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お久しぶりのブログ・・・だんなは断酒しています「お酒と自分はセット」と言ってたくらい辞める気はなかったのですがね・・・私がもう耐えられなくなり、実家に住んでる自分の方が子供を連れて出ようと考えていました。アパートを探しつつ、弁護士にも相談しつつ・・・でも、それでいいのか?居場所が見つかるのでは?お酒飲んでやってきたら???いつまでも逃げるしかないのかってやられるかやるかそこまで追い詰められていました。そんな時に、酔っぱらって、私の手が自分に当
I刑事に先導され、今朝同行室の建物に入ったルートとは真逆のルートで外に出ました。興奮状態であったため、ただ無心に刑事の後を付いていくだけでした。建物を出て駐車場の車に行く途中、「絶対に実刑だと思っていました。検事は全然いう事聞いてくれないし。」と私が刑事に言うと、「そうなの?でも、まだ終わってないよ」と返ってきました。この時私は、自分がいまどういう状況なのか把握できていませんでした。「ただ、釈放されただけ」という事しか分かっておらず、在宅事件に切り替わった
先週知人の知り合いの人を質屋まで送って行って欲しいと頼まれた。彼とは数回顔を合わした事があるだけだったけど同い年という事もあって仲が良かった。質屋に到着すると金、プラチナ、シルバーと換金していった。その後時計を買い取ってもらう為他の質屋に。結構な時間が立つにもかかわらず査定結果が出ない。すると彼が急にそわそわし出して「ちょっと下に行って来る。○○ちゃん待ってて」と言って来たので、「分かった」と言った。少しすると私服、制服警官がなだれ込んで来てたちまち囲まれてしまった。「ちょっと良
検察は自分が被疑者を取り調べたいときは、自分が勤務している地検の建物に被疑者を呼び出します。一人の検察官は一日に何人もの被疑者を取り調べを行う必要があり、自分が担当している事件でその日取り調べる被疑者をまとめて呼び出して、実際に取り調べを行う時間になるまで、待機させます。地検の中にある、被告人・被疑者を閉じ込めて待機させる部屋は、同行室と呼ばれています。ちなみに、拘置所に勾留されている人が裁判所で待機する場所は「仮監」と呼ばれているそうです。推定無罪で、判決が出るまでは犯罪
逮捕された私は、留置場に収容されました。留置場とは、逮捕された人が裁判を待つ間に収容される場所で、刑務所とは異なり、短期間の収容が主な目的です。留置場には、私のように万引きなどの軽犯罪を犯した人から、殺人などの重罪を犯した人まで、様々な犯罪者が収容されています。また、容疑者には無罪推定の原則があるため、まだ裁判が行われていない人も収容されています。留置場の中には、精神的に不安定な人やアルコール依存症の人、薬物中毒の人などもいます。私の収容所には、同じように軽犯罪を犯した人から、刃物で
事件の捜査には、被疑者の身柄を拘束(勾留)して行うものと、勾留しないで行う物の2通りがあります。被疑者が住所不定の場合や、証拠隠滅・逃亡の可能性が高い場合には、逮捕・勾留により身柄が拘束されます。ただしその場合は、逮捕後23日以内に取り調べを終わらせて、起訴するかどうか判断するという、捜査する側からすればシビアなタイムリミットがありますす。身柄拘束は被疑者にとって大きな人権問題、また社会で生活する上でのデメリットになるからだと思います。一方、逮捕・勾留せずに捜査を行う
※当時の事を振り返りながら戒めの為にも忘れないよう記録しておきます。気分が悪くなられる方もいると思うので苦手な方は見ないようお願いいたします。まず、私が犯した罪によって多くの人に深い傷を負わせてしまいました。詳しい事は書けませんが、被害者方達・そのご家族には一生許される事はないですし一生償っていかなければいけません。だけど当時の私は、逮捕され実名報道されても自分の事で精一杯だったと思います。両親とは、出所して仕事に就いた現在になってようやく普通に会話ができるようになりました。
