさんからの情報不育症の権威がいる病院へ不育症検査をしに向かいました。不育症検査は血液検査で食事の制限は脂っこいものを前日に食べないことくらいでした。検査病院では娘の妊娠中の時出産時の話母子手帳胎盤とへその緒の病理組織診断書一回目受けた不育症検査報告書を提出しました。血を採取して今回は、これで終了でした。一度不育症の検査を受けているのでやらなくてもいい検査は、はぶいてもらえました。予約時の電話で『13万くらいかかるので現金を用意してくだ
2020年もこの時期になるとあっという間に感じます。私にとっての2020年は待望の娘を失い最悪な年でした。12月で月命日も10回目を過ごし当初は毎日大号泣をしていた私も落ち着いて、のんびり暮らしてます。娘を思い出して後悔したり悲しくなる時ももちろんありますが月日が経つにつれ自分を責めていた負の感情が薄れていった気がします。思菜について書くのもこの記事を入れてあと一つ!年内には書き上げるぞ!と、いう目標も今のところ達成できそうです。ラストスパート!思
SNSに興味が無い私めんどくさがりで飽き性でやりっぱなしでも全然きにならない。そんな私が自分自身が納得いく最後まで書き上げることが出来ました。娘を失い悲しくて辛くて苦しくて絶望で自分を責めて生きているのも辛かった毎日そんな日々に天使ママさんのブログを見つけました。亡くなった時期が近いのにブログに書ける精神力すごいと思いました。そして『こんな悲しい思いを他の誰かがしないように』と、ブログに残すことで情報提供をしている所に感心しました。人に話
今日は産後の1週間検診でした。内診では「まだ悪露は溜まってるけど子宮の戻りは問題なし。卵巣も右は見えなかったけど、左は大丈夫。」とのこと。主治医に時間を作っていただき、話を聞きたいと事前に電話でアポをとっていた私。"聞きたいこと全部聞く!!!"そう決めていました。私が尋ねた内容と医師の回答は以下の通りです。①前日にガチガチに張るような痛みがあったが治った。臍の緒の血行が悪くなると子宮が強張ったりするのか?予兆だったのか?→今回の場合、「1+1=2」みたいな答えはないし、それを考
お久しぶりです〜!!最近は花粉にやられてただでさえ息切れしてるのに+鼻詰まりで呼吸苦くしゃみで尿漏れとの戦いです(笑)さて、2月下旬に入りお仕事を休職しました産休という名の休職です。こんな形でのご報告となり申し訳ありません。ツイッターやインスタでも妊娠中であることを全面に出すことはしていません。なんとなくです😇(笑)前回は産休に入ったタイミングでリア友だけには報告してたので今回もしてもいいんだけれど…なんとなくいいかなって。多分、何も知らない友人たちから色々つっこまれる
2023年4月4日12時頃健診を終えて帰された私一度実家に帰り、実母と家で待っていた3歳の娘を連れてファミレスへ行きハンバーグを食べる娘はお子様ランチ呑気に食事をして帰宅〜14時頃〜猛烈な疲れと眠気に襲われてソファで仮眠をとらせてもらうことに夢の中で一度鈍い腹痛を感じた記憶がある〜15時30分頃〜仮眠から目を覚ます2日前程ではないが、下腹部がズーンと重たい台所に行き、夕飯のしたくを始める〜16時過ぎ頃〜起きてから胎動がないことに気づくお腹もズーンと重たいまま様子を3
ちょっと待って。。。頭の中が真っ白だ。。。状況が理解できない。。。Mariaがいつもと違うのは分かっていた。。。でも。。。心臓が動いてない。。。状況が理解出来ていない私に先生がエコー画面を見せてくれた。。。いつもピコピコと動いていた心臓キックしたり手を伸ばしたり動いていた手足画面に映るMariaは何一つ動いていなかった。。。涙が溢れ出てくる。。。先生:「ご主人お呼びしても宜しいでしょうか?」返事をしたくても出来ずただ頷いた。。。旦那が診察室に入ってきた。。。溢れる
