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来月7月で癌告知から1年、再来月8月で両卵巣と子宮の全摘出手術から1年になるのに『あ、そういえば自分で、がんサバイバーなんたよね〜』と、ゆる〜く過ごしてます。訪看スタッフさんには、癌告知と手術と抗がん剤治療と一時的だけど維持療法と考える余裕がないくらいの1年だったからじゃない?と言われますが、消化器内科で腹水と病気の影を伝えられても腫瘍かぁと平気だったし、腹水の検査で悪性腫瘍と言われても平気だったし、ステージ4と言われても『放ったらかしすぎたか』くらいにしか思わないし。
■2023/11/5(日)夫の弟は片道1時間半〜2時間かけて、面会に来てくれた。夫は地方出身で実家には18歳迄しか住んでおらず、弟は結婚後も実家近くに住んでいて、地域の集まりにも父親と参加していて、実質跡取り。夫は、私に『なんで弟に連絡したの?(大げさだよ)』と言いながらも、2人兄弟の弟と久しぶり再会の時間を楽しく過ごしたようでした。私から夫へは『緊急連絡先2人必要な為、連絡したよ』と言って、病気が深刻だから連絡したことは黙っていた。弟は、入院したこと両親に伝えてよいか?と本人に確認
午前中はお互い、いつも通りにもくもくと仕事をこなし、午後から、検査結果を聞きにクリニックへ。ここまで本当に長かった。能天気にマンモとエコーを受けてから1ヶ月。ざわめく心と、ぞわぞわする脳みそ。こんなに長く感じる1ヶ月は初めてな気がする。今回は初めから2人揃って診察室へ入れてもらった。まずはYちゃん。『難しい判定だったみたいだけど、陰性だったよ。大丈夫。』と先生。『本当ですか!良かったーー泣』(←私)の展開に先生、目が丸くなっていたらしい。自分が癌告知されても
2019年10月15日組織診をしてから、ずっと結果が気になって仕方がありませんでした。家族は、あまり悪い事ばかり考えないように、と慰めともとれるアドバイスを投げかけてくれましたが、この胸のしこりは触れば触るほど悪いもののように感じられて、もうすっかり「乳がんです。」と告知されることをシュミレーションしては落ち込んでいました。結果を聞きにいくのも次男と一緒です。その日は朝からかなり緊張していました。病院に到着し、予約時間から遅れる事30分、ようやく名前を呼ばれて診察室に入
2023/9/30今年3月の振り返りの内容です。今の大学病院で本格的に治療を始める前に、癌告知されてすぐにセカンドオピニオンとして、膵臓がんの名医に相談に行った時に頂いた言葉です。「あなたに関わらず誰でも明日どうなるかわからない。でも人って病気だと言われた瞬間に、今生きてることのありがたみに気づくんだよ。本当は健康な時にそれに気づいて、毎日に感謝しなきゃいけないのにできないんだよね。毎日を大切にしながら10年生きてください。10年前なかった治療が今あるように、10年経つと必ず違う
2023年3月10日伊藤病院に検査結果を聞きに行きました。「嫌な予感」もあり、気になって、朝早くに行きましたが、それでも凄い人でした。診察室に入ってすぐにC先生「針を刺す検査で、乳頭癌が見つかりました。」自分「あ、そうですか」C先生「詳しくは外科が専門なので外科で説明しますので」自分「え?ここの何科ですか?」先生「内科です。」「内科的には橋下病です」あ、、、そうですか、色々聞きたい事はありましたが詳しくは外科で、と言われたので何も聞かず、退室。癌である
2019.5.20私、子宮体癌術後経過観察中。って身です。なんかまだ術後3カ月しか経ってないのに手術の事やら癌だったって事を忘れてる時がある。癌告知された時だって笑ってしまった私。子宮を全摘出しなきゃならん。って言われた時は、子供が産めなくなるけどいいのか?でも体に癌があるのが怖い。とちょっと悩んだけどすんなり手術の覚悟出来ちゃったし。しかも、あまり調べず、質問も大してせず手術に挑んだ。今思えば、かなりの変人。今は時々、生理痛のような痛みがあるのと臍からの滲