2回目の取り調べ後、2週間程度警察からの連絡はありませんでした。パソコンや携帯電話は押収されたままでした。会社の携帯を使って警察とはやり取りをしていました。こんなに時間がかかるのは、「パソコンの解析でマズいものが見つかり、時間をかけて慎重に捜査されているのではないか」という不安が常に付きまとい、とにかく「今の状況が知りたい」とヤキモキする毎日が続きました。先の見えない不安は、想像を絶します。仕事、家族、人間関係、全てを失う今後が待っている可能性がある中で、留置
この前の投稿では、彼氏とは、自分から離れたと強がって書いてしまいましたが正確にはフラれたんです。なので編集しました。また、逮捕後は実名報道されたので色んな方々に迷惑をかけてしまいました。特にFacebookをやっており顔出ししていたので事件後は、かなり検索されていたようです。報道の時に顔は出されなかったものの年齢などから割り当てられ出所後に調べたら某アフィリエイト記事にアカウントが載せられていました。※現在は、Facebookアカウントを閉鎖しています。私が好奇の目で見られた
再逮捕されて、午前中には留置場に帰還した私。共同生活していた子たちが心配そうに?でもどことなく嬉しそうだった気がする(笑)再逮捕されなかったら、この部屋で一番最初にいなくなる人だったもん。午後6時頃に担当さんの主任さんが私のところに書類をもってきて、そこには最初の逮捕の件について「処分保留で釈放」と書いてありましたが・・・再逮捕なので引き続き拘留だよとのことを伝えにきた。さらにこの夜、弁護士先生が接見に来れて、私の再逮捕の拘留はしないでと家族と嘆願書を作成して検事さんに提出しますと言いに
はじめまして。ようガールです。私が逮捕されてから服役後までの事を綴っているブログです。逮捕されたのは20代の頃です。その後、服役して出所後には30代に突入していました。このような体験を今後しない為にも、自分への戒めの為にも記録として残しておきます。追記:このブログを始めたのは、戒めの為でもありますが刑務所を出所してから急に襲われる不安や孤独感で逃げ出したくなる自分を抑える為でもあります。見ている方がいるブログで日々の生活を書き続けることで、弱い自分から逃げずに償いを続
そんな生活を繰り返しているうち、必然的に2回目の逮捕の日が訪れました。当然の結果だと思います。2回目も、案の定電車の中でした。前回と同じく電車の中で女性のスカートを盗撮し、偶然一緒の駅で降りたところ、改札の前から110番通報され、警察官が集まってきました。被害者からすると、盗撮されるわ同じ駅で降りるわ、恐怖だったと思います。これからストーキングされる可能性だってありますし、何をされるかわかったもんではありませんから。電話していることは見てわかっていましたが、
取り調べや指紋採取などが終わり留置場へ引き渡されました。女性警察官から「ここでは、あなたの事は番号で呼びます。〇〇番ね!」と言われました。名前ではなく番号で呼ばれるようになり犯罪者になった事をより実感しました。まず所持品検査がありバッグの中身を全てみられます。念入りに見られ時々、事件を犯しここまで来てしまった事を説教されました。身体検査は、服や下着など全部脱いで行います。何か入っていないかジャンプさせられました。また、金属探知機を使って隅々まで調べられま
3人の刑事とともに家に戻ることになった私は、I刑事が車のカギを取りに行っている間に、若い刑事と裏の駐車場に設置されていた喫煙スペースでタバコを吸いながら待つことになりました。私が容疑について全面的に認めていることもあり、刑事が私に厳しく接することはありませんでした。意外にも紳士的に、時には冗談を交えながら接してくれました。2日ぶりのタバコを吸いましたが、特に感動はありませんでした。タバコは一種の中毒なようなものですが、拘束されている間「絶対にタバコは吸えない」と分かってい
留置場編これはあくまで自分の体験談で約20前の話なので現在は変わっているかも知れないと言うことを最初に言っておく!逮捕されると、まずは身柄を拘束されて警察署の中の留置場に拘束される。部屋数などは各、警察署によって規模が違うのでひとまとめには出来ない。例えば、東京は渋谷署、新宿署、池袋署などが規模が大きくて多くの人数を収容出来る。(意外と板橋署も大きい。)流れ的には起訴されるような罪状の場合は、最初の2日で検察と裁判所に行き10日勾留されて更に10日勾留延長される。(神奈川は人数的に