ブログの読者様へ私のブログを読んで頂き本当にありがとうございます!!先日までに書かせて頂きました≪火葬・・・6~娘が天国に逝くまで~≫までのブログに様々な方がコメントして下さりました。いろんな方々からのコメント頂きまして本当に有難く思っております!このブログは私の体験記ですので現在は過去に起きた娘の死産について過去を思い返しながら書かせて頂いております。あの時は・・・この様に思ったな。本当に悲しく辛かったな・・・思い返しながら書いております。
エコーで赤ちゃんが亡くなっていることを知らされケロッとした表情をしていた私本当に実感がなかった信じられない…でも確かに赤ちゃんは動かない旦那は次の日の朝イチの飛行機でかけつけてくれるとのことでそれまでは実母が付き添ってくれた21:00〜バルーンを使って子宮口を5.0cmまで広げるその時点で陣痛が始まり痛みは徐々に強くなる生理痛のような痛みから腰に針をさされるような痛みになっていく痛い痛い…!!腰が割れそうな痛みになり朝方には子宮口が一旦7cmまで開きバルーンが勝
思菜を授かった時本当に幸せでした。幸せは一瞬でなくなり毎日が辛くていっそ忘れてしまえば楽になるんじゃないかと思ってしまう自分もいました。ですがお腹にいた時の一緒に過ごした幸せの日々あの幸せの日々を忘れてしまうことはやっと思菜がお腹の中に来てくれたのに・・・それを否定してしまうのは思菜が可愛そうだとも思いました。弱いママでごめんね。思菜を授かるまでの日々ママなりに頑張ったよ。パパとも喧嘩したけどあの時、頑張ったから思菜を授かれたんだね。一
死産を経験した今娘のことを思い出して泣く日々ですが・・・お腹の中だけど娘と一緒に過ごした日々を思い返すことで娘がいた証をブログで残すこともいいなぁなんて思えてきました。いろんなことを振り返ったりすることで自分の気持ちの整理にもなるかな・・・私は27歳で結婚しました。変なこと言いますがこの歳での結婚を予想していたみたいです。高校生の時に友達となぜだか覚えてないけど人生の未来予想図を書いて遊んだことがあります。私「勉強は嫌いだから大学には行かないかな。」(結果、高
旦那:「着いたよ。。。」気づいたら家の前にいた。。。玄関を開けると義母が待っていた。。。義母:「どうだった?」Mariaママ「。。。。。」義母の顔を見たら涙が溢れ出てきた。。。旦那:「ダメだった。。。」義母:「え。。。。。嘘でしょ?」旦那:「おふくろ。。。ダメだったよ。。。」義母が私と旦那を抱き寄せ、涙した。。。義母「こんなことってあるの。。。昨日元気だったって言ってたじゃない。。。」いつもは強気な義母だが、こんなに涙し、弱々しい義母は初めてみた。。。旦那:「俺にも
ようやく・・・今回の死産を振り返ろうと思います。私は毎日胎動カウントをしていませんでした。。。気が向いたときにやるくらいで、そんなに胎動について≪今日も動いているな。≫くらいの軽い気持ちで考えていました。病院からも毎日胎動カウントしていますか?などは一切聞かれていないので如何に胎動が重要な意味を持っているかなどあの時は分かっていませんでした。≪臨月まで問題なく元気に育っているし大丈夫!後は私が出産の時に無事に産むだけ≫・・・・まさか娘の心臓が止まるなんて・・・
看護師さんに促され、私はベッドに座り母と旦那はソファーに座った。1人では広すぎる個室だった。。。4人は座れるだろう長いソファーとテーブル、小さな洗面所と、大きな窓が一番奥にある。ソファーとベッドの間はカーテンで仕切れるようになっている。看護師:「昨日から今日まで色んな事が一気に起きてしまい、まだ混乱していると思います。手続きや書類についてご説明させて頂いても宜しいでしょうか?それとも少し休んでからにしますか?
