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え……待って。今、4時半?え?嘘でしょ?朝じゃんおもしろい漫画見つけて読んでたらこんな時間なんですけどwwwえーーでも今幸せ胸いっぱいだから、その漫画の感想書かせてあ。TL漫画なので、苦手な方はここでストップね?え?エロありの漫画?大好きですけど??という猛者だけ続き読んでね朝っぱらからどんな記事読ませる気だその漫画は、こちらっ!!!皇帝と寵姫は仲がお悪い(ミッシィコミックスYLCDXCollection)[須貝あや]楽天市場737円${EVENT_LA
終わってしましました「慶余年2~麒麟児、挑む~」チャンネル銀河にて視聴今回はちゃんとした日本語で見たせいか范閑の心情やその他の登場人物の思惑などもわかりやすかったですチャンネル銀河では「慶余年~麒麟児、現る~」から続けて放送してくれたので忘れていた前半部分もちゃんと記憶をつなげたので流れがよくわかりました。背景に慶帝の天下統一の思惑や皇位継承争いがありそこに現代にも通じる腐敗官僚たちの存在。ワルい代表の戴公公いや~ほんといそうだわ、こんな人
大型連休、今年は5連休ですね。G.W.はもう20年以上旅に出ていません。音楽祭を優先しちゃうため。まぁ、今は介護の関係で泊まりを伴うお出かけが出来ないから旅に出たくても出れないですが…ということで、今年も今日から3日間、超強硬時程を組んで、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭に参加です。ラ・フォル・ジュルネ2026〜1今年の一番の目的は、ビゼーを聴くこと!そのビゼーの前に…今日最初に選んだ公演は、121:ベートーヴェンの豪壮なる覇気と憧れ。若き力で大河の如く公式の紹介文は<悠久
=思わず「ぷー」と吹き出してしまった記事=清朝皇帝と初夜を迎える側室、全裸で「すまき」にされて運ばれていた?(お借りしました)草の実堂さんの記事※そういえば一度だけどこかでシーン見たような気が。。。すまきのように布団でくるまれる妃、ドラマで描かれた衝撃の初夜シーン中国の宮廷ドラマの金字塔となった『宮廷の諍い女』(原題『甄嬛伝』)には、視聴者の記憶に強烈な印象を残す場面がある。皇帝との初夜を迎える側室が、衣を脱がされ全裸のまま布団にくるまれ、まるで「すまき」のように
唐王朝が907年に滅び、五代十国となり、それから約50年後、やっと統一された北宋の3代目皇帝真宗の二度目の皇后です。本名は不明。民間の伝承や某ドラマでは劉娥といわれてますが。。。ただ彼女は平民出身ってことで生まれ育ちが詳しいことが分かってません。公式記録も残してなかった?のかもしれませんが。史実の彼女はこうです。もともと蜀の地域の出身で、職人だった同郷の夫と暮らしてたけど、たまたま皇子時代の真宗に一目ぼれされ、側室に迎えられてたけど、一度は彼の乳母の密告で父親の皇帝の怒りを買い、宮中
清朝6代皇帝乾隆帝の実母です。5代皇帝雍正帝の側室。一応史実では満洲人です。満洲の名門鈕祜祿氏出身。本名は不明。父親は四品の典儀といって名誉職ではあるだけで、重臣ではなかったのです。某ドラマでは甄嬛といって彼女自身漢民族の設定です。どうやらドラマの世界では乾隆帝には実母がほかにいて(身分低い女官で紫禁城じゃなく、別邸?の円明園や熱河行宮にお勤めの李氏とか、銭氏とか)、彼女はその養母の設定となってるのがよく見受けられますが。史実ではちゃんと実母子です汗そして14歳くらいの時に雍親王(第四
ネロは、ローマ史上もっとも評判の悪い皇帝として知られている。だがその評判は、同時代のローマ人が作ったものではない。決定的に歪められたのは、後世、とりわけキリスト教的記憶である。即位当初のネロは、暴君ではなかった。重税を嫌い、元老院との協調を重視し、民衆からの人気も高かった。セネカやブッルスに支えられた初期政権は、むしろ穏健で、安定していたとすら言える。彼が次第に異質な皇帝になっていくのは、権力を得たからではない。孤立したからだ。母アグリッピナ、妻オクタウィア、側近たち。「止める
