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2年かかりました。何故こんな事になったのか...この病気って一体何なのか...息子を失いこの先どう生きていけばいいのか...毎日、毎日を苦しい思いで過ごしていた中ふと、翔平が話してくれた事を思い出した。「母さん!俺と同じ病気の人が書いてるブログ見つけたよ。移植して元気になったって!」翔平の不安な気持ちがこの方のブログでどれだけ救われたでしょう!翔平の頑張りを伝えることで誰か1人でも前を向くことが出来れば...翔平の頑張りを書くことで自分の心の整理が出来れば...その思いで
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月19日母~さ~んコロコロ持ってきて翔平が一番恐れていたことがぁぁぁ髪が抜けはじめました。。。そういえば・・・先生が回診に来るとねぇ、俺もやっぱ髪抜ける?抜ける確立は何パーセント?と、毎回しつこく聞いてました先生はその度に44%抜けると答えてました。何度も確認して覚悟は出来ていたはずだったのにいざ抜けると動揺を隠せない様子病気を
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月1日・・の続き②血液内科の病棟につくと早速先生や看護師さんたち大勢が翔平のベッドを取り囲み、検査が始められた。先ずは、見たことも無いような大量の血液採取何本とるの~とビックリした。次に、骨髄穿刺(こつずいせんし)なにするの腰の部分にある腸骨から、血を作る組織骨髄を採取する。採取する場所の皮膚と骨の表面を局所麻酔した後で、骨髄穿刺を用いて骨髄液を採取する。
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAECV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年1月30日・・その②翔平の部屋で三人で先生に呼ばれるのを待った。それぞれが気を使い今日こんな面白いことがあったよ~とかたいして面白くもない話に異様に反応しゲラゲラ笑ったりした・・どうにかこの場の重い空気を変えようと。しばらくすると看護師さんが呼びにきた。部屋に入ると教授、主治医、看護師さんが待っていた私たちが席に着くとすぐに再発です・・・と
12月17日カリフォルニア州ニューポートビーチのバルボア島で行われたクリスマスボートパレード。このパレードを見るためにある一軒の家で行われていたパーティー。その家の2階のバルコニーでパレードを楽しむ翔平・一平夫妻・バレロ氏の姿が。左が一平さんで、後ろを向いてる髪の長い女性が一平さんの奥さん。デコピンを抱っこしてご満悦な翔平とそしてなぜかカメラ目線のデコピン(笑)翔平、メッチャ嬉しそうっていうか楽しそう。こうやって1日中デコピンを抱っこして
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年11月21日相変わらす熱が下がりません。血液検査の結果が午後には分かるとの事だったので、夕方に病院に行く予定にしていた。が・・・・リリーン『今からすぐ病院に来てください!』『えーっ、何事ー』翔平を連れて急ぎ病院へ病院に着くとすぐに診察室へ通された。先生が先日の血液検査の結果表をじーっと見ながら首を傾げる。『最初の検査結果も数字が悪かったけど、もしかしたら何かの間
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。まずはじめにたくさんの方にブログを読んで頂いてることを感謝いたします。こんな病気があるということもしかしたら・・と早期発見に繋がれば・・そんな思いで始めたブログです。これからもどうぞ宜しくお願いします。H29年1月31日・・その②今夜は私と翔平と主治医の先生と三人で話した。昨日私たちを震撼させた骨髄移植の件よくよく話を聞くと先生がやろうとしている移植
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月23日...⑤まだかなぁまだかなぁ私は時計をチラチラ見ながらその方が来るのを待っていました。毎日、毎日翔平の口から出る名前毎晩夢の中でその方から励まされてる...と。翔平が学生の頃から憧れてた翔平が働くお店のオーナーさん。夜の10時半頃お店が終わって急いで病院へ駆けつけてくれました。しょ~へ~、会いに来たぞー!お母さんから聞いたぞいつ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...①怖い恐ろしいスピードで息子の容態が悪くなる昨日まで出来てた事が次々と出来なくなってしまった。寝返り...出来ない口腔清潔...出来ない衣服の着脱...出来ない食事摂取...蓋を開けたり箸を持たせる一部介助全身状態悪化傾向で、倦怠感も増強しているように見える。実際にビリルビンの数字上昇で黄疸も酷くなっている。じっと翔平の顔を見て
