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これまで学校での経験としては、単元ごとのテストをちゃんと受けたことはありませんでした。算数の授業を初めて受けることができ、その後も継続して毎日授業に参加することができました。『支援級で算数の授業を初めて受けられた』国語に続き、算数の授業を支援級で初めて受けることができました。『引っ越し後支援級で初めて国語の授業を受けることができた』放課後登校で少しずつ小学校に慣…ameblo.jp1つの単元の最初から最後まで受けることができて、最後に確認のためのテストを受けることになり
娘の中学受験編初めから読む方はこちら『中学受験への道』ど~も~でっかいおっさんです。昨年あたりからと言い出した長女。現在地を知るために『テスト申し込んどいたから明後日いきま~す…ameblo.jpど~も~でっかいおっさんです。一線を越えると喋らない異世界へ転生する娘そんな彼女喋らない5年生の生活を満喫している様子で
引っ越した大阪では支援級が特徴的で、基本的には普通級に在籍し、国語算数の授業だけを抽出という形で支援級で受け、副教科は普通級で受ける形になります。娘はまだ普通級の大人数の中に入るのがしんどいので、副教科はオンラインビデオ通話を使ってリアルタイムのリモート授業を別室で受ける形にしました。図工の授業だったのですが、初めてのトライということで先生がついてくれることになりました。誰かなと思っていたら、なんと校長先生でした!校長先生に相手をしてもらい、担任の先生も最初だけ説明しにきてくれま
二学期になっても不登校が続きそうなことがあり、パパも娘も悩んでいました。『二学期が本格的に始まった朝にはお腹と頭が痛くなった』始業式を休んだ後、次の週から本格的に学校が始まることになりました。先生から月曜から金曜までの時間割予定をもらっていたので、数日前から担任の先生が個別の時間…ameblo.jpちょうどそんな時期に、児童精神科医の主治医の診察のタイミングがあったので、これはいい機会だし、娘にも一緒に行くかどうか聞いてみました。これまでは、娘はほとんど同席せず、パパだ
6歳1ヶ月入学して1週間が経ちました。やはり声は出にくいみたいで、音楽の授業も歌わないらしい。保育園の時は歌えてたから、ちょっと寂しい(・ω・`U)また歌えるようになるかな…今日は前の席の子とすごろくをしたそう。声がだせたかは謎。ピアニカ、体育、書き取り、休み時間の遊びとかはできてる️⭕️ゆっくり見守らないと、どうしても焦ってしまう…来月末にスクールカウンセラーの予約を、私だけ入れました。
SSWさんとの面談前に小学校の会議室を使わせてもらい、パパと2人の時に発声練習がスムーズにできました。『小学校の会議室を使ってボードゲームで声を出す練習』スクールソーシャルワーカーさんとの関係ができてきたこともあり、小学校で軽く声を出す練習につながるスモールステップを考えてみました。『SSWさんの家庭訪問で…ameblo.jp初回からあっさりできたので、今度は小学校の支援級の教室を使ってチャレンジしてみることに。支援級の教室は今後授業も含めて居場所になると思ったので、こ
国語に続き、算数の授業を支援級で初めて受けることができました。『引っ越し後支援級で初めて国語の授業を受けることができた』放課後登校で少しずつ小学校に慣れてきました。『放課後に担任と雑談しながら粘土和菓子作りの図工時間を過ごす』小学校で放課後の時間を使って担任の先生と活…ameblo.jp45分間、途中で帰ることなく全部参加できました。はかりを使って1kgに合わせるゲームをしました。他の生徒さんと競い合う形で参加。前に出てはかりに物を乗せて、何gになったか発表する場
【詳しい自己紹介はこちら】『【自己紹介】36th.♡勤務14年の私の今。(追記中)』2022年の自己紹介ページ【家族】私(36歳)、夫(4つ上)娘(18歳)、息子(3歳)猫(R4.3〜)いつもお読みいただきありがとうございます♡コメン…ameblo.jp【家族構成】konomi・夫娘(大学生)・息子(4歳)・猫いつもお読みいただきありがとうございます♡※現在メッセージはオフにしております。コメント大歓迎♡ご感想お待ちしております。・アメンバーについて読者様から聞いた、
