ブログ記事987件
1984年10月19日(金)、山陽本線・西明石駅構内で、寝台特急「富士」の脱線事故が発生しました。客車14両中13両が脱線しました。オハネフ25-205(左)、オハネフ25-107(右)山陽本線は、この西明石駅で下り線は複々線から複線に、上り線は複線から複々線と変わる駅です。山陽本線の複々線区間は、特急、貨物列車が走行する列車線と、快速や普通電車などが走行する電車線に分かれています。この切り替え区間、列車線を走行する列車は100km/hの速度で通過しますが、電車線を走行する
(寝台特急「富士」脱線事故・1)では、脱線の原因と経緯について書きました。今回は、その続きです。西明石駅構内へ足を運んでみると、機関車次位に連結されていたオハネフ25がホームに激突して大破していました。オハネフ25-104進行方向右側が原型をとどめていない程、大破しています。幸いだったのは、大破したのは寝台側ではなく、通路側だった事です。オハネフ25-104さらに駅構内の先にけん引していた機関車が停止していました。EF65-1099機関車は脱線する事
(寝台特急「富士」脱線事故・1)(寝台特急「富士」脱線事故・2)では、脱線の原因と経緯や他の寝台特急の回送について書きました。今回は、その続きです。15時00分いよいよ、脱線した車両の復旧のために、線路内にクレーン車2台が入りました。2台のクレーン車で客車1両ずつを吊り上げて、線路へ復帰させてゆきます。しかし、ホームに激突して大破したオハネフ25-104は、ホームに食い込んでクレーンでの吊り上げすら不可能でした。そこで、現地解体が行われる事になりました。16
神奈川新町第一踏切道事故から約6ヶ月経とうとしています。編成を正しく組み換えてからほぼ動きがなかった1137編成が動きを見せました。また偶然にも撮影者1人で撮影してきました。なお重要写真なので一部加工させていただきます。ご了承ください。お久しぶりにパンタをあげ--快特三崎口表示作業員が多数いました。足回りや車内を色々と見ていました。今後の動きが気になるところですね!側面灯が光ってるので一部ドアを開けていると思われます2〜5両目のドアを開けてると思われる複数の社員で
JR枠のところでしたがストックに置き換えました。今回は雑談話です。ちょっと興味深いお話を持ってきました。今回は、関西で新快速を横目に走っている207系について解説します。207系は現在黄土色のようなモダンな色の帯を巻いて走っていますが、登場した際は青色の爽やかな感じでした。というか関西を走る列車たちはほとんどあの色でした。ではなぜ人気の塗装を変えたのでしょうか。それはある事故が関連していました。皆さんご存知ですよね。2005年に発生した福知山線脱線事故が関連しています。怪我人
事故から19年の月日が流れました・・・・明日で19年・・・テレビのニュースで見た目を疑うような大参事・・・大事故でした(一一)もう19年もなるんかぁ・・・(一一)こんな大きな鉄道事故はなかった(一一)いまだに後遺症や精神的に苦しんでる方も多くおられるようです・・・。私たちが身近に使う電車・・・その分、衝撃が走りました。107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から19年を迎えます。数年、コロナウイルスの影響で大きな行事はなかったようですが?今年はどうされたんや?ちなみに!平成17年4月25