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私「東京でワクチン反対のすごいデモがありましたよ。また、集団訴訟があって、国が訴えられた。風向きが変わりましたよ」●さん「ワクチンは絶対何かあるよ!僕はあれを打ってから、脳の手術したよ」私「脳卒中ですか?」●さん「なんだったか忘れたけど」私「テレビも報道しないし、政府も接種後の被害状況を隠している」●さん「テレビも政府もぐるだろう」彼は接種後に、搬送されては緊急手術をしたそうです。術後、言語障害が起きて、言葉が不自由になりました。現在も継続中。彼とは、この話は二度目。
子宮筋腫についてのお話。筋腫分娩も子宮鏡手術も、あまりブログで見かけなかったので、珍しく詳しく書いてみます。長文です。《前説》婦人科系の病気で何年も苦しんできているし、それが不妊にもつながっている、それがずっと悩みのタネ。2009年には、子宮筋腫、子宮内膜症、チョコレート嚢腫、卵巣嚢腫、の腹腔鏡手術をしたけど、術後がひどく辛かった。不妊治療していると手術した事がネックになったりして(卵巣に負担かかってしまったことや、卵管の癒着など)手術したことを後悔してきた。最近は閉経気味のため、子
妊娠後期に痔で緊急手術したお話3はじめにこのシリーズは痔発生から完治に至るまでの経過を日記に納めています。また、同じような症状でお困りの方ぜひご覧ください。⚠︎途中お通じ関連のお話があります。不快に思われる方はご遠慮ください症状発生より6日目こんなにも痔に苦しめられる日が続くとは思ってもいませんでした。何せ痛みと腫れで日常生活が送れない、苦痛で衰弱しているのですから。こんな状態が出産まで続くのかやっていけるのかなど不安に駆らられていましたそして、プロに
退職願を出したからか、仕事に対するモチベーションは急激に下がっていた。それよりも、妻と赤ちゃんの事が心配で、正直仕事は手につかない状況にあった。12日は仕事終わりにも病院へ行き、妻の様子を確認してから、帰宅をした。ここ何日かで見てわかるくらいに体はむくんでいた。その様子を見るのは辛かったが、私には元気づける事ぐらいしかなかったので、いつも通りの感じで妻と接していた。翌日の13日、朝の早い時間に病院から着信が入った。電話に出ると先生から、「
朝は熱もないけど、顔色悪く、ぐったりとしていて、身体は、しっとりとして歩ける状態ではない様子。昨日から、殆ど食べてないから多分、脱水症起こしてるかもと思う。めいは、「気持ち悪いから吐きたい」私「わかった、ビニール袋持ってくるから」と急いだ。沢山、胃液みたいな吐物が出てきた。もう自力で着替えられない様子だから私が着替えさせて抱っこして車へ、今日も近くの小児科へ朝いちで見てもらい、直ぐ血液検査の後点滴で吐き気止めも入れてもらう。いつもだったら点滴なんか嫌いで
★乳がん⇒自家組織再建までの簡単な説明です★・転職活動中に左胸に違和感を感じ、内定後に受診し、左胸に乳がんが見つかる・乳がんはステージ1で左胸全摘・退院後、10日目で感染症で入院。・浸潤していたもの、微小だった為、術後無治療・その後、右うちももを利用した自家組織で再建・退院後、内ももの傷口が開いてしまい、閉じるまでに約3ヶ月かかる・転職先で仕事を始める・乳輪、乳頭再建※1年以上前の話になります。これから自家組織による乳房再建を検討されている方の
こんばんわ金曜日、土曜日と2日連続で緊急手術をうけました。7月10日…朝から鼻と喉の間が乾燥してるなーと思い、咳も鼻水もないから、大した事ではないと思うけど、一応報告しておきました。午後から先生がきて、目の下赤くない?押さえたら痛くない?って言うので少し押してみると「うーん…若干?」くらい。念の為、CT撮ろうかってなりCTへ行く15時30分頃、慌てて先生が来た………「副鼻腔炎が再発してます。」っと……耳鼻科の先生と今から話し合いするけど腫れてる場所が悪い…目の真下やか