3泊4日の検査入院でわかったこと。最終日は検査結果等の退院面談をされてからの退院に。今まで小児良性てんかんと言われていたが、CSWSてんかんと初めて診断される。『知的・認知機能の退行の形をとる神経心理学的障害を伴うことが特徴』とのこと。多くは10~15歳で発作消失するが、知的退行や行動の問題がどの程度改善するかは人それぞれでわからないと言われる。脳波が悪いと発達遅滞を伴うが、初めてのてんかん発作が3歳。年齢的に徐々に発達の遅れが目立つ時期でもあり、どこまで脳波が影響しているかはわ
法事に行った際、靴を脱いで体の向きを変えて靴を向きを直す…簡単な動作のはずなのですが屈んで靴の向きを直す際にグラッと体が揺れて前に転びそうに…法事は他の親戚が既に来ていて私の家族も来ていて会話が弾んでいました私が1番最後に来てしまい遅刻したように見えて、何となく一緒の部屋に居づらかったので一言挨拶した後で逃げるように1人別室でお坊さんが来るまでスマホをいじってました多分親戚からも変な人と思われたでしょうが…元々、緘黙なので人との会話が苦手だったので…お坊さんが来て法事が始まり
聴神経腫瘍と言われる1年前耳鳴りは常にしていましたが特に気にしていませんでした目眩は数日間の朝だけ続いてそれっきり治ってしまいましたそれでも枕が合わないと感じ、良さそうな枕を買い漁っていました家族も枕が届く度に「また枕?」と呆れるくらいでした1年の間に6〜7回くらい買い替えていましたそれでもしっくりくるものがありませんでしたそんな頃ちょうどコロナワクチンの2回目を打ってきましたその後熱が出たものの寝込む程ではなく数日後に下がりましたワクチンから2週間くらい経ってから何気
もう一つやってきて大きかったのがエジソンアインシュタインスクールのメソッドです。エジソンアインシュタインスクールではサプリや教材などいろんなものを勧められます。全てが必要なのかどうかはその家庭の判断によるのではないかなと思いますが。我が家では今はサプリなどは飲ませておらず、もう行っていませんがその時に教わったメソッドの考え方が柱になっていると思います。その中の2つを挙げると、まず子供の可能性を信じて学習を続けると言うこと。もう一つは家族の親の意識を変えると言うことでした。
前回の診断結果から思うこと。まず、発達遅滞の伴うてんかんだと知ってガッカリした…それと同時に今まで薬が合わず苦労したこと、薬剤抵抗性があることの原因を理解した。いまだ発作が改善されない状況で10歳過ぎたらほんとうに発作消失するのか…現時点では発作のない生活が想像が出来ない。発達遅滞はどれほど影響しているんだろうか…どのくらい改善するのだろうか…将来の見通しが立たないことへの不安。今出来ることはなんだろう…発達を促すにはどう接してあげたらいいのだろう…と毎日考える。今まで何で
なかなか良くならないてんかん発作。てんかんを診断されてから約3年が経ち、そろそろ病院を変えた方がいいのではないかと思っていた。初めてのてんかん発作からずっと大学病院に週1で来ている非常勤の先生に見て貰っていた。週1しかいないので発作憎悪した時等、相談したいときに主治医不在のため出来ない…仕方がなくよく見て貰っている近所の小児科の先生に連絡すること等が多々あり、不安が解消されない日々が続いた。最初はイーケプラ、次にテグレトール(薬疹で断念)、エクセグラン、ラミクタールを試してもあまり発作
娘の場面緘黙症を最初に疑ったのは年少クラスの冬でした。1歳児クラスの時、担任の先生に、〇ちゃんね、無口だよ、あんまりしゃべらないよ。無口が悪いとかじゃ全然ないけどねっと言われた事がありました。その時は赤ちゃんだから無口も何も…と思ってはいましたが、場面緘黙症は頭に浮かびませんでした。場面緘黙症の発症は環境の変化が要因のことがあるらしいのですが、娘の発症のきっかけは【⠀新型コロナウイルス】でした。コロナの初期、兄は年長、娘は2歳児クラスでした。娘の保育園(きょうだい別々の保育園で