逮捕から8日目。国選弁護士と1回目の面談をしました。厳格な弁護士さんだったら怖いなと思っていましたが、担当したのは若手で柔らかい雰囲気の弁護士さんだったので安心しました。10日目には再び検察庁へ連れて行かれ検事による取り調べがありました。前回同様に夕方までの苦行でしたが生理痛がないだけマシに感じられました。そして次の日、さらに10日の勾留延長になったと言われました。20日間になるだろうと聞いていたので驚きはありませんでした。勾留延長後も取り調べが2回ほど行われ
部屋に戻った私は、今後への希望が見いだすことが出来ずに、下を向くことしか出来ませんでした。Cさんが「どうでしたか?」と聞いてきたので、素直に「ダメでした。全然こっちの言うことを聞いてくれないし怒られておしまいでした」と答えました。Cさんは「それは残念でしたね、私なんてちゃんと話を聞いてくれて優しい担当者でしたよ。」と言われましたが、そんな話は聞きたくもありません。とにかく私は、今までかすかに持っていた希望が全て失われたばかりでした。気持ちの整理が出来ませんで
私が逮捕されたのは早朝です。逮捕理由は、ここには書けませんが、今でも後悔と申し訳ないという気持ちを持ち続けています。数多くの人達を傷つけ苦しめてしまいました。バンに乗せられた後は、パニック状態で情けないという気持ちばかりでした。時間と逮捕状を読み上げられた後、バンの中で手錠と腰縄をされました。刑事さんはパニック状態の私を落ち着かそうと話しかけて下さっていましたが、これからの事が不安でいっぱいでした。そして、過去に戻れたらという懺悔と後悔の気持ちがひたすら襲ってきました。
寝たのか寝ていないのかよくわからない状況のまま、3日目の朝を迎えました。おそらく昨夜よりは少しは寝られたはずです。夢を見たという事は、たいして深い眠りには着けなかった証拠かもしれません。朝食は、昨日と違って菓子パン2つとパックジュース1つでした。今日検察に押送されることは分かっているので、少しでも体力をつけようと思い、一つだけを無理やり胃袋に詰め込みました。誰か喋り相手でもおれば多少は食べる気になるのでしょうが、一人だけで地べたに弁当やパンを置いた状態で、食べる気も起
2日続けての実況見分を終えてから次の日。「28取り調べ!」と言われ朝食が終わり雑居房から出され手錠と腰縄をされます。取調室に着くと刑事さん2人が待機しており事件の詳細や犯行動機などを改めて聞かれました。取り調べは昼休憩後に終わり再び雑居房に戻されました。確かこの日は、お風呂の日で石鹸・リンスインシャンプー・タオルを持って浴場へ行きました。風呂は1人20分でした。お湯にも浸かりたかったのですが、垢や髪の毛が浮いていて入るのは止めシャワーだけです。風呂が終わると軽く運動をし
夜8時くらいになり、前日同様、部屋に布団を入れ、洗面を終え、夜の点呼が行われました。今まで読んでいた本も回収となり、消灯時間までの1時間、何もすることがない状況になってしまいました。少しでも気がまぎれる本が無くなったことは私にとって痛手でした。金網にへばりついて左右を見ましたが、他の部屋の様子は伺うことはできません。昨日と違い、とても静かでした。すると突然隣の部屋のAさんから「〇〇番さん、盗撮ってどうやって撮ってたんですか?」と聞かれました。午後に部屋で喋った時
娘が、教員に盗撮されてから毎日のように、インターネット官報をチェックしている私。一向に掲載されない。公立より私立は審査が遅いのか。一般的に、教員が懲戒免職になる時は手順がある。まずは、学校が、各都道府県庁の学事課に事実を届け出、それを教育委員会に落とし込み、本人に事情聴取をするいう流れそこで相違が無ければ、正式に処分される。例え、犯罪であっても。本来、犯罪絡みの懲戒免職は、教育委員会ではなく、警察が必ず立ち会えば良いのに。逆を返せば、逮捕が先なら、教