実は体調に異変が起きたのは2年前。原因不明の下痢がひどくなり内科に掛かったことに始まる。いろいろ検査し、造影剤を使ったレントゲンを撮ったところ大腸に何かあることが判明。良からぬものである可能性があるのでということで、大腸内視鏡による腫瘍切除が行われた。その後再発もないので内科医はそれで完了!という感じだったのだが、下痢の症状はそれから2年間治らなかった。他の医者にも掛かっていたが、結局は下痢止めと整腸剤をくれるだけで、そのままの状態で騙しだまし過ごしてきたのでした。ところが忘れもしな
2018年2月19日久し振りに自宅の体重計に乗ったら、体脂肪率がまさかの7.4%…(イチローは6%らしいけど)。お風呂前に鏡で裸の自分の姿を見るとガッリガリで骨と皮しかない。ちょっと緊急で体重を増やさなきゃ(;∀;)S状結腸憩室穿孔汎発性腹膜炎の緊急手術の様子を書いてなかったので振り返り。【2018年1月19日の事】抗がん剤の副作用なのか18日からひどい腹痛が始まる。17日の夜に下剤を服用し(気の短い看護師がびゃーびゃー滴下したので10滴を完全オーバー)18日は下しまくり。
10月21日緊急手術にて開腹。手術そのものは見ることができないので、執刀医と術後説明を受けた家族の話をもとに書いてみます。前回書いたとおり担当医師は、虫垂破裂による腹膜内の膿充満と予測して開腹をしたのだが、開いてみると膿はなかった。代わりに見たこともない粘液状の物質が腹全体に広がっていたとのこと。なんでも黄色っぽいゼラチン状のものらしい。これが腹部の内臓に張り付いたような感じでいたるところに散らばっている。正体は「腹膜偽粘液腫」というものだった。⇒http://mymed.jp/d
私自身の白内障手術と👁️👀母の眼科緊急手術が👁️👁️なぜかほぼ同時になると言うなんとも忙しく大変な時をやっと乗り換え母の最後の術後眼科検診が明後日に迫りました。元気にお花を行けれるようになってほんとよかった🌼🌸🪻長生きしてね。
★乳がん⇒自家組織再建までの簡単な説明です★・転職活動中に左胸に違和感を感じ、内定後に受診し、左胸に乳がんが見つかる・乳がんはステージ1で左胸全摘・退院後、10日目で感染症で入院。・浸潤していたもの、微小だった為、術後無治療・その後、右うちももを利用した自家組織で再建・退院後、内ももの傷口が開いてしまい、閉じるまでに約3ヶ月かかる・転職先で仕事を始める・乳輪、乳頭再建※1年以上前の話になります。これから自家組織による乳房再建を検討されている方のご参
8月31日救急車で運ばれるとき、意識が無くなりそうになると「生年月日教えて下さ〜い」「携帯電話教えて下さ〜い」と質問されて、病院へ到着するまでどの位の時間が経っているかも分からず。「御家族は?」の問いに「犬が2匹」と答えて会社のメンバーを朝になったら呼んでくれとうわ言の様に言っていたらしい。意識が朦朧とする中、考えていたのはお盆休みに両親に紹介した彼との結婚の約束も、新婚旅行の予約もキャンセルしなきゃいけないの?と言う事。手足は全く動かない。硬いストレッチャーの上に首を固定され、眠り
『はじめまして』2023.1(当時46歳)大腸がん検診要精密検査2023.2大腸ポリープ7mm大腸ポリペクトミーにて切除生検クリア5年後再検査2023.3胃カメ…ameblo.jpある日突然、我が子②が近所の病院で緊急入院、当日緊急手術になった日、執刀医に「何か心配な事ありますか?」と聞かれ、「バイトが、、、」と答えた我が子②当日急に休む事になり、しばらくお休みしないといけなくなり、バイト先に迷惑かける事を1番心配してました(後にこのお話を聞いた時、執刀医は手術で何か不安な