もしまだ、癌の判定を受けてない状態の方でこのブログを目にした方がいたら・・・さらーっと読んでみて下さい。保険会社によって違うかもしれないのでご参考までに。これは私のしくじった体験。恥を晒しますが【し〇じり先生、私みたいになるなー!】ガン保険編です。私がガン保険に2つ入っています。一つは20代の頃。人との付き合いで断れず、言われるがままに用紙に記入。もう一つは数年前、上に書いた保険を今の医療に合うよう、補う形で入りました。そんなガン保険。使わずにすめば良かったのですが
(先月の乳がん発覚から、少し遡って書いています。)*****************去年からずっと気になっていた異変。私はリリナージュ®という、セルフマッサージをずっとしているので毎日ルクルム(ボディクリーム)をぬり、身体を触っている。なので異変にもとっくに気づいていたんだよね。それなのに、忙しいのを言い訳にずっと後回しにしていた。だけど、ほんとうは怖かった。私の従妹の母親(私の叔母)が30代で乳がんになり50代で亡くなっている。
2023/11/6(月)本人へ膵臓がん告知の日、主治医は急遽病欠になってしまいました。主治医の他にサブ担当医がいて、そのサブ担当医から朝方、本人に少し深刻な病状であることを、それとなく伝えてもらえたようです。■午後15時頃、私と本人と(主治医が病欠のため)サブ担当医と、その上司の医師の合計4名で別室にて話をしました。・検査結果から現状報告◇膵臓がん告知・今後の治療方針◇「十二指腸ステント」又は「胃と腸のバイパス手術」の後に、抗がん剤治療。◇カンファレンスの結果「胃と腸のバ
小脳腫瘍摘出手術(脳芽腫)非浸潤性乳管癌告知全摘、一次再建ティッシュエキスパンダー500cc病理結果非浸潤リンパ転移無スムースタイプアラガン社インプラント入れ替え20代で若年乳がんになるという事について治療についての記録や、その時感じた事を綴ります。自分の日記替わりに、また経験を通して誰かにとっての何かのきっかけになればと思います。みなさんいかがお過ごしですか?私はテレワークが始まったので通勤のストレスが軽減されています。仕事は相変わらずですが…コロナ以前に、身体に
2022年11月2日、細胞診の結果を聞きに行った。🧑⚕️子宮体癌です。え?癌?本当に?ガーン🧑⚕️それ言われたの、本日、二人目ですね。(え?まだ午前早い時間なのに二人目なんだ。)←ソコが問題じゃないぞ癌?うちは癌家系じゃないし、私は今、ジムでパーソナルトレーニングで筋トレするくらい元気なんですけど。🧑⚕️……。今日お呼びしたのは、検査の結果、癌の顔つきが悪いものであることがわかり、早く治療を始めたかったからなんです。(顔つきが悪い?癌って顔があるの?)どんな顔つきなんですか
こんにちはぶひ子です只今ゼロックス療法2コース目の点滴中。血管痛があるから、器械で温めながら点滴流してくれてます。ガンよ~私の体からいなくなれ~今回はガン宣告を受けたときのことをまとめます。小腸の腫瘍摘出手術を受け、順調に回復していました。退院の日程も早まり、腫瘍の検査結果は退院してまた聞きにくる予定でした。何気なく先生に「結果まだわからないですよね~」と聞いていたら、「中間報告がもらえるからお伝えしますね~」と先生。家族を呼んでください、とも言われず。あぁ良性だなこり
術後3年4ヵ月9月に45歳の誕生日を迎えました体を良くするためのセルフケアも日々継続しています。進行癌は甘くないと肝に銘じているので貪欲に人生を楽しむ姿勢でいます❣️台湾旅行夏休みの家族旅行で台湾に行ってきました✈️連日2万歩近く歩き回り👠食べまくり🍨の盛りだくさんな5日間でした🇹🇼術後3年4ヵ月の近況9月7日の夕方に祖母が亡くなり😢翌日の朝に義父の病院を予定していたので付き添ったところ、なんと義父も胃がんが確定してしまい😢90歳と高齢のため手術や抗がん剤はせず
すでに癌告知を一人で受けたものの、検査の2週間後は結果説明の日で旦那さん同伴で病院へ行ったのです。主治医の女医先生は、ハニスケさんの癌は左乳房の小葉癌です!!と言いました。小葉癌は少し珍しい癌で、乳癌の約5%くらいらしい。大学病院で小葉癌を研究していた主治医の女医先生は、首を傾げていたのです🤔というのも、ハニスケさんの癌は進行が速く、珍しいんだよね…って小葉癌は普通、進行が遅い癌らしい。そうでしょう、そうでしょう
