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私は、ある地方の中高一貫校に通っていました。その学校はとても厳しく、朝の7時半から補習授業があり、毎日大量の宿題が出されました。当時その学校では、宿題をやってこないと教師から体罰を受けるのも当たり前でした。中学の頃、私は、学校の勉強を一生懸命にやることが善だと信じ、必死に勉強し、上位成績をキープし続けてきました。ところが高校に入ると成績が下がり始めました。特に数学の試験は、ちゃんと勉強しているにもかかわらず、試験になると頭が真っ白になって答案にほとんど何も書けない、なんてことが度々起こる
こちらの表。19世紀から人類の労働時間は一貫して下がり続けていることを意味しています。しかし、「働かなくなった」我々の生活が19世紀から徐々に貧しくなっているというわけではなく、むしろ豊かになり続けています。我々が若い頃は、月100時間残業なんて当たり前でしたが、その時の労働生産性が高かったかと言えば、決してそうではありません。当時はリモート会議なんてありませんでしたし、会議の度に資料を人数分コピーし、それを配布するのは若手社員の仕事。しかも、資料の体裁を異常に気にする人たちも沢山いま
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件㉒神戸高塚高校校門圧死事件①厳密に言えば昭和の事件ではないが、昭和の管理教育の流れにおいて生じた重要な事件なのでここで取り上げようと思う。事件があまりにも衝撃的だったことから、当時マスコミも大きく報道して社会の注目を集めたし、30年余りが経った今日でも追悼の集いがもたれたり、あるいは新たにネットで取り上げられたりもしている。したがって、どういう事件かについては既によく知られているとは思うが、ブログを書くにあたって最初にその概要をまとめておきた
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件⑱1985年岐阜県立中津商業高校体罰自殺事件①【事件の概要】(その1)高橋利尚君のドライヤー体罰死事件が起きる2ヶ月足らず前のこと、1985(昭和60)年3月23日に、同じ岐阜県の県立中津商業高校で、陸上部の顧問であった山内浩教諭(体育科、当時46歳)から日常的に体罰や叱責、暴言を受けていた同部2年生の女子生徒・竹内恵美さん(同17歳)が自殺するという事件があった。体罰を苦に自殺した竹内恵美さん遺書死後に通学用カバンから、8分の
3学期が始まってから週1.2回登校すれば良い方先週からは1日も行かず、、、になってきた❺お休みする時には、学校の他に登校班にもお知らせしなきゃいけないんだけど我が家の地域はPTAで割り振った登校班で集まって登校するシステム。私が子供の頃住んでたところは、各々登校だったから、仲のいい友達と登校してたなぁー。それはそれで、友達作れない子にとっては苦痛なのかな?ひとりで気楽って子もいるだろうけど。我が家の所属している登校班ではママ達でLINEグループ作ってて休む時とかはそのLIN