今日の仕事中母から何度か電話がかかってきたのですが仕事が忙しくて電話に出れませんでした。少し時間が経ってスマホを見たら母からライン入っていました。元夫が救急搬送されたという連絡でした。母にすぐに折り返しの電話をかけました。誰から連絡きたん?リオのオカンからや。心筋梗塞って…お父さんと同じやな…どんな状態か聞いた?今は術後で意識まだ回復してないって命に関わる?詳しくはわからんけど…運ばれた時は危なかったらしい。合併症起こしてるとかなんとか言うてたし…だから緊急手術
2023年5月9日先生の口から「手術」という言葉が出てきました。先生「つい先ほど、外科の方から手術しようと話が来ました。」先生の説明では、・このまま食道の治療を進めても治る際に患部が固まってまた同じ詰まる症状になる可能性がある。・転移先の肝臓の腫瘍も抗がん剤が効いて不明瞭になっている。・今のタイミングなら食道の破れた部分と原発巣の胃食道部分の腫瘍を手術で摘出できる。と説明を受けました。この後、外科の先生が来るので詳しくはその先生から聞いてほしいとのことでした。数
緊急手術をすることになりました。看護師さんに病室へ案内され準備にとりかかりました。看護師さんから歯の治療やら変な靴下をはかされたり、手術着に着替え紙オムツをはいたり。準備をしてる間に妻が両親に電話して緊急手術することを伝えてくれました。30分後に開始するけど間に合うんだろうか。準備を終えて呼ばれるのを待っていると不安な気持ちが出てきました。もし何かあった時のために子供に手紙を書いておきたいな。妻に紙と書くものあるかと聞くと持ってませんでした。「手術終わってから話せばいいんじゃけ
急性虫垂炎で緊急手術を受けることが決まったわたし手術の説明の後、麻酔科の先生、薬剤師さん、看護師さんからも説明を受けます。ただもうその時には痛みが強すぎて意識半分同意書のサインをがんばってかくだけ・・(家族も同席してるし、多分大丈夫なはず)13時を回ったころには、痛すぎてベットの柵につかまってピクピク手術15時ころとか言ってたけどもう!早く手術して〜看護師さんがやってきました看護師さん「手術の準備で、おへその掃除しますね。仰向けになれますか?」「痛みが・・やばくて
いつも訪問温かいコメントありがとうございました。昨日病院を受診してサプリを処方してもらって帰宅したなると昨日夜勤に出勤する時にもうすでに肛門がヤバそうでした今日帰宅したらやっぱりあちこち出血していて。。。今日は病院が半日だし明日は休診日と言うこともありあわてて予約結局また手術で縫っていただきました。さっきお迎えに行って来ましたなると帰宅してすぐのなると横で心配そうに見ているはーとお兄ちゃん大丈夫か
こんにちは。本好きエンジニアです。前回の続きをです。初の救急車で搬送され、向かった先は大きな病院の救急外来でした。なんか多くの医療従事者の方々が働いている中で、部屋の一角に収まるとそこで看護師さんがいろいろ準備してくださいました。何が何だかわからないまま採血・血圧・体温・心電図が測定され。。先生が来るのを待ちました。◆症状の確認。やっぱり”心筋梗塞”?すでに症状はなかったので、心電図からは異常も見つからず、ただ、すでに着替えをしたりいろんな準備をしていたのは覚え
入院してから約一週間、大きな局面もなく毎日同じ入院生活をしてました。点滴を定期的に取り替えて、2日に一回シャワーを浴びて・・・。ちなみにシャワーの時だけ点滴を外して、テープをぐるぐる巻きにして水が入って来ないような処置をしてもらいました。で、6月6日です。奥さんが仕事終わりに来てくれるというので、待っていたところ、右下腹部に今までにない激痛が走りました。昨年アニサキスに襲われた時も気絶寸前の痛みを感じて、「今まで感じた痛みの中でブッチリギリで一番痛いですね」と思ってましたが、
