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久しぶりの更新ですが、今回は忘備録というか、自分の心の内を吐き出す場所がないので、気持ちのアウトプットをする作業です。実家の父が、末期がんで入院しています。どうやら、3月から入院しているようですが、正確なことはわかりません。私が知ったのは、10日ほど前でした。父には、1~2か月に1回のペースで実家に顔を出して、会いに行っていました。が、今年に入ってから、私がバタバタしていて時間がなく、なかなか会いに行けていませんでした。
姉がいる間に、市役所での手続きや相続に向けての準備に走ってます凍結される前に父の口座からの引き落としだったものを私に変更、満を持してイザ、金融機関へ父の取引金融機関は1か所だけ。(字が書けるうちにまとめておいて大正解)金融機関では新聞のお悔やみ欄で父の死を把握してましたが、私が行くまで凍結はされてませんでした。母も私もそこに口座を持っているので、そこでの相続の為の印鑑証明は不要とのこと(姉のは後日郵送)父の出生から死去までの戸籍謄本(改正、除籍)が必要、今年3月から地元の役所で他市
おはようございます。お立ち寄りありがとうございます。先月父が亡くなりました。特養でお世話になっていましたが急に亡くなりました。嚥下が出来なくなっており、胃ろうの手術の日程も決まっていました。元気だった頃、延命治療は絶対にしないで欲しい!!って言っていた人なので胃ろうが嫌だったのかな?と思っています。死因は老衰で、苦しまずに亡くなったのは父にとっても良かったかなと思っています。でも、もう少し生きていて欲しかったな。家族のエゴですかね?葬儀も身内だけで行いました。
私が初めて親を看取り「葬儀を行う側」の立場になったのは13年前に実父が亡くなったときでした。そのときの喪主は、母でしたが父が亡くなった直後はその衝撃と長年の介護疲れでいつも気丈な母もグッタリしていました。それまで幾度となく葬儀に参列していてもいざ「自分が家族を送る側」になると何から手をつけて良いのか、さっぱりわからない私たち父は76歳と早かったため周りの人はまだ元気で、臨終の知らせと共に父の兄姉、母の兄姉(叔父さん、叔母さん)その
ブログ書く時間全然ない!ガッツリ書こうとするからなんだけどね2024年3月16日午前5時50分父が永眠しました。備忘録兼ねて、ブログ書いていきます。3/15の朝、いつも透析を受けている病院から電話があって、ちょうど電車に乗ってて、どこからかかってきたかもわからなかったので折り返しの連絡遅れてしまったら父が倒れて運ばれたからすぐにきて欲しいと…「次からはすぐに電話に出られるようにしててください!」と、緊迫した師長さんの声で言われてしまって、その電話で、私は全て病院に任せる
父の死は、いろいろな事を教えてくれた父が亡くなる前、よくこんな話をしていた父ワシが死んだら、姉や兄は、目の色変えて、飛んで来るからお前は、この家に残って生活しなきゃいけないんだから、少したくさんお金貰って頑張らないといけない私大丈夫よ。兄ちゃんも姉ちゃんも金持ってるやろし、お父さんのお金は、私にくれるでしょう私、ないので父お前は、甘い生活せなあかんから少し多く貰うって言えよ!喧嘩せんように私は、心配性だなぁ。皆、私の事考えてくれているよ。大丈夫って変な自信があった今から