スクールソーシャルワーカーさんとの関係ができてきたこともあり、小学校で軽く声を出す練習につながるスモールステップを考えてみました。『SSWさんの家庭訪問で家族と一緒にテレビゲームをした』スクールソーシャルワーカー(SSW)さんが娘のリクエストにより家庭訪問してくれました。カードゲームで遊んだ後、swichのゲームを母親ととSSWさんと娘の…ameblo.jp場所は、毎回SSWさんとの面談で使わせてもらっている小学校の会議室を使うことにしました。活動としては、面談前の最初
前回の検査入院で次はデパケンと提案されたのでさっそく主治医のところに戻ってデパケンを開始。(2週間ごとに増量)オスポロットはあまり効果がないように思えてオスポロット減薬とデパケンの開始が同時並行で行われることに。オスポロット飲み始めてから眠気があったので減薬した途端夜眠れず、夜中まで起きる娘。デパケンは飲み始めは順調だったけど、髪が抜けるようになった。ラミクタール200mgとデパケン400mgを飲み始めて数日後、夕食後の薬を飲ませて一時間経過後に「物が二重に見える」と言
小学校になったので、教育相談センターへの相談はどうかなと思って行ってきました。行ったのは、京都市教育相談総合センター「こどもパトナ」。こども相談センターパトナwww.edu.city.kyoto.jp前々から調べていて、早く相談に行きたいと思っていました。コロナで緊急事態宣言が出たので、発令日の前日ギリギリで利用することができました。(明日だったら休業になっていたところでした)建物に入ってみると、ビル1つ分全部が教育相談機関
入院初日。病棟上がってすぐに脳波室に案内される。脳波室は個室だったので娘は大喜びその後すぐに入院説明等簡単にされた後、初対面の先生に今までの経緯を説明した。今回の入院では長時間脳波、MRI、スペクト検査。MRIとスペクト検査は寝かし付けて検査した方が本人に精神的な負担がないだろう。とのこと。どれも痛みのない検査のようだけど、点滴で麻酔使うのって大丈夫なの?と心配になる。入院初日は、先生と1時間以上話をして、簡易ベッドの準備、コンビニに買い出しなど一通りした頃、検査技師の人に脳
主治医の先生が静岡のてんかんセンターの先生だったので、静岡まで行って検査することになった。本来は一度静岡に外来で入院予約を取る必要があるようだが、てんかんセンターの先生に見て貰っていたので、現地の小児科の先生にすぐに紹介して貰えることになった。県外なので病院まで約3時間!もっと遠くから来てる方もいるようなので近い方なのかな…とは思う。でも子ども連れて3時間は私からしたらそれなりに長旅です…小児科の先生は優しい先生とは聞いていたけれど、初めての病院なのでなんとなくソワソワ…治療進展
今日は連絡帳に、担任の先生からコメントあり、まだみんなの前で声をだすことはできないが、少しずつ笑顔やうなずきはあるので気長に待ちますと書いてあり、様子を見てもらって嬉しく思いました。何人か友達の名前もではじめ、焦らず、楽しめたらいいなと思ってます
フリースクールの環境をもっと安心できるようにできないかと思い、娘に場面緘黙理解の啓発絵本「なっちゃんの声」を読んでもらうことを提案してみました。娘と話し合ったところ、読んでもらいたいと希望したので、スタッフさんに相談しました。スタッフさんは娘が希望することならと快諾してもらえ、スタッフさんから「なっちゃんの声」を他の子たちに読んで理解をしてもらう時間(20分程度)を取ってもらいました。「なっちゃんの声」のなっちゃんと同じ症状をもつ娘のことを知ってもらいたいという、娘の気持ちを伝えた