思菜がお空に逝ってしまってから妊婦健診までの一ヶ月里帰り出産だったので実家でゆっくり過ごしました。赤ちゃんとの生活は、最初は寝れないとか聞きますが私は赤ちゃんがいなくても全然眠れませんでした。眠くなりませんでした。毎日ぼーーっと過ごしました。出産したばかりなのでまずは、体を治すこと。そういうことで特に何もせず。。。何もやる気が起きず。。。何もしたくない。。。と、思う反面何もしていないと色んなことを考えてしまいました。なんで・・
※2018年6月16日、38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。思い出しながら書いてます。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。くぅちゃんを亡くして、退院して、お腹だけ凹んでしまった今、これからどうしよう、どうなるんだろ、どうやって生きていくんだろう、、そんなことを思う日々。でも長男の子育てもあるし、そうそう日中ずっと落ち込んでいることもできず、少しずつ新しい日常もそれが日常になっていきました。とは言うものの、仕事復帰はとても考えられる状況ではあり
第二子の娘が産まれた日から入院していた2日間色んな助産師さんや院長先生師長さん第一子と第二子取り上げてくれた先生がなん度も会いにきてくれたついに私の涙腺が崩壊して泣き出した際にはたくさん泣いていいんだよ!!!辛かったよね大変だったね無理しなくていいんだよぽんださんは十分に頑張ったよー頑張り過ぎたよーって言ってくれて産まれた娘を綺麗な赤ちゃんと褒めてくれて命名用紙も書いてくれた臍の緒もくれて手形足形もとってくれて可愛い天パも少しだけ切って残してくれた棺もお花も用
11/15AM:0:30妊娠後期からトイレが近くなった。。。大体2〜3時間おきにトイレで目がさめるこの日も0:30頃起きてトイレに向かった。。。「あ〜〜〜眠い〜〜〜」用を済ませベッドに入る旦那は隣で気持ちよさそうに寝ている。。。「Mariaおやすみ〜」お腹を撫でながら呟いた。。。そう言えば。。。Maria動いてない????気のせいかな。。。寝てるのかな。。。臨月は胎動が少ないってネットにも書いてあったっけ。。。こんな時間だし。。。しばらく寝て様子見てみよ。。。
思菜が一人で退院してしまった次の日の朝特に問題なければ、退院することになっていました。私達は、夜に先生に聞きたいことをまとめていました。きちんと説明してほしい。どうして、死産をしてしまったのかを・・・朝から健診をし≪子宮も回復していて問題ない≫とのことだったので退院することになりました。先生『問題なさそうですね。でも、あまり無理しないで下さいね』私『ありがとうございます。先生、質問がいくつかあるので宜しいでしょうか・・・』・なぜ死産したのか・私が動きすぎたから
娘が天国にいってしまって考え方とかいろんな事が変わった気がします。夫との考え方もたまに違うと感じることがありました。夫は、娘を失って5日目には会社に出勤しました。自分だけでもしっかりして妻を支えなければと、思ったのもありますが夫の両親も『いつまでも休んでられない。会社に甘えてばかりいられない』と、いう考え方なので・・・私達家族的にはもっとゆっくり休んでも・・・と、思ってましたが出勤を決めました。『夫婦二人で落ち込み沈んではいけない!自分だけでも頑張らな
入院中私の体温や部屋の温度で娘の体が悪くなるのが怖いからと抱っこをしていいのか・・・抱っこをしたとしてもアイスノンごと抱っこしました。ひんやりしている娘思菜は冷たいねママ体温高いから大丈夫かな・・・娘の寝顔を見るたびに可愛くて可愛くて本当に可愛くて涙が溢れました。アイスノンが温くなったら、何度でも取り替えてもらいました。悪露の具合