緊急入院の次の日、緊急手術を受けました。手術室で麻酔をかけられ、遠のく意識の中で藤井フミヤの曲が流れていたのを記憶しています6時間の手術の後、名前を呼ばれて目を覚ますと私を執刀したであろう産婦人科の女医さんとは違う、とても若〜いH先生という先生が立っていました。術中に虫垂と大腸の一部も切ることになり外科に転科したとのことでした。こんな若い先生がやったの⁇失礼ながら咄嗟にそう思いました。この先生から簡単に手術の内容を聞き、また眠ってしまいました。術後の経過は、
金曜日の夕方に「網膜剥離」と診断されて、月曜日に緊急手術を受けるまで安静に過ごすことになりました。ご飯のとき以外は、ベッドに身体を横にしているように言われました。動いて中心部が剥がれてしまうと、手術結果に影響するからです。網膜剥離は7千人から1万人に一人くらいの割合の人がなる病気で、20代と50代の人が多いようです。若い人は網膜の奥の液体に粘度があるので、網膜に穴が開いても進行が遅いそうです。それに比べて中年期の人は液体がさらさらとしているので、網膜に穴が開くと進行が早いそう
2人目を妊娠して産まれる10日前までなんとか働いた私。その後娘と実家にお世話になりました。次の日に帝王切開手術を控えた夜、破水。たまたま夫も泊まりに来ていたので車で病院まで送ってもらいます。破水する前に夫の無駄遣いで揉めていたので車の中の雰囲気は最悪でしたが、でもこちらは痛くて夫にかまってられません。うめき声をあげて苦しむ私の様子にさすがに夫も心配してくれました。そのまま緊急手術になり、無事息子が産まれました。しかし私は手術の際に子宮と一緒に別の臓器も切られてしまい、1ヶ月その
何かいろいろなものに署名させられ、その後、手術が始まりました。おそらく8時間くらいかかるだろうと全力を尽くすが、生きて出てくるかすらわからないと釘を刺されました。。。コロナ禍になった年で、病院自体が一般人の出入り禁止だったので、待合室から出ないことを厳命されました。実は私、いろいろワケあって丸2日眠っていませんでした。で、ようやくこれから寝ようと思っていた矢先に、病院から呼び出しされたのです。人って48時間寝ていないと、もうわけがわからない
この記事のつづきです『覚えていないし思い出せないという悲劇』この記事のつづきです『「こんなモノ食えるかっ!!」』この記事のつづきです『簡単な算数を間違えちゃう!』この記事の『あぁ面倒くさいなぁ!!』この記事の『まさに「…ameblo.jp娘「ってか、本当にお母さんなにも覚えてないの?あんなにつらい目に遭ったのに。いやむしろ覚えていなくて良かったか。それなら私でも耐えられるかも知れない」なんのこっちゃ?どういうことにゃ??恐ろしい言われようだけど全く意味がわからない。あの日、
ブログを始めた頃に何度か手術に至る過程は書いたけど…3年前の今頃…多発性骨髄腫の母は亡くなる直前で私は目の異変に気づきながら眼科にも行けずにいた半年間看病に明け暮れた間に視野欠損が急速に進行したのだ6月下旬に母が亡くなって慌ててかかりつけの眼科に大学病院の緑内障専門医を紹介してもらい1ヶ月後に予約がとれて診察の後、検査入院もした眼圧は日中13で夜間に2030代後半ぐらいの若いドクターは「一応手術してもいい数値」とは言うものの明らかに手術に消極的なことは話をし
息子をママ友にお願いし、病院へ駆けつけると看護師さんが待ち構えていました。これからすぐに脳の手術をしないといけないので同意書を書いて欲しいとの内容でした。診療時間はとっくに終わっている外来の診察室が並ぶ廊下は薄暗くなっていました。一つだけ灯りのついた部屋に通されると、難しい顔をした医師がレントゲン画像を食い入るように見ていました。そして「ご主人はバイクから投げ出された時に全身を強く打ち、脳にも損傷が見られます。これから緊急手術となりますが、恐らく後遺症が残ると思います。内臓もかなり損傷