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2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います話は少し戻ります2023年2月1日医師に言われた言葉「3月3日に治療が全て終わり当院で出来る事は無くなります」同時に伝えられたこと退院後は2週間おきに投薬の
こちらは過去の入院生活を綴っています。現在は退院して学校に通いながら外来で化学療法を続けています。———————息子は朝からたこ焼きを食べて今日も元気に学校へ私はいそいそと帰宅の準備。お昼に夫に引き継ぎをして交代しました。自宅に戻って下の子と熱烈ハグ。息子も帰りたいだろうな…と少し罪悪感みたいなものも感じながらやっと帰れたと感無量。しかし自宅に戻るや否やくしゃみと鼻水が止まらない。なぜかって…ホコリ、汚れ、カビ、腐った食べ物などなど、すごかったです着替えようと思っても
こちらは過去の入院生活を綴っています。現在は退院して学校に通いながら外来で化学療法を続けています。———————入院68日目この日から退院後の外来治療を見据えて1日で点滴が外れるようにやってみましょうと主治医から聞いていました。そのためなのかいつもより1時間早く点滴が始まると看護師さんに言われて、「それじゃ学校いけないよー」と半べその息子。主治医に相談してくれて、いつも通りの時間に始めてもらえることになりました。夕方に最後の抗がん剤を入れ終わって、お水の点滴ももう外して
初めまして。主人がびまん性橋神経膠腫と診断されました。病気、治療に関して情報がほしくてブログを始めました。2024.3.7パパの脳幹に腫瘍があるとわかって2日が経過しました。こんなに辛い2日間は今までの人生で初めてでした。まとまりのない文章になると思いますが、記録用として自分の気持ちを形に残したいと思います。パパが体に異変を感じたのは2月の中旬。何だか目眩がする、立った時にふらつく。それが始まりでした。偏頭痛でかかりつけの脳外科を受診し、立ち上がった時に限局して起きている
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います担当医と話した翌日にはセカンドオピニオンの予約を入れた本人は入院中で連れていけないセカンドオピニオンに同席はできないそれでも受けてくれるのか?心配だったけれど映像
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います病院はコロナ対策で面会禁止だった毎日かける電話の内容がパパの状況を知る全てトイレに歩いて行った食事を食べたと聞けば病気になる前のパパの姿を想像する自分の中で良い方
23日に6度目の月命日を迎えました遺族年金は無事受給する事ができました受給権が発生してからすぐに次男は18歳になり成人したことで最初より支給額が減ってしまったけれどパパが亡くなってもなお充分に私達を守ってくれてると感じます遺産分割協議は進みません今は裁判所へ特別代理人選任の申立中ですなかなか時間がかかるものです相続税の申告期限まであと3か月どうにか期限までには終えられるだろうとは思っています大学生の長男と進学先が決まった高3の次男は自由に青春の日々を送って
2024.4.20テモゾロミド内服23日目。放射線は土日お休みです。土日となると頭痛発生率高めなパパですが、ゆったり過ごしてくれたらいいな。土日でゆっくり散歩にも一緒に行けたらいいなーと思っていますが、今日は大丈夫だけど明日は授業参観に部活の強化練習、クラブの総会と1日バタバタしそうです。テモゾロミドの吐き気が辛いため、最近飲むのが憂鬱そうです。5時に起きて飲むのも毎朝となると大変です。吐き気止めがもっと効いてくれるといいんだけどな。ご飯はそれなりに食べられてるから大
脳腫瘍の発覚4️⃣の続き検査が始まる。脳波、MRI、眼科検診、RI検査、PET-CT、脳シンチ、脳血管造影検査……etc絶飲食して受けるものもあって、これら⬆︎を1日で受けるわけではない。5日間に分けて受けた。それぞれの検査の説明を受けるけど、何が何やら専門的過ぎてよくは分からないケド…なんとか理解したのもある。脳内の血流や血管を調べる検査では、腫瘍がどれだけの血液を取り込んで成長しているかが分かる…とおっしゃっていたと思う。これはMRIやCTでは分からないとか。そっか
2024.3.18パパの頭(脳幹)に腫瘍(グリオーマ.神経膠腫)があるのがわかって13日目。目眩を自覚して1ヶ月が過ぎました。今日放射線外来を受診しました。脳外科の先生から先週の検査の説明とカンファレンスの結果を聞く前に放射線外来を受診したので、カルテに色々書かれている画面がとても気になってしまいました。横目でなんとか見ようとしましたが、結局あまりよく見えませんでした。脳外科の先生には、腫瘍であることに間違いはないから放射線は必要ですと先週電話でも聞いていたのですが、い
