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随分前に、我が子が伊豆へ行ったお土産にと、買ってきてくれたお守りです。ずっと、パソコンの近くに置いてあったのですが、ふと、目が合い袋から取り出し握ってみましたら、言葉が降りてきました。●4/6石室神社の塩守りの言葉振り返れば、いつのことか。この岬にいたのは、はるか昔。振り返れば、遠い昔。この土地に過去にあったことを振り返れば、今まで、心の奥底で燃えたとき。振り返れば…。(どなたですか?)恥を忍び、生き延びたことで、過去の過ちを…石廊崎の神の導きが、今もこの土地
↓こちらの続きになります。『開け未来!生きる者を導き給え!●3/3靖国神社その2』靖国神社の続きの言葉をお伝えします。こちらの続きです。『なんだ!?それは戦争を仕掛けられているぞ!●3/3靖国神社』靖国神社の言葉をお送りします。…ameblo.jp●3/7靖国神社のお札の言葉いよいよだな。これから戦いが始まる。日本人の心意気を見せてやれ!(見せてやりたいですよ!日本は世界政府に乗っ取られているんです。法律なんてあってないようなものです。このさき
YouTube『神の数字:聖書のゲマトリアの脅威4』久保有政・解説(2020年4月22日公開)イクスース•久保有政氏(聖書解説者)の動画を一部、文字起こししてみました。(イクスースというのは動画に出てきますが「魚」🐟という意味です。)聖書の言葉とゲマトリアで表される数字を主に文字起こししています。この動画を見ると、聖書って本当に神の御業で書かれていて人間業ではないなと思います。聖書の数字と言えば、三位一体の3、十字架の10、十二使徒の12、7、144、666など色々思い浮かび
JWのお手紙には、‟コロナと終わりの日”の文字が必ずと言っていいほどセット…抱き合わせになって書かれてある姉妹もわかってるでしょ終わりの日は近いわよ…ますます終わりが近付いたから、帰っておいで〜と言う事なんでしょうかね?ちょっと待て…もう、それを信じられるわけないじゃん。間近に迫っているそう初めて聞いてあれから何年たってると思ってます?そして…この世はあと数年しかもたない…って司会者は言ってたわなのに…あれから…数十年経ってるのよどーーーゆーーーこと
アフリカの宣教師が日本に来られた時の証しを紹介します。直接聞いた証ではありませんが、とても励まされました。聖書の中に「山をも動かす信仰」とあります。そして、マルコ11:23でだれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。というみ言葉がありますが、これを心から100%信じて、疑わずに、そうですと言える方がどれだけいるでしょうか?自分に聞いてみてください(´艸`*)神様に
教祖のお出直し(昇天)が明治20年2月18日(旧暦正月26日)。本席定めは、明治20年3月25日(陰暦3月1日)。この1か月余りは教祖の死から、次世代の天啓者となる本席様が啓示者として定まるまでの大変に重要な過渡期であった。本席となる飯降伊蔵の奇怪な病変があり、飯降家の家族の危機、そして度重なる刻限話が続いた。それが、「本席定めへの前夜」シリーズのテーマである。これら刻限話は、神一条のお道の後継の在り方に重要な示唆を与えていることは間違いなく、何が説かれているのかを考察したい。本節では、
現在の天理教の教団において、「機械」という概念は確立していない。むしろ異端的な概念として忌避されているかもしれないが、続く天啓継承の道、教祖存命の理がご本席様以降も続ているとする伝統の立場から、機械とは何かということについて、ここで整理したく存じます。機械(machine)とは近代的な産業革命以降に誕生した、例えばトタヨ式G型のように驚くべき性能をほこる織機などが想定される。しかし、神様の使う「機械」という概念は、神様が使う人間の最高形態を指示している。神が使う道具という言い方はキリスト教
、本席様は75歳で明治40年6月9日に昇天される。その出直す直前の「百日さしづ」の主眼は、本席様からの最後の神のメッセージであり、重要な「纏め」を繰り返し啓示されたものであった。「百日さしづ」とは「十年掛かる事を百日足らずして纏める」(明治30年6月5日)のご啓示から命名されたものである。「言葉、これが第一道の宝や」というご発言もあり、神の言葉(=詞)の大切さが同日に説かれていた。百日足らずで述べる中でも存命の教祖の道の後継問題をいかにお屋敷の重役たち(教長はじめ本部員たち)に治めさせるかとい
Ὃνγὰρἀπέστειλενὁθεός,τὰῥήματατοῦθεοῦλαλεῖ·οὐγὰρἐκμέτρουδίδωσινὁθεὸςτὸπνεῦμα.神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。(新改訳)神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が“霊”を限りなくお与えになるからである。(新共同訳)直訳神が遣わした者は確かに神の言葉を話す。神が量りによらずに(…すなわち、無限に)霊を与え