「Winterboy」を観ました。Fan’sVoiceさんの、独占最速オンライン試写会が当たり、観せていただきました。(@fansvoicejp)ストーリーは、冬のある夜。寄宿舎で暮らす17歳の少年リュカは父が事故死したとの連絡を受け、アルプス山麓の実家に帰る。愛する父の死に直面し、大きな悲しみと喪失感にさいなまれるリュカ。葬儀の後、兄に連れられて初めてパリを訪れたリュカは、兄の同居人である年上のアーティスト、リリオと出会う。優しいリリオに心惹かれるリュカだったが、リリオに
ありがとうございました😊父が亡くなり、早くも7日が経とうとしております皆様、温かいお言葉、たくさんありがとうございます無事、お通夜、お葬式を行うことが出来ましたまだまだ、悲しみは癒えないですが、いつまでも下を向いていてはいけませんね。父の死は、間違いなく、私の人生で一番の悲しい出来事でした普段から、仲は良く、楽しく過ごしていた時間がこんなに突然なくなるなんてこんなにも自分が落ち、こんなにも涙がまだ残っていたのかと思うほど流れ落ちた母や、大好きな、愛犬ナナちゃんが、亡くなった時も落
父が肺炎で入院したのはわずか1か月前だ。その父は遺骨となって自宅に戻って来た。怒涛のごとく過ぎた1か月だった。入院できて安心したのはつかの間、回復する兆しはなく悪化する病状に不安な日々を過ごした。病院からいつ連絡が入るかも知れず、臨戦態勢のまま過ごし、ついに死去。悪夢だ。コロナ禍風邪ひとつひかず、出勤を続けた自分だったがついに体調不良、、気温のアップダウンが激しいことに加え、この2週間体はすごく疲れているのに毎晩深夜に目が覚めてしまい、眠れないのだ。人生の緊急
お父さん。お兄ちゃん転職するって。公務員。お兄ちゃん、ちゃんとお母さんを守ってるからね私も頑張るね。お父さん、お母さんは意外にも、ディサービス楽しんでるだから、だから心配要らないからね。お父さん、家族皆んなで頑張るよお父さんが居ない夜が心細いよ、頑張るよ、私お兄に負けたくないアタシと孫。負けず嫌い頑張るからね
ご無沙汰しておりました。色々大変な事がありまして、、なんやかんやバタバタしていたんですが、ちょっと落ち着いたので再開しようかなと思っています大変な事、というのは先月父が他界したんです。父はまだそんなに歳でもなかったですし、特にどこが悪いとか入院してるわけでもなかったので急なことでした。小さい頃は凄く良い父親でお父さんが大好きでした。ここには恥ずかしくて書けないですが、母が亡くなってから中々の破天荒ぶりを発揮して、こちらの健康を害するのでうんざりして実家を出ていました。元気で長生きして
父死亡の知らせを受け、とりあえず役所に行くことにした我らに次々と奇跡が起きまくる・・・(全6回)●前のお話『その25:父の葬儀(1)』2020年5月のある日、見慣れぬ役所から突然届いた父の死亡を知らせる手紙。子供の頃に別れ、消息もわからなくなっていた父の死をめぐって起こった出来事を綴ります…ameblo.jp●次のお話『その25:父の葬儀(3)』いよいよ父の葬儀を行う事になった私達。葬儀場には5人くらいまで泊まれるとの事だったので「じゃあ皆で泊まろうよ!
