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小雨降る相模原です今回、暗い内容ですので、苦手な方はスルー願います先週、伯母が脳梗塞で倒れました。自宅で倒れたのですが、一緒に居た伯父はビックリしてしまい、私の母の所に助けを求めて来たそうです。(私の実家は、伯母の家の隣にあります🏠)母が、伯母の掛かり付けの病院に連れて行き、そのまま入院になったそうです。幸い、軽い脳梗塞だった様ですが、「しびれ、口を何か食べてる様にモゴモゴ動かすのは残ってしまうでしょう。」っと医師から説明されたそうです。2ヶ月位、入院するらしいのですが、実母は、す
トルソー症候群についてのほとんどの方が知らないと思うので再度皆さんに少しでも知って頂きたく書く事にしました。主人は2022年12月27日朝仕事を始めた9時半頃突然の視野狭窄病院に行って診断される迄なんで目が見えにくいかも分からず話も手足も普通なので、それがまさかまさかの脳梗塞母も義理の姉が脳梗塞になった時血栓溶かす点滴治療だったので主人の場合も安易に考えでましたERの先生の説明で脳の中に沢山梗塞が飛んでいて血液サラサラにするしか対処の仕方が無いと言
社会復帰が決まって、この1ヶ月、体を良く動かしていたせいなのか、左手の握力が少し回復してきたようです。今まで、指の力が入らなくて、左手で爪切りを持って右手の爪を切ることができませんでした。が、何となくできそうな気がして、左手で爪を切ってみたら、パチンと切ることができました。脳神経外科の医師からは、病気前のようには回復しないと言われたのですが、完全じゃなくてもいいんです。少しでも、自分でできることが増えれば自分で切ることができなかった時は、母や訪問看護師さんに爪を切ってもらっていました。
皆さん、暖かい励ましの言葉、一緒に祈ってくださるお気持ちありがとうございました。父、退院しましたまだボーッとしていたり、車の運転は控えるように言われたりと、心配は尽きませんが、とりあえず一安心です。母の時に比べたら贅沢な悩みだと分かっているのですが、やっぱり、ボーッとしていて、いつもの父じゃない姿を見ると心が潰されそうになります。でも、とにかく生きている。動ける!少しずつ、日常生活を取り戻していく内に、どんどん良くなると信じて頑張っていくしかないですね。沢山の暖かいコメント、本当に
私の入院2日目に、旦那くんがお世話になっているY病院から電話がありました。「先日から延期になっていた施設入所の件ですが、空きが出ましたので、先生がそちらにお願い出来ないかと言われています。」経管栄養となり、口からの摂取が厳しくなって、それでもリハビリを続けて来ましたが、これ以上は回復の見込みがない。経管栄養を継続して栄養をとりながら、施設で落ち着いた生活をしていきましょう。という話でした。口から食べるリハビリもSTさんが付いて続けてきましたが、ムセが多く、思うように進まないようです。施
病院によってお風呂の回数が違う問題!急性期の病院は週2回だったお風呂転院して週1回になった。リハビリの為に転院してガンガンリハビリして汗もかくのにお風呂週1って??リハビリって密着してるじゃない?それにリハビリの先生がみんな若い。笑オバチャンだってさ、臭かったらイヤだなぁとか思うわけよ今の世の中マスクしてるから、まだいいか?一人でシャワー入れたらいいんだけど片麻痺には大変だよね?家に帰ったら、そんな事言ってられないんだけどなまだ一人でシャワーとか勇気がでないけど
そのまま入院になり、病着に着替えさせられ。病棟からのお迎えを待つ。入院する病棟は3年前に足の手術をした形成外科と同じ病棟だった。お迎えに来てくれた看護助手さん、久しぶりに挨拶部屋に入り、色々と点滴や処置をして、顔の知ってる看護師さんが来てくれたりした。その日のうちに理学療法士と作業療法士と言語聴覚士も来てくれた。その時は指も足も動いていたから、少しの麻痺なんだと思っていた。次の日指、手、足は1ミリも動かなくなっていた自分の身体じゃないみたい左側半分が重いコンニャクみたいどう
