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丘の上の下柚木(しもゆぎ)御嶽神社から、永林寺薬師堂へ下りてきました。由木(ゆぎ)城があった永林寺とは少し離れた場所にある薬師堂。野猿街道の近くに建てられています。障子が締め切られ、中の様子を窺い知ることは出来ません。薬師堂の周囲には、近隣から集められたであろう石像が並べられています。こちらには石祠や庚申塔もあります。庚申塔は青面金剛の顔が潰れており、かなり風化が進んでいます。三猿は黴だらけです。石が脆いのか、亀裂も見られます。後100年経ったら、判別可能
大寳神社近江国坂田郡滋賀県米原市多和田1557(道路向かいにP有)■旧社格村社■祭神建速須佐之男命「伊吹山」を源流とする「天野川」の中流域の丘陵中腹に鎮座する社。背後の丘陵は標高300mほどの「宮山」と称され、神奈備山であったように思われます。◎社名は大宝年間の勧請によるものとされます。明治維新までは大宝天王社と称されていたとか。神仏分離令により祭神替えがなされたものかと。◎創建由緒については、どうやら当地に秦氏が進出したようで蚕糸紡織を伝えたとされています。往古より真綿の特
御寺泉涌寺の続きです時間が掛かりそうな御座所や庭園はショートカットしましたが、境内をふらふら泉涌水屋形泉涌寺の寺号の由来となった清泉を覆う屋形で、寛文8年(1668年)再建のもの清泉は今も涌き続けています清少納言歌碑清少納言歌碑と隣には供養塔みたいなものが建っています清少納言歌碑夜をこめて鳥のそら音ははるかとも、よに逢坂の関はゆるさじ清少納言は、一条天皇の中宮定子に仕えました晩年は定子が眠る鳥辺近くの東山月輪に隠棲して、余生をおくったそうです経蔵昭和12年の工事に宮内庁