脳腫瘍の発覚3️⃣の続き【脳腫瘍】の告知を受けた私は、待合所で待ついっちゃんにかける言葉を探していた。彼はまだ13歳になったばかりや。どう話したらいいのか……どう答えたらいいのか……彼の隣に行って座った。「いっちゃん、大丈夫?しんどくない?」『うん、少し頭と首が痛い』「だよね。先生にさっき撮った画像見せてもらったよ。なんかな、頭の中にデキモノが出来てて、それが頭痛の原因なんやて。それが何なのか、どうやって治すかを、大きい病院で診てもらいなさいやて。」『……ふーん
2005年春、悪性脳腫瘍(グレード3から、後にグレード4の膠芽腫へ転化)が判明した母。余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の日々の記録です。2005年3月下旬。「yukiさん、○○病院からお電話です。」職場にかかってきた私あての電話を、後輩が取り次いでくれました。電話口に出ると、「K総合病院のNと申します。突然電話してしまい申し訳ありません。○○陽子さん(母)の娘さんですか?」一瞬、母がどこかで倒れたか、事故にでも遭ったのか
2024.4.15放射線15日目計27Gyテモゾロミド内服18日目今週も放射線が始まりました!15日目。今日で予定量の半分が終わりました。最初はどんな副作用が出るか分からず不安で、副作用が出たと思ったら結構辛くて、今は最初に比べて症状は落ち着いてきたように思います。残りあと半分。何事もなく通院で行えますように。脱毛や皮膚の炎症は今のところありません。最近はテモゾロミドの副作用なのか、宿酔の影響もあると思いますが、吐き気が1番強い症状で食べれはするけど気持ちが悪い。吐くま
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います2023年1月24日シャントの入替手術が終わった時は私の手を握り返してくれた分かってくれているんだと嬉しく感じた手術翌日に看護師の呼びかけにも反応し抗がん剤と放射線
そう言えば……いっちゃんの病気が見つかった時の話、してなかったこれ、大事なお話ですよねこのブログを読んでくださってる方々の健康を守るためにも✨早期発見早期治療につながるためにも。でも…ご自身の判断で苦手な方はスルーしてくださいね。今思えば…の話もひとつ。いっちゃんはご存知の通り少年でございまして、クラブチームは高学年になると、遠征や合宿など🚌やでの遠出が増えました。6年生になってから、頻繁にに酔うようになりました。「今まで酔った事なかったのにねー」
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思いますシャント手術の翌日今後の治療に向けての説明があった抗がん剤と放射線の治療を行う予定手術の傷口が良くなったらアバスチンという薬を併用するこの薬は傷があると使えないから
2024.4.22放射線20日目計36Gyテモゾロミド内服25日目今週も放射線が始まりました。今日で3分の2が終わりました!あと10回。無事に何とか終わりますように。放射線に毎日通っていると同じ時間帯の患者さんは何となくわかってきて、いつも勝手に「今日もお疲れ様です。頑張りましょうね。」と心の中で声をかけています。私は待ってるだけなのでつい周りに目がいきますが、治療を受けるパパは全然わかってないと思います。滞在時間も治療を合わせて10分ほどなので。最近見なく
2024.3.9娘の高校受験が無事に終わったこともあり、昨日の夜に子供達にパパの病気のことを伝えました。伝える前は緊張と恐怖でパパも私も躊躇いましたが、それでも伝えることを決めたのは私達。病気について、医師から告げられた余命、これからの治療、今から出る症状。全て伝えました。中3の娘、中1の息子、小3の息子。当然受け止めきれることはなく泣きじゃくりました。こんなに泣いてるのは赤ちゃんの時ですらなかったように思います。もちろん、パパは生きるよ、絶対に病気に負けない。そう子供たちに言い
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います待合室の窓の景色は朝から夕方になり夜になった22時半を過ぎてやっと手術室に呼ばれたと手術室に行くパパが待合室を通る少し待機という事で手術室に行くまでの間暫く待合
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思いますセカンドオピニオンは自分で勝手にできないと判断していた進行が速すぎたこと標準治療が始まっていることいろいろな理由を考えてそして何よりも治療をしてくださっている
2024.3.10パパの頭(脳幹)に腫瘍(グリオーマ.神経膠腫)があるのがわかって5日目。目眩を自覚してもうすぐ1ヶ月。症状に変化はなく、新たな症状もなし。うまく言葉には出来ませんが、今は次から次へといろんな感情が出てきています。否定、怒り、悲しみ、絶望、恐怖、どれも今まで生きた中で1番強い負の感情です。だけど、今隣にいるパパは立ち上がった時に目眩はあるものの、それ以外は普通で、だから泣いて暗くばっかりいられなくて、それじゃ時間はもったいなくて。ただ、どこかでこんな状況で笑っ