脳梗塞から80日がたちました。医師から脳梗塞ですね、と言われてワイが?ワイの事ですか?私が~ウソでしょ?なんて思ったけど、そのまま入院そして次の日には左足左手左半身がピクリとも動かないもう絶望その一言だったな今まで生きてきた中で一番ショックで自分自身どうして良いかわからずに泣いてばかりでしたこれから毎日、今に至るまでの心と身体の葛藤を書き綴っていきたいと思います。最初の頃の事は、あまり覚えてない事もあるけど、自分の為に文章に残したくてブログを始めようと思いました。今、お世話にな
転院した日はとにかく疲れてた。次の日隣のベッドの婆さんがカーテン越しに話しかけてきた。どうやら、昨日の夜よほど疲れてたのかイビキをかいていたらしくその言い方よイビキ悔いたら体を横向けとか寝てるんだからしらんがな!!!なんなら寝るなや!的な感じで言われて今まで何度も入院してきて、寝息も聞こえないくらい寝てる時静かって言われてたからよほど疲れてたんだと思う。言われた日の夜一睡もせずに朝になったぞ!これで文句はないだろ?お前が寝るなって言ったんだからなそしてオールでリハビ
おかん疼痛緩和外来どなどーな前回胃いたい胃薬のんでないとかふざけたこと抜かして勝手に胃薬と血液サラサラ薬混ざった薬に処方に換えてもらいやがったせいで薬局さんでパニックおきた内科でがっつり胃薬もらってるからダブリが起きるし余計やばいつーので🙄💦薬局さんが電話やりとりで元の薬に戻して貰う手はず整えてくれたのでおかん診察に内科胃カメラと処方薬リストお薬手帳もっていきやがれー💢😡💢どなどな
私が子供の頃から使っている昭和を感じる柄の引き出しが壊れた。母からネットで注文してと頼まれたが、指定されたサイズの引き出しで安価なものがなかった。ちょっと高いなと思ったけど、車がないから仕方がない。配送料込みと考えればいっかと思った。その引き出しが、日曜の朝に届いた。母から「組み立てられないから、組み立てて」とヘルプが来た。母の部屋に入ると、中途半端に組み立てられた板と部屋中に広げられた部品と、袋から出された部品が目に飛び込んで来た。「これじゃダメだ」ネジを外して、全部バラバラに
それは午後からのリハビリの為担当が部屋に迎えにきてくれた時…担)あの…お知らせがあるんですけど…私)何?なに~?担)実は…僕…4月1日で5階へ異動が決まりました。私)ガチで多分こんな顔してたと思う。もうパニックでだんだん涙が溢れだし止まらない。笑まだ部屋も出てない。これからリハビリ室へ行くのに。泣きながらエレベーターに乗り、リハビリのベッドへ座り泣いてたけど血圧計る!笑確か、上が180くらいで、下が101そりゃ泣いてるしな!とりあえずベッドに寝て足をさすられながら、いろん
何も考えれない。ずっとひたすら泣く、泣くしか出来ない。3年前に手術してもらった形成外科の主治医きてくれて泣く内科の主治医きてくれて、私の手を握って優しく、ゆっくり頑張ろうね。と声をかけてもらい号泣😭😭😭優しい言葉が苦しい。私、どうして生きてるの?生きないといけないの?辛い現実を受け止めようがなかった。次へ続く→
夫のおばあちゃんに会いに行きました。夫はよく「世界で一番大好きだったおじいちゃん(血のつながりはないステップグランドファザー)」の話をしましたが、何故かあまり夫の話にあまり登場しなかったおばあちゃん。夫のおばあちゃんは、脳梗塞を起こした後遺症で、子供に戻っていました。そんな夫のおばあちゃん家で驚いたもの。それは…。アメリカにはリビングが2つある家があり、1つは来客用、もう1つは家族用。その家族用のリビングの壁一面には、孫ふたり(私の夫と弟)の写真が18枚ほど、飾られていま