”分与”というか”放棄”ですけど。。。幸い?父がお金持っていないからお金で争うこともなく。まあそれ以外では仲違いもしましたが。。。元々そんなに仲良しでもないから変わらないですけど。僕としては元々家族と近くないから争うくらいの資産があって、もらうものきっちりもらえて将来に余裕ができればよかったのにー!!と本気で思っています(笑)
2020年5月のある日、見慣れぬ役所から突然届いた父の死亡を知らせる手紙。子供の頃に別れ、消息もわからなくなっていた父の死をめぐって起こった出来事を綴ります。(全6回)●前のお話『その24:ピクニック』引っ越し先にほど近い所に大きな公園があるため、天気のいい日はお弁当を持って、娘とよくピクニックに行きますりんが守護霊さんと話すようになってから初めて行ったピ…ameblo.jp●次のお話『その25:父の葬儀(2)』父死亡の知らせを受け、とりあえず役所に行くこ
まだ父が亡くなってから5日。自宅の祭壇の父の遺影には、毎日何回も話しかけまくっている(笑)「お父さん、あの時~~~だったねー。あ、あんパン食べてる?もうとっくに食べたよね?」とかなんとか話しかけていると心が安らぐ気がする。あんパンは最後まで食べたがっていたから、亡くなってからは毎日食べてもらいたい!もう麻痺からも嚥下障害からも解放されているはずの父は、きっと両手でパンを頬張っているに違いない!先ほど炊きたてのご飯も備えてきた。※パンを入院中の父の口に入れる真似だけした話は、過去の
もっと生きるつもりだっただろうなー。お父さん。あんなに目を開いて口も開いていつもの表情で呼吸が止まっていた父。いつものように起きていたんだね。阪神のコールド勝ちをラジオで聴いてから興奮して眠れなかったのかな?だから起きたままで夜中を迎えた?まだまだ生きるぞ!って思ってたから目を開けていたの?面会のたびに歌謡曲を流していたから、Googleの履歴を見ると…。亡くなった日の面会、つまり最後に私が父のために流した曲は、「男はつらいよ」土曜は寅さんだったから。自宅でも笑いながら観て
今回でこの話は完結です。父の葬儀を無事に終えた私達。しかし、それで終わりではなかった・・・!役所と提携している葬儀場ならではのスタッフさんの言葉が胸に響きました。(全6回/完結)●前のお話『その25:父の葬儀(5)』亡き父がそこにいるとわかって、父との思い出が走馬灯のように巡ったらしき母。父と離婚後、母からは父の悪口しか聞いたことがなかったけど本当はこんな風に思えるほど…ameblo.jp★「守護霊さんと話せる娘の日常」のLINEスタンプはこち
父が亡くなりました昨日の未明自宅に鳴り響く一本の電話嫌な予感がしながらも、最近の父は比較的安定した病状だったので、まさかと思いながら電話に出た「呼吸が止まっています。」私の呼吸も止まりそうになった看護師さんの話では、夜の巡回までは普通の呼吸をしていたみたいで、夜中に栄養パックを持って病室に入った時には呼吸が止まっていたらしい気が動転とりあえず何をすれば良いか聞く父の着替え用の服を持って来て欲しい、と母は私からの報告を聞き、「あぁ…。」と落胆しながらも父の服を取り出した。点滴
今日の東京は気持ちの良い晴れ洗濯物をいっぱい干しました。このところ死別悲嘆の話が続きます。ジムで会う人のなかに私よりも5歳ほど若いのにかなり前にご両親を亡くされた方がいる。その人はお父さんが亡くなり2ヶ月ほどしてお母さんが亡くなったのだそう。そのときはショックだったけどすぐに平気になったんだって。悲しみも続くことはなかったって。あっさりした人もいるもんだね。親は先に亡くなるのはあたりまえ。みんなが通る道。でも親子の関係がどんなものだったの
続きです。私の姉と弟が名古屋に住んでいるが、独身の姉は「父の死」を知ってからすぐに車に飛び乗り和歌山まで高速で走ってきた。延命治療を始める以前から、いつかは父が…。と覚悟を決めていたようで、喪服などのセットを用意していたようだ。運転中、どれだけの悲しみが姉を襲っただろうか?弱味は一切見せない、しっかり者の長女。しかも午前3時頃から出発して和歌山には8時に到着していた。弟一家は昼頃に直接葬儀場へ車で着いた。私が控え室に着くと、5才の姪っ子と0才の甥っ子が可愛らしく遊んでいて、一番悲し