清朝5代目雍正帝皇后です。満州貴族の名門烏拉那拉氏出身の女性です。本名は例によって不明。ドラマでは宜修という名前で登場。某ドラマでは嫻妃の叔母という設定ですが、おそらくこれは創作の世界でしょう。そして12歳くらいの時にまだ即位前の雍正帝(4皇子胤禛)に嫁いで嫡福音(正室)となり、18歳くらいの時に第一皇子弘暉を出産しますが8歳の時に残念ながら病死します。それ以来子宝には恵まれてません。それから20年くらいの年月が過ぎ4代康熙帝が崩御され、夫が即位。彼女は皇后になります。でも
中国で初めて皇帝になったのは秦の始皇帝(しんしこうてい)で、紀元前221年に中国統一を成し遂げました。また、漢の初代皇帝は劉邦(りゅうほう)で、紀元前202年に中国を統一しました。【始皇帝】姓は嬴(えい)、名は政(せい)13歳の若さで秦の第6代王に即位諸侯が名乗っていた「王」に代わる尊称として「皇帝」の称号を考案自らを「始皇帝」と称し、中央集権・法治主義の国づくりを推し進めた重臣の李斯(りし)とともに大きな政治改革を実行した【劉邦】沛の出身で、廟号は高祖秦末に挙兵
清朝5代目皇帝雍正帝の側室だった人です。苗字は年氏。本名は不明。(某ドラマでは世蘭とかいろいろと呼ばれてた。もちろん創作です。)普通なら妃の封号(たいてい中国の古代の書物の漢詩?文章?から一文字とる。皇帝が決める。嫺妃とか、純妃とか。)がない限りは苗字をとって年妃と呼ばれるけど。某ドラマでは華妃と呼ばれてます。これも史実ではないので、もちろん創作です。まあいろいろややこしいことを書いてしまって混乱したかもしれませんが、史実では年妃で本名は不明なのは確かです。実家は漢民族(漢軍鑲黄旗人
わたしの想い【皇帝編】少し前に、男性のお客さまの仕事運を占わせていただきました。そのときに出たのが、本記事で解説する【皇帝】のカード(しかも正位置で☆)うんうん、納得!という印象の方でしたので、喜ばれましたよ【皇帝】は男性指導者ですが、実際の鑑定ではもちろん性別は関係ありません。現代における仕事は、男女ともに、ライフスタイルに大きく関わりますからね。正位置で出たならば素直に喜んで良いでしょうし、逆位置でも、学びのポイントをたくさん示してくれますタ
乾隆帝の側室の一人(半ば側室シリーズになってますが汗)です。女官から側室第一位の皇貴妃にまで上り詰めた人です。ただそれは彼女の存命中で、死後息子の嘉慶帝が即位したことによって皇后の位を贈ったのです。本名は当時の女性にありがちで不明。某ドラマで瓔珞、もしくは嬿婉という名前(こちらのほうは苗字は衛氏となってる)彼女の実家はもともとはあまり身分の高くない漢人の包衣(ボーイ)という満州貴族(正黄族という八旗の第一位)の使用人にすぎませんでした。父親は魏清泰。内務府(後宮の事務をつかさどる組織)の役
清朝6代皇帝乾隆帝と富察皇后(孝賢純皇后)の間に生まれた皇女(第三公主)です。正妻の娘とあってか、なかなかプライド高い皇女だったようですね。某ドラマでは璟瑟とか呼ばれてたのです。オリジナルの名前ですけどね。でも史実では固倫和敬公主と呼ばれてます。固倫とは正室の生んだ皇女につけられる称号。ちなみに側室の生んだ皇女は和碩(例えば乾隆帝と純妃の娘和碩和嘉公主第四公主。とか、ちなみにこの娘の旦那は和敬公主の母富察皇后弟傅恒の息子福長安。)と呼ばれます。いかにも皇帝と皇后の唯一の皇女として
お知らせページはこちら分割して5クール…。今までのペースは、1クール小説版で1.5冊。ってことは第4期は、(個人的な希望込み)小説版の10巻から16巻の7冊で、+α17巻※の内容を織り交ぜて、構成するのではないかと!※書籍17巻は本編の物語は一休みしてて、ミョルマイルとか、青髪悪魔のレインとか、その他、まだアニメ未登場の方たちの、打ち明け話の短編集なのです。目次4期1,2クールの内容予想:ネタバレしかありません第1クールはマリアベルとの対決第2クール