さきほど、脳神経内科を受診しました。脳血栓治療のためのヘパリン注射を続けるかどうかの診断のための受診でした。その時に聞かれたのが、札幌で脳梗塞を起こした時の血栓が飛んだ部位が何処か覚えていますかということ。そういえば、血栓が飛んだということ以外、聞いていません。もしかしたら説明を受けたのかもしれませんが、朦朧としていて覚えていないのかもしれません。家族が身近にいなかったので、詳細な説明を聞く人もいなかったし。脳梗塞による麻痺は残らなかったと思っていたのですが、右手と左手の握力が弱くな
夫のおばあちゃんは、脳梗塞を起こした後遺症で、子供に戻っていました。お世話をしていたのは、独身で一緒に暮らす長男。(私の夫の父の兄、夫の叔父にあたります。)夫の叔父いわく、介護は辛いそうです。夫の叔父は、「深夜にお母さんが嫌がらせで、僕の名前を呼ぶ、何時間も。オムツをしているのだから、そこでしてほしいのに、深夜に何回も『トイレに連れて行け』と。この前は、あまりに腹がたったので、お母さんを突き飛ばして、朝までトイレに放置した。」悲しく、辛いです。私は祖父母が大好きだったので、こう
施設に入っている母がコロナワクチンを打ってから脳梗塞を起こし、次に内蔵からの少量の出血で貧血になりました。ワクチンはもう打たない事にしました。今は認知も治り元気になりましたが…—綿貫久美(@tGWWx3I9r7vwjtB)October26,2023ワクチンはバカが打つモンだよと夫婦で懇々と言ってたので、5人の子供は誰も打たずにすみました。でも友達でまだ10代で脳梗塞とかきくと、やるせないですねー。ちなみに実父は猛反対を押し切り5回打った結果、血小板減少症で入退院を繰り返して
6ヶ月を超えたらやるべき、と、リハビリ病院でケースワーカーさんに教えていただいていたので、先日手続きを済ませました。2ヶ月位かかるそうなので、まだ手元には来ていませんが、流れを記録しておきます。6ヶ月になるタイミングを見計らって、主治医の先生に、障害者手帳申請のための診断書を依頼しました。障害者手帳には、大きく分けて2種類あるそうです。・身体障害者手帳(肢体不自由)・精神障害者保険福祉手帳夫の場合、脳梗塞の麻痺→身体障害者(肢体不自由)高次脳機能障害→精神障害
また超久しぶりの更新になってしまいました。旦那氏、12/23に退院が決まりました。退院後は平日はデイサービスへ、土曜日に訪問リハビリを受ける予定になりました。デイサービスの事業所を見つけるのがまた超大変でした。週5日送迎を頼んでいましたが週2日しかできないと言われてしまったり…入浴も週3回頼んでいたけど1〜2回しか無理と言われてしまったり…結局送迎はもう一度検討してもらい週5日していただけることになりました。お風呂は希望者が多すぎてどうにもならないとのことだったので週1〜2回で了承
ご訪問いただきありがとうございます。いいねやフォローありがとうございます。はじめての方はコチラ↓をご覧くださいこの世で一番気の合わない姑と同居がはじまった。日々のバトルと嫁としての赤裸々白書です。登場人物は主にこちら➡☆お聞き苦しいこともあるかと思いますが嫁姑問題でお悩みの方の励みになると嬉しいです。いつもたくさんの方にご覧いただきありがとうございます。更新の励みになっていますさて、何度も書いていますように我が夫は42歳で脳梗塞の後遺症が残り右半身麻
当院の手技であるトータル・リリース(トータルに組織をとらえて、柔軟性・滑走性を改善して、血流・神経の通りを良くして、筋肉が働きやすい状態を作っていく手技)の施術をする際の補助として、テラヘルツ鉱石のカッサを使用することがあります。また、患者さんご本人やご家族さんにもご指導して、使っていただいたりもしています。私自身、最近6年半ぶりに新しいテラヘルツ鉱石のカッサを買いまして、以前のものと使い分けながら使っています。以前のカッサ↓テラヘルツ鉱石かっさ【ノーマル型】AMERIオリジナルポー
