ブログ記事225件
大正時代から昭和の初めごろ、国内には様々なビスク人形や磁器人形が作られていたようです。その中には、豪華で明るく色鮮やかな衣装をまとったビスクドールが多く見られます。サイズや造りの違いはまちまちで、総称してサクラビスクと呼ばれています。今もその愛らしさから女性を中心に多くのファンがいるようです。時間の経過により衣装が劣化しているものも多く見られますが、裁縫の得意な方は豪華な衣装を手作りしていて新しく綺麗によみがえった姿も多く、大切にされているようです。衣装作りもサクラビスクに魅せられた女性フ
数年前、昭和34年に刊行された【黒い煙と白い河】を読みました。瀬戸の輸出フィギュリンの最高峰と言われる《丸山陶器》の初代社長《山城柳平》氏の伝記です。10代の頃より戦前の大衆人形に興味を持つ私は、ぜひ読んでみたい書籍でした。大正時代から戦前にかけて作られていた磁器製の大衆人形や射的人形と呼ばれる仲間は、かなり多くが瀬戸で作られていたようです。そこで瀬戸の玩具人形の歴史を知りたいと思いこの本を手に取りました。歴史を学ぶ教科書として勉強させていただきましたが、内容は読み物としても面白く、
瀬戸における、陶磁器の北米向けの輸出産業は大正時代から始まります。オールビスク人形やペニードールと呼ばれる可愛い人形が数多く輸出されていました。昭和10年頃からは、ドレスデン人形やハンメル人形も輸出が始まります。第二次世界大戦で一時輸出は止まりますが、戦後のアメリカ統治下にはオキュパイドジャパンと書かれた製品が大量に海を渡りました。その後も繁栄をつづけ、1960年代にはその技術が世界に知られるほどに成長しました。ところが、1985年のプラザ合意により日本の輸出産業は打撃をこうむる事に
前回まで二回に亘って、昭和58年頃に伊豆の射的場で貰ってきた射的人形をご紹介しました。それは点数用の磁器人形で、射的場の備品なので景品として貰うものではありませんでした。その姿は戦前の射的人形を踏襲しているようで、大正時代から昭和初期あたりに作られていた射的人形と同じ姿が見られます。今回はそのあたりを比較してみたいと思います。言うなれば、射的人形の今昔物語といったところでしょうか。戦前の射的人形は、焼成後に一体一体丁寧な絵付けが施されています。今ではとても考えられない事で、多くの玩具
こんにちは!リヤドロ|Lladro通販店舗REALDOLLS店主です!昨日は、西日本豪雨の被害にあった広島にてボランティア活動をしてきました。返信が遅くなってしまい、不安にさせてしまったお客様申し訳ありませんでした。大分落ち着いたと言っても、いまだに土砂が残っている地域や床上まで土砂が流れ込んてしまった家を見るのは辛かったです。1日も早い復興をお祈りしておりますm(__)mさて、今回はよくあるご質問の一つ、「リヤドロ