3月26日に書いた記事です。↓『誰にでも絶対わかる「サヨナラ」までの一連の流れ』一平さんの違法賭博によって起こった事件の流れを誰にでもわかるようにまとめておきます。違法賭博の胴元ボウヤー氏に捜査が入り、入金記録の中に「ショウヘイ…ameblo.jpこの記事の中で以下のように書いておきました。翔平はその話の内容を完璧には聞き取れなかったもののヤバそうな空気を察知し、一平さんに説明を求めたところ「ホテルに帰ってから2人だけで話したい」と言われ取り合えずホ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月1日・・その①造血幹細胞移植までの流れや予定を聞くため主人と病院へ。いつもと違うのは・・・主人の兄が私たちのことを心配して今の精神状態での車の運転は危ないからと病院まで送ってくれたこと。もちろん、一番心配してるのは翔平のこと。翔平は義兄の事をおっちゃんと呼んでます。なのでこれからはおっちゃんで再発してからますます翔平の白血球・血小板は減少し
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月19日・・の続き。入院中の楽しみはシャワータイムでした数日前までは銭湯♨️にでも行くかのようにお風呂セットを抱えて足取りも軽く・・しかし、ここ最近は急激に体力が落ち、歩くのもちょっとキツそうになりました。それでもお風呂の許可が出るとやっぱりちょっと嬉しそうな顔になりゆっくりゆっくり準備を始めます。若い男子だしちょっぴり恥ずかしさもあり大丈
狩野舞子の父親は「残念だよ」とポツリ今回、あらためて狩野舞子の実家に取材をすると、父親は「残念ながら、ウチではないよ」としたうえで、こう祝福した。「(交際の噂が報じられた時は)大いに期待していたんだけどね(笑)。残念でしたが、めでたい話じゃないですか。大谷は天才だから。まあ二度と出ないでしょう、ああいう選手は。(いまや)1000億の男だからね。大変なもんですよ」狩野舞子の父親は「残念だよ」とポツリ...大谷翔平が漏らしていた「理想の結婚相手」(週刊現代)@gendai_b
翔平くんは、今日も元気今日は対犬について、書いてみようと思います結論としては、対犬には相性があるというかんじお散歩の時に他の犬と出会った時、去勢してない子や、吠えてくる犬には吠え返すことがあります特に若くて元気な吠えるようなワンコは苦手…吠えてこないワンコちゃんたちには、翔平もクンクン挨拶して、終わる/向こうが吠えたら、ボクも吠えちゃうんだよなぁ\なので、性格おだやかなワンコさんや、大人しい高齢ワンコさんなどであれば翔平も一緒に過ごせるかもしれません実家のゆず(他の犬
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。今日は、翔平の病名にある『EBウイルス』について書いてみます。日本人の約90%は自然感染するウイルス。そのほとんどは無症状ですが中には発熱などの軽度の炎症を起こす人もいます。症状が治まっても(全くなくても)ウイルス自体が完全にいなくなることはなく私たちの身体の中で静かに生き続けています。その為、大きく免疫機能が落ちたときに、稀に活性化することはありますが多くの人は初感染
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月24日...③薬の効果もなく全く眠りません。言葉も何て言っているのか聞き取りにくくなりました。でも、しきりに「もー、なんでー」時には、突然「ちくしょー」と叫びます。・・・びっくりするような声で...。突然両手を挙げそして頭を抱える...翔平。なんか、指の形もおかしい。「母さん、俺の体どうなってんの...」「母さん、
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月中旬治療が進むとともに毎日の血液検査の数字もだいぶん良くなりつつあります『抗がん剤治療』今まで、聞いたことはあっても家族の誰も経験した事のない治療・・・翔平・・不安だったろうなぁ。翔平・・辛かったろうなぁ。やった人しかわからない大変な思いをしたんだろうな・・と今でも思い出しては涙が出ます。さてさて、先日のリクエストの品々のなかにスケ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月2日昨日は、救急車で運ばれ、痛~い検査を受けまさかの抗がん剤での治療を始める・・・と、とても慌ただしい1日でした。今日は、翔平も少し落ち着きを取り戻しお店のオーナーさんに『やっと治療が始まりました。心配かけてすみません。今の自分は、転んで血が出たら止まらずに死んでしまうし、風邪引いただけでも重症化して死んじゃうらしいです長い期間のお休みとなっ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年11月30日いつものように会社で仕事をしていると突然病院から携帯に電話があった。『至急、病院に来てください』昨日からの40℃の熱が引かず血液検査の数字が益々低下したとの事白血球ウイルス疾患赤血球心筋梗塞血小板血が止まらないなどの恐れがあります今、一番怖いのは菌やカビです。ちょっとうちの病院では手に負えません。施設の整った病院へ転院したほうが良いと思います・・
昨日投稿した『翔平の気持ち』ですがちょっと不備がありまして、削除させて頂きました。たくさんの方々に『いいね』や『コメント』を頂いておりましたので、本当に申し訳なく思っています。頂いたコメントには全てお返事させてはもらいましたが、もしかするとまだ見ておられない方もいらっしゃったかもしれません。本当にすみませんでした!そして、私事ですが、どうしても記録として残したい!と思っていまして・・再度投稿させて頂きました。昨日と全く内容は同じですので、既に読まれた方はもちろんスルーしていただい