2020年8月乳がん確定ゆうの乳がんと乳房再建の記録2020年8月乳がん発覚2020年10月乳房全摘術2020年12月抗癌剤治療TC療法4クール2021年3月ホルモン療法開始2021年8月乳房再建術腹部皮弁法2021年3月傷の修正手術2021年8月乳頭再建術予定医師からの組織診結果説明癌確定の告知組織診の検査結果。検査から18日。さすがに緊張しながら診察を待った先生「こんにちは!検査の後大丈夫だった?」ゆう「何日か痛かったです
2023年6月14日(水)👨⚕️結果は夕方になるかも〜と言われていたので、通常スピードでお仕事スタート💻朝8時半、医事課へ外来受付へ受付後、外科外来へ看護師さんも医師ももちろんいないので、カルテの整理をしている助手さんへ受付票と診察券と自分のデスクの電話番号の書いた付箋を渡す。😄『検査結果聞くだけなんですけど、仕事してるので順番きたら電話ください』🙆♀️『あー〇〇さん(私)の結果、まだここにきてないわ〜午後かなぁ…連絡しますね〜』🤔そっかまだ来てないなら、イケおじの言う通り
大腸癌の治療に関してのブログを別の場所で書いましたが、忘備録として改めてこちらにも残したいと思います。まずは大腸癌が見つかった経緯から。2019年10月21日(月)会社の人間ドックを受ける。前回受診したのが、2018年5月19日なので1年と5か月ぶりとなります。今回は50歳の節目という事で、初めて大腸内視鏡検査をオプションに選びました。健康状態は全く問題なし。便潜血検査もずっと陰性。トイレも快調血便なんか出たこともありませんでした。なので簡単
僕の癌告知は鹿児島の病院でしたが、忘れる事が出来きない間違いなく人生で最悪の瞬間でした。(その後もそんな場面が何度か来ますが。。)「5年生存率10%以下、1年もたない可能性も有ります」多分それまでにも色々言われたんでしょうが、この言葉しか覚えていません。耳鼻科の女性医師から今の奥さん(結婚前)と一緒に告知を受けました。驚くほどあっさりです。この医師は人の感情を持ち合わせていないのか、と思いたくなるほどあっさり、普通に告知されました。更に告知後すぐ、放心状態の僕たちを置いて医師は、携帯電話
2020年8月組織診の結果ゆうの乳がんと乳房再建の記録2020年8月乳がん発覚2020年10月乳房全摘術2020年12月抗癌剤治療TC療法4クール2021年3月ホルモン療法開始2021年8月乳房再建術腹部皮弁法2021年3月傷の修正手術2021年8月乳頭再建術予定組織診の検査結果。検査から18日。さすがに緊張しながら診察を待った先生「こんにちは!検査の後大丈夫だった?」ゆう「何日か痛かったです」先生なんだかフランクだな。結果良か
3月14日。7時。朝からバタバタと血液検査とCT。先生「炎症反応高いし、虫垂腫れてるねー、じゃ、今日とっちゃおうね✂️」ということで、夕方からの手術が決定。ラパロ(腹腔鏡手術)でやることに。盲腸ってお下の毛をそるもんだと思ってたら、今は剃らないんですね笑ちょっと安心。ラパロは、またいつか話せたらいいけど、2年前に不妊治療の一環で、卵管水腫のため水腫抜くのに1回、その後また溜まるから結局卵管を取ることになって2回やったことあるから、だいたいの事はわかってるけどね、またお腹に傷が増
「正常ではありませんね」先生の一言から始まった診察。まだ事の重大さが理解出来ない私。今までの経験で私がそんな重大な病気になるなんてないないと、思っている間に診察スタート。触診で「やっぱり何かありますね」そしてそのままエコー検査「悪いものではないと思うのですが組織をとって検査しましょう」で、いきなり針生検。いやいや今からするの?針生検ってあのぶっとい針刺す検査ですよねちょっと心の準備がと思う間もなく滅菌シートらしきものをかけられ消毒されて。「局所麻酔しますね」と、チクっ
予約から2週間後、ようやく乳腺外科に行くことができました。午後半して(ちなみにフルタイムで働いています。)、住んでいる駅に近い乳腺外科クリニックへ。内科や整形外科など、色々な診療科がある医療モールで、いつ行っても賑わっています。問診票を受付に出して30分ほど待つと診察室に呼ばれました。担当医は若い女医さんでした。問診票を見ながら、症状についてお話しします。左胸の乳首のところにしこり半年前より大きくなった姉が乳腺繊維腺腫らしい乳首が凹んだこんなことを伝えました。