いよいよ父の葬儀を行う事になった私達。葬儀場には5人くらいまで泊まれるとの事だったので「じゃあ皆で泊まろうよ!」みたいになって、修学旅行的なワクワクな感じで集まったのでした・・・(全6回)●前のお話『その25:父の葬儀(2)』父死亡の知らせを受け、とりあえず役所に行くことにした我らに次々と奇跡が起きまくる・・・(全6回)●前のお話『その25:父の葬儀(1)』2020年5月…ameblo.jp●次のお話『その25:父の葬儀(4)』通夜の日、りんの
葬儀中、彼は母の車椅子をずっと押してくれた。母も彼に感謝でいっぱいと言っていた。私からもありがとう。本当にありがとう。父からも、ありがとうと言っていると思う。"太郎、すまんな。ありがとうな"って。
皆さんお元気ですか?久しぶりにブログを開けてみました過去を振り返ると、色んなことを思い出して泣いてしまいそうでなかなか開くことができませんでした父の四十九日も終えました。悲しみや寂しさは全然変わらないけど節目として、前向きに切り替えれたら良いなと思います思い出してたまには泣いてしまうかもですがだけとそれも含めて「私」なので自分の気持ちに正直に生きていこうと思います。父が亡くなってから色んな感情、色んな出来事を味わう日々でした。父を亡くし改めて生と死に向き合いこれ
おはようございます父の自死。その後帰った故郷で自分の人生を全否定されたような気持になり強い自殺願望にかられるようになりました。前回までの記事↓↓『大好きだった、お父さんの話』おはようございます今日は、なかなか人には言いづらい父が亡くなった時の話です。今ではもう、受け入れることができたのですが亡くなった直後から3年程は真っ…ameblo.jp『私なんて、生まれてこなければよかった』おはようございます前回、父が亡くなった時の話を書きました。
亡き父がそこにいるとわかって、父との思い出が走馬灯のように巡ったらしき母。父と離婚後、母からは父の悪口しか聞いたことがなかったけど本当はこんな風に思えるほど幸せな時があったんだなと感じられてとてもうれしい瞬間でした。(全6回)●前のお話『その25:父の葬儀(4)』通夜の日、りんのおかげで亡き父がそこにいる事を皆が実感し、突然父との思い出が走馬灯のように蘇った私は・・・。(全6回)●前のお話『その25:父の葬…ameblo.jp★「守
アレセンサ498日目😊2022年7月、肺がんと診断され、8月、肺腺癌ステージⅣ、リンパ節、骨、胸膜に転移ありと診断。胸腔ドレナージ手術で胸水を抜き、胸膜癒着術をして、8月末から、アレセンサで治療中です☺️☺️☺️改めてどんだけ転移してんだよって話😱😱😱体調は、肌の乾燥、胸痛、肩凝り、腰痛、右手の痺れ、などありますが、どれも軽症です昨日は、久しぶりのお仕事お仕事よりも、皆様へのご挨拶が、もう大変皆、出勤時間バラバラだしね。一人一人に、長い間お休み頂いて、ご迷惑おかけしました。父の、
父の死から、1週間が過ぎ、少し落ち着き、静かにお正月を過ごしていたところ地震🫨🫨🫨津波🌊警報🚨鳴り響くサイレン隣県の福井でも、相当揺れた。今でも余震と津波警報は続いている久しぶりに、恐怖を感じた。幸い、冷静な姉が一緒にいてくれたので、私も落ち着いて行動できましたが、やはり自然災害は怖すぎる幸い、大きな被害はありませんでしたが、本当に怖かった。もともと、いつもの正月と違って、今年は質素に地味に静かに過ごしていましたが、とんでもない正月となりました。最後にこの度の地震に際し、被害
死別ブログを読み始めたのは「夫の命が危険です」と言われて数日してから。もしかしたら明日明後日に夫がいなくなってしまう。そう思うとネットで色々検索してしまった。人様のブログを読むというのはもう長年のしている事だが死別ブログは一度も読んだことが無かった。その存在すら知らなかった。呑気に暮らしていた私は主婦のおしゃれな暮らしとか料理ブログとか、そんなブログばかり読んでいた。死別ブログは当事者にならないとなかなか巡りあわないだろう。母が夫である私の父を亡くしたのは60代になってから。