6年間の家庭内別居中に出会った九星氣学その後エネルギー論とも出会いあの6年間は何だったんだ!と言うくらい人生が変わった私プロフィールは⇒こちら数字の「4」「5」どんな意味があると思う?『吉凶動より生ず』のブログを書いてるとき↓↓↓『☆氣学で好きな言葉♡な〜んだ!?(笑)』6年間の家庭内別居中に出会った九星氣学その後エネルギー論とも出会いあの6年間は何だったんだ!と言うくらい人生が変わった私プロフィールは⇒こちら『氣学で好きな言…ameblo.jpある先生から聞いた話
正徳帝(朱厚照)農暦1491年9月24日申刻グレゴリオ暦換算1491年10月26日申刻年辛亥月戊戌日丁酉時戊申空亡:寅卯、辰巳10丁酉、20丙申、30乙未、40甲午、50癸巳、60壬辰、70辛卯、80庚寅、90己丑・本人が、世の中の財を手にすること、神秘的なものに傾倒することが命式に出ている。丁酉乙丑1505年父・弘治帝の崩御により即位丁酉乙丑1505年政務を省みずチベット仏教傾倒丁酉丙寅1506年宦官劉瑾が権力掌握賄賂政治横行丙申庚午1510年劉瑾が
(7月27日・ミューザ川崎シンフォニーホール)今日のフェスタサマーミューザKAWASAKI2025で高関健東京シティ・フィルにより、マーラー「交響曲第1番《巨人》」ラインホルト・クービックによる2019年改訂版が日本初演された。プレトークの高関健の話は以下の通り。()内は私の補足です。(マーラーが最初に書いた)5楽章の交響詩と(現行の)「交響曲第1番《巨人》」は同じ作品。第2楽章「花の章」は後から撤回した。一番早い時期の作曲で未成熟だったとマーラーが気にして4楽章にしたと思われる。非
『命式研究61_清初代皇帝努爾哈赤』努爾哈赤(ヌルハチ、後金→清)農暦1559年4月8日丑刻グレゴリオ暦換算1559年5月14日丑刻年己未月己巳日己酉時乙丑空亡:子丑、寅卯7戊辰、17丁…ameblo.jp『命式研究62_清2代目皇帝皇太極』皇太極(ホンタイジ)農暦1592年10月25日申刻グレゴリオ暦換算1592年11月28日申刻年壬辰月辛亥日辛亥時丙申空亡:午未、寅卯4壬子、14癸丑、…ameblo.jp『命式研究63_清3代目皇帝順治帝』順治帝農暦1638年
5/3(日祝)に演奏予定のベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の曲目解説を書いてみました♪「皇帝」ベートーヴェンの協奏曲のなかでも特別「交響的」な作品で、ベートーヴェンの全作品のなかでもとりわけ力強い作品のひとつです。交響曲第5番、6番を完成した翌年の1809年に作曲されました。この頃のベートーヴェンを取りまく環境は非常に厳しいもので、1809年にはナポレオン軍のウィーン侵攻が5月にあり、2か月間フランス軍の占領が続きましたベートーヴェンの支援者のルドルフ大公やウィーンの皇族一族
康熙帝農暦1654年3月18日巳刻グレゴリオ暦換算1654年5月4日巳刻年甲午月戊辰日戊申時丁巳空亡:辰巳、寅卯1己巳、11庚午、21辛未、31壬申、41癸酉、51甲戌、61乙亥、71丙子、81丁丑、91戊寅・本人の関心が世の中の権力と知的学問の両方に向いており、特に人生の後半では知的学問(神秘的探究も含む)への寄与が大きいことが命式に出ている・もしかすると、淵海子平、滴天髄、三命通会、神峰通考等の書籍を見て八字の探究もしていたかもしれないと考えるとロマンがありますね
親愛なるみなさまへ。私は1993年の3月28日に東京に上京してきて今年で丸33年になりました。現在、34年目の東京暮らしになります。しかし、その長きにわたる東京暮らしについにピリオドを打たねばならなくなりました。先月あたりから直接会った方には言っていますが年内で東京暮らしを畳み、実家のある大分県に「引き上げ」ることを決めました。理由は「父親が病に倒れた」からです。姉が隣町に住んでいてサポートをしてくれてはいますが嫁ぎ先も色々大変なため限界があるのです。また、仕事の方も扱いが酷くか