2021年1月に両側乳癌が見つかり、同3月にオペ→放射線治療となり、その後の経過観察も順調に来ていました。同じ病院で人間ドックも続けて来たこの4月、「右肺中葉に小結節影の所見」で要再検査に。右肺は右腋窩リンパ節転移していて放射線治療を胸骨にもした事から、スリガラス状の影はレギュラーだったのですが、上記は初めての所見。先週CTを撮り、本日検査結果を聞きに行って来ました。タイトルの通り問題無し、影が消えてたそうです。一時的に炎症を起こしていたかな?という感じみたい。はーーーーー
はじめまして乳がんの診断を受け、これから治療が始まります。自分が、乳がんかも…と思ってからたくさんの方のブログを読んで、とても助けられました。私の経験が、誰かのお役に立てば…と、ブログに綴ることにしました。いつか、元通り元気な私に戻れる日まで、少しずつ記録していきたいと思います。私が、乳がんかも…と思ったのは北斗晶さんのブログを読んだことがきっかけでした。北斗晶オフィシャルブログ【またね】と言わせてください。http://ameblo.jp/hokuto-akira/entry-12
おばんです🌃頻尿あゆむです😁眠れないので、なんとなくSNS見てたら…😲ほぉ~興味深いモノをオススメされましたわよっ(笑)~がん告知直後の心のケア・ヘルスリテラシー向上をサポート~※がん(大腸がん、胃がん)患者さんの治療や生活をサポートするツール「michiteku」少し覗いて見たら…参考になるかも❓❗と思いましたのでシェアしまーーーす👇michiteku|これからのがん治療や生活を一緒に考えるツールがんの告知を受けてから短い時間で治療の方針を決定しなければならない、仕事や
今更ですが自己紹介します現在46才で九州出身です旦那さんの仕事の関係で何度も引っ越しを経験して、5年前に関東に移住しました。1才年上の旦那さんと中学3年生の息子くんと5ヶ月のミニチュアダックスの女の子がいます。私はとても元気で明るい性格ですが、何故か病気がちで、今まで開腹手術1回、腹腔鏡手術は5回経験しています。20年前からパニック障害を患い、悪い時だけ薬を飲んでいました。10年前から緑内障です。一生点眼薬が必要になりました。10年前から蕁麻疹が出る様になりました。薬を飲まな
癌だとわかって一番辛かった事は、癌になった事より、大切な人が悲しむ姿を私が原因で作ってしまっていることだった。家族や友人が泣くこと、悲しんでくれている気持ちは伝わり、ものすごくありがたい気持ちが大きいのだが、悲しませてしまっていることも、苦しく辛かった父は、4年前肝胆管癌が原因で他界している。父が、以前癌を告知された時、父より先に私や家族が泣いてしまった事を思い出し、父に癌告知の時まで強い父を強いてしまっていたようで、あの時気が付がなかった事に、ものすごく後悔した。泣いても良い結果は出て
当たり前だけど癌なのにいつもと同じ生活。急に娘たちが良い子になるわけでもなく、主人が早く帰ってくるわけでも家事を手伝ってくれるわけでもなく汗。いつもと同じだけど、頭から「癌」が離れない。2018年1月下旬PET検査へ。安静室がまー寒いこと寒いこと。寝れやしない。昔、別の病院で受けたPETでは安静室にテレビがあったけど、今回はなし。テレビゆっくり見るの楽しみにしてたのにな。検査終了後はしばらくは放射能が体から出るので、2歳以下の子と妊婦さんには接触禁止。11時半からの予約の
私はキレッキレに冴えた義姉を病室に残して医師の部屋に彼女の病状を聞きに行った。若い女性医師と中年の男性医師が座っていて私は「どんな感じでしょう?」と聞くと.....「緊急にステントを入れておきましたので黄疸は引きました。肺と肝臓と骨盤に転移も認められているので残念ながら、数ヶ月の命です。今日、在宅緩和ケアシステムをアクティブにして在宅看護チームの医師と看護師に連絡をしておきました。とても優秀な医師がおりますので心配要りません。