不妊治療や不育症検査など本当にお金がかかりますよね・・・不育症検査も項目を追加するとその分お金がかさみますが先生にススメられた検査項目でいいのではないかと夫婦で話して決めました。ちなみに今回の不育症の検査費用は、約6万くらいかかりました。病院によって金額は変わると思いますが私にとっては高いなぁ…と思いました。最近政府も不妊治療の費用を2022年春に保険適用にするなど動き出していますよね。あと不育症支援も盛り込むよう要望してくれたり子供が欲しい人や悲し
死産は原因不明でしたが陣痛を起こす為に激しく動きすぎたからだ・・・私があの時あんなことをしたからだ・・・後悔してもしたりないです。2020年2月22日妊娠40週5日目~22時頃~夕食も食べ、早めに寝ようと寝室に行きました。昨夜の前駆陣痛で寝れなかったのですが、全然眠くは無かったです。『そろそろ出産が近づいているかも』と、ドキドキしていて少し興奮していましたが出産に向けて体力の温存をしようかと横になっていました。寝れな
8回目の月誕生日(月命日)を過ごしました。時間はどんどん過ぎていきますが悲しみは全然無くなりません。どんなに過ぎていこうとも思菜を思い出して泣いてしまいます。毎日泣いていた日々とは違って、落ち着いてはいますが思菜を思い出した時どうしてあの時に・・・などの後悔・・・元気に産んであげられなかった申し訳なさ色々と考えこむと涙が溢れてきます。本当に愛おしくて娘に会えたこと初めて抱っこできたことは嬉しかったのに思い出すと悲しい記憶しか出てこなくて時間
〇〇〇病院に到着総合病院なので受付や会計待ちの患者さんで溢れている。。。妊婦さんや赤ちゃん連れのお母さんもいた私の前を歩いていた旦那が察してくれたのかぎゅっと右手を握ってくれた。。。微笑ましく見ていた光景が、たった1日で、たった一言でこんなに辛く悲しくなってしまうなんて。。。涙を堪えてエレベーターを待ったーーーーーーーーーーーーーーー3階産婦人科病棟数時間前に宣告された時よりも病棟は明るく、元気な看護師さんの声が私には苦痛だった。。。ナースステーションで声をかける。。。
菊田さん:「今すぐに決めなくても大丈夫です。落ち着いてからまた聞きますから。お母さんとお父さんでゆっくり話して決めて下さい」そう言って菊田さんは一旦ナースステーションに戻った。その後、お昼ご飯が運ばれてきたが食欲などあるはずもなく全て残した。。。旦那と母にお昼ご飯食べてっと声をかけたが、2人とも食べなかった。。。しばらくして旦那が病室を出て行った。きっとトイレにでも行ったのだろう。。。そう思っていた。。。病室のドアが開いた。。。きっと旦那が戻って来たんだろう。。。Maria
死産した日の病院に行ってからの話です。ほんの1週間前に病院の産科がある2階に初めて見学に行った…(切迫早産で安静指示が出ていたので病院の見学や母親学級に参加出来ておらず、1週間前に特別に病室などを検診の時に見学させてもっていた)朝7時半頃に到着して行った2階はまだ薄暗いベッドに寝ると看護師さんが心音を探してくれる…「…」「赤ちゃん逆子ちゃんかなぁ?もっと下かな〜?」私はわかっていた…止まってるって。「先生にエコーで診てもおっか〜?その方が早いね◡̈⃝」そう言われ内診室に移動する。
4月2日深夜2時頃膀胱が圧迫され尿意が近くなっていたため私は3〜4時間おきには目を覚ましていましたこの日も深夜2時頃に目を覚ましトイレに向かいました起き上がるときにお腹に普段はない異変を感じましたみぞおちから下腹部〜鼠径部にかけてガチガチに強張っているのです痛くて寝返りも打ちにくいほどに立ち上がる時もトイレに歩いているときも継続して「痛い...」強張って突っ張っている何これ?変な寝相で寝てたから?腹筋寝違えた?私は長女と寝ており寝返りがうちにくかったことや