やっと家に帰ってきたよ、翔平。訃報を聞いてたくさんの友達、仲間が家に集まってくれた。「信じられない・・・」「早すぎるよ・・・」誰もが人目もはばからず翔平の為に泣いている。その姿に胸がつまる...。この日は金曜日だったけど、暦の関係で日曜日が通夜、月曜日が葬儀となった。月曜日=美容室のお休みの日これは偶然?いや、きっと翔平がみんなに会いたくてこうなったに違いない!美容師の仲間がたくさんいるもんね!お陰で、本当に沢山の方が最後のお別れに
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年11月25日~28日こんなに病気ってわからないもんなんですね~なーんにも治療しないまま時間だけ過ぎていきましたなんか中途半端な感じで、翔平は友達にも入院したこと伝えていませんでした。だってすぐ元気になって退院するつもりでしたから・・・私もね、同じ感覚だったので翔平を病院に残して仕事には行ってましたよ。ってか、もーいい大人でした(笑)会社では仲の良い先輩に翔平の様子を
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月23日...①朝方になって、ようやく少し眠りにつくことができた翔平。でも、すぐ目が覚めてしまう。一番体力を使うのがトイレ。オムツにしようか...と言っても、やはり抵抗があるようだ。今朝、トイレットペーパーでお尻を拭いたらお尻の皮がベロっと剥けた。抗ガン剤などの影響で皮膚がボロボロになってしまっている。朝の採血を手の甲からしたら内出血してパンパン
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月3日毎日、血液検査をしています。翔平を知っている皆さんならわかると思いますが・・・この細っそい腕からの採血は、なかなか看護師さん泣かせのようです再チャレンジは当たり前って感じ。痛そ~翔平ガンバーそして、この血液検査の結果・・・見ての通り、AST・ALT・LDの肝機能の数値が異常に高い。白血球や血小板も激減そして重度の貧血もあり人生初の『
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月22日...④先生...こんな状態で本当に移植して大丈夫ですか...?私には前処置でさえ耐えられないようなそんな不安でいっぱいです...。口にするのも苦しく辛いそんな私の気持ちを絞り出すように言葉にした。『厳しいかもしれません』先生の言葉に愕然とした...。実際のところまさに先生も迷っていた様子でした。翔平と、そして家族と先生、みんな
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月13日・・その②それは突然でした。『ちょっと仕事を抜けて外に出てこれるか?』『何、何、どうしたの?』主人の半ば強引な誘いに困惑しながらも、取り敢えず外に出た。外で待ってる車に乗り込むと、そこには今まで見たことのない形相の主人が・・。『一緒に行ってもらいたい所がある』いつもの主人とは明らかに違うことに私は戸惑いました。落ち着きがなく、声もうわずって
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月22日...⑤先生との話が終った後私の顔は泣きはらして真っ赤...このまま病室に戻る訳にはいかずしばらく病棟の隅の椅子に座り気持ちを落ち着かせていた。そんな私に気づいた看護師さんたちが入れ替り立ち替わりそっと横に座って背中をさすってくれ一緒に泣いてくれた。悔しいね、悔しいね、、、そう言葉を押し殺しながら。しばらくしてようやく翔平の元に戻る
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。平成28年11月24日今日も少し熱はありますが見た目は元気な翔平です連日いろんな検査をして翔平の病気を特定しようと頑張ってもらってはいますが・・まだわかりません今日は、大学病院の教授の診察日だそうでその先生に見てもらう事になりました。血液内科の先生でした。『母さん、教授だってー』『うん、なんかドキドキするね』緊張しながら教授の診察を受けました。診察自体は、すごく短時
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月1日朝一番に翔平に会いに病院へ急いだ今日は少しでも良くなってるだろうか?速足で病室へ・・・そして、目の前の光景に愕然とする。高熱のせいでベットの上でぶるぶると震えていた。『母さん・・さ・む・い・・。』慌てて看護師さんを呼ぶと、電気毛布を用意してくれた。どうして翔平がこんなめに合わなきゃならないのか・・・悲しくて・・・悲しくてしばらくすると震えも収まってきた。
このブログは、『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月21日...①早速今日はカテーテル挿入手術。これから先血管毒性の強い注射用薬剤を投与するため口から食べる事が出来ない場合に、高カロリーの栄養素を水分や電解質などとともに補給し、栄養補給を行うため手や足の抹消静脈ではなく心臓近くの中心静脈に抗がん剤などを投与するための血管カテーテルを挿入留置しそのカテーテルを刺入部皮膚に固定する手術翔平は首か