2月2日。入居した介護医療院で、初の担当者会議がありました。担当医、看護師長、ケアマネージャー、介護士、栄養士、リハビリなど、各職種の皆さんと旦那くんのこれからについて話し合いました。先日、後頭部をぶっ飛ばしたいと思った担当医から、、、。現在の病状やら今後の事について、再び同じような話があり、、、私、ちょっとキレ気味で、「先生がお勧め下さる検査や手術などの対応については、現状の旦那くんには対応力がないと思われます。なので、私としては現在の生活を継続して、今後、体重や栄養状態、体力など
金曜日、定時で上がった仕事の帰り道さくら満開桜並木を通る、介護タクシーいつもの総合病院とは別の病院母は、そこの歯科がお気に入りで義歯を作り直してもらうことになりました予約した介護タクシーは時間通りに施設に到着施設から、病院までは車で約30分1月に骨折してから、しばらくリクライニングの車椅子に乗っていたので通常の車椅子は、腰が辛そう普段でも、食事以外はほぼ寝たきりですそんな母の気を紛らわそうと介護タクシーの運転手さん(介護士でもある)「外に出られたの、久し振り
配属されていた福祉用具部門もまだ処理は残っているものの、『廃業届』が正式受領されて廃業になった。介護報酬の返還もあとわずか。数人の利用者様の遺族と連絡が取れぬままだけどゴールが見えてきた。業務の契約更新が先日行われた。福祉用具部門はなくなったので、私の処遇も会社は悩んだのか法務関係を取り扱うことになった。法令などを網羅しなくてはならず言い回しの難しい文章と睨めっこする場面もある。そんな新しい職務において、ヘルパーステーションの契約書問題でここひと月ほど取り組んでいるのだけども、今ま
バックニーとは、ヒザの関節が伸び切ってしまって、過伸展する状態のことを言います。歩行時などの足裏を床につけて体重を乗せていく際に起こりやすい現象です。バックニーと同じ現象を表す表記として、反張膝、ロッキングなどがありますが、呼び方が違うだけで同じことを言っています。要するに、ヒザがガクッと後ろに反りすぎて、下のイラストの右側(反張膝)のような状態になることを言います。神経マヒによって下肢の運動機能が衰えると、バックニーが出ることがよくあります。バックニーの原因はさまざまです。一般的には
こんにちは。理学療法士のmasuiです。このブログでは、この春、私の職場に入職した、Fくんの臨床教育としてのフィードバックを、発信していきます。標準的な理学療法プロセスと、その臨床実践に必要な基礎知識を整理したmasuiPTの電子書籍はコチラ【再考標準的理学療法】ホームページはコチラ【masuiPT理学療法シン・スタンダード】今回は、介助起立が困難であった症例にティルトテーブル立位練習を実施し、著効した時の話です。患者のRさんは、誤嚥性肺炎で当院入院し、抗生剤投与数日で
脳梗塞で半年リハビリ入院していたパートナーが3月の終わりに帰って来ました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)一時期は、絶望感に苛まれていましたが、色々乗り越えて、今に至ります<(__*)>お引越しもしましたので、環境も変わりました・・・生活スタイルも介護と訪問介護がメインの生活スタイルになりましたm(__)mパートナーは、奇跡の復活で2回目の脳幹にも関わらず、何とか歩いています・・・なので、何とかトイレは、1人でも行けています、凄いです👏✨(*^^*)着替えは、介助要りますが、お風呂入っても、自分で出来
バス停から病院は近かった父には、後遺症がいくつも残りました・・・・・。現実を受け入れられず、見舞いに行くのが嫌だった。どう見ても、元の通りになんて戻らない父の体。しかし、私はこの病院で、私の運命を変える方と出逢います。きっとその出来事がなかったら、今の私はなかったと思います。続く⭐︎これまでのおはなし⭐︎↓↓↓『昔話〜第1話〜』ところが・・・。家に電話をしても、母は出なかった。あの時、そうやって自分に言い聞かせたことを覚えています。続くa