デパケンを始めてからの脳波を見るために数ヶ月ぶりの検査入院。脳波はあまり変わっていなかった…相変わらず発作が週1であったので結果に驚くこともない。先生との退院面談でわかったこと。薬剤調整をするなかで一度の増量が多すぎると指摘を受ける。薬の量は多く与えれば発作が良くなるとは限らない少なくても多すぎても発作は押さえられないその子にあった、1番脳波が安定する血中濃度を探す必要があると言われた。なので今まで試してきた薬を血中濃度と脳波を見ながら慎重に少しずつ増やして再度試してみる
おはようございます。妊娠したのか、していないのか疑惑で、最近少し疲れ気味です。そして、なんだか情緒不安定ですね。イライラしたり、うつうつしたり。仕事10年以上やってきて、少し飽きていて。やばいです。本日は、何も言わない人についてです。何も言わない人ってやつに実は結構あてはまる私です。なんで何も言わないの?って聞かれても。適切な言葉が見つからないというか。なんて言えばいいかわからないというか。ぐちゃぐちゃ考えすぎて、ほっといてくれと思うというか。自分では
『特総センターと発達外来』時間がないなか慌てて特総センターで発達検査をすることになった。発達検査をする際、また母子分離出来ず、付き添うことに…検査が始まり、色んなことを質問されてもまず…ameblo.jp↑前回のお話です。急遽行った特総センターと発達外来では支援があった方が良いのでは。と言われた。この時点で3月上旬。つい最近まで当たり前のように通常級に入学するものだと思っていたので突然支援級はどうかと提案されてかなり悩んだ。でも、就学前検診の様子を見てから通常級で娘が笑顔で過ごす様子
場面緘黙症当事者、経験者、保護者の思いをつづった動画制作をします。場面緘黙症をもつ当事者、経験者、保護者のリアルな声を動画にして作ることになりました。作った動画はYouTubeにて公開して見れることになっております。出演者は、場面緘黙症と不登校経験をもつ高校2年生ののあくん。のあくんのお母さん。場面緘黙症の子をもつ保護者。場面緘黙症を克服した経験者です。場面緘黙症ってどんな症状?話せない感覚や感情ってどんなもの?子供が場面緘黙症になったらどんなサポートが必要なの?という疑
娘の中学受験編初めから読む方はこちら『中学受験への道』ど~も~でっかいおっさんです。昨年あたりからと言い出した長女。現在地を知るために『テスト申し込んどいたから明後日いきま~す…ameblo.jpど~も~でっかいおっさんです。一線を越えると喋らない異世界へ転生する娘そんな彼女のターニングポイントだったのが5年生の担任の先
一週間ぶりに家に帰れる娘。私はすごく嬉しかったけれど、娘に笑顔はなかった。入院前はよく笑う子だった娘の表情が乏しくなって悲しくなった。そして入院中に失敗し続けたトイレトレーニングは1から再スタートとなった。トイレをしたいと伝えてくれないどころか失敗し続けても遊び続ける姿に驚いた。私が娘の視界からほんの少し居なくなるだけでギャーギャー泣き出したり、寝かしつけ時に少し身体が離れると起きて泣き叫ぶようになった。まるで一歳半の時の状態に戻ってしまった娘が、入院前の状態に戻るまで一年近くかかっ
定期的にてんかんセンターで検査入院することになった数回目に乳酸値が高いと指摘を受ける。日常生活をしているなかで疲れやすい様子はないですか?…と。うーん…特に感じたことはない…突然ミトコンドリア病の解説をされるが頭に入ってこない…聞いたこともない…てんかん以外にあまり不安な点がない…のでどこか他人事のように感じていた。気になる点と言えば幼児期からよく口内炎が出来ることくらい。念のため遺伝子検査をしましょう。と言われてその日は採血だけして退院した。退院後、先生から言われた
時間がないなか慌てて特総センターで発達検査をすることになった。発達検査をする際、また母子分離出来ず、付き添うことに…検査が始まり、色んなことを質問されてもまずは先生の様子を見る娘…全然喋り始めない娘に紙と鉛筆を渡してくれた。答えを紙に書くことで判断して貰えるらしい。。この時年長の3月。なんとかひらがなが書ける…くらいの字。ひらがながこんなところで必要になるとは知らなかったけど、書けて良かった…と思った。筆談での発達検査。食べ物や物の名前くらいならひらがなで書いて答えた。が、