年末にメンタルやられ気味の私のせいで延期にした親友との忘年会を何ともなかったお祝いで気を取り直して新年会をやることにしました。親友のお気に入りの寿司屋に予約して、久しぶりに下界で飲むしルンルンで駅まで向かいました。。新幹線の時間ギリギリで少し小走りしようと思ったその時、あれ?走れない!なにこれ?ってなったんです。それからその日と翌日なんだか左足が上がりにくいなーなんて思って歩いてて、後々あの時なんか足引きずってたよね。と親友に言われました。何か変だなと思いつつもジムではスクワットもできるし
す2.17最初にみてもらった首専門の先生に、紹介状もっていったら、神経内科の診断みて圧迫による神経障害でこんなのみたことないけどねっていわれたので、「じゃあなんですかね?」と聞いたら何故かめちゃくちゃ高圧的に「わかんない!」と言い切られてしまいました。腓骨神経麻痺も痺れがないのはおかしいと言うので「じゃあこれなんですかね?」「わからない!」とキレられ、リハビリやってってと追い出されました。私最後に聞いたんです。「脳ってことないですよね?」そしたら、「脳だったらわかるよ!僕も神経内科の先
2024.4.1放射線5日目計9Gyテモゾロミド内服4日目放射線宿酔は今日もやっぱり続いていて倦怠感と疲労感が強く、先週と同じく午前中に治療を行って午後はずっと寝ていて夕方過ぎに起きれるというパターンになりそうです。食欲もなく、りんごやゼリー、スープや味噌汁を食べています。水分はとれていますが、食べるのが大好きだったパパが食欲がないのは心配になります。食事に関してはいつものご飯を見直して癌に効果のあるものへの変更を少しづつ始めているのですが、パパの食欲を見ながらという感
はじめまして、ダイスケと申します。悪性(グレード4)の脳腫瘍(神経膠腫)の初期治療、放射線と抗がん剤が丁度全日程2023年12月22日〜2月7日のほぼ半分終わったので、日記でもつけてみようと思いブログはじめてみることにしました。1人で悶々としていてもいけないので何かしらアウトプットしたくなりました。今日は朝3時30分に、目が覚めて4時30分までうたた寝。スマートウォッチの睡眠分析だと8時間は寝れてるらしい。金曜日頃から少し気持ち悪さが出ていたが、今日はそんなに酷く無い。朝起きて、い
2023年11月20日リハビリ開始目標設定をまずは行う。外で歩ける、ランニング出来るようになる。イチ(長男7)とコウ(次男5)を追いかけまわせる様に。一緒に遊べるように。運転出来るようになる。週末、温泉、動物園、水族館等に行ける。炊事、掃除出来るようになる。仕事復帰。もちろん、緊急度は低いが、サイクリングも。等等歩き方を教わる。左手の自由が利き始めていて、蝶々結びが出来るようになった。朝、痛み止めを飲み、食欲が戻ってきた。全部食べれた。間違い探しや暗算もしたが
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思いますシャント手術翌日食事が取れるようになっていると電話で確認看護師が電話口にパパを出してくださった私の話に「うん。」といった返事はあるけどこちらの言っている事が伝わっている
今回は息子が生まれた時からの話です。お腹にいた頃から小さめだねと言われていた息子。正産期に生まれたのに2500g以下の低体重出生児となりました。胎盤が小さめと助産師さんが言っていましたが、原因はわかりません。その後の経過は問題なく無事に一緒に退院することができました。母乳がなかなか出なくてミルク育児だったのですが、息子はなかなか体重が増えずずーっと成長曲線から外れたままでした。予防接種のためにクリニックへ行くと「うわー細い腕だねぇ」とお医者さんに言われる始末…保健師
夕方のお菓子問題の後私は気持ちを切り替えて夕飯の支度をした。娘は、そのままお友達のおうちにお泊りする事になった。はぁ…夫と2人で食事か…憂鬱になる。ダイニングで向かい合うと嫌なので斜め向かいに座って食べる。それでも話することもないので私はテレビ見たり新聞読んだりしながら食べた。夫も、私に話かける事もなく黙ってテレビ観て食べた。何事もなく食べ終わり、片付けた。夫は1階のリビングにて介護ベッドで寝るので私はさっさと2階に行く為に、歯磨きをします。1日型のリハビ
膠芽腫(グレード4)という難治性の病。少しでも生きるために出来ることのカードを持っておくことが大事だと思っています。主治医の先生とも少し話して、良い事だと言って貰えました。今、気になっているのは自家性ワクチンと、ウィルス療法。自家性ワクチンは自身の腫瘍からワクチンを作り、再発リスクを下げる方法。長野県内でも出来る所(医療法人LAGOMライフクリニック蓼科)があるようです。自家がんワクチン療法は、あなた専用の免疫療法です|セルメディシン株式会社自家がんワクチン療法は、あなた専用の免