留置場1日目は泣き続けて眠れなかったのを覚えています。そして一睡もしないまま朝6時半に起床し布団を折り畳み7時には朝食です。留置場によって出されるものは違うと思いますが、私はお弁当でした。お世辞にも美味しいとは言えない弁当で1日目はストレスで吐き気もあり殆ど食べずに残しました。トイレにも行ったのですがトイレットペーパーなどはなく紙を支給されそれで拭きます。留置場の部屋では読書をするか手紙(平日のみ)を書く事しか許されていないのでひたすら時間が経つのを待つだけでした。
差し入れについて彼からリクエストがあったので『筆箱の差し入れー毎日勉強を拘置所で頑張っているー』彼から100円均一の筆箱の差し入れをお願いされ何も考えずでしたが、「はっまた調べないで買って差し入れできないパターンあるぞ!」と思ってネットで調べてみたら。。…ameblo.jpいろんな人のサイトには拘置所の売店で買ったやつのみしかダメと書いてあったり、素材とサイズがクリアであればなんでも大丈夫って書いてあったり、何度も差し入れしてみたら差し入れできなかったとか、、本人の希望のものを送って
腰縄手錠にも少しは慣れ…警察署から西が丘分室というところへ移動。どうでもいいけど両サイドどちらかがワキガ疑惑…地味に拷問されつつ西が丘分室到着階段をのぼるとすげー鍵の頑丈そうな鉄扉があらわれます。そしていよいよ扉は開かれ…新入り検査。服を脱いで並べます(ちなみに床に敷いた新聞紙の上)全部です。一応病院のレントゲンの時に着るようなガウン的なものがあります。生理だったのですが、ナプキンもはがして並べます。そんでもって全裸で回転し、主だった傷跡などはチェックされますそして…M
大変ご心配をお掛けしました。3年以上前に、記事にしました内容が、名誉毀損として訴えられ、10日間警察の留置場に打ち込まれていましたが、10日間の取り調べの結果、名誉毀損罪には当たらないとして、不起訴になり、先日釈放されました。悪い奴程、警察や弁護士を利用するもので、まったく嘆かわしい事です。この度もご心配をかけ、中には面会差し入れをして下さった方も有り、身に余る御厚情に、恐縮いたしております。今後ともご指導宜しく御願いいたします。
家族との面会が終わり、部屋に戻され、様々な感情が巻き起こりしばらく下を向いて座っていました。母親の悲しそうな顔、妻からの質問、頭の中でグルグル駆け巡りましたが、気持ちを落ち着かせる方法が分かりませんでした。明日にも出られるという希望が湧けば何とか前向きに行けるかもしれませんが、午前中の取り調べは無く、さらに気持ちが焦りました。昼になり、留置場の入り口のドアが開く音がし、弁当とお茶が留置場の中に運び込まれてきました。ドアを開く音がするだけで「取り調べか!」と期待しては、す
朝の一連の行動が終わった後、いわゆる「自由時間」となりました。「自由」といっても、一人きりの”文字通り”何もない空間で何をするのか?こんなにも恐ろしい自由が存在するとは思っていませんでした。ここから出る自由、誰かに連絡する自由、死ぬ自由が無いことがどれほどつらい事か。本よ読む、寝る、トイレに行くだけの自由しか存在せず、「生きる」事は、ここでは自由ではなく義務なのです。どれだけ瀕死の状態に持ちこもうが、警察が大量の税金を投入して私を生き返らせます。意地でも私の罪をでもさばい
本日は刑事手続について。主に法律事務所の事務員の方等、書式を探している方向けの内容です。刑事事件の被疑者、被告人は「留置場」または「拘置所」に留置されます。(これら施設は有罪が確定した者が収容される「刑務所」とは異なります)留置場は、警察の管理下にある施設で、主として警察署内に設置されています。一方、拘置所は、法務省の管理下にある施設で、静岡市では静岡刑務所内に設置されています。刑事訴訟法上、被疑者・被告人は拘置所に留置するのが原則ですが、留置場に留置することもできます。現状の運用では、ま
警察署の留置場に勾留されていた容疑者に対し、他人の名前を使って衣服を差し入れたとして、有印私文書偽造・同行使罪(刑法159条及び161条)に問われた者への判決公判が大阪地方裁判所であった。(大阪地裁令和3.10.20)判決は、無罪であった。この判決で注目すべきことは、被留置者金品出納簿が刑法159条の「事実証明に関する文書」にあたるかである。まず、大阪府警留置業務取扱規程に根拠をもつ本件の被留置者金品出納簿については、文書の性質上、名義人自身による記載が予定される文書であると解する