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案内状の印刷成功朝に『本当の気持ち診断』で往復はがきの印刷が出来ないと嘆いてました夫の出張が昼からだったので買い物から帰って早めのお昼の時間までの間に見てもらえたプリンターの種類が往復はがき対応のシステムに切り替えしないと印刷が出来ないらしい・・・印刷機は往復はがきのセットにできていたでも筆まめの印刷機の指定が変更できていなかったので用紙設定に往復はがきがなかったはがきの長辺つなぎで無理やり印刷しようとして印字が全て往復は
2006年に買った娘のパソコン老朽化して蓋の開閉があやしいので、蓋を開けっぱなしにして使わない黒いレースのショールを掛けていたが、娘の死後まったく使わなくなったので、上から娘の刺繍のキャミソールを掛けているこのパソコンは娘が入院中の病室で使いたいというので買ったもので、メーカー品ではないかが、いままで壊れずによく持ったものだ。この間に私はメーカー品のパソコンを2度も買い換えたちなみに、入院していた病棟は新築で、窓が大きくて明る
例えば小学校の学年同窓会の名簿を作るならば、卒業アルバムの最後に掲載されたクラスごとの名簿をそのまま転記します。えっ!そんな個人情報いまどき掲載されてないよ。ですよね。昔むかしは、卒業アルバムに氏名と住所が普通に掲載されていました。今そんな個人情報を卒業アルバムに掲載していたら大問題になるでしょうね。どうやら平成の途中で卒業アルバムの名簿は消えたようです。「個人情報の保護に関する法律」が平成15年(2003年)5月に制定されて、平成17年4月に全面施行されたので、そのころまでには完全に卒業
豊臣秀吉公は、戦国一と思えるほどの筆まめであった百姓出身で決して教養深いとは言えないが、ひらがなを多用しながらも素直な気持ちや気遣いにあふれる手紙が多い。正室おね(北政所)、母の大政所や、側室、養子達など家族宛の手紙を中心に現在でも100通あまりが残されている。なんとそのうちの約30通あまりが、おね(北政所)への手紙であった側室十数人とも言われているが、その実は大変な愛妻家であったのだ1561年(永禄4年)当時としては珍しく恋愛結婚で結ばれた秀吉とおね。